第2話 褐色の女 -Uldzarcha-

 うだるような熱気で目が醒めた。


 ブラインド越しに照りつけてくる太陽が眩しい。

 そして暑い。汗で身体がべたつく。喉が渇いた。


 いつの間にか冷房が切れていたらしい。

 昨日は深酒をしすぎた。まだ酔いが残っている。

 シャワーを浴びてさっぱりしよう。


 起き上がって寝ぐせの付いた頭を掻きながら、ふと隣を見やると──褐色の肌をした女が眠っていた。


「ん……んぅ……」


 俺の体温が離れたのをむずがるように、柔らかな脚を恋人のようにからませてくる。

 擦れ合う肌は赤子のようになめらかで、体毛一つ見当たらない。


 いかなる混血メスティソがこれを生み出したのか、長く伸びた灰金色アッシュブロンドの髪はつややかで、砂のようにさらさらと女の背中を流れた。 


 長い睫毛、整った鼻梁。柳眉は細く、唇は果実のように瑞々しい。

 近寄りがたいほどの形姿をしているにもかかわらず、無防備に眠るその姿は少女のように幼気おさなげな雰囲気をまとっている。

 まるでファレロの壁画からそのまま出てきたように、犯罪めいた艶めかしさを放っていた。


 多数の人種の血が混ざると美形が生まれやすくなるらしいが、彼女の造形はまさにそれを証明している。

 手足は長く、女らしい柔らかさを保ちながら引き締まり、しかし出るところはしっかりと豊満さを主張していた。


 何故こうも精細にそんなことが分かるかというと、女が下着一つ身につけず、あられもない姿をさらしていたからだった。


 チョコレート色の裸体をしげしげと観察していると、女が陽光の眩しさにまぶたを震えさせ、少しのあと目を開けた。


 翡翠色ジェイド・グリーンの瞳が、焦点の定まらない様子で、ぼんやりと俺を見上げている。


「おはよう、ウルザルカ」


「おはよ……」


 女は寝ぼけた様子で上半身を起こすと、俺の肩に額をあずけて、しばし瞑目した。


 そして、勢い良く顔を上げる。


「な、な、あ?! ろ、ロコ?!」


「ロコじゃない」


「な、なんであんたがあたしの部屋に?! てか、なんで裸?! うわ、あたしも裸?! ──あ、あんたまさか、あたしを酔わせて無理矢理……!?」


「誤解を解こうか」


 俺は起き上がって、ベッドを降りる。


「わあ! へ、変なもん見せるな!」


 俺の裸体を見て女が顔をそらす。

 褐色の肌でわかりにくいが、耳まで赤くなっていた。


「まず一つ」


 シャワールームへ向かいながら、女に説明してやる。


「ここはお前の部屋じゃない。俺の部屋だ」


 そう、愛しのマイルームだ。

 誰にも邪魔されず、静かで快適な時間を過ごすための大切な空間だ。


 昨日の晩、それを乱す闖入者が現れるまでは、だが。


 鉄騎乗りは操縦の特殊性により、非常に体力と神経を削る。

 半人半機と呼べるほどの融合を果たす操縦システムは、搭乗者の肉体に少なからずダメージを与えるのだ。

 それを考慮され、作戦に従事した鉄騎乗りは、待機という名目で最大48時間の休暇が許可されている。


 休暇中、ネットで購入したまま積んでいた──物理的に存在するわけでは無いので、積むという表現は正しくないが──電子書籍の山を崩すのが、俺の密かな楽しみだった。


 先に報告書を書き終え、静かに読書を楽しんでいた俺は、夜中の荒々しいノックに舌打ちした。

 俺は自分の時間を邪魔されるのが、一番嫌いなのだ。

 不機嫌かつ辛辣に追い返すつもりでドアを開けると、そこには満面の笑みの女が立っていた。


『呑もう』


 短く告げる女に『断る』と口を開く前に、女は猫のようにするりと中へ侵入してくる。

 当然、俺は力づくでも追い返してやろうと思ったのだが、『戦勝の祝いも出来ないのか、この朴念仁』としつこく食い下がる女の勢いに根負けして、深夜の酒盛りを許してしまった。


 断じて女がケースで持ってきたコロナビールと出来立てホカホカのタコスの誘惑に負けたわけではない。


 カットしたライムをビールの瓶に押し込んで、女と乾杯した。

 熱辛のタコスを頬張り、それを一気にビールで胃へ流し込む。これ以上の贅沢はないだろう。


 タコスの出来は非常によく、女が生地やソースからこさえて調理場で用意してきたものらしい。

 シトラスを効かせた深みある味を褒めてやると、女は気を良くしたのか、どんどん酒を勧めてきた。


 ビールぐらいなら何倍飲んでも酔ったりはしないが、女がその中にラム酒の瓶を紛れ込ませていたのが良くなかった。


 ロン・サカパ。それも25年ものの古熟成酒エクストラオールドだ。

 一兵卒ががぶ飲みするような代物じゃない。


 それを交代でらっぱ飲みしたものだから、二人して酩酊するのに時間はかからなかった。


 女は何が楽しいのか馬鹿笑いし、俺も俺でよどんだ目でそれを眺めていた。


 女が二重に見える。

 これは良くないなと思っていたら、馬鹿笑いしていた女は突然しおらしくなり、甘えるように俺にしなだれかかってきた。


 そして、吐いた。


 ビールとタコスとラムの混ざった、ドドメ色のゲロを俺の全身にぶっかけてくれやがった。


 そのまま女はダウン。

 ゲロまみれでアホヅラをさらす女に、もはや怒る気力も沸かなかった。


 淡々と吐瀉物を片付けたあとは、泥酔する女の服を脱がせ、シャワーで全身を綺麗に洗い流した。

 髪までしっかり乾かしてやって、ベッドに放り込んで俺も眠りについた。


 これだけ丁寧に介抱してやったのだ。

 そんな恨みがましい目で睨まれる覚えはない。


「じゃ、じゃあ、本当に何にもしてないんだな……?」


「ああ、乳一つ揉んでないぞ」


 誓って潔白だ。


「そこは揉んどけよ! こんな良い身体した女がマッパで目の前にいるんだぞ!」


 手を出して欲しくないのか出して欲しいのか、どっちなんだ。


「ゲロ臭い女はちょっとな……」


「げ、ゲロ……! う、うがあああああ!!」


 頭をかきむしって叫ぶ女を無視して、冷蔵庫からガス入りのミネラルウォーターを取り出した。


 炭酸の効いた冷水を喉を鳴らして流しこむ。

 無味ゆえの美味さだ。シャワー上がりの火照った身体に冷水が染み渡る。


「ほら」


 半分ほど開けたミネラルウォーターを女に渡してやる。

 風呂で口はゆすがせたが、まだ自分のゲロで気持ち悪いはずだ。


「う、うー……」


 女はまだこちらを睨みつけながら、受け取った水を最初はちびちびと、のどが渇いていたのかすぐに勢い良く飲みだした。

 こぼれた水滴が喉をしたたり、豊かな双丘の谷間を滑り落ちる。


「ど、どど、どこ見てんだよ……!?」


 俺の視線に気がついた女が慌ててシーツを手繰り寄せた。


「お前こそどこを見ている」


「み、見てない! あたしはどこも見てないぞ!」


 顔をそむけた女の様子に苦笑し、服を着込んでいく。

 名目上は待機中だ。非番というわけではないし、これから行くところは汚れることもある。

 野戦服を着ていったほうが良いだろう。


「ん? そう言えば、さっきあたしのこと名前で呼んだよな? ウルザルカって」


「知らんな。気のせいだろう。俺はゲロ女ヴォミトゥーナって呼んだんだ」


「げ、ゲロ女……ゲロ女か……」


 女が勝手に消沈している。

 カーゴパンツにブーツを履き、上半身はタンクトップで十分だ。

 外は暑い、上着まで着ていられない。


「お、おい。置いていくのかよ?!」


「もう少し休んでおけ。着替えまで観察されたいなら別だがな」


 返事の代わりに投げつけられた枕は、閉じられたドアにぶつかって、まぬけな音を立てて床に落ちた。

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