第6話 日常 -Harvest Place-

「登るか……」


 目の前の壁を見上げて、ぽつりとつぶやいた。


 そびえ立つ壁はクライミング用のもので、高さは二階建ての家程度だ。


 壁には起伏があり、色とりどりのホールドが挑戦者の攻略を待っている。


 手の平に汗を吸収する滑り止めチョークをまぶし、手をはたいて余分な白粉を落とす。


「いいぜ、相棒。登ってきな」


 頂上で俺を待つウルザルカが声をかけてくる。

 補助は別にいらないといったのだが、ただの見物だと押し切られてしまった。


「ああ」


 落下時のためのマットはどかしてある。の邪魔だからだ。


「どうぞ、中尉。マットはすぐに戻します」


「落ちても我々が受け止めますので」


「……ああ」


 先にここで訓練していた基地の兵士たちに頷き返す。

 彼らの訓練を邪魔する形になってしまったのだが、ウルザルカが声をかけたせいか、一も二もなく協力してくれた。


「まったく、過保護なことだな」


 好奇心を隠せない様子の兵士たちに嘆息してから、壁を睨みつける。

 登頂ルートを構築し、頂上まで登り切った己の姿をイメージし、タイミングをはかる。


 静寂の中を軽く走りだし、徐々に速度を上げて、最高速度に至った一歩で壁に足をかけた。


「ふっ……!」


 壁へとぶつかる前方向の慣性を、膝のバネで上昇するベクトルへと変える。


 一歩目を足がかりに、二歩目を踏み出し、さらなる加速をかけた。


 壁に押し付けられる助走の慣性をなるべく殺さないよう、三歩目を出っ張りに乗せる。


 四歩目。もう助走の慣性が消えかけている。

 蹴るというよりは引っ張りあげるように足を使い、五歩目を壁につける。


 足音はさせない。吸着するように足をかけなければ、反発力で壁から離れてしまうからだ。


 重力が上半身をひっぱり起こそうとしてくる。

 それに逆らい、壁に顔がひっつくほど体を引き寄せて、最後の六歩目を踏み出し、同時に強く蹴った。


 跳躍。


 体が浮かび上がる。壁が徐々に遠ざかっていく。

 俺は全身を弓なりに反らし、頂上に手を伸ばした。


 閉じた口の中で歯を食いしばる。


 中指の先が頂上にかかった。浮遊感が消え、重力に引きずり落とされる前に体を引き上げる。


 体重を一点にかけた中指の第一関節がきしむ。

 それを無視して片手懸垂の要領で一気に腕をたたみ、滑りこむように頂上へ登り切った。


「……最後は少し危なかったな」


 無呼吸で全身の力を使ったため、息が乱れている。

 

 頂上から見下ろした光景は、ちょうど鉄騎の操縦室の高さだ。

 いつも見慣れている景色だが、生身で見るとまた感想が違う。


「……やっぱりNINJAは実在したんだ……。親父、俺はNINJAに会ったぞ……!」


「さすがハポネス……。HENTAIの国の民……」


 補助を手伝ってくれた兵士が、下でブツブツとつぶやいている。


「この訓練ってなんか意味あんのか? 見てる方は面白いけどよ」


 頂上で待っていたウルザルカが呆れた様子で聞いてくる。


「鉄騎の性能は、搭乗者の身体能力に直結するからな」


 半人半機と呼べるほど神経を接続するなら、鉄騎の身は我が身と同じだ。

 人間に出来る動きは、すべて鉄騎で再現可能。

 逆に言うと、搭乗者に出来ないことは鉄騎にも出来ないことになる。


 出力や関節の可動域など、鉄騎は人間に及びもつかないほどのパワーを持っているが、それを使いこなすには搭乗者の運動神経と想像力が重要となってくる。


 鉄騎の跳躍は家屋をやすやすと飛び越えるが、人間の体では同じ身長の高さを飛び越すのも難しい。

 現実の体との齟齬を埋めるには、相当な想像力が要求される。

 自己の認識を鉄騎用に塗り替えるのだ。

 俺はその辺りが人より劣っているらしく、鉄騎の限界性能を出せるようになるまでかなり苦労した。

 なので、せめて自分が鉄騎に近づくことにしたのだ。


 壁を走り、棒を渡り、高所の狭間を跨ぎ越えた。

 軍事訓練としても存在する、変位運動技術訓練 l'art du déplacement。俗にいうパルクールだ。


 鉄騎のもっとも優れた性能は、戦車級の高火力でも重装甲でもなく、その機動性にあると俺は考えている。

 ステルス技術が発達した現在、鉄騎の正確な位置を探るには音探知のアクティブレーダーぐらいしか役に立たない。

 必定、可視圏内の近中距離戦闘がメインとなってくる。


 相手の攻撃を食らうことなく踏み込み、すれ違いざまにこちらの攻撃を必中させる。

 いわば陸上の航空格闘戦ドッグ・ファイトだ。鈍亀の機体ではいずれ現代戦についていけなくなる。

 そうした思想はやがて信念となり、絶えず続けた訓練は立体的な機動を俺の戦術にもたらした。


 白兎やクェ・ロコなど不名誉な渾名を付けられもしたが、積み重ねた勝利の数が俺の正しさを証明している。


「あとは筋トレと走り込みだが、ついてくるか?」


「あたぼうよ。でも、そのあとはあたしの射撃訓練にも付き合ってもらうからな」


「いいだろう」


 別に射撃が不得意というわけではない。

 自分の得意分野に引きこんだとほくそ笑むこの天才児に、一泡吹かせてやろう。



   †  †  †



「負けたほうがビール一本奢りな」


「了解した」


 耳当てイヤープロテクターをはめて、射撃レーンにウルザルカと並んで立つ。


 屋外の射撃場はロングレンジがメインで、狙撃兵のウルザルカ相手では最初から勝負にならない。


 ならばということで、折衷案として挙げたのがハンドガンによる動体射撃だ。


 ランダムに起き上がる人型のまとへ、先に当てたほうが1ポイント入る仕組みだ。


 走っている敵を想定した横移動する標的や、減点対象の人質なども飛び出てくるため、射撃能力よりも反射神経や判断力を要する射撃訓練だ。


 手元には9mmのLlama M82ベレッタ・クローンが一丁。予備の弾倉が二つ。これを使ってポイントを多く取った方の勝ちとする。


「へっへっへ、奢りのビールは最高ですなぁ」


「言ってろ」


 10kgの装備を背負って20km走ったあとは、各々の体格に合わせた筋力トレーニングをこなした。

 それなりにハードな訓練の後だが、ウルザルカに疲れた様子はない。この細身でよくやるものだ。


 鉄騎乗りには筋力と体力も必須素養だ。高速でぶん回される操縦室の中でそのGに耐えるには、相応の頑丈さがいる。


 若いが、ウルザルカは優秀なパイロットだ。

 ハイスクールを中退して海兵隊に入り、そこから流れてこの基地までやってきたそうだが、実戦経験の少なさをその才能が補って余りある。


 耳当て越しでも聞こえる大きなブザー音が響き渡った。

 同時に起き上がった三体のターゲットが、瞬時に頭部や胴体を撃ちぬかれて倒れた。


 俺が二体。ウルザルカが一体だ。


「ぐぬぬ」


「狙いすぎだ。狙撃じゃない。どこかに当たればそれで1ポイントだ」


「わーってるよ!」


 怒号に合わせてウルザルカが拳銃を連射する。


 ターゲットが起き上がってから構えるまでの時間は俺のほうが早いが、狙いを付けるのはウルザルカの方が圧倒的に早い。


 構えて撃つまでにほとんどタイムラグがない。


 射撃は反復練習だ。練習した分だけ上手くなり、経験こそが能力を高めてくれる。

 機械的に、しかし柔軟性を持って、何度も繰り返して己の体を最適化する。

 それ以外に、上達方法などない。


 が、何事にも例外は存在する。


 ウルザルカの射撃センスは天性のものだ。

 長銃を使った狙撃ともなれば、動く敵に合わせてキロメートル単位で離れた相手へ必中させる。


 それは鉄騎の装備であっても同じだ。

 音速の数倍の速度で飛翔する翼安定式高速徹甲弾A P F S D Sでさえ、当たるまでには一秒近いラグが出る。


 これを狙撃するのはAIによる風速や重力計算の補助があったとしても、かなりの難易度だ。

 それも高速で動き回る鉄騎に必中させるとなると、ほとんど予知に似た感覚が必要となってくる。


 これは修練だけでは決して身につかない、狙撃の才能だ。

 ウルザルカには天稟それがある。


 俺が戦場をかき乱して、ウルザルカが仕留めるという闘い方は、コンビを組んでからの必勝戦法となっていた。


 ──すべてのターゲットが倒され、終了を告げるブザーが鳴る。


「よっしゃ勝ったぁぁぁぁぁっ!!」


「……」


 終わってみれば3ポイント差だ。アドバイスなどしなければよかったか。


「ビールっ、ビールっ♪」


 ウルザルカはウキウキと浮ついた様子で装備を片付けている。


 俺はマネークリップから5ドル紙幣を抜いて、ウルザルカに差し出した。


「ほら」


「なんだよ、パシって来いってか? 負け兎が買いに行くべきだろ」


「このあと用事がある」


「んだよ、付き合い悪いな……」


 ウルザルカは口をとがらせて、ひったくるように紙幣を受け取った。


「また今度な」


「へーへー。あたしゃ一人寂しくリンカーン様のお慈悲にあやかっときますよ」


 皮肉げな様子のウルザルカに苦笑し、俺はその場をあとにした。

 秘書官殿の話とは一体何なのやら。

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