第8話 知恵多ければあの世も近い

 多重人格という病気のは中二病の人達には憧れの対象らしく、自称多重人格というのも結構いるらしい。彼女の場合は出来るだけ隠そうとしていたし、他の人格のことも俺がその人格と接触してしまうまでは話そうとしなかった。精神的にノーマルじゃない事で、嫌われたり変わり者扱いされるの事を嫌がっていた。気持ち悪いと思われるんじゃないかと言っていた。俺の方はというと、これを聞いたからといって気味が悪いなどと思うよりもむしろ好奇心が勝っていた。昔ドキュメンタリーで見た事ある、多重人格というやつ、どんなものかもっと知りたい。もしかしたら他の人格とも付き合えるかもしれないという平和な事も考えていた。結局は他の人格ともエッチしたりする仲になるのだが。


 彼女は所謂メンヘラでもあって、手首には無数のリスカ跡があった。つらいことがあった時、消えてしまいたい、自分なんかいなくなればいいのにと思った時に自分の血を見ると落ち着くらしい。過去に俺の眼の前でカッターで手首を切ろうとしたかまってちゃんはいたが、リスカ跡を見たのは初めてだったので最初は衝撃的だったし、手首を切るのは辞めるように説得をした。ただ強要するのは余計ストレスになって「自分はダメな子だ、いらない子だ、手首切ろう」となってしまうようなので、なるべく落ち着くように「つらい時は話を聞くから、切るのもしょうがないけど、なるべく減らしていこうね、傷も浅いうちにやめようね」と諭すようになった。俺と付き合うようになってほぼ毎晩Skypeで会話していたし、気持ち的に落ち着くことが多くなってリスカの回数はだいぶ減ったようだった。


 別の人格が元彼と話をしていると言っても、気持ち的に納得できない俺は、その人格と話をさせて欲しいと要求した。彼女はミユキと名乗った。少し話してみたが、確かにチカとは雰囲気も大分違うし、なにより俺に全く心を開いていなかった。「僕は大人の男の人は嫌いだから」彼女はボクっ娘だったのだ。という事は置いといて、事あるごとにミユキは俺を好きじゃない、信用しないと言った。そして話の中で、さらに別の人格ナツの話が出てきた。

「他にも人格がいるの?」

「ごめん聞かなかった事にして、チヒロがテンさんに知られる事を嫌がってるから」

「チヒロ?」

「チカの普段の人格の事。僕らはチヒロって呼んでる。でも他の人に呼ばれるのは嫌みたいだから、テンさんはチカって呼んで欲しい」

チカは戸籍上の名前、普通の人で言うところの実名だ。この時は何故チカが他の人格の事を知られるのを嫌がっていたのかさっぱりわからなかった。どうやらそんなに普通の人と変わらないよ、私は変人じゃないよアピールだったらしい。彼女たちは記憶を共有しておらず、考えることはバラバラだし趣味趣向も筆跡も異なる。精神年齢もそれぞれ違う。ナツはまだ子供だった。俺はこの時ネットで解離性同一性障害について調べて、

「この病気を治してあげたい、人格が統合できるように説得してみよう」

等と考えていた。まだまだ解離がどんな病気なのか、全く分かっていなかった。


 読者の皆さんも「ジキルとハイド」の名前は聞いたことはあるだろう。俺も読んだことはないが、二重人格で別人格になった時に殺人事件を起こすという話は聞いたことがあった。ずいぶん不思議なこともあるもんだと思っていた。多重人格のドキュメンタリーでは、一人の人間の中に人格が10以上いること、それぞれ筆跡も違うし考え方も違う、統合はじっくり時間をかけて行う、患者は幼い頃性的虐待に遭っていることが多いなどの説明がされていた。このドキュメンタリーを見た時には性的虐待とどうして結びつくのかよくわからなかった。


 幼い頃、まだ人格の形成が完了する前に継続的に性的虐待を受けると、虐待のストレスから解放するため「これは私じゃない、今虐待されてるのは自分じゃないんだ」と思い込んで現実逃避することがあるらしい。これを何度も繰り返すと、脳が虐待体験を自分の記憶として保存することを拒否する。そして自分が今ここにいないような感覚になったり、ある期間の記憶がなくなったりする。これが解離性障害と呼ばれる症状らしい。その記憶は完全に消えて無くなったわけではなくて、その記憶を持っている部分が普段の自分とは違う人格を形成し始める。それぞれの人格は記憶が違う、つまり経験していることが違うので、いろいろなものに対する考え方も異なるし性格も違う。それだけではない。虐待から逃避するために生まれた人格は虐待に対してつらいなどの感情を持たない。そういう感情を抱かないことによって、虐待に耐えるという精神的なテクニックなのだ。小さい頃にこの能力を獲得した人は、成長してからもつらい事があると解離してまた新たな人格を生み出す事がある。


 生まれ持った最初の人格の事を基本人格という。この基本人格が生活の基盤になっていてつらい時に他の人格が出る人もいれば、基本人格は引っ込んだままで普段の生活は別人格が行っているという人もいる。人格同士は基本的に記憶は共有しないのだが、他の人格が表に出ている時に頭の中で起きていて、外で起きた出来事を他人事のように見てる時もあれば寝てる時もあるという。人格にはそれぞれ役割分担や能力分担があるので、人格によっては他の人格の記憶を一部のっとったり、突然身体の支配圏をとって行動したりできるものもいる。人格間の会話もできるものもいれば、存在するのはわかってるんだけど探しても見つからない子もいる。


 チカは小さい頃、よく記憶が飛んで自分が何でここにいるのかわからない事があったという。それがチカにとっては当たり前なので、てっきり周りのみんなもそうだと思っていたがだんだん人と違うことに気がついたそうだ。中学校でいじめに遭い、鬱を患ってから心療内科に行くようになり、医者と相談しているうちに「記憶がないのは解離性障害、他の人格がいるのは解離性同一性障害といい、他にもこういう人はいる」という事を知るようになる。そして治療を続けてるうちにチカに協力的なミユキやナツとは会話ができるようになり、お願いして意図的に人格交代することができるようになったようだ。




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