第4話 人造子 -Design Child-

 ごぼり、と気泡が重たく浮上していった。


 新型の鉄騎の中は、まるで母親の胎内のように、生温い粘性の液体で満たされていた。


 さして広くはない操縦室に座るのは、まだジュニアスクールに通っていそうな子供だ。

 幼いが、丸みをおびた腰のラインから、かろうじて少女と判別できた。

 真空密着する耐Gスーツを着こみ、頭をすっぽりと覆ったヘルメットには、幾つもの太いチューブが繋がっている。


 起伏の少ない胸が上下するたび、口元から気泡が溢れ、粘性の液体の中をゆっくりと浮き上がっていく。


 少女は左右の操縦桿を握りしめ、今か今かと動き出す瞬間を待っていた。


 五感はすでに鉄騎とリンク済みだ。

 コンドームをかぶせたような鈍い皮膚感覚とは違う。

 すでに自らの魂は閉塞した操縦室の内にはなく、外界へと解き放たれていた。


 鉄騎の装甲で感じる空気は生温く、風は吹かない。

 足を這う蜥蜴のこそばゆさに、少女は僅かに身をよじる。

 獲物の殺意がひどく匂う。薄ら笑いを押さえることができなかった。


 月明かりが照らす南米のとある廃墟市街。

 そこが彼女の狩場だった。


 ──鉄騎の接近を知らせる警告ビープ音。

 それが聞こえた時には、少女はすでに対応を完了させている。


 ヘルメットに備え付けられた三段二列の複眼が、常人には処理しきれない量の情報を少女の眼前に展開する。


 敵機の数は合計6。前衛突撃3、中衛援護2、後衛狙撃1の布陣だ。


 小隊規模の戦闘部隊だ。

 こちらの位置に気づいているのか、市街のビルの隙間を縫って、包囲するように接近してくるのが音響データから識別できた。


「……良いブエノ


 少女が小さくつぶやき、操縦桿を握りこむ。

 彼女の意思を感知した鉄騎は暖気の必要すらなく、すぐさま駆動を開始した。


 攻撃的なフォルムの機体が、前傾姿勢を取ったまま静音移動する。

 機械的な動力源を持たない鉄騎の駆動は恐ろしく静かだ。

 特殊な塗料を塗られたセラミクスの装甲は、レーダーの探知すら無効化する。

 暗闇の中で戦えば、その戦闘音の小ささは歩兵の静音殺法にすら匹敵するほどだ。


 だがそれは、兵器として欠陥的である人型が、その構造理論において意味のある理由とはならない。


 鉄騎が人型を逸脱できない理由は、鉄騎が鉄騎たる最大の利点にあった。


 神経接合コネクトを超えた神経融合ユニオン

 鉄騎と操縦者は機体内を網目のように巡る循環液を通して、半ば意識を融合させる。

 思考する体液インテリジェンスブラッドとも呼ばれる循環液は鉄騎を動かす動力であると同時に神経でもある。

 操縦者の意識は狭苦しいパイロットルームにありながら、その一方で鉄騎の駆ける向かい風を肌に感じることが出来る。


 鉄騎の腕は己の腕であり、鉄騎の痛みは己の痛みである。

 意識の融合は、高速で動く珪素石の塊に、動物性の生命を宿すこととなった。


 操縦桿は意思を具体化するための補助具でしか無い。

 熟練の操縦者ならばただ座っているだけで、鉄騎を十全に操ることが出来る。


 しかし人間とはデリケートなもので、自分の体にないはずのものや、ありえない方向へ曲がる関節などに対しては、凄まじいストレスを発生させた。

 初期の頃は機械的な車やヘリ型、それ以外にも爬虫類や魚類などの様々な形態の鉄騎が造られた。

 だが、被弾面積を減らすために姿勢を低くした獣型のものでさえ、長時間の接続にパイロットの精神が耐えられなかった。


 神経上の融合を果たす以上、その姿は人型を大きく変えることは出来ない。

 それが鉄騎にかけられた制約だ。


 にも関わらず、少女の駆る機体は、肉食獣を思わせる攻撃的なフォルムをしていた。

 かろうじて人型を維持できるぎりぎりの形状。並のパイロットでは違和感で数十分と保たないだろう。


 暗青色の塗装を施されたその鉄騎の姿は、ルイス・キャロルのジャヴァウォックの詩The jaws that bite, the claws that catchに出てくる魔獣のごとき姿をしていた。


 その見た目通り獣のごとき柔軟さで、少女の鉄騎は敵陣営の前面に躍り出る。


 包囲網に穴を開けようとする強襲に、敵の部隊は速やかに隊列を変えて対応した。


 いい部隊だ。混乱が少ない。

 全員一級の兵士だ。


 少女の前進に合わせて隊全体が後退し、前衛と中衛は射線が重ならないように、見事な連携で銃撃を浴びせてくる。


 逃げ場がない銃弾の嵐だ。


 だが、少女の鉄騎はそれをと躱してみせた。


 ヘルメットに送られてくる銃撃予測データを参考に、銀盤を踊るアイススケーターのように、低く低く地面を滑る。


 連続する銃撃は空を切り、その後ろの廃墟を蜂の巣にした。


 もうもうと立ち込める粉塵を背に、少女/鉄騎かのじょは跳び上がり、前衛に喰らいついた。


 前腕に備え付けられた単分子ブレードの爪が、脇腹を深々とえぐる。

 鎌のように湾曲した爪は装甲をバターのように切り裂き、その中で厳重に守られている操縦室をミキサーのようにかき混ぜた。


 パイロットは即死だろう。

 硬質なセラミクス装甲は生半な銃弾など容易く弾くが、可動部は近接武器による斬撃や打撃といった低速高質量の攻撃に対して脆いという剛性的弱点を持っている。


 だが、銃撃の雨を恐れず飛び込んでいける兵士が一体どれほど居るだろうか。

 装甲を厚くしても、これほどの量の銃撃を浴びれば、撃墜は免れない。


 にも関わらず少女はまるで恐怖を感じていない。

 命を軽んじるその姿は、蜘蛛のごとき無機質な狩人を思わせた。


 少女は沈黙した敵機を抱え上げ、盾代わりにして次の敵へ突進する。


 仲間を盾にされても、訓練された兵たちの動きに躊躇いはなかった。

 放たれる銃撃は仲間ごと敵機を撃ち貫く。


 だが引き裂かれたのは味方だけだ。

 少女の鉄騎は急停止をかけて、敵機を投げつけると同時に、左へ低く跳んでいる。


 地を蹴り、角度を九十度変えて再度跳躍。あっという間に次の獲物へ肉薄する。


 刺突。

 装甲の厚い部分からではなく、脇腹の継ぎ目を狙った一撃は、容赦なく操縦者だけを即殺する。


 味方をやられたことに気づいた兵士たちが銃撃を行うが、暗青色の鉄騎はすでにその場を跳び去っている。


 まるで闇夜を舞う暗殺者だ。

 動きが静かすぎて、立て続けにアクティブソナーを打ち込んでいるのに、すぐにその機影が消えてしまう。

 

 直後、離れていた中衛がやられた。廃墟を回りこんでからの、背後からの刺突だった。


 うまく死にきれなかったのか、激しく痙攣する敵機から突撃長銃アサルトライフルを奪い取る。


 コード認証で味方機以外には使えないはずのその銃を、一秒にも足らない時間でクラックし、自分の武器へと変えてしまった少女の鉄騎は、周囲に居る敵機ではなく、後方で狙撃タイミングを図っていた後衛へ狙いを定めた。


 操縦室に座る少女のヘルメットに、気温や風速を加味した射線データが送られてくる。

 少女はその誘導通りに鉄騎を操り、狙撃銃以上の精密さで引き金を引いた。

 フルオートでアサルトライフルは弾を吐き出し、そのほとんどが狙い違わず狙撃手を打ち貫く。

 全身に空いた穴から青い血を流して、敵機は沈黙した。


 残りは前衛と中衛、その二体のみ。

 彼らが何一つ反撃できずに滅殺されるまで、そう時間はかからなかった。


〈──ご苦労様、アリス。上がっていいわよ〉


 最後の鉄騎の首をもぎ取り、青い血を噴き出す胴体へ爪を突き立てたところで、ヘルメットに女性の声で通信が入った。


 途端に廃墟は緑の光線へと画素を落とし、真っ暗闇へと落ちる。


 鉄騎の残骸たちも同じように霧散し、眩いばかりの照明が点灯した。

 暗闇はいつの間にか、白い壁に包まれた広い部屋に切り替わっていた。


 今までの戦闘はすべてホログラフィックデータを用いた仮想訓練だ。

 少女の乗っていた機体は、返り血に汚れてすらいなかった。


博士ドクトーラ、訓練、もう飽きた……」


 そうつぶやく少女の声は舌っ足らずで、外見よりもさらに幼さを感じさせた。


 操縦室から粘性の衝撃吸収ゲルが排出されていく。


〈そうねぇ、そろそろ実地訓練に移っても良い頃かしら……〉


 香水のように甘い声音で、通信の向こうの女性は考えこむ。


「飽きた。飽きた。もうやりたくない。もう疲れた。新しいことして遊びたい」


 小さな子供のようにせがむ少女に、女性は苦笑する。


〈仕方がないわねえ。性能試験も悪くない結果だったし、ご褒美に外へ出してあげましょうか〉


「本当? お外に出れるの……?」


〈そうよ。姉妹たちのためにも、あなたには色々体験してもらわないとね。実地でたくさん学んできなさい〉


 博士の色よい返事に、少女はヘルメットを勢い良く脱ぎ捨てた。

 長い白髪が操縦室に散らばる。


「ありがとう、博士! いっぱいいっぱい殺してくるね!」


 無邪気な笑みは幼気おさなげで、その様子をディスプレイの向こうで見つめる博士は、慈母のごとく微笑んだ。

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