第3話 新たな任務

関ヶ原

慶長五年(西暦一六〇〇年)


「厭穢土欣求浄土」

苦悩の多い、穢れたこの世を厭い離れたいと願い、心から欣んで平和な極楽浄土をこいねがう。徳川家康の本陣にはためく軍旗には、この言葉が書されている。戦国の世を穢土とし、平和な世を浄土として、この戦いを最後として平和を世界にもたらそうとする家康の願いがこめられているらしい。猛々しくひらめく軍旗を見つめ、嘉助は深く息を吐いた。再び降り始めた雨が憔悴した嘉助の身体を濡らす。

酉の刻(午後四時ごろ)、日本を東西に分けた一大合戦は終わりを告げた。石田三成の陣営は、徳川方の総攻撃によって壊滅し、三成をはじめとする諸将は陣を離れ、背後の伊吹山系へと逃亡を開始した。総大将を失った西軍は、一気に戦意を失い、諸隊は敗走を始めた。最後に残った島津義弘、豊久の部隊も徳川方陣営の中枢を突破して脱出を図ろうとしたが、本多忠勝、井伊直政らの部隊によって追撃を受け、敗走した。

関ヶ原の平原には、おびただしい数の死体が転がり、流れ出した地が大地を赤く染めていた。鈍い色の曇天から降り注ぐ雨が、その大地をさらに悲愴感を加え、戦場の騒音は去ったものの、血に染まった平原は慟哭しているように見えた。

結局、正吉は助からなかった。正吉は嘉助に文を渡してから、自ら死期を悟ったように目を閉じ、それから、すぐに意識を失った。古六による治療も虚しく、傷口からは止め処なく血液が流れていった。流れる血と比例するように正吉は衰弱していき、やがてその活動を静止した。

正吉の死体は、軍から支給された具足を取り外して、粗末な着物一枚になったところで、他の戦死者と同様、死体埋設用に掘られた穴に埋められた。供養も数人の僧侶が短時間に合同で行うのみだ。嘉助は友を自ら埋めてやることしかできなかった。悲しみはあったものの、それよりむしろ乾いた感情が胸を支配した。参戦してからにはあり得る事態であり、覚悟していたからだろうか。自らの無力さにも怒りはなく、虚しさだけが残った。


嘉助の心象とは対照的に、死闘を制した家康の本陣は、戦勝を祝う熱気に包まれている。金扇の大馬印が押し立てられた東軍の本陣は、南宮山の北麓、桃配山に築かれていた。傭兵である嘉助たちは、もちろん本陣に入ることはできないが、雑兵が集まる離れた野原にも戦勝に沸く兵士たちの歓声は聞こえた。

「首実検は済んだか?」

 部隊の小頭である田中長吉が、立ちすくむ嘉助に声をかけた。

「はい。」嘉助は短く答える。

 敵を討ち取った人物を割り出す首実検はとうに済んでいた。結局、嘉助たちの小隊が討ち取ったのは、最後の突撃で討ち取った雑兵一人だった。

 短く答え再び黙りこくった嘉助に、長吉も沈黙で答える。お互い会話を交わす気分でもなかった。しかし、その沈黙もすぐに破られる。

「くそ!結局、大した手柄は上げられなかった!これから先どれだけ戦いがあるかわかんないってのに!」

苛立った孫蔵が叫ぶ。沸騰した感情を吐き出すように、孫蔵は首を失った敵兵の死体を蹴り上げる。

「焦るな。まだ機会はある。これから佐和山城を攻めるんだからな。」

 年長の喜兵衛が落ち着いた声で、孫蔵をなだめる。一大決戦に勝利した東軍は、翌日にも石田三成の居城である佐和山城を攻撃することになっている。勝敗の帰趨は決したが、まだ完全に戦いが終わったわけではなかった。

「これだけの戦いがあったんだ。向こうに戦力は残ってねえ。城を攻めても、すぐに終わっちまうよ。手柄を立てる暇はねえ!」

 喜兵衛の言葉にも耳を貸さず、孫蔵は死体を蹴るのをやめない。

「やめろ!死体を蹴るなんて冒涜だぞ!」

兄である彦蔵の叱責が飛ぶ。

「でも、これじゃあ褒美も期待できねえ!まだ金も貯まってねえのに!このままじゃ、お父とおっ母を捜すことなんてできや…!」

「おい!」孫蔵が言い終わらないうちに、彦蔵が叫ぶ。今までにない怒気のこもった声に全員が緊張する。彦蔵の本気の睨みに、孫蔵はたちまち萎縮して言葉を失った。

「過ぎちまったことをがたがたぬかすな!」

 兄の怒りに、俯いた弟はただ小さな声で答えた。

「…ああ。わかった。」


 沈黙が再び訪れる。

 嘉助は、胸元から正吉から託された文を取り出し、眺めた。正吉の血で赤く染まり、戦闘の中でぐしゃぐしゃになった手紙は、封もなく、その表面を露出させている。粗いが丈夫な紙に文字がびっしりと書かれている。手紙の内容を見てしまう心配はない。嘉助は文字を読むことができないからだ。嘉助だけでなく、小隊の皆も読めなかった。教育を受けていないからだ。

正吉が手紙を書いていたというのは意外だった。皆と同様、正吉も文字を読書きすることはできなかったからだ。おそらく大坂にいる間に誰かに代筆してもらったのだろう。どんな内容なのだろう。万が一、自分が死んだときのために用意しておいたのだから、重要な内容であるのは間違いない。

「正吉のことは残念だったな。」

 声に嘉助が横を向くと、喜兵衛が語りかけてきた。

「お前にとっては家族同然だったからな。…立派な男だったよ。」

「…ああ。」

嘉助は乾いた声で答える。語りかけてきた喜兵衛の顔にも深い悲しみが刻まれている。喜兵衛とは嘉助よりも長い付き合いの筈だ。

「俺は、短い付き合いだったけど、できる男だったてのはわかるぜ。俺達に命令するのも上手いし、果し合いで相手が侍でも誰にも負けなかったからな。」

 孫蔵が拙い言葉で言う。それでも、嘉助を慰めようとする気持ちは十分に感じることができる。

「そいつの言う通りだ。俺たちみたいな何処の馬の骨ともわからないみたいな連中を指揮するにはもったいない男だった。生まれがよけりゃあ、もっと出世していっぱしの武将にでもなってたんじゃねえかな。」

 彦蔵が珍しく弟の意見に賛同して言った。この三人が、正吉たちと面を通したのは、田中吉政の軍に雑兵として参加してからだから、共に行動したのは僅か二か月ほどになる。しかし、それだけの間にこれだけ慕われていたのだから、やはり彼は人望に厚い男だったのだ。

「戦場で生きるか死ぬかは天命次第だからな。誰が悪いわけでもない。天命を受け入れるしかない。」

「…わかっている。」

 喜兵衛の慰めにも、嘉助からそれ以上の言葉は出てこない。それでも、他の隊員たちが嘉助と同様に悲しんでいることが救いだった。

「それは何だ?」

 嘉助の手元を見て、喜兵衛が尋ねる。

「正吉の文だ。最後に預かった。長屋の皆へ届けてほしいそうだ。」

「そうか。あいつもお前に預かってもらえば安心だろう。戦いが終わったら、大坂へ届けてやったらいい。」

 嘉助は無言で頷き、雨にぬれないよう手紙を胸元にしまった。


「皆、話がある。」

軍の幕営から戻ってきた田中長吉が嘉助たちに話しかける。長吉は先ほどまで、田中吉政の本営で軍議を行っていたはずだが、それが終わったらしい。散らばっていた五人が長吉の言に反応し、即座に集まる。

 ふと、長吉の背後をみると、二人の武士が黙って控えている。一人は二十代後半あたりの正吉と変わらないほどの年齢で、もう一人はおそらく十代くらいの若い侍だ。嘉助は直感的に侍だと考えた。嘉助たち雑兵に支給された具足よりも装備が備わっているためだ。

だが、長吉は五人の疑問の視線を気にも留めず、後ろの二人の紹介をすることなく、話を始めた。

「お前たちの次の作戦が決まった。皆も知っての通り、敵の総大将である石田三成は戦場から逃亡した。その行方はまだ知れない。よって、お前たちには石田三成の捜索の任務にあたってもらう。」

「はっ!」

 五人が声を合わせて応える。特に疑問はなかった。五人の間でも、翌日の佐和山城攻めの先行部隊となるか、石田三成の捜索に加わるか、のどちらかになるだろうとの予測は立っていた。

「だが、お前たちにやってもらうのは山狩りではない。」

 長吉の予想外の発言に、五人は顔を見合わせる。戦闘終了から時間はさほど経っていない。石田三成はまだ山の闇中に潜んでいる可能性が高く、味方は既に笹尾山をはじめとする伊吹山系の山狩りを決行している。

「お前たちの任務は、伊吹山を抜けて近江の村々を回ることだ。実は、笹尾山の背後に潜んでいた部隊からなのだが、十数人の人影が伊吹山の中ではなく、間道を抜けて近江に抜けたとの報せがあった。」

 笹尾山の向こうに部隊が潜んでいたとは初耳だった。作戦が漏れないよう、味方にも内密にことを進めていたようだ。

「その者が三成である可能性が高いということでしょうか?」

「もちろん、暗闇の中での話だ。だが、可能性がある以上放ってはおけまい。」

「ですが、お言葉ですが、三成は佐和山城に戻った可能性のほうが高いのではないでしょうか。むしろ、兵を佐和山城に向けるべきではありませんか。」

 嘉助は、他の四人が思っているであろう疑問を代弁した。

「もちろん佐和山城は攻め落とす。だが、佐和山は小さな城だ。兵がさほどいるわけではないから、すぐに陥落するだろう。三成が佐和山城にいるならばそれでいい。だが、そうではないかもしれん。人目につかない場所に逃げた可能性もある。」

 三成は佐和山城の城主であり、近江近辺の地理には詳しいはずだから、三成が近江に逃亡した可能性はある。しかし、詳細な場所がわからない以上、近江全域に兵を派遣し探索するのは効率が悪すぎるのではないか。

「それにな、なにも兵の主力を向けるわけではない。お前たちには吉政公の伝令になってもらう。吉政公は、近江の村々に対してこの御触れを出す。」

 長吉はそう言って、一枚の書を取り出す。

「読むぞ。」

 字の読めない隊員たちに前置きして、長吉は明瞭な声を発した。

「第一、石田三成をはじめ、宇喜多秀家、島津義弘を捕らえてきたものには褒美としてその所の年貢を永久に免除する。第二、もしこの三人を捕らえることができず、討ち果たした場合は当座の褒美として金子百枚を与える。第三、どこかの谷に潜んでいる場合は、その道筋を隠さず報告すること。もし隠した場合はその一類ならびにその在所を処罰する。以上だ。」

「それを村々に伝えるということは、つまり、百姓たちに三成たちを捜させるということですね?」

「そういうことだ。吉政公は、近江の土地の者に三成逮捕に協力するように申し渡した。三成を逮捕した者に、これほどの褒美を出せば、貧しい百姓は躍起になって三成たちを捜すだろう。そこら中に散らばった百姓たちからは、いくら三成でも逃げ切れん。」

 これで嘉助たちも納得がいった。三成は実質的に敵の総大将だといえるから、三成の身柄を押さえた者が、この戦の第一功を得るといってもいい。吉政公は他の武将たちを出し抜くため、念には念をいれて近江全域の捜索を企図しているらしい。

「今回の伝令は石田三成捜索の任務を同時に兼ねたものだ。それでお前たちのような小隊を、百人ほどは出すことになった。もうわかったな。お前たちの任務はこの御触れを村々に伝えると同時に三成を捜索し、さらには付近に存在する敵軍の敗残兵を討ち取ることだ。」

長吉が言い終わる。

「そこでだな。この二人にお前たちを率いてもらう。こちらが渡辺勘平。そっちが塩野清介だ。塩野清介は、近江の出身で、周辺の地理に詳しい。周る村は言ってあるから、彼に案内してもらえ。部隊の指揮は、勘平に執ってもらう。吉政公の外戚に連なる方だ。失礼のないようにしろ。」

 長吉が後ろの二人を紹介する。やはり予期した通りだった。五人の中には近江出身のものはいない。必然的に地理に詳しいものが必要になる。

「俺が、この小隊の指揮を執る渡辺勘平だ。伝令の任務は簡単なものだが、失敗は許されない。お前たちは、吉政公から給金を頂く身だ。命を懸けて主の期待に応えろ。」

 渡辺勘平が一言発する。年長の渡辺勘平が指揮を執るようだ。そして、もう一人の若い武士は、軽く会釈をしただけだった。戦闘の疲れからか、顔が憔悴している。年齢から推測すると、この戦闘が初めての戦闘だったのではないか。

 嘉助以外の四人も二人の武士を見つめ、新参者の特徴を把握しようと、様子を伺っている。

「俺たち本隊も、佐和山攻略がすんでから、捜索に向かう予定だ。琵琶湖北部にある井ノ口村に捜索隊の本隊を向かわせる手筈になっている。佐和山城攻略にもそれほど時間はかからんだろう。二十日をめどに、お前たちとはそこで集合しよう。」

 二十日までは五日ほどの時間がある。時間的には余裕がありそうだ。

「準備が済み次第、すぐに出発してもらう。三成が逃げたとしても、まだそう遠くにはいってないだろう。早ければ早いほどいい。わかったら、すぐに準備に取り掛かれ。」

 二人の紹介もそこそこに、田中長吉が皆を急かして言った。五人は短い返事を発し、即座に準備に取り掛かる。

「言い忘れていたが、お前たち足軽が三成を捕らえた場合も、恩賞はでるからな。心して任務に取り掛かれ。」

 長吉は最後の一言を残して、本陣へと帰っていった。


 傭兵である嘉助たちには作戦に従うかの決定権はない。上の命令にただ盲目に従うだけだ。嘉助たち五人は直ちに準備に取り掛かる。

兵装は簡易なものだった。小隊には、槍一本と各人に刀が一本ずつが用意された。槍はそれまでどおり、槍術を得意とする藤吉が所持した。銃は一丁もなかった。伝令に関して、それほど厚い装備は必要ないとの判断だろう。

「孫蔵、刀はきちんと砥いでおけ。」

 嘉助が一向に刀を研ぐ気配のない孫蔵に呼びかける。

「えっ、ああ、面倒くせえな。」

 悪態をつきつつも、嘉助の言葉に従う。従うだけでもましだ。最初は兄の彦蔵と小隊の頭である正吉の命令にしか耳を貸さなかった。それが、こちらの指導や兄の鉄拳制裁によって、なんとか意思疎通ができるようになったのだ。

「やってらんねえな。新しい任務がただの伝令だなんて。」

「伝令も重要な任務だ。それに、三成を発見すれば俺たちにも褒美が出るって言ってただろ。」

「頭は、そう言ってたけどさ、そう簡単にはいかねえよ。近江っていっても広いし、捜索に当たってるのは俺たちだけじゃねえんだ。三成をみつけるなんざ、無理だろ。」

「まあそう言うな。望みがないわけじゃないだろう。」

嘉助にはそう言って慰めるのがやっとだ。確かに自分たちが発見するのは難しいだろう。伝令として報せを近江の住民に伝えることしかできないのではないかと嘉助も思う。

「これなら、城攻めに加わって一人でも多く首をあげた方がよっぽどましだぜ。俺たちみたいな身分の低い連中には手柄をあげる機会も与えられねえのか。やってらんねえな。金が要るってのに…。」

 一瞬、悲しげな表情を作って孫蔵は目を落としたが、すぐに顔を上げた。

「しかし、あの勘平ってやつ、あまりいけ好かねえな。なんとなく、俺たちを見下してるように見えた。」

 孫蔵は言いつけ通りに研ぎ石で刀を磨きながら言った。 

「そうか。…それに関しては同感だな。お前にも洞察力があるじゃないか。」

「へへへ。やっぱりな。あんたとは意見が合うと思ったんだよ。」

 嘉助の言葉に、孫蔵は破顔して答えた。

「だがな、あういう男は幾らでもいるぞ。お前は軍に参加するのは初めてだからあまり事情がわからんだろうが、軍では俺たちみたいな傭兵は物として使われる。長吉のような筋の通った人のほうが珍しいほうだ。」

「それぐらいはわかってるよ。俺だって何も考えずにいろんな国を渡り歩いてるわけじゃねえんだ。世の中のことは大体分かってるつもりだ。」

「本当か。では、絶対にあいつの命令には逆らうなよ。口ごたえするのも駄目だ。お前はただでさえ反抗的だからな。」 

 後々、孫蔵が勘平の命令に従わないと厄介事が起きる。そのため、念を押しておいた。

「それぐらい。わかってるぜ。子供扱いするんじゃねえよ。」

 むくれる孫蔵を見て、嘉助は苦笑する。それを聞いていた他の三人もつられて笑う。

「でもよ、なんでわざわざ別の頭までつけんのかな。案内役だけで十分だろ。あいつは子供だから無理でも、正吉の代わりの頭は俺たちの中から出せばいいだろ。」

「…。」

 嘉助の沈黙に、孫蔵ははっとする。

「あっ。すまん。正吉は死んだばかりなのに…。長い付き合いだったんだよな。」

「構わん…。気にするな。」

 孫蔵は申し訳なさそうに嘉助の顔を覗き込む。言葉とは裏腹の嘉助の厳しい顔に、孫蔵は何も言えずに黙り込んだ。

 

 正吉のことを考えると、胸が極度に乾燥したようになる。悲しみではない。虚無感とでも言うべきか。胸が空洞になった感じだ。 

「大坂に帰りたい…。」

 正吉の最後の言葉が耳に残っている。正吉は帰りたかったのだ。自分の生まれた場所に。孤児として生まれ、血縁の親族がいない正吉にとって、仲間のいる大坂が帰るべき場所だったのだろう。

 大坂城の普請場で出会い、十年近く、共に行動してきた人間が死んだ。内浦村を出てからは唯一家族と言ってもいいほどの人間だった。一人田舎から大坂に出てきて頼る者のいない嘉助を自らの集団に迎えいれ、日々の生活の苦汁をともに分かち合った親友を失ったのだ。

 正吉は村に帰ると言った。死んだ正吉の魂はもう大坂へと旅立ったのか。正吉の手紙は皆の元へ届けなければならない。それが、彼のためにできる最後のことだ。そこで、ふと嘉助の頭に正吉の最後の言葉が浮かんだ。

「…お前も…。」

最後の言葉が終らないうちに正吉は逝った。あの後、何と言いたかったのだろう。正吉は、嘉助の顔を見つめて絞り出すように声を出した。強く訴えるような視線が嘉助をとらえていた。嘉助に何か伝えたかったのだ。しかし、いくら考えても、正吉の真意はわからなかった。そして、それを確かめる機会も永遠に失われたのだ。


 弱かった雨が徐々にその勢いを増す。火縄銃を扱っていた清介が慌てて、火薬を火薬箱にしまいこむ。米を用意していた喜兵衛も大切な食糧を雨から守ろうと必死だ。

 嘉助はすっかり闇に支配された上空を見上げる。顔にかかる雨をただただ受け止める。冷気とともに落ちる雨は、たちまち具足の中に流れ込み、嘉助の身体を冷やした。意識は不安定だ。準備をしながらも、気を抜けば常に正吉とともに過ごした十年間のことが思い出される。

 新たな任務が待っている。親友の死に浸る暇はない。嘉助は、そう自分を戒める。気を抜けば死ぬ。正吉と同様に。死ねば、正吉の文を届けることはできなくなる。それは、親友が最も望まないことのはずだ。

 嘉助は拳を握り締め、新たな任務に意気込んだ。

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関ケ原異聞 きったん @kittan57

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