ココロノアオゾラ
古朗伍
ココロノアオゾラ
変われない生き方と
変わりゆく騒がしい日常で
その差について行けずに
置いて行かれた気持ちになる
オレンジ色の空の下で
光り輝く
君の澄んだ空に出会って
迷いは振り切れた
どうか私を見失わないで
前を向いて走れば伝わるかな
「ワタシはここにいるから」
君の姿をただ目指して
導くのはアオイソラ
先の見えない道
誰よりも強く
歩き出せると信じて
流れる景色を瞳に映して
すべての色が風に流れていく世界で
立ち止まらずに前だけを見つめている
待ってて――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『人生において、誰もが“主人公”である』
何気なく開いた本に、そんな、ありきたりな講釈が書かれていた。
別に新しい本と言うわけでは無い。その本の発行年は今から何十年も前のモノで、多くの古本が適当に置かれている籠の中の一冊だった。
「…………」
私は、何気なくこの本を取った事を後悔する。しかし、その先の内容が気になり、止めようか読み進めようかの狭間で天秤の様に右に左に思考は傾く。
セミの鳴き声が室内でも聞こえるほどに夏が残る日差し。夏休みが終わっても暑い日は続いていた。
高校3年の夏。後輩が部活を引継ぎ、私達3年生は引退。けだるい授業を受けつつ、ただ暇な日が続いていた。
「寝癖娘。それ買うの?」
古本屋の女店主が腰に手を当てて、籠に張られた『200円』と言う値段表を指差している。眼鏡をかけて、標準以上の長身を持つ女性だった。
「……買わない」
本を閉じて元の籠に戻す。別にお金を払う程に興味が会った訳じゃない。
「なんだ。クーも、そう言うのに興味があると思ってたけどね」
この古本屋は小学校の頃からの馴染みだった。家が近いと言う事もあり、漫画が欲しくて、かけ無しのお小遣いを弟と出し合って、良く買いに来ていた。
「部活を引退して暇? ここの所、毎夕来てるみたいだけど」
「暇」
「あらら。世間では高校受験に追われる時期なのに、九条家の秀才さんは余裕ですなぁ~」
贅沢な頭脳を持っていると自分でも自覚していた。進学や就職で悩んでいる時期に、特に将来が決まらない事に、担任の先生や親は気にかけていた。
どんな仕事をするにしても、有名どころの学園を出ている方が良いと言う事で、全国でも最上と呼べる『六栄学園』なる大学を受ける事になっている。数日前に仮試験をした結果、合格判定Aという、合格確実のお墨付きまで貰っていた。
「帰る」
「クー、暇ならバイトでもやる? まだ半年以上も暇でしょ? あんた、社会経験は積んでた方が良いよ」
「…………どこで?」
「店内を見回すな。まったく……ま、気が向いたら連絡しなさい」
みんな、“主人公”なのは、やはり自分自身の人生だと自覚しているからだろう。
だけど、私は……今こうして家に帰っている私を“主人公”だと思わない。
「………」
昔は、知りたい事が多くて毎日が輝いて見えていた。けど、他の人以上に、物事を取り入れる能力が高いと気がついた頃から、私は人生に飽き飽きしてしまった。
新しい事を始めて他の人と同じように走り出しても、すぐに他の人を置き去りにしてしまう。私だけが、道の先に……飛び出してしまう。
ただ普通に、他の人たちと同じようにしていただけなのに……立ち止まって後ろを振り向いても、もう誰もいない。
その、まるで取り残されたような……孤独を毎回のように味わっていた。だから、何事にも不真面目になるように日々を過ごしているのだ。
「ただいま」
家の扉を開ける。するとリビングの奥から、お帰りー、と母の声が聞こえてきた。そして、階段を上がっているとリビングと廊下を隔てる扉が開き、母が顔を出してくる。
「おかえり、クーちゃん。ご飯はもうちょっと待ってね」
「うん。着替えてくる」
部屋の中には歳相当のモノは殆ど無い。
ベッド。制服をかけるハンガー。勉強机。机の横に置かれた、ラジオ付きのレコーダーくらいが、歳相当の所有物だ。昔よく買っていた漫画は弟の部屋にある。
「クーちゃーん!」
室内用の服に着替えて、ラジオにスイッチを入れようとしたところで、母から声がかかった。
「なに?」
部屋から出て、階段の上から見上げてくる母と目線を合わせる。
「頼んでた、卵。買ってきてくれた?」
「卵?」
「そ。携帯に連絡してたんだけど?」
携帯。そう言えば、学校から出てから特に確認していない。部活を引退してから、片手で数える程度しか連絡なんて入る事は無くなったからだ。
「……忘れたみたい」
携帯を学校の引き出しの中に忘れてしまっていた。
帰りに卵を買う。
改めて制服を着直して、母から買い物の代金を貰うと、本日二度目の登校ルートを歩いていた。朝歩く時とは、また違った様子に物珍しさを感じつつも、学校が視えて来た所で、既に携帯を手に入れた気分に浸る。
別に何の障害でも無い。ただ、教室に行って、携帯をとって、帰りにスーパーに寄って卵を買って帰るだけ。
「すみません」
職員室に、教室の鍵を開けてもらう為に声をかけると、驚いたように担任の先生が立ち上がって歩いて来る。
「どうした? 九条」
「携帯を教室に忘れました」
「先生としては、九条はそう言う事は無いタイプだと思ってたけどな」
「良く言われます」
ガッハッハッハ。と笑う先生は74歳で、校内でも特に陽気な老人である。剣道部の顧問と監督をしているので、この時間は武道場に居ると思ったが、残業で事務作業が長引いていたらしい。
「実はおじさん心配しててね。九条はどこか、雲の中を歩いているような様子だったからな」
施錠した教室の鍵を取り、先生と共に廊下を歩く。
「雲の中?」
変な例えに、即座に答えが見つからず聞き返した。よく、変な例えをする先生としても知られている人物だ。
「足場も無く、上下左右との距離も解らない。それでも無理やり前に向かって進んでいる、と言う意味だ」
「よく解りません」
嘘をついた。
「ガッハッハ。ソレで良い。若い内は悩め! 社会に出たら、悩む暇なんて無いぞ!」
教室に着くと、先生は鍵で扉を開けてくれる。私は自分の席に向かい、机の中を探る。案の定、携帯はそこにあった。着信履歴を知らせるランプの明滅が、夕日の差し込む教室では眩しく光る。
「あったか?」
「はい」
「そんじゃ帰るか!」
教室を出た所で、先生は職員室に戻り、私は別の最短ルートから下駄箱に向かう。
廊下の窓から、別棟を何気なく見ると、幾つかの教室に明かりが就いていた。自分が所属していた部活である剣道部の声も道場から声が聞こえてくる。
「卵買わないと」
もう引退した身としては関係ないし、出張るのもあまり良くは思われないだろう。
「――――」
ふと、別棟の一室に目が止まった。
私の足は、下駄箱では無く、別棟の一室に踏み入れていた。
一枚の絵。夕焼けに染まるキャンバスに描かれた青空。
夏の入道雲が、立ち上るように中心に描かれ、心が絵の中に入り込んでしまったと錯覚するほどに見惚れてしまった。
「…………」
周囲を見回すと道具は全て揃っている。作成者は、今席を空けている様だ。素人でも分かる程に、ところどころが未完成の作品。これから完成するのだろう。
近くの机には、10月上旬の絵画コンクールの情報が書かれたチラシと、壁に貼られたカレンダーには日付に○がつけられていた。
「…………」
何枚もあるコンクールのチラシを一つだけ貰い、ぜひ完成品を見てみたいと思って、作成者が帰って来る前にその場を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
変われない生き方と
変わりゆく騒がしい日常で
その差について行けずに
置いて行かれた気持ちになる
オレンジ色の空の下で
光り輝く
君の澄んだ空に出会って
迷いは振り切れた
どうか私を見失わないで
前を向いて走れば伝わるかな
「ワタシはここにいるから」
君の姿をただ目指して
導くのはアオイソラ
先の見えない道
誰よりも強く
歩き出せると信じて
流れる景色を瞳に映して
すべての色が風に流れていく世界で
立ち止まらずに前だけを見つめている
待ってて――
「姉ちゃん。また、その歌聞いてんの?」
音楽を聞きながら本を読んで、母から声が夜ご飯の声がかかるまで待っていると、部活帰りの弟が、開てる扉から覗いていた。
「
「扉くらい閉めたら?」
そんな素気ない言葉を交わして、弟は隣の部屋に消えた。
まだ暑い季節。扉と窓は換気の為に開けていたが、音楽の音は近所迷惑にならない様に、音量を押さえたつもりだった。
私はレコーダーで流しているCDのパッケージを見る。
行きつけの古本屋の彼女から隠れた名曲だと言われて勧められた中古CD。タイトルは、
「『ココロの
弟にうるさいと言われたので、眼鏡を外してヘッドホンをつけると曲を最初に戻して目を閉じた。
変われない生き方と
変わりゆく騒がしい日常で
その差について行けずに
置いて行かれた気持ちになる
オレンジ色の空の下で
光り輝く
澄んだ空に出会って
迷いは振り切れた
どうか私を見失わないで
前を向いて走れば伝わるかな
「ワタシはここにいるから」
君の姿をただ目指して
導くのはアオイソラ
先の見えない道
誰よりも強く
歩き出せると信じて
流れる景色を瞳に映して
すべての色が風に流れていく世界で
立ち止まらずに前だけを見つめている
待ってて――
既に解散しているボーカルメンバーによって歌われたこの曲を最初に聴いた時、私への当てつけだと思った。本屋の彼女は何かとお節介だが、何かと、私や風を玩具にしてからかう印象が強い人なのだ。
変われないのはずっと強く
君を思い続けているから
その心を失わぬように
見失わないように
澄み渡る空の下迷うことなく進む
世界の終りまで見渡して
巡り巡れアオイソラ
その一秒が
その一瞬が
大事なんだと信じて
壊れそうなくらいに大きな声で
君の名前を呼ぶよ
前だけを見つめて
その先にいくつもの街を通り過ぎた
お互いの距離もやがてはゼロになる
どうか私を見失わないで
前を向いて願い続ければ届くかな
「ワタシはここにいるから」
「――ちゃん。姉ちゃん!!」
横からの声に、開きっぱなしの入り口を見ると、私服に着替えた弟が、扉をノックしながら剣道部特有の通る声でこちらを見ていた。
「なに?」
ヘッドホンを外す。
「飯。母さん呼んでるよ」
最低限の義務を果たした弟は、そそくさとリビングに降りて行った。眼鏡をかけると、私もレコーダーの電源と部屋の電気を消すとリビングに向かった。
「はい」
夕食を食べ終わって、リビングで何気なくバラエティ番組を見ていると、母が麦茶を持ってきてくれた。
「ありがと」
自分の分にあてがわれた物と判断してお礼を言いながら口に運ぶ。
毎週、特に用事が無ければ欠かさず見ているその番組は、有名な芸人が司会をしていて、適当に投げたダーツが当った場所を巡るコーナーが好きだった。
「フー?」
「素振りしてる」
リビングの窓から見える庭先で、竹刀を持って洗練された素振りを行っている。
「クーちゃんと、どっちが強いかしらねぇ」
「もう、風には勝てないと思うよ」
自分も高校では三年間剣道をしていた。色々な異名で呼ばれていたが、別に自慢する事でもないのでさっさと忘れた。
「よく言うよ。姉ちゃんの方がまだ倍は強いくせに」
軽く汗を掻きながら、弟は網戸の向こうから悪態をつく。
「私はもう剣道はしないから。風の方がいずれ強くなるよ」
「いずれっていつよ?」
「高校卒業したら」
「ケンカ売ってんな」
顔は笑っていても、額に青筋を立てる弟は感情的で、相変わらず自分に似てないと思った。
「ふふ。フーは、もうお風呂に入りなさい。蚊に刺されると気になって眠れなくなるわよ」
「そうするよ。姉ちゃん、今度の休みに防具着けて勝負だ!」
「やだ」
剣道をやっていたのも、ただ没頭できるものを見つけたかったからだ。
それでも、少しだけ要領よくやるだけで、誰も私に並んでくれる人は居なくなった。防具も、本屋のお姉さんのおさがりだったし、本格的に剣道をやる弟よりは辞め易い事もあり、高校で
「……絵早く観たいなぁ」
今は、夕方に学校で見た空の絵画が気になっていた。あんな気持ちは初めてだった。未完成でも吸い込まれるように何とも言えない感動が心を打ったのだ。
完成した物を見た時、どれほどの感動できるのかワクワクしている。
「――お風呂。空いたよ」
弟の後に湯を浴びた私は、半袖の室内着で背中に届く程度の髪を拭きながら、リビングへ顔を出す。
「おかえり」
すると、そこにはスーツを着替える父の姿があった。母は、台所で父の夕食を用意していた。
「ただいま。
父は眼鏡をかけて、穏やかな雰囲気を持つサラリーマンである。少しだけ明るすぎる母とはいい意味でお互いの足りない部分を補っているのだ。
「
「部屋で宿題やってる、と思う」
「まぁ、
あまり、机に座る事が得意ではない弟の性格を父は理解していた。
「私も、もう寝るよ。おやすみなさい」
まだ寝るには早い時間帯だが、早くあの絵が見たくて明日になってほしかったのだ。
「
「なに?」
足を止めた父の声に言葉を返す。
「進路は決まったか?」
高校3年という年は、一年中その事を考えさせられる。明確な目的があって、ソレに沿って人生設計を立てる人生の分岐点だ。クラスでも、意識するように常に話題にされており、中々決まらない生徒には先生が面談もしている。
「六栄学園に行くよ」
私は、日本でも有数の名門校へ行くことを、とりあえず決めていた。それで話も進んでいるし、学校も名門の大学に自校の生徒を輩出できる事に浮足立っている。
「その先は?」
「……決めてない」
「そうか」
父は、ソレは以上何も言わなかった。私はもう一度、おやすみなさい、と言って階段を上がった。
「おやすみ、
父にはそう言ったけれど、進路希望用紙は白紙にしていた。第一希望には六栄学園の名前を書いたのだが、数日して、しっくりこないと思って消したのだ。
その為、未だに希望進路は保留になっている。
「…………」
今、こうして過ごしている私の人生の“主人公”は、私じゃない。他の人みたいに、何かに没頭したり、何かになりたいと思ったりした事が無い。
小さい頃は、いろんな物に憧れたり、手を伸ばしても届かない事が多かった。
人からすれば、贅沢な悩みだと言われるのだろう。けど、私からすれば、それこそ贅沢な悩みだ。
苦労すれば、必ずソレに対する対価を得る。けど私は、その対価さえも“対価”として得る事はない。ほんの少し、他の人よりも要領が良いだけなのに、私だけ別の速度で歩いている様だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そんな私でも最近は無意識に嬉しくなる時間がある。あの絵を見ている時だ。
学校に行くのは今まで、義務だと思っていたけれど、3年目にして楽しみになっていたのは初めてだった。
古い校舎である別棟の美術室に、その絵はあるのだ。暇さえあれば、美術室に立ち寄り、少しずつ完成に近づいていく、その絵を眺めていた。
美術室のカレンダーの日付は、一日ごとに斜め線が引かれ、着々と10月上旬のコンクールに近づいている。
じっくり丁寧に、仕上げようとしているのかもしれない。私はすっかり目の前の絵の虜になってしまっていた。
「!」
近づいて来る足音から、逃げるように美術室を飛び出す。なんとなくこの絵を描いている人とは顔を合わせ辛かった。
誰が描いているかは知っている。私のクラスの窓の向かいがこの美術室なので、授業の間でも常に作画の様子が確認できるからだ。
時間が無いのか、授業中も彼は美術室で絵を描く事を許されているらしい。
「そこで、ニュートンの法則が使われるわけだ」
窓際の席である私は、授業をそっちのけで、彼と絵画を見てしまう。こっそり制作過程見ている身としては、そのまま順調に完成させてほしい。
その時、彼の絵画に向けられた筆が止まった。
「――――」
思わず、私は立ち上がっていた。倒れる椅子の音で、先生の説明はピタッと止まり、クラス全員が私に注目した。
「九条? 何か質問でも?」
先生は不思議そうに私に尋ねてくる。私は、
「気分が悪いので保健室に言って来ても良いですか?」
嘘をついて教室を出た。
「――――」
その足は、授業中にも関わらず別棟の美術室へ何の疑問も抱かずに、まっすぐ辿り着く。
あの心を動かされた、美しい青空の絵は……製作者である彼の手によって、切り裂かれていた。
「…………」
開いた扉。自らの手にもつカッターで、描いていた絵を切り裂いた彼は、その絵を見てどこか苛立ちを宿している様だった。
私は、美術室に踏み込めなかった。ただ絵を見ていた。それだけの私に、彼の気持ちなんて何もわからないのだ。
キーンーコーンーカーンーコーン。
「――――」
授業が終了するチャイムが鳴る。その音で私は慌てて廊下の分かれ道に隠れた。休み時間になり、彼は美術室から私に気がつかず出て行く。
私は、彼が去ったのを確かめてから美術室に入った。目の前には、製作者が自らの手で破壊した絵。
素人が美しいと感じたからと言って、世間がそうとは限らない。彼としても、そうだったのだろう。これでは、ダメだ! と言いたげに滅多切りにされた“絵”は彼の叫びの様にも感じられた。ただ、
「…………」
その絵を見て、私も心が締め付けられるように苦しくなった。
次の日から、私は自分でも驚くほどに色々な事に身が入らなかった。
まるで、あの絵と一緒に私も殺された様に、日々に前は感じていた最低限の自意識が無くなってしまったかのように宙に浮いていた。
「…………」
お気に入りのCDを聴いていても、何も身に入らない。ぼーっと、今まで以上に無気力になっている。すると、ひらり、と机の端から一つのチラシが落ちた。
反射的に落ちた物を拾い上げると、ソレは、あの時拝借した絵画コンクールのチラシだった。
「
ノックの音共に、入り口から父が声をかけてくる。扉は開けっぱなしなだが、年頃である事を考慮してか、踏み入って来るところまではしなかった。
「別に入って良いよ」
ベッドに横になっていた私は端に座って椅子替わりにする。
「最近、すこし危なっかしいけど、何かあったのかい?」
父は鋭かった。確かに、あからさまに身が入っていない行動が目立つが、私は何かを興味を無くした時はいつもこうなるのだ。
見慣れている家族は、いつもの事と一週間ほど放置するだけで、私はすぐに立ち直れると知っている。けれど、こうして父が話しかけてくると言う事は、いつもとは違うと感じ取られたからだろう。
「……よく解らない」
ずっとそうだった。なんで、こんな気持ちになるのか解らない。
今まで、少しやれば何でもすぐに理解できたのに、気になった一枚の絵が、二度と完成しなくなっただけで、ずっと心に棘が刺さったように苦しかった。
「そうか。
父は私の気持ちの答えを知っているようだった。
「お父さんも、
昔、父はプロの野球選手を目指した。才能は無くても必死に努力して、注目される野球児として活躍したらしい。でも、本格的な実力を示す大会の前日に、足に怪我を負ってしまい、チャンスを逃したと語った。
「才能のある者が、輝く世界だったからね。それでも、お父さんはプロの選手に憧れていたんだ。だから努力できたし、どんな苦しい練習にも耐えられた」
しかし、その努力を本番で発揮する事が出来なかった。積み上げたモノを証明する事さえできずに、お父さんの夢は断たれたのである。
「答えが見つからない日々で、まるで自分の身体じゃないと思う程に無気力になってしまったよ」
「……それから、どうなったの?」
「母さんに出会ったよ」
ただ、ぼーっと日々を過ごしている所に、お母さんと出会った事で変わったらしい。
「それからは、大学に行くために猛勉強さ。母さんも手伝ってくれてね。一緒の大学で合格した時は抱き合って喜んだ」
それから、大学の在学中に付き合い、卒業と同時に結婚したと語った。
「
「……優しいかな?」
「父さんの優しさと、母さんの頭の良さを
「…………」
「悩んでいるんだろう? お父さんにソレを解決させてあげる事は出来ない。
ただ、背中を押された気がした。
心の棘は消えたわけでも抜けた訳でもない。けど、確かな目的を持って足を踏み出す事は出来るようになった。
会いに行こう。あの絵を描いていた彼に――
いつもより早めに起きると、当然の様に父と母が朝食を用意してくれていた。弟はまだ寝ているようだったが。
「行ってらっしゃい」
いつもと変わらない母の声を背に家を出る。涼しく感じる早朝で、足並みは少しずつ早くなる。こんな朝早くから彼が来ているとは考え辛い。
けど、朝早く美術室に来るだろうと思っていた。根拠は無い。
誰もいない教室に入り、教科書を取り出して机に入れ、鞄を置くと――ソレは別の形で私の目に飛び込んできた。
「――――」
私は駆け出していた。彼が、別棟の屋上の金網の向こうに居たからだ。
失ったもの
忘れたもの
一つずつ集めに前を向こう
明日を走る意味に変わる
どこまでだって走っていける
君の姿を目指して
導くのはアオイソラ
先の見えない道
誰よりも強く
今、世界の終りまで見渡して
巡り巡れアオイソラ
その一秒が
その一瞬が
大事なんだと信じて
すべての色が風に流れていく世界で
立ち止まらずに前だけを見つめている
待っていて――
「駄目ー!!」
私は別棟の屋上へ駆けこむと同時に叫んだ。開いた扉と、声を上げた私へ彼は驚いて視線を向ける。
元々体力の無い私は、完全に息が上がっていた。言いたい事はあるのに声が出来ない。全力疾走をしたのはなんとなく最悪の事態が過ったからだ。
「……勘違いさせちゃったかな?」
「え?」
彼は困ったように笑う。そして、天高く広がる青空を仰いだ。
「絵を描いてるんだ。もう一度、描こうと決めた空を見ておきたくて」
朝日が上がり始め、暑い日が始まる早朝の空を彼は見に来たのだと言う。
「……なんだ。そうなんだ……」
安心するのも、つかの間、早とちりしてしまったと認識して途端に恥ずかしくなった。
その後、彼とはよく話すようになった。
クラスは違うが同学年であり、影で秀才と言われている私の事を知っていたり、私も自分の事を彼に良く話す様になった。
何気ない日常の話。取るに足らない話。空の絵の話。画家を目指す彼は、いくつもコンクールで賞を取っていたらしく、今度のコンクールでも賞を取って、その実績で『進立美術大学』に行くそうだ。
そんな彼の影響を受けてか、私も彼の様に誰かの心を動かせる絵を描いてみたいと、心から思うようになり、そして――
3年1組
進路希望
・希望校名/学科……進立美術大学/美術学科
・大学卒業後の希望進路……画家
私は、ようやく“
ココロノアオゾラ 古朗伍 @furukawa
★で称える
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