第5話 蒼い虹彩 -Blood Toxicosis-

「ジャバウォック?」


 冷房のよく効いた執務室。ソファのクッションは柔らかく、座り心地は悪くない。

 茎ごと緑薄荷スペアミントを敷き詰めたアイスティーに口をつけると、グラスの氷がカランと涼やかな音を立てた。


 入室して敬礼もそこそこに、隊長が手ずから入れた茶を受け取った。

 口に広がる清涼感を味わったあと、聞き慣れない名称に、俺は言葉をそのまま問い返した。

 ジャバウォックとは確か、不思議の国のアリスに出てくる空想上の怪物の名だ。


『我が息子よ、ジャバウォックに用心あれ。

 喰らいつく顎、引き掴む鈎爪。

 ジャブジャブ鳥にも心を配るべし。

 そして努々、燻り狂えるバンダースナッチの傍には寄るべからず』


 劇中でハンプティ・ダンプティが歌っていたのが、確かそんな詩だったはずだ。


「そう。正体不明の鉄騎ジャバウォックだよ。もう中隊規模で被害が出てる」


 チュパカブラを信じている南米人のセンスではない。

 一体誰が名付けたのか、姿なき怪物ジャバウォックとはいい具合に洒落がきいている。


「出没するのは決まって夜間。南の密林地帯で多く発見されている。と言っても目撃者はみんな死んでて、残骸のレコーダーに残った僅かな情報から推測されてるだけなんだけどね」


 義手化した右腕を器用に使って、左手の爪を切りながら、三白眼の痩せ男がそう答えた。


 オールバックになでつけた髪は黒々としているが、肌は青白く不健康だ。

 覇気のない様子は軍人といった風体ではなく、まるで事務職の公務員のようだった。


「なんせ動きが素早すぎてね。変色迷彩に電子探知無効化塗装。おまけに駆動音まで非常に静かサイレンスだ」


 隠密戦闘を主とする鉄騎にはどれも標準装備されている機能である。

 それでもわざわざ説明するということは、その未確認兵器アンノウン・エネミーは桁外れに高性能のものを積んでいるのだろう。


「映像でも音響でも、ほとんど実態がつかめてない。影のように現れ、影のように消える。いやはや困ったものだよ」


 パチンと強めの音がして、爪の欠片が飛んでいく。

 俺はそれを横目で見送って、意見を述べた。


「おおかた、どこかの企業が実験投入してる次世代型新型鉄騎ってところだろう。戦線はなかば実験場と化してる。どこも試験運用にやりたい放題だ」


 南米の数カ所でしか発掘されない賢者の石アルケミア・オアをめぐって起こった鉱石紛争。

 それは各地に飛び火し、今やこの南米大睦で争いのない場所は存在しないくらいだ。


 軍需産業は活性化し、あふれかえった難民は労働力として企業に接収された。

 量産された兵器が大量投入され、戦況は長引き、泥沼化していった。


 いや、泥沼化させられたのだ。

 幾つもの企業が手を組んで疲弊した国家を裏から操り、この管理された戦場を作り上げた。

 いつしか戦場は兵器実験場となり、他国へ自社製品を売り込むための見本市の様相を呈していた。


 うちの部隊だって似たようなものだ。

 エクアドル軍に籍をおいている身ではあるが、実際は企業序列第一位バーレンハイト・インダストリーのお抱え実験部隊の一つだ。

 俺たちの仕事はこの戦場で戦闘を繰り返してデータを収集したり、たまに送られてくる試作兵器のテストを行ったりすることだ。


 軍の規律に従う必要はなく、基地では客人のごとくもてなされている。

 彼らにとって、俺たちは有事の際の用心棒のようなものだった。


「まぁ、いま被害が出てるのはペルー軍なんだけどさ。襲撃場所も戦線の境に近いし、こっちに出るとも限らない。注意しといてねって話さ」


「ふむ」


 敵であるペルー軍からどうやって入手したのか、渡されたホロデータを見やって顎をさする。

 画質の荒い写真に映るシルエットは、たしかに魔獣とあだ名されるだけのことはあった。

 大きな鈎爪を振りかぶる姿は、闇夜に眼を光らせる不気味な魔獣の名を冠するに相応しい。


「気になるかい? 君と同じようなタイプの格闘型だ。こういう命知らずな奴は珍しいからね」


「気になってるのは隊長のほうだろう。戦鬼デモニオの血が騒ぐんじゃないか?」


 ウェイロン・ウー。戦鬼のウェイロンとは、戦場では誰もが知る傭兵の名だ。

 戦場を風のように駆け抜け、銃弾砲火を斬り伏せるその姿は、幾度となく敵陣を震え上がらせた。


 それがこんな冴えない中年男だとは誰も思わないだろう。

 かつて共に戦った仲間以外には。


「まさか。僕はもう引退した身だよ。この通り、青い血が全身に回ってるからね。鉄騎乗りとしては死んだ身さ」


 義手の指でまぶたを開いて、三白眼を見せつけてくる。


 隊長の小さな瞳は、深蒼色の輝きを放っていた。

 典型的な血液中毒ブラッド・トキシコシスだ。

 この青さはもう末期寸前だろう。

 俺も隊長が鉄騎に乗っているところは久しく見ていない。

 

 鉄騎と血液を介して半融合を行うパイロットは、戦闘を繰り返すたびに青い血が細胞に混じっていく。

 瞳の虹彩は徐々に青くなっていき、完全なディープブルーに染まった時、搭乗者は鉄騎から還ってこれなくなる。


 隊長は長く傭兵部隊の隊長として、俺たちの隊を率いていた。

 血が青く混ざれば混ざるほど鉄騎との融合率は上がり、その操縦効率は向上するが、人としての機能は徐々に失われていく。


 視覚や味覚といった感覚異常から、四肢の麻痺まで。その症状は様々だ。

 血液交換等で多少は侵食を緩和できるが、対症療法にすぎない。

 俺にはまだそういった症状は出ていないが、もう何年かすればその徴候も現れてくるだろう。


 鉄騎乗りのは早い。10年保てば長いほうだ。

 大抵はそれまでに中毒症状を起こして引退する。

 または無理に戦い続けて廃人になるか、戦死する。


 鉄騎乗りは適正がなければ搭乗することも出来ないため、パイロットは貴重な存在だ。

 報酬も並の士官より、かなり高い額をもらっている。

 5年勤め上げれば退職金もたっぷり出るし、関連企業に優先雇用もしてもらえる。

 戦場をいたるところに発生させ、国家すら裏で操る極悪企業の福利厚生は完璧だ。


 それでも鉄騎乗りおれたちには、戦場しか居場所がないのも事実だった。


「指揮通信車の中なんて、あんたには似合わない。戦わないならいっそ引退したらどうだ?」


 挑発するように、かつての恩師に問いかける。


「いやぁ、僕も田舎に引っ込んで、晴耕雨読の隠居生活を送りたいんだけどねえ……。スポンサー様がなかなか許してくれなくてさぁ。契約書はちゃんと読まなきゃ駄目だよ、ほんと」


 げんなりと肩を落として、隊長は爪切りを机に置いた。


「……ところで、隣の彼女は今日はおとなしいね。どうしたのかな?」


 俺の隣りに座った褐色の女に視線が集まった。

 小さく丸まり、落ち込んだ様子でちびちびとミントティーをすすっている。


 俺が来た時にはすでに執務室にいたのだが、ウルザルカは終始こんな調子だ。


「気にするな。ただの二日酔いだ」


「違う! あんたがあたしのことをゲロ女とか言うから……! ていうか、裸まで見ておきながら何なんだあの淡白な対応は! 思い出したらだんだん腹が立ってきた!」


 急に立ち上がったのでミントティーが服に零れる。

 こいつゲロ以外にも俺にかけてくる気か。


「知らん。胃液臭い女を抱く趣味はない」


「臭い言うな! つーか、ホントは風呂場で揉んだんだろ?! あっちこっち触ってイタズラしたんだろ?! 本当のことを言え! むしろそうだと言え! 言ってくださいお願いします……なんかもういろいろと女の矜持が……」


 へなへなと座り込むウルザルカの様子を見て、隊長がぽんと手を打つ。


「ああ。昨日はお楽しみでしたね、的な?」


「ゲロを頭から吐きかけられるのを悦ぶやつなら、それはそれは楽しい夜だったろうな」


「それは、なんというか、ハードなプレイだねえ……。おじさんにはちょっとレベルが高すぎるよ」


 隊長は半笑いで冷や汗を流す。


「馬鹿なこと言ってないで、仕事してくれ」


「してるよお。これからまだうんざりするほど書類をチェックしなきゃならないんだから……」


 俺以外の二人は違う理由で老人のように深い溜息をつく。

 なんだこの通夜のような雰囲気は。

 もうこんな場所にいる理由も義理もない。とっとと自室へ帰ろう。


「話は終わりだな。休暇申請は通ってるんだろ?」


 俺は止まっている推理小説の続きが読みたいのだ。

 昨日から散々な目にあったせいで、貴重な読書タイムが削れてしまった。


「待機ね、待機。一応任務中なんだから、大きな声で休みとか言わないでちょうだいねー」


 そう言ってひらひらと手を振ると、隊長は書類の山から一束とって目を通し始める。


 話は終了、ということだ。

 新たな厄介事が出てくる前に、ソファから立ち上がる。


「お、おい。待てよ。置いてくな! ……あ、隊長。お茶ごちそうさまでした」


 俺に対する乱暴な言葉づかいとは逆に、丁寧にグラスを置いてウルザルカがついてくる。


 片肘を付いて書類を読む隊長の姿は、閉じられたドアの向こうに見えなくなった。


「ジャバウォックか……」


 つぶやきは誰にも聞こえず、俺の中で密かな闘争心が芽生えていた。

 きっとやつとは近いうちにりあう。

 そんな予感めいた疼きが、腹の底でうごめいていた。

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