悪霊の家

海野しぃる

手記

 俺達五人がその屋敷に行ったのは、夏休みも終わりに差し掛かった頃のことだ。


 高校の宿題はまだ終わってなかったけど、その時の俺達はせっかくの高校生活最後の夏だったからとにかく一つでも多くの思い出を作りたかったんだ。


 だけどもう八月も終わり。やることなんて何もない。だから俺達の中の一人が肝試しをやろうと言い出したんだ。


 場所は子供の頃から俺達の家の側に有る幽霊屋敷。


 元は病院だったらしいんだけど、ある日院長とその息子さんが姿を消してそれっきり誰も寄り付かない場所になってしまった。


「本当は俺達がガキの頃に取り壊しになる予定だったらしいぜ。でもそしたら急にトラブルが続いて……結局とりやめになったんだってさ」


 土建屋の息子のAがそう言ってお化けの真似をしてみせた時には、まだ皆が笑っていた。


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「案外綺麗なのね。もっとボロボロになっているかと思ったわ」


 Bはそう言って廃病院の様子をカシャカシャとカメラで映す。


「病院というよりもまるで館だな」


「何時まで撮ってるんだよB。変なの写ってたらどうすんだよ」


「あ、もしかして怖いの?」


 Bはそう言って俺を笑う。


 こいつは何時もそう言って俺を焚きつけるんだ。


「んなわけねーだろ! 行くぞ!」


 俺達は館の中を恐る恐る進む。


 時刻は逢魔が時。薄闇が館の外を包み、スマホのライトだけが長い廊下を照らしている。


 廊下の壁には幾つもの扉が並び、其処にはかつて其処に居たのであろう優しげな老人や、真面目そうな青年、そしてその隣で子供を抱く笑顔の少女の写真など幾つもの写真が並んでいた。


「ここって、本当に病院なのか?」


「その筈だぜ。元は精神病院で、半ば隔離施設みたいな所だったんだけど、開発計画のせいで周りに住宅地ができちゃったから普通の病院に商売替えしたんだって。うちの親父が言ってた」


「Aのお父さんがねえ……まあAの親父が言うなら本当なのかしら。Dちゃん、何か見えたりする?」


「……居ない、よ」


「霊感少女なのに何も見えないのか? ここが噂の悪霊の家だってのに?」


「ちょっと、Dのこといじめたら私が許さないからね」


「いやいじめるとかそういうんじゃなくてよ……わりぃ、言い方がきつかったか」


「あの、そうじゃなくて、あの……誰も、居ないの。居た痕跡すらないの」


 Dはクラスでも本当だったら目立たないタイプの女子だ。目の下のクマさえ取れたら顔はそこまで悪くはないけど、根暗でいつも教室の隅で本を読んでばっかりいる。


 だけど、Bとは小学校の頃からの付き合いだから俺達のグループとよく一緒に行動していた。


 Bが言うには、Dはファッションでなくて本物の霊能者なのだそうだ。だからクラスのオカルト好きな女子とは話が合わないんだとか。


「心配だから、ついてきたけど……うん。これなら、大丈夫、だから」


 そのDが珍しく断言をした。と。


「なら……良いけど」 


 もう消えかかる西日の残光を背に、無数のカラスが窓の外の空を飛んでいた。


 木製の廊下は俺達の体重でギィギィと悲鳴を上げ、わずかに歪む。


 本当に大丈夫なんだろうか。


 俺の中に疑問が浮かぶ。


 確かにDは誰もいないと言った。


 でも本当に誰も居ないのか?


 なぜだか分からないけど嫌な予感がして仕方がない。


 ボタンを掛け違えたまま家を出た時のような、ウォーリーを探せで一ページだけ飛ばして次に行ってしまったような、何かを見落とした時に特有の不快な引っ掛かりが俺の心から抜け落ちることは無かった。


 そんな気持ちだったせいだろうか。


「……なあ、あれさ……なんだろう?」


 俺は見つけてしまった。


 長く続く廊下。


 其処には一つだけ、たった一つだけ。


 ドアが開けっぱなしになった部屋が有った。


「先に館の様子を探ってから部屋は調べようと思ってたけど……折角だから見てみる?」


 俺は頷く。Bにこれ以上ビビっているなんて思われたくはない。


 意を決して扉を開くと、そこには一冊の手帳が置いてあった。


 俺が手帳を覗いてみると、大量のページが文字で埋め尽くされていた。


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 僕が初めて命を奪うことに興味を持ったのは四歳の時だ。


 蟻の巣の周りに居る蟻を踏み潰して、ぺしゃんこになった蟻、動かない蟻を見た時の得も言われぬ興奮を未だ覚えている。


 虫けらの蟻でさえも仲間が目の前で潰れると動きは慌ただしくなるし、あまつさえ僕の足を登って噛み付こうとさえしてくる。


 僕は友達を誘って一日中蟻殺しにふけった。だけど、それが両親に発覚して怒られるまでは、本当にあっという間だった。


 次に僕が生き物の命を奪ったのは中学生の時の社会科見学だ。


 鮭漁の見学に行った時、僕たちは鮭の人工授精の手伝いをした。


 木の棒で鮭の頭を叩いて脳震盪を起こさなくてはならなかったのだけど、僕はほんの好奇心から、あるいはビビっていないと周囲に示す為に、大分力を入れて鮭の頭を殴打した。


 全身を力強く震わせた後、その雄の鮭は動かなくなった。


 目から血を流し、口を大きく開いたまま固まっていた。


 不思議と嫌悪感は無い。


 むしろ、と不思議な達成感すら有った。


 僕はその時確かに薄笑いを浮かべていたが、それは見学先のおじさんが、上手く鮭を処理した僕を褒めてくれたからだ、と僕は言い訳した。


 だけど、高校生にもなると僕は自分を本格的に理解してしまうことになっていた。


 その原因は恐らく蛙の解剖だったと思う。


 蛙の解剖というのは簡単だ。首元からVの字になるように、腹に向けてハサミを入れる。


 そうしたらそのVがYになるように、腹の下の方に向けてまたハサミを入れる。


 ここで注意しなくてはいけないのは内蔵を傷つけてはいけないということだ。内蔵を傷つけると死んでしまう。逆に内蔵さえ生きていればどんな姿でも、どんな身体でも生きている。


 不思議だとは思わないだろうか。


 骨を奪い、肉を削ぎ、脳と内臓だけを生かし続けたらそれは生きていると言うのだろうか?


 それともそれは単なる臓物の塊で、もはや蛙とは呼べない肉塊なのだろうか。


 だが君、考えても見て欲しい。脳だけを栄養の入った液に浮かべられた人間が居たとしよう。その脳は君達の脳と同じように考えている。感じている。君はその脳に向かって死んでいると言えるだろうか。


 分からない。分からなかった。だから僕は面白いと思った。


 クラスの血気盛んな年頃の友人と集まって、タフな振りをして蛙の亡骸を弄んだ。


 あの時、あの場所で、純粋に楽しんでいたのはきっと僕だけであったのだろう。


 そして大学生になった時、僕は弾けた。


 哺乳類の身体がかくも瑞々しくて繊細で美しいなんて思わなかった。


 ガレノキサシンを射たれ、四肢を震わせて涙を流すマウスの姿は、今まで見たどんな生物の死にゆく姿よりも死の恐ろしさと残酷さを伝えてくれた。


 頚椎脱臼によって死んだラットの痙攣する右足に蹴られた指の感触を、僕は一生忘れはしないだろう。


 誕生日のろうそくを吹き消した後みたいな達成感と、胸に残る哀悼の気持ち。


 矛盾している筈なのに、僕にはどちらの感情も真実で、故に命を奪う行為は心を揺さぶった。


 死んだものが哀れで僕は泣く。


 それと同時に死んだものを見ると、次はどうやって殺そう。どこまでやったら死ぬのだろう。死んだ瞬間をもう一度見たい。


 そういう様々な思いが頭をもたげてくる。


 教えてくれ、君にとって命って何だ? 人ってなんだ?


 ここまで読んだ君ならばもう少しだけ興味を持っているんじゃないか?


 僕が人間を初めて殺した時の方法。


 どうやって警察にバレずに逃げ切ったか。


 そして何より、僕は初めて人間を殺した時に気づいてしまったんだ。


 死とは切り取ることなんだ。


 最後の一文を書き、最後の句点を打ち込むこの行いなんだ。


 それが完成だったのか、打ち切りだったのか。僕は完成する瞬間が見たかった。


 天からの理不尽によって翻弄される虫けら、笑みを交わす母子、二人旅の老夫婦、失恋の痛手に震える青年、美しいものや劇的なものの終焉こそが僕にとって見たい命だったのかもしれない。


 僕は覚えている。まるでビデオを見るかのように、コレクションすることができる。


 人間の命という命を蒐集する方法が実は有るとしたらどうする?


 この世には人間の感覚が及ばない世界が有る。


 よしんば感覚が及んでも、それだけでは理解しえぬ智慧が有る。


 智慧を学ぶ意思が有ったとしても、師が居なくては辿りつけない境地が有る。


 僕には居た。君には居ない。


 君が許してくれるなら、君達の話し相手になりたい。






 だってほら、ここまで読んでくれたんだからね。






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 結局この日は何事も無く、俺達四人は家路についた。


 あの手記が何だったのかは結局わからない。


 俺は確かにあれを読んだような気がするんだけど、皆で読み返してみると只の真っ白な手帳だったのだ。


 あれには、アレには何か……よくわからないけど、とても大事なことが書いてあった気がするんだ。でも思い出せない。


 妙なことといえばもう一つ有る。これは皆そう思っているのだが、俺達の仲間が一人居なくなってしまった。


 親に聞いても、クラスの奴に聞いても、俺達四人の他にあの日つるんでいた奴は居ないと言うのだが、俺とAとBとCだけではなくもう一人あの廃病院を探索した仲間が居たような気がする。


 俺達は今度またあの廃病院に確かめに行こうという話をしている。


 今度こそあの手帳を最後まで読まなくてはいけない。


 あの手帳は、最後まで


 じゃないと僕は、あの中から出られないんだから。


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 その晩、俺は夢を見ていた。


 夢の中では、単調な太鼓とフルートの吐き気がするメロディーと、くぐもって不快な声が幾つも聞こえた。


「という訳で一人はAPP高かったのでサイコの生け贄、四人は洗脳で釣り餌になって全滅だ。お前らすごいな。このシナリオで死ねるなんて」


 全滅? あの男は一体何を言っているんだ……?


「私があそこで二連続ファンブルしたのが敗因ですわね! やーってしまいましたわ!」


「気にすることはない。二枚目のキャラシ行ってみようか。ただその……今度はもっと調査能力有る探索者を作ってくれよ。今の奴らの肉親とか友人とかにしてくれると話にしやすいな」


「KP、ノリ軽いな? 全滅ってショックなんじゃないの?」


「どうせ物語ゲームだしな、まあこういう使い捨てもたまには一興だ。サイコ殺人鬼幽霊を演じたGM……失礼、KPが自らこのキャラシを処分してもいいか?」


「いいよー」


「あ、それ面白いですわね」


 KPという男は俺を何気なくつかみとり、二つに引き裂き、丸めてくずかごの中へと――――――


「あー、死んじゃった」


 最後に見たKPという男の顔は、、暗く影の差す、“笑顔”だった。


【幽霊屋敷 完】

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