第55話 異世界の友へ

 クリオがこの世界を去ってから、三か月が経ちました。


 あの日からずっとふさぎ込んでいたエテルナ様も、ようやく笑顔を見せてくれるようになりました。

 副大臣が代理していた、海相や財相、法相といった大臣も新任され、魔物の国も落ち着きを取り戻しています。




 ギルモア伯のクーデターに関する裁判は、レミ姉の情報提供、共和国との通商条約締結、通貨防衛の功績により、特例的にギルモア家親族への処罰が行われないこととなりました。

 それでもレミ姉は、ギルモア銀行の頭取を辞任。

 銀行自体も、ベセスダ銀行と名前を変えて、ギルモア家との関係を清算し、信用回復に全力を注ぐ構えです。


 レミ姉には共和国中銀から招聘の声もあったのですが、彼女はこれも辞退し、今は魔法学院の大学院再入学のための試験勉強を進めています。

 投機や政争の矢面に立ってきた彼女ですが、本当は優しい人なんです。それだけに、これまでの仕事に、傷つくことも多かったはずです。


「できることと好きなことって、違うんですわ」


 ギルモア銀行を去る日に、彼女はそう言って笑っていました。




 ベベはあれからコクマ村に一度戻り、お母さんに人間の国移住の意志を伝えたそうです。まただいぶ泣かれたようですが、やっぱり最後には、ベベの好きなようにしなと、快く送り出してくれたと聞いています。


 人間の国では、相変わらずミミさんに結婚を迫られているそうですが、どうなることでしょう。先日、ミゲルさんから、大理宮跡でデートする二人を見たという報せが届きました。


 それから、ぜひ読んでほしいと、ベベの新しい原稿が届きました。タイトルは、『こちら魔物の国、中央銀行総裁室でございます』。僕たちが過ごしたあの日々をモデルにした小説です。懐かしくて、どうしても冷静に評価することができません。ベベは、クリオにも読んでほしかったと言っています。僕もそう思います。



 シメオンはしばらく忙しそうに魔物の国を飛び回っていましたが、再び人間の国に戻ると、ユライアさんの看病に当たりながら、ベセスダ銀行とヒープ機械工業の資金提供を受けて、戦災者の社会復帰を支援する基金を設立しました。

 戦争の英雄として名高いシメオンが、戦後に負傷や後遺症で苦しむ戦災者の苦境を語ることで、国を問わず、多くの支援が集まっています。


 シメオンは目立つのが苦手な人ですが、どういう心境の変化から、こうした活動を始めようと思ったのか聞いてみると、


「クリオにあてられたんだよ。銃をとらなくても、世界を変える方法がある。そういうことを、あいつは教えてくれた」


と、ちょっと恥ずかしそうに言っていました。




 それから、僕のことも少しご報告です。

 先日、エルフの大同盟から、魔物の国との国交を開始するための使節団がやってきました。

 種族が近い分、人間の国との交渉よりもよほど大変だと、エテルナ様はぼやいています。

 その使節団の代表が、非公式に、僕との面会を求めてきました。


「エルンスト様、シンダール公はその地位を投げうっても、あなたを正式に自分の子として、エルフの国に迎え入れたいと望んでおられます……僭越ながら私自身も、あなたが公子として立たれるのであれば、エルフとダークエルフとの千年の怨讐も、雪解けの時を迎えると確信しております。あなたに、終生の忠誠を誓いましょう。どうか、我らとともにお越しください」


 そういうお話でしたが、丁重にお断りしました。

 エルフの国の人々は、みんな生真面目で、いつも背筋を伸ばしていて、どんなことでも世界の重大事のように話します。そんな国の公子は、きっと僕には務まらないでしょう。すぐに心労で倒れてしまうに違いありません。


 エルフとダークエルフとの間には、長い確執の歴史があります。国同士の交流が始まっても、この憎悪は容易には解けないでしょう。この壁を打ち砕いていくのは、王や貴族の力ではなく、社会の、人々の営みの力だと、僕は思っています。魔物の国がそうだったように。




 エテルナ様は……エテルナ様は、やっぱり寂しそうです。

 クリオがいなくなって、いちばん悲しんだのは、きっとエテルナ様だと思います。


 あの日、異世界との扉が開いたあの日も、エテルナ様は泣いていましたね。

 あんな風に、人目もはばからずに泣くエテルナ様を、僕は見たことがありませんでした。


 エテルナ様は今、クリオがくれた異世界の耳飾りを、いつも着けています。

 本人は、政務の忙しさが、かえって寂しさを紛らわせてくれると言っていますが、少し心配です。

 クリオの代わりには到底なれないけれど、少しでもエテルナ様を支えられるように、何かできることがないか、最近はいつも考えています。




 これから、この世界は、きっと大きく変わっていくと思います。

 その中で、僕には何ができるのか。

 まだ定かには見えませんが、ゆっくりと考えていきたいと思います。


 さしあたっては、魔法学院の入試論文。

 テーマは決まりました。

 クリオからもらったこの本――『雇用、利子および貨幣の一般理論』の翻訳と注釈です。

 身に着けるもの以外で、唯一異世界から持ち込んだ文物が、こんな本だったなんて、実にクリオらしいですね。注釈をひとつ書き加えるたびに、クリオとの思い出が蘇ってきます。

 翻訳と注釈、しかも魔術と無縁の内容では、よい成績は望めないでしょう。でも、僕がこれからの生き方を決めるうえで、これはどうしても必要な一歩だと思うのです。




 クリオ、あなたは今、どうしていますか?

 無事に元のおうちへ、戻れたでしょうか?

 やりたいと思ったことは、できていますか?


 話したいことが、たくさんあります。

 聞きたいことが、たくさんあります。


 今から、この手紙を壜に詰めて、ベセスダの海に流そうと思います。

 もし、もし何かの奇跡が起きて、あなたにこれが届いてくれたらと願って。


 クリオ、あなたに会いたいです。

 心から。


       ―――異世界の友へ、エルンスト・フェリックス・バルトルディより

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