第3話 鉄騎 -Caballería-
凍えるほど冷房のきいた格納庫を訪れると、オイルや剥離した金属臭に混じって、甘ったるい腐臭が鼻を突いてきた。
この匂いは、鉄騎の身体を血液のように流れる循環液のものだ。
十数トンの鉄の塊を躍動させ、人体の動きを完全模倣させるための
鉄騎と搭乗者をつなぐ神経であり、筋肉であり、発動機である。
鮮やかな青色をした血液は、人の血がそうであるように、劣化が早い。
稼働時間が72時間を超えた辺りから濁り始め、168時間を過ぎると黒くよどんでまともに機能を果たさなくなる。
透析機能をつけた新型機も開発中だそうだが、現状は交換が一番効率的だ。
なので定期的に鉄騎から循環液を抜いて、新しいものに入れ替えてやるのがメンテナンスの基本となる。
この林檎が腐ったような甘い匂いは、古くなった循環液の匂いだ。
鉄騎乗りになる訓練兵は、まず林檎が食えなくなるところから始まる。
林檎を見るたびに青黒い血の匂いを思い出してしまうのだ。
鬼教官による長期の練成を経て、愛機を壊しては整備員にどやされる頃にはそれも気にならなくなっている。
操縦席で林檎を丸かぶりできるようになれば、ひよこを卒業だ。
「そう言えば近頃食った記憶がない。南米の林檎は基本的に不味いしな……。PXに缶詰くらいはあったような気がするが」
などと思案しつつ、すれ違う若い整備員と挨拶を交わし、格納庫の奥へと進んでいく。
俺たちは軍事基地に間借りさせてもらっているような身分なので、俺たちの鉄騎以外にも整備を受けている機体はいくつもある。
装甲にいくつもの弾痕が刻まれた機体を見上げる。
かなりの深手のようだが、見事パイロットを生還させたらしい。
よくやったと心中で褒めておく。
頑丈な
骨格同士の接ぎは電子的に制御されており、関節の可動域は人間よりも広いぐらいだ。
体高は8m前後。機体重量は15t足らず。最新の
重火器をたやすく操る人工筋肉の高出力と相まって、直線を走るだけでも時速100km近い速度を瞬時に出し、その速度のまま急角度な方向転換までこなす。
悪路ですらそれだ。舗装された場所ならば足底部に仕込まれたダッシュローラーがその倍の速度を叩き出す。
それだけの速度を誇りながら、装甲も非常に頑健だ。
主力戦車の主砲をのぞく、大口径の火器の直撃を受けても継戦可能。
コクピット周りの装甲は特に頑丈で、爆撃された榴弾の雨の中、最後までパイロットの身を守ったという逸話もあるほどだ。
軽量にして大火力。高機動にして重装甲。
鉄騎が陸戦の華となるまでには、そう時間はかからなかった。
すでに各国がかなりの数の鉄騎を配備しているが、その普及にはある企業の影響が大きかった。
企業序列第一位。バーレンハイト・インダストリー。
頭部・胴体・腕部・脚部の4つをブロック化させ、鉄騎の接続規格を統一させたことで、大幅なコストダウンを成功させたのだ。
バーレンハイトの傘下企業だけではなく、ライバルであった大東亜重工がそれに乗ったことも、鉄騎の普及に一役買っていた。
この巨大企業二社が手を組んだことで、競合他社は規格統一に従う以外の選択肢がなかった。
各社によって開発されたパーツ・武装は多種多様に発展し、しかし統一された規格のおかげでその装着に齟齬が起きることは──中華系と欧州系のパーツは相性が悪いなどのソフト面で些細なバグは起きたが──ほとんどなかった。
これによりあらゆる環境・あらゆる作戦に合わせた素早い装備変更を可能とし、鉄騎は対テロリストなどの強襲作戦において目覚ましい戦果を発揮することになった。
「よう、
鉄騎のパイロットルームに頭を突っ込んで作業する男に、俺は声をかけた。
「……ああ?」
機嫌が悪そうな老人の声が返ってくる。
酒焼けした濁声が格納庫のけたたましい作業音に紛れた。
「どうもこうもあるものかよ、ったく」
もぞもぞと這い出てきたのは、背の低い白髪の老人だった。
鉄騎は比較的歴史の浅い兵器だが、この老人は初期から開発に携わっていたエンジニアだったらしい。
それがなぜ落ちぶれてこんな南米の僻地で整備員をやっているのか。
誰も知らないし、俺も聞いたことがない。
「お前、今度はなに蹴った?」
「ヘリヲインテグラルの重装鉄騎。その正面装甲だ」
訝しげに片眉を吊り上げる親父っさんに即答してやる。
「はァ?! おま……!」
親父っさんは絶句し、しかしすぐに気を取り直して聞いてくる。
「……で、効いたのか?」
「親父っさんの開発したカートリッジ式緩衝材のお陰でな」
着地の衝撃を熱量に変え、気化して関節から排出することによって衝撃を吸収させるはずの緩衝材。
それを意図的に暴発させて跳躍や攻撃に転用する俺の操縦を見た親父っさんが、オートマチック拳銃のように連続して排莢装填できるシステムを開発してくれたのだ。
左右の膝に12発ずつ装填されており、膝への負担を考えなければ連続して24回の急跳躍や襲撃が放てる。
なお、その加速や反動を受ける俺の安全性は、まったく考えられていない。
「くっくっく、ならいい。ならいいんじゃ」
邪悪な科学者のような不気味な笑い声を上げて、親父っさんは目をギラギラと光らせた。
「他は? 気づいたことはあるか?」
「戦闘に仔細はないと思うが、歩行時にやや違和感を感じた」
「ふむ、若干だが右脚部のフレームがゆがんどるな。綺麗に力を通しとるからこの程度で済んどるが、本来なら重鉄騎の装甲なんて蹴りつけたら、こっちの足がひしゃげとる。豆腐で瓦を割るようなもんだ。相変わらず変態じみた機体操作だな、お前のは」
「べんちゃらは良い。直せるのか?」
「音波測定だと、ちと難しい結果が出とるんだが……。セラミックスとはいえ何度も成形をいじると疲労が起きるしな。だが、フレームの交換はしたくないんだろ?」
「ああ、こいつは俺に性が合ってる」
市街地戦仕様に
装甲を極限まで薄くし、その分をフレームの頑健さと人工筋肉の増量に回したピーキーな機体だ。
一世代前の旧式機体だが、ワンオフの実験機で性能的には現行機にも負けていない。
戦争のゴタゴタで流れてきたものを俺が譲り受けた。
10t以下の重量は身長の倍ほどの高さを容易く飛び越え、アンカー無しにビルの壁さえ駆け上れる。
上半身は華奢で大腿部だけが異常に発達した姿は、多種多様な姿が許される鉄騎の中でも珍しく、頭部に設えられた大型の外耳センサーと相まって、さながら鎧を着込んだ兎のように見えた。
「ま、なんとかすらぁな。
「ああ、
「7:3。ピンクロゼな。わーっとるわーっとる」
ひらひらと手を振って、親父っさんは他の機体の様子を見に行った。
用事は済んだ。
遅めの朝食と行きたいところだが、
「
スパニッシュ訛りのひどい英語で──ここでは大半の人間がそうなので、むしろ浮いているのは堅苦しいブリティッシュイングリッシュで喋る俺の方なのだが──女の声が遠くからかかった。
彼女は最近基地に配属された、司令官付きの秘書官だ。
長い黒髪をシニョンにまとめ、この糞暑いのにしっかりと軍服に身を包んで軍帽までかぶっている。
太陽が燦々と照りつけるこの南米で、その肌の白さは際立っていた。
かなり若く見えるが、この若さで司令官付きとは、相当なエリートなのだろう。
彼女の名前は、確か……なんだったか。忘れた。
「なにか用か? えー……少尉」
ぱりっと着こなした軍服の階級章を盗み見ながら、俺は彼女の敬礼に答えた。
「部隊長がお呼びです。
「あー……それは」
ウルザルカのゲロで汚れたから、洗面器に浸け置き洗いしている最中だ。臭いが取れていると良いが。
「すぐに向かってください。急ぎの用件だそうです」
「了解した。あんたも大変だな。秘書官の仕事というわけでもないだろうに」
「いえ、ちょうど手が開いていましたので。それでは」
ぴしりと折り目正しい敬礼を返すと、少尉は早足で格納庫をあとにしようとして、その足を止める。
「あと、私の名前はルクシータ=アレサンコです」
「ぬ?」
なぜ今、自己紹介をした?
「はぁ、本当に人の名前を覚えないんですね……。ウルザの言ってた通りの人だわ」
「少尉はあのゲロ女と知り合いなのか?」
「ゲロ女って……」
ルクシータは半眼で肩を落として呆れたようにつぶやく。
「彼女とは知り合いというか、ここに来て初めて知ったというか……」
「?」
何を言っているのか分からん。呼び方からして親しい間柄なのだろうが。
「中尉。あの子のことでお話があるので、時間空けておいていただけますか?」
「ああ、明日もまだ休暇が通ると思うが……」
「わかりました。詳しいことはまた連絡差し上げます」
硬い話し方だ。実に秘書官らしい。
「さぁさぁ、急いで行ってください。部隊長がお待ちですよ」
と思ったら、後ろから背中を押される。
自分で呼び止めておいて、ひどいのではないだろうか。
俺は南の出口から、彼女──ルクシータは北の出口から、格納庫をあとにした。
部隊長の用事とやらは、一体何なのやら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます