第7話 豪雨の密林 -Forefront-

 動力を休眠状態まで落とした鉄騎の中は暗い。


 密閉された空間は外界と隔たれ、コクピットにはなんの音もしないが、外では激しい雷雨が降り続いているはずだ。

 血液と筋肉の腐敗を防ぐため、出撃直前まで冷却保存されていた鉄騎の中は、熱帯地帯を運ばれていながら肌寒いほどだった。


〈投下予定地点まで残り40kmを切りました。中尉、起動準備をお願いします〉


 若い男の声で通信が入る。

 鉄騎を胴体の真下に吊るし、高速で輸送する大型ヘリコプター。

 そのパイロットが準備を促していた。


「了解」


 コクピットの座席に深く腰掛け、瞑目していたまぶたを開く。


 操縦室上部に備え付けられた数少ない物理スイッチを、俺は決められた手順で引き起こしていく。


 パイロットと半同化する鉄騎には、複雑な操作はいらない。

 起動さえしてしまえば、あとは鉄騎は己の体と同じだ。


 いま動作を確認している左右の操縦桿など、己の意思を具体化させるための補助具にすぎない。


「認証コードF-5022536。バーレンハイト第608試行部隊所属ユウ・アサギ中尉。起動申請」


 俺の言葉に反応して、座席の背もたれが展開する。

 脊椎の数に合わせた太い注射器が、背部からせり出し、パイロットスーツに接続された。


 ぞぶり、と痛みをともなう挿入感に、肌が粟立つ。

 冷たい液体が自分の体に侵入してくる不快感。これだけはいつまで経っても慣れない。


「……鉄騎起動」


 声紋と遺伝子データを認識した鉄騎が、止まっていた血流を巡らせ始める。


 冷たく蒼い血が自分の赤い血と混ざり合っていく、恍惚とした不快感。

 自分と鉄騎の鼓動がリンクしていく。

 俺は鉄騎で、鉄騎は俺だ。

 神経が、意識が、体高8mの巨人へと拡大していく。


『生体認証完了。おはようございます中尉』


 戦闘オペレーターたるAIが起動し、機械音声とともにディスプレイに鉄騎の状態が表示される。


 自己診断結果はオールグリーン。おやっさんの整備は完璧だ。


〈っ……あー、ちくしょう。毎度起動のこれだけは最悪だな。血管をファックされてる気分だぜ〉


 ディスプレイの左方に、ウルザルカの横顔が映った。


「…………」


〈んだよ、人の顔じっと見て〉


 不審げに眉を寄せるウルザルカの容貌は、相変わらず見事に整っている。

 長い砂金の髪をヘッドガードの下で束ね、体に密着した耐Gスーツを着た姿は実に扇情的だ。

 ダウンタウンのチンピラのような、下品な言葉遣いとは正反対の容姿なのだが、俺はどうにも納得がいかなかった。


「(やはり、信じられんな……)」


 挑むような翡翠色の瞳を見つめ返しながら、俺は昨夜ベッドを共にした女の言葉を反芻する。



   †   †   †



「あの娘、本当はお嬢様なんですよ」


 湿気しけった熱がこもったホテルの一室で、基地秘書官のルクシータがつぶやいた。


 先程まで枕に顔を埋めて、『こんなはずでは』とか『屈辱的だ』とか『敵戦力を侮りました』とかのたまっていたのだが、シャワーを浴びて正気に戻ったらしい。


 ベッドに座る俺の隣に腰掛け、衣服を身に着けていく。


 形の良い胸が下着に収まり、白磁のような肩がブラウスに隠される。


「お嬢様? あれが?」


 下品な笑い声を上げて、卑猥な言葉を吐く相棒の姿が思い起こされる。

 お嬢様ヒーハの対極にあるような女だろう、あれは。


「ふふっ、VIPもVIPですよ」


 東洋人とは異なる漆黒の瞳に、いたずらっぽい輝きを乗せて、女は視線を投げかけてくる。


「バーレンハイトCEOの五人いる娘のうちの一人ですけどね。それも愛妾の末娘。継承権は低いですが、立派な社長令嬢ですよ」


 企業序列第一位バーレンハイトインダストリーといえば、国家規模のアーコロジーを所有する超巨大企業であり、俺たち試験部隊の雇い主でもある。


 がさつ極まりない気性のあの娘が、まさかそこの社長令嬢とは恐れ入った。


「そうか」


「……驚かないんですか?」


「いや、それなりに驚いているが?」


「……日本人ハポネスって表情に変化がないって本当なんですね」


「俺が日本にいたのは五歳かそこらまでだ。今じゃ日本語のほうが不自由するぐらいでな。日本の流儀や文化にだって明るくない」


「でしたら、もう少し驚いた顔をしてください。教えた甲斐がないです」


「その意図を考えていた。俺に情報を与えたのは、警告のつもりか?」


「まさか。忠告ではありますけど」


 ルクシータは流れるような手つきで、まだ少し濡れた髪をシニョンにまとめていく。


「厄介事が舞い込んでくる可能性は、ないわけではないと思います。ウルザにはその気はないでしょうけど、担ぎ上げるものがいないとは言い切れませんので」


「簒奪は世の常か。あれが乗るとは思えないが、留意しておこう」


 並の暗殺者がウルザルカをどうこうできるとは思えない。

 あれは狙撃の申し子で鉄騎乗りの天才だが、生身でも特殊部隊並みの戦闘力は有している。

 そして、それ以上の戦闘経験を持つ者がさらに二人。

 少なくともうちの部隊にいる限り、あいつの安全は保証されている。


「なにか飲むか?」


「いえ、私はこのあと仕事がありますので」


 備え付けの冷蔵庫には、コロナビールがしっかり冷やされていた。

 それなりに高いホテルだ。アメニティもしっかりしている。

 塩とライムがあれば最高だったが、そこまでは望むまい。


 俺は握力に物を言わせて栓を抜き、一気に中身を飲み干した。

 汗で水分を失った体に、命の水が染み渡る。


「俺からも質問がある」


 俺も俺で、相棒とルクシータの関係に興味があった。


「ウルザルカとは、古い知り合いなのか?」


「幼馴染なんです。母同士が仲が良くて、子供の頃はいつも一緒に遊んでました。それが久しぶりに会って驚きました。昔とぜんぜん雰囲気が違うんですもの。向こうは向こうで驚いてたみたいですけど」


 昔を思い出したのか、楽しそうにルクシータは微笑んだ。


「私は男の子みたいにやんちゃで、あの子はすごく大人しくて、それでも不思議と気が合ったんです。中高学校セクンダリアに上がる頃に色々あって、あの娘とは疎遠になってしまったんですけど。また逢えて本当に嬉しかった」


 今の姿からは、どちらも想像がつかない話だった。

 匂い立つような色気のルクシータ、じゃじゃ馬のようなウルザルカ。

 それが俺の知る二人の姿でしかない。


 情を交わしあった女から、兵士の出で立ちへと姿を変えたルクシータが、真剣な眼差しで俺を見つめてくる。


「ユウさん。あの娘を、守ってあげてください」


 そこには親友を想う気持ちだけが湛えてあった。


「……あんたは勘違いをしている」


 コロナビールを枕元の台座に置き、黒い瞳を見つめ返す。


「あれは守られるようなタマじゃないし、俺たちは対等だ」


 あいつの昔がどうであれ、そして立場がどうであれ、俺のやることは変わらない。

 俺は兵士で、あいつは相棒だ。


「ウルザルカが何者であるかなど、俺には全く関係がない。俺が突っ込み、あいつが援護する。そうやって生き抜いてきた。どこであろうがいつであろうが、俺たちにとっては常在戦場。敵が向かってくるなら叩きのめすだけだ」


 その答えを聞いて、ルクシータは少し複雑そうな笑みを浮かべたあと、俺の頬に口付けた。


「やはり貴方でよかった」


 心底安堵したように、ルクシータはつぶやき、さよならも言わずに部屋を出ていった。



   †   †   †



〈んだよー、黙るなよー、もー〉


 不安と不満が混ざった、まるで猫のような不機嫌さでウルザルカは口をとがらせている。


「今日は吐かないか心配だっただけだ」


 妙に頭をなでてやりたくなった衝動を隠して、俺はうそぶいた。


〈は、吐かねーよ! もうその話はやめろよ! いじめだぞ!〉


〈あの、中尉、少尉。そろそろ目的地ですので……〉


 ヘリパイロットがこんなところで痴話喧嘩はやめてくれといった様子で、会話を遮ってくる。

 甚だしい誤解だ。


 が、作戦行動は始まっている。

 軽口を叩くのはこれくらいにしておこう。


 今回の作戦は、押し上げられた戦線の安定化だ。

 先の戦闘で、主力の重鉄騎部隊を、俺たちが二人で全滅させた。


 最新式の鉄騎部隊で戦線を押し上げようとしたら、カウンターを食らったわけだ。

 相手にとってはあまりに予想外の展開で、先の謎の鉄騎による襲撃もあり、戦線は大いに混乱していた。


 俺たちが籍をおくエクアドル軍は、その隙を見逃すほど甘くはなかったらしい。

 エクアドル軍は一気呵成に、敵主要基地の襲撃を行うことにした。


 脳髄への負担から俺たちが待機していた48時間の間に、その作戦は実行に移され、基地の破壊と同時に戦線を押し上げた。


 この電撃作戦は大成功と言っていい。

 対するコロンビア軍はたっぷりと煮え湯を飲まされたわけだ。

 最新式の鉄騎で予算を消費した敵が兵站を整え、反攻作戦を行うのはまだ先になるだろう。


 問題はその後に起きた。


 2時間ほど前、最前線にいたエクアドル軍の鉄騎部隊が信号を途絶した。

 原因は不明、退却した敵が増援を引き連れて戻ってくるにはまだ早い。


「……まぁ、ヤツだろうな」


 敵の予想はついていた。

 エクアドル軍が攻め込んだ基地の近くは、やつの縄張りだ。


 鉄騎の視界越しに見える眼下の密林から、ひりつくような気配を感じる。

 隊長から聞かされた姿なき怪物ジャバウォックの気配だ。


 前線にはまだ多数の兵士が残されている。

 残念ながら、彼らではあの怪物に対応できないだろう。

 せっかく得た勝利を、謎の鉄騎一匹に有耶無耶にされるわけにはいかない。


 俺たちの仕事は鉄騎の試験運用だが、エクアドル軍には世話になっている。

 タダ飯を食らった分の働きはしておかねばならない。


 豪雨が降りそそぐ密林を見下ろし、俺は敵の気配を探り続けた。

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Blue.Blood.Battalion.(旧・ロボ知識のないものがロボモノを書くとこうなる) 犬魔人 @inumajin

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