僕は直接うつ病と診断されたことはないが、そうなってしまう傾向は多少なりともあると自覚している。
ここに書かれている「うつ病」の症状であるとか、それに対しての思いというものは断じて他人事ではない。僕にとって、というだけではなく、多分、誰にとっても。
誰だってこうなる可能性はある。僕も、これを読んでいるあなたも。
「電車の中で、ウォークマンの音漏れが、昔は気になってイラついていた。今は、自分が垂れ流しているかもしれない状態で、そうなって初めて、もしかしたらかつて俺がイラついた知らない誰かも、同じ病気を抱えていたのかもしれない、と思い当るようになった。」
この一文が、僕の言いたいこととピッタリ合致している。
みんながみんな、一度も折れずに、くじけずに生きていけるほど、強いわけはない。そんなわけはないのだ。
だから、少しだけでいい。このエッセイを読んで、誰もがかかりうる「うつ病」というものについて考えてみてほしい。
世の中の鬱の本や、ものの病気になるお話は、わかりやすい「大きなイベント」をキーとして書かれている。それは、読者にとっての読みやすさだったり、惹き付けだったり、わかりやすくするためだったりが大きいのだと思う。
しかし、書かれなかった日に何もないわけじゃない。物語のようにシーンをすっ飛ばして次のイベントが起きるのではなく、毎日を生きている。寝て起きて(あるいは寝られず夜を明かし)、目に映るものに心を揺らしながら、感じながら、生きている。
世間で言う読み手のことを考えた分かりやすいイベントをメインに置かず、感じてることを書いている本作に、レビューで分かりやすいアピールポイントを示す個所は分からない。
けれど、私はこの記録に価値があると感じているし、更新される限り、読み続けたい。
作者さんが、リアクションしてくださったので追記してあります。
仕事でうつ関係のことも、関わるものですが、この話は、とても分かりやすく、読めてとても助かっています。
ひとつ疑問なのは電車が乗れないことは系統的脱感作法で、早くなおるはずですがうつの治療しかしてないのでしょうか?
http://mental-gifu.jp/archives/3538
お医者さんだけにかかっていて、カンウセリングの専門機関に行ってないせいでこういう治療法の違いが出るのかもしれませんね。
追記
なるほど、その事情であれば、納得です。
リラクゼーションの練習だけするのが良いかも知れません。
リラックスして安心した状態を徐々に電車の挑戦の時に結びつける。
この方法は治る確率は極めて高い方法です。
この事を考えるなど対処できないレベルのプレッシャーは避けた方が良いでしょう。
あくまで駅の3キロ先を歩くときリラックス出来るようにするなど
イージーな点からならしていく方法か普通です。
筆者が鬱病に初めてなり、初体験した様々を書いていく。
これは最近のエッセイでもよくある手法ですが、
筆者の場合は常に前向きに、時に淡々と、起こった事実を書いている。
その文体が、それほどガツンと重くはなく、
一話の分量もさらりと読めてしまうので、
とても良いものだと感じています。
なおかつ、結構「鬱の真実」に切り込んでますね。
特に「第10話 何もしないのと何もできないのは違う」は
本当にその通りで、鬱病が誤解されてる代表格のこと。
ここを切り込んでくれたのは、鬱病がかなり身近だった、
友人もたくさんなっていた私にとって、
すごく心に響いたお話でした。
もちろん、これは鬱病の1ケースにすぎないかもしれない。
けれど、こういうケースもある、こういうパターンもある、
それを教えてくれていると思います。
今後も色々あると思いますが、筆者の前にはたくさんの道がある!
それを応援したくなる、良作です!