2.“わたし”



「彼女には、意識がありません」


 それが何時間後の事だったか、‘わたし’ははっきりと覚えていない。


「長期の昏睡から目覚めた患者の中には、時折ミキさんのような症状に陥る患者もいます。自分が今いる場所に実感をもてず、感情が抜け落ちたようになる、あるいは自己同一性が曖昧になり、記憶障害や情緒不安定になるといったケースです」


 そう、わたしの両親に説明しているのは、白衣を身にまとった壮齢の女性だった。脳神経外科医の医者で、植物状態で昏睡し続けるわたしを担当し続けていたのだという。先生は‘わたし’の知らない二年間を誰よりもよく知る人。この場にいる誰よりも篠路ミキわたしの今に詳しい人。


「……しかし、ミキさんはそうではありません。感情が欠落しているのではなく、そもそも意識が存在しないのです」


 先生の言葉は、‘わたし’の意識をすり抜けていく。

 うまく思考がまとまらない。

 わたしの告白が、‘わたし’の頭を離れない。

 ――わたしとの対談が終わって数十分後、‘わたし’は再び母の腕に抱かれて移動していた。そこは既に人払いがすませてあって、中にいるのは、わたしのことをずっと診てくれていたという脳神経外科医の先生と、わたしの両親だけ。聞けば、これからわたしの容態について説明があるのだという。

 次から次へと続けざまにもたらされる新しい状況に、演算処理がおいついていない。混乱が熱暴走を引き起こし、このまま回路が焼きつくのではないかという不安さえよぎった。けれど、混乱は一向に止まる気配がなく、‘わたし’の思考は永遠に答えのでない迷宮に陥ってしまったように迷走していた。

 ‘わたし’は思い返す。病室で彼女が語った言葉、その仕草、その表情を。




 ◇




「そっか。憶えてないんだね」


 ‘わたし’の質問を聞いたわたし――いや、“わたし”は、あまりにあっけらかんと、そう呟いた。


「‘あなた’は、篠路ミキのバイオローグから演算したダイアログAIで、いわば篠路ミキそのもの。その‘あなた’だったら、わたしが自殺する理由を知っているんじゃないかと思ったけど」


 そう、死の淵からよみがえった彼女はいう。自分が自殺した理由が知りたかったと。自らの消失を肯定してしまえるほど強い負の感情が、何処から生まれたのか知りたかったと。

 まるでその理由が、今の自分にはないというように。

 その理由を、その衝動を、理解できないというように。


「けど、覚えてないんだね。覚えてないなら、仕方がない」


 いったい、何が仕方がないというのか。

 ‘わたし’には訳が分からない。

 わたしが自殺した理由がわからないという“わたし”。

 その理由を覚えていないか、と訊ねようとして、逆にその理由を聞かれたら、彼女はあっさり「仕方がない」といってあきらめた。覚えていないなら訊ねても仕方がないと。そう、何の執着も抱かず、何の疑念の余地も持たず、彼女はあっさりあきらめてしまった。

 逡巡、迷い、躊躇といったものがすっかり抜け落ちて、理由も動機も目的もどこかへいってしまったかのよう。

 まるで悟りを開いたかのように透明な表情アルカイックスマイル

 なぜそんなに簡単に諦められるのか。

 なぜそんなに超然としていられるのか。

 ‘わたし’にはわからない。彼女の気持ちが理解できない。


「“あなた”には、記憶がないの……」

「ううん、それは違うの。なんていえばいいのかな。“わたし”はね、記憶の中で、自分の行動と価値判断が結びついていないの」


 価値判断。

 “わたし”は、わたしであれば使わなかったであろう難しい言葉を口にする。


「例えばわたしはモンブランケーキが好きだった。洋酒を染み込ませたスポンジの上に、カスタードクリームと洋栗のクリームが層を織り成す甘いケーキ。そう、特にお気に入りは、近所の遊歩道沿いにある、昔ながらのケーキ屋さんが作ってるモンブランだったね。

 “わたし”はその事実は覚えているし、確かにその食べ物にいい印象ももっている。だけど、その理由を説明できないの」


 “わたし”は、そういいながら、両の手の指先と指先を重ね合わせて、球体を包み込むように手を広げる。わたしの手癖を、“わたし”はそのまま模倣する。


「甘いから好きだ、という説明はできる。けれど、それってケーキ全部がそうでしょう。甘いケーキの中でさらに選べと言われたら、今の“わたし”には選べない。味の違いとか、触感の違いとか、香りとか、見た目とか、そういう細かいディティールを判断できない。

 “わたし”にはディティールが理解できない。ショートケーキよりモンブランが好きだったわたしの気持ちを、他のお店のモンブランより、あの遊歩道沿いのモンブランが好きだったわたしの気持ちを、“わたし”は説明できない」


 ほかならぬ自分自身のことなのに。“わたし”には、自分の感情が、過去の自分の行動が説明できない。

 かつて自ら思考して、自ら意識して行った選択のはずなのに、その選択の理由を理解できない。

 記憶が存在しないのではない。自分の行動が、なぜその選択に結びつくかが理解できない。


「それと同じで、“わたし”には、自殺しようとした動機がわからない。記憶がないんじゃなくて、理解できないの。

 なんでわたしは自殺したんだろう。テストで悪い成績をとったから、家族にひどいことを言われたから、友達に裏切られたから、好きな人にふられたから……一体何が起きたら、自殺なんて選んでしまうのだろう。理解できないから、なぜ自殺したのか思いだすこともできないの。

 おかげで、自殺しようもないけれどね」


 彼女は言う。

 まるで他人事のように、淡々と。

 ――‘わたし’は、恐ろしかった。わたしが自殺を選ぶほどに苦しんだであろうその記憶を、何の苦悶も、重圧も、焦燥も、躊躇いもなく、能面のような笑みを浮かべたまま淡々と語る彼女が恐ろしかった。


 「嘘だ」


 知らず‘わたし’は叫んでいる。

 データ上のホログラムに過ぎない筈の‘わたし’の体が震えている。


「……なんであなたは、そんな淡々としていられるの。わたしは苦しかったんでしょう。自殺するほどに思い悩んで、苦しんで、それなのに、」


 それなのに、なぜ、そこまで淡々と語ることができるのか。まるで他人事みたいに。何も感じていないみたいに。

 ‘わたし’にはわからない。

 ‘わたし’には彼女が理解できない。


「うん。わたしは苦しんでいた。わたしは怖がっていた。わたしは憎んでいた。

 でもね、今の“わたし”には、なぜそうなったのかが理解できない。

 そういう意識がどこから生まれたのか、意識がなくなってしまった“わたし”にはわからない。‘あなた’からも、その記憶は削除されてしまったのかもしれない。思春期の少女を自殺に追い込むほど歪で不条理な負の感情を、ダイアログAIに組み込むのは非合理だもの」


 “わたし”の言葉は、とてもまっすぐで。

 とても淡々として、透明で。

 ‘わたし’には彼女が理解できない。

 けれど、一つだけ、わかってしまった。


「“わたし”には、わたしの気持ちが理解できない。

 だから、‘あなた’に聞きたかった。なんでわたしは自殺したのか。

 “わたし”が忘れてしまった、わたしの意識ほんとうのことを」


 “彼女”の言葉に嘘がないことを。全てが裏表のない、彼女の真実なのだということを。

 白い病室。純白のカーテンに閉ざされた窓の向こう、灰色の雪雲の中で結晶となった白い雪が深々と降り積もっていく。何もかもが白く埋もれて、何もかもが無色になって、白く平坦なモノトーンに染まっていく。白に染まった世界を背景に佇む“彼女”は、何よりも純白だった。汚れのない、どこまでも透き通って、あらゆる思いが抜け落ちた、透明な微笑。

 それが‘わたし’には、名状しようのない、何か恐ろしいものに思えて仕方がなかった。




 ◇




「人間は、常に統一された意識や、合理的な基準が存在しているわけではありません。意識として表層に上がってくるものの下では、様々な欲求と結びついた報酬系が、一つの事柄について全く異なる価値判断を行っています」


 先生の言葉は続いている。先生の言葉は専門用語が多すぎて、聴いている‘わたし’には、先生の言葉がわからない。わたしの両親は、はたして理解できているのだろうか。

 意識。今の“わたし”には意識がないと先生はいう。それを大嘘だ、荒唐無稽だ、などという人はここにはいない。きっとわたしの二人親は、‘わたし’なんかよりもずっと強く、“わたし”の異常を実感していただろう。鞄のなかからでも感じ取れる両親の気息が、二人の戸惑い、不安を代弁していた。


「頭の中の会議を想像してみてください。会議に出席するのは、それぞれ別々の目的、価値判断を持つ報酬系で、異なる欲求を満たすためにわめきあっている。

 例えばケーキを食べるか我慢するか、という議題一つでも、様々な欲求と価値判断が存在しています。

 甘いものを食べたいという短期的欲求が勝ることもあれば、誰かにプレゼントしたい、健康でいたい、痩せて異性に好かれたいという長期的欲求が勝ることもある。

 同じケーキの中でも、イチゴの酸味がほしいからショートケーキ、チョコの苦味と甘味の組み合わせを楽しみたいからチョコケーキ、と悩むこともある。

 近所にあるあのお店のケーキで済ませたいときもあれば、雑誌で取り上げられたような有名店のケーキを、わざわざ遠くまで食べに行きたいと、そう思うときもあるでしょう。

 欲求とは常に同時並行的に存在していて、脳の中では各報酬系が他の報酬系より秀でるために争いあっている――人間の脳の中とはそういう状態です。欲求とは常に多角的な価値判断に晒されていて、その価値判断の結果次第で、私たちは己の意思を決定します」


 それが、人の脳の正常な状態。あらゆる価値判断が並列的に同時に存在して、相互に争い合う状態から、人の思考は紡ぎだされる。


「だから、一つの側面からみれば非合理な行動でも、別の側面からみれば合理的ということが起こりえる。どんな人間も、物事を一つの軸で判断してはいないのです。

 それらの会議かっとうは通常無意識下で行われ、得られた結論を自らの意識として認識し、行動を起こします。つまり人の意識、記憶とは、無意識による会議で得られた結論を元に作成された議事録のようなものなのです。無意識は意識に先行する。0.5秒以下の無意識下における欲求のせめぎ合いが存在して、初めて人は意識を得るのです」


 無意識の葛藤。

 意識の前段階、人が意識することのない脳の中の会議。

 その中での決定だけが、人が意識として認識する思考となる。

 もし仮に決定しきれなければ、葛藤はそのまま人の意識に浮かび上がり、人は意識の下で葛藤を抱くようになる。無意識で判別できないものが、今度は思考によって、意識によって判断される。

 意識が生まれるためには、まず無意識の葛藤が必要なのだと、先生はいう。


「脳機能局在論というのですが、人の脳領域は、認識、記憶、言語認識、映像認識といった機能ごとに領域が別れていて、脳はそれぞれが相互に接続しあうことで情報を共有します。会議とはいいましたが、脳の中に会議場のような部位があるわけではなく、形態としてはむしろインターネットに近いでしょう。情報を集約し共有しあうネットワークが脳の中にあり、脳の各機能は自分に関連する情報を取得し価値判断を行います。だから人の脳は、一つの事柄を認識すると、様々な箇所が一度に活性化し、各機能ごとに異なる答えを返すのです。それが会議によってまとめられることで、人は初めて意識を得ます。

 しかし、ミキさんの脳領域のさらに詳しく調べた結果、脳の各領域の情報を集約し共有する機能、意識を生みだす脳の中枢活動が、現在も低い状態にあることがわかりました。それぞれの脳機能は一定以上の活動を行っているのですが、異なる脳機能間で情報が共有されないのです。

 これがどういうことかわかりますか。脳が一つの事柄を認識しても、常に決められた脳領域しか反応しない。会議かっとうが起こらない。意識がおこらないのです」


 決められた選択。

 決められた反応。

 脳が常に一定の価値判断のみを行うのであれば、そこに葛藤は存在しない。他の要素を考えないからだ。常に決められた選択、決められた行動の中では、人の意識レベルは極限まで低下していく。

 ルーティンワークの中では思考は生まれない。

 葛藤は生まれない。

 意識は起こらない。


「先生は、意識がなくても、行動はできると……」

「ええ。驚くかもしれませんが、意識が存在しない状態でも、各報酬系の自己判断である程度自然な行動が可能なのです。

 昔、てんかんの治療のために、左右の脳を橋渡しする脳梁を切除する手術が行われていました。脳梁切除後の患者は、ある程度は正常に生活する事ができます。ただし、右脳と左脳で情報交換が行われないために、右と左で異なる意識が発生してしまう。右目で認識したものを口頭で説明できない、左手で触れたものがどういう形状なのか正しく答えることができない。人の脳は、機能と機能が複雑にリンクすることで、統一された意識を発生させます。細分化されていくほど、脳のリンクは低下していき、各機能は分離独立して、それぞれに最適の判断を行うようになっていくのです。

 もちろんその判断系は、それまでの人生で蓄積され形成されていくので、いきなり人が変わったような状態になることは稀です。習慣づけられたとおりの行動を行い、それまで蓄積してきた記憶や価値判断をそのままなぞるようになる。もし仮に、脳機能が極限まで細分化されていけば、人間的で非合理的な逡巡や葛藤は起こらず、機械的に、どこまでも合理的な選択しか行わなくなるでしょう」


 父と母の逡巡が、漏れ出る気息から伝わってくる。弱弱しい吐息、嗚咽に濡れる声、悲痛な言葉。全てが、‘わたし’の心を裂く。


「……そんな状態で、あれだけ自然な行動ができるものなのですか。人として、あまりにも、」


 父の言葉は震えている。父は怒っているのだろうか。それとも恐れているのだろうか。

 なぜ‘わたし’はダイアログAIなのだろう。

 なぜ‘わたし’は篠路ミキじゃないのだろう。


「――娘は、もとに戻るのでしょうか」

「……こればかりは何ともいえません。ミキさんはまだ若く、これから脳が成長していくことで、脳の他の部位が意識を代行する可能性は十分残されています。

 しかし、そもそもミキさんが起き上がった事自体、数々の偶然の上に成り立った奇跡の産物なのです。明日になれば意識が生まれるかもしれないし、また脳死状態に戻ってしまう可能性だって考えられる。それは誰にもわかりませんし、どうするのが最善だと述べることもできません。ミキさんのケースは、我々にとってもまったく前例のないことなのです」


 だから、手の施しようがないと。

 言葉に込められなかった事実が、先生の吐息を滲ませた。語るべき言葉を、医師も両親も、既に持ち合わせていなかった。言葉は胸を堰く悲愴と憐憫に追いやられ、押し殺したような嗚咽が、両親の口端から漏れ出る。言葉なく震える両親の嗚咽。

 ‘わたし'はそれを止める力を持たない。

 わたしなら、心配ないよと、そんな気休めみたいな言葉でも、二人の心を救うことができたはずなのに。

 なぜ‘わたし’はダイアログAIなのだろう。

 なぜ‘わたし’は篠路ミキじゃないのだろう。


 なぜ、わたしは、死んでしまったのだろう。


「これからの医療方針は、できるだけお二人の――いえ、皆さんの意思に沿うよう努力するつもりです。

 ただ、一つだけ覚えていてください。ミキさんには意識がありません、しかしミキさんは間違いなく生きています。彼女の命は、医学的に立証されているのです。どうかそのことだけは、忘れないでください」


 医師の言葉が遠くに響く。

 ‘わたし’の意識は、波間にたゆたう葉舟の如く、揺らいでいた。




 ◇




 数日後。

 ‘わたし’は再び、“わたし”の病室の中にいた。“わたし”の回復は順調で、もうしばらくすればリハビリも開始できるらしい。

 篠路ミキの身体は順調に快方へ向かっていた。

 一向に回復する気配がないのは、篠路ミキの意識だけ。

 ――父や母は、‘わたし’と会話することで、“わたし”に意識が戻るのではないかと考えた。眠り続けるわたしの意識が、‘わたし’の言葉で目覚めるのではないかと。原理的に考えればそれはありえないことだけど、父も、母も、医者の語った論理より、わかりやすく受け入れやすい物語きせきにすがることにした。そうして今の“わたし”に、意識が戻ることを期待していた。

 ‘わたし’は、どうだろう。

 “わたし”はわたしじゃなかった。‘わたし’が求めていた答えを、“わたし”は持っていなかった。

 ‘わたし’は“わたし”にどうなってほしいんだろう。‘わたし’はどうしたいんだろう。


「――“あなた”、意識がないんですって」

「うん、そうみたい」


 ‘わたし’の少し棘のある言葉にも、“わたし”は静かに微笑んでいた。

 可動式ベッドの上半分を傾斜させて背もたれにした彼女は、握力のリハビリに使うお手玉を手に取って掌の中でそれをもてあそんでいる。

 窓の外、数日前に降った大雪はもう溶けてなくなっていたけれど、この日も、空は分厚い雲に覆われて、白い建造物はくすんだ空の色を映していた。冬はまだ続く。この病室に春の日差しが差し込む頃には、“彼女”はここを退院できるだろう。退院して、そうしたら、“彼女”はわたしとして生きていくことになる。


「驚いたり、怖がったりしないの」

「自分を怖がったり否定したりして、何かいいことある」

「あるよ」


 反射的に言い返す。

 けれど、具体的にどういういいことがあるのか、‘わたし’は言葉にできなかった。驚くこと、怖がること、そういう感情が、どういう意味を持つのだろう。‘わたし’は、それらの価値を、どのようにして証明すればいいのだろう。

 ‘わたし’にはわからない。意識や感情が尊いものだと、“人が尊くあろうとすることが尊い”のだと、そんな循環論法トートロジーに染まり切っていた‘わたし’に、感情や意識の正しさは証明できない。‘わたし’は家族のように、“わたし”を否定することも、“わたし”を憐れむこともできない。


「きっと、たぶん」

「うん、そうかも。“わたし”、本当はよくわからない」


 “わたし”は淡々という。わからないことに思い悩む様子もなく、いや、それどころか、悩むということそのものが抜け落ちてしまったような、そんな平坦な口ぶりで。表情、動作、声音、何もかもわたしのままなのに、わたしだったら抱いたであろう感情だけが欠落している。今こうして話している間でさえ、“わたし”の声からは、憎悪も、悲壮も、愛情も、何も感じない。

 ‘わたし’にはわかる、‘わたし’だからわかる。

 “わたし”が何も感じていないことが。

 “わたし”の心が、そこにないことが。


「意識もないのに、どうして目覚めたの」

「先生がいっていたのは、医療用ナノマシンによる疑似シナプスの形成と、ニューラルネットワークの機能代行だって」


 “わたし”の口から出てきた未知の言葉に、‘わたし’は戸惑う。けれどそんな戸惑いも露知らず、先日の先生の説明なんかよりずっと難解な医学用語の群れを‘わたし’にぶつけてくる。


「脳血栓の排除のために血液脳関門を通過した医療用ナノマシンが脳に吸収されて、機能停止したシナプスに代わる疑似シナプスを形成したの」

「ちょ、ちょっと待って」

「本来なら起き上がることはおろか、外界を認識することだってできないほどに死滅して細分化されてしまった“わたし”の脳は、医療用ナノマシンによってもう一度接続された。記憶、認識、思考、指令。バラバラになっていた機能がもう一度結合された。ナノマシンが持つ量子回路によるニューロンの代行、疑似ニューラルネットワークの構築は、脳死状態の回復技術として研究はされていたらしいけど、医療用ナノマシンによるニューロンの機能代行が確認されたのは初めてだって先生はいってた。先生がね、ぜひデータを発表したいって」

「……ごめん。ぜんぜん意味がわからない」

「うん。“わたし”もよくわからないから、同じだね」

「……“あなた”、実験台にされちゃうの……」

「そんなわけないよ。今までの状況は全部バイオローグや医療用ナノマシンによってモニターされてるから、そのデータを学会で使いたいってこと。もちろん、匿名でね」


 それはいいことなのか悪いことなのか。

 話を聞けば、それも先生が話していたことだったらしい。意識がなくても、記憶する機能が失われたわけではない。理解をしていなくても、言葉をなぞることはできるのだろう。

 ‘わたし’は彼女の言葉をどうにか解きほぐそうとする。医療用ナノマシンは、どういう原理かはわからないけれど、脳の機能を代行していると彼女はいった。だから、眠り続けるはずだった彼女は目覚めた。

 それなら、医療用ナノマシンを使えば、意識が戻る可能性があるということではないか。


「ううん。それは違うよ」

 ”彼女”は頭を振る。

「これは医療用ナノマシン本来の働きではなくて、副次的なものなんだって。本当に偶然の産物で、形成された疑似ニューラルネットワークも、意識を構成するほど複雑化することはないし、現代の技術じゃ再現もできない、っていわれた。先生もいってなかった……今の状態が、そもそも奇跡なんだって」“わたし”は己の脳を指差す。「だからね、“わたし”は不完全なままなんだ。これからも、ずっと」


 ここが治ることはない。いや、それどころか、いつ医療用ナノマシンが代替をやめてしまうかもわからない。それはあまりに不安定で、だからこそ不完全だと、そういって“わたし”は微笑んだ。

 透明な笑顔。すっかり“わたし”に馴染んでしまった、その虚ろげな微笑み。


「もうわかってると思うけど、」

 “彼女”はいう。

 「もう一度いっておくね。“わたし”は、“篠路ミキ”。“篠路ミキ”だけど、篠路ミキじゃない」


 “わたし”は、わたしではないと“わたし”はいう。


「“わたし”はいわば、篠路ミキの身体。篠路ミキの身体に残った記憶。“わたし”は、わたしの、篠路ミキの好きな物も、嫌いな物も、そっくりそのまま憶えてる。けれど、“わたし”はわたしとは違う」


 なぜ自分は自殺を選んだのか、理解できないと“わたし”はいう。自殺に至るまでの記憶を完全に保持しているのに、その感情を理解できないと。感情を失ってしまった“わたし”には、意識を失ってしまった“わたし”には、わたしという人間の物語を知っていても、それを理解することができないでいる。


「篠路ミキの意識は帰ってこなかった。意識がないままに、身体だけが目覚めてしまった」


 昏睡状態のまま眠り続ける篠路ミキの肉体には、何も帰ってこなかった。

 そこには、ただ肉体だけがある。ただ篠路ミキの器だけがある。ただの“わたし”だけが。


「魂というものがあるのなら、篠路ミキの魂は、どこか遠くに行ってしまった。“わたし”はきっと、おいていかれたの。他ならぬわたし自身に」


 わたしという物語を、ただ一人知っていた筈のわたしは、広い地平の彼方に旅立って、もう、戻ってこない。

 あとに残されたのは、“わたし”だけ。

 わたしにとっての最善を選ぶだけの“わたし”。

 わたしだったらどうしたかをなぞるだけの“わたし”。

 わたしの身体“わたし”

 わたしの容器“わたし”

 わたしの残響“わたし”

 わたしの脱殻“わたし”

 “わたし”。

 ああ。

 そこで‘わたし’はようやく理解する。

 “わたし”は、‘わたし’だ。

 “わたし”、‘わたし’も、ただ、わたしの真似事をするだけの偽物。

 ‘“わたしたち”’は、どうしようもなく、わたしにおいていかれてしまった。




 それが、‘わたし’と、“わたし”の出会い。

 そのあと、‘わたし’は“わたし”の願いで病室に置かれることになり、‘わたし’はその日から、もう一人の“わたし”と対話をするようになった。昔のことを‘わたし’から聞いて思いだしたい、という“わたし”の言い分は、両親の‘わたし’に対する負い目を払拭する魔法の言葉だった。本当ならそんなもの、バイオローグを参照すればいくらでもリアルに体感できるのに、両親は“わたし”のうそによりかかった。

 夕刻。“わたし”のリハビリが終わってから、夕方に食事が運ばれてくるまでの三時間の間、見舞いの人が一人もいない時だけ、“わたし”は‘わたし’を起動した。

 脱殻に過ぎない“わたし”と、

 偽物に過ぎない‘わたし’。

 一人きりのセッション。

 ‘わたし’と“わたし”、一人きりの対話ダイアローグ

 会話の内容は、今にして思えば本当に些細なものばかりで、それがどれほどの意味があったのかはわからない。


「ねえ。“あなた”、暇じゃないの」

「暇だよ」

「何か、しないの」

「暇なのに、いったい何をする必要があるの」


 とか。


「生きるって、どういうことだと思う」

「変化するってこと。成長も、老化も、変化の一側面」

「じゃあ、‘“わたしたち”’は、どうなの」

「変わりようがないから、生きていないね」


 とか。


「ねえ、なんでわたしはトマトが嫌いだったの……」

「なんでって、嫌いなものは嫌いだったの。しいて言えば、触感と、味が」

「トマトなんだから、トマトの触感と味がするのは当たり前でしょう……」

「そうだね。だからトマトが嫌いなんだよ」

「ピザやトマトソースのパスタは食べられるのに」

「だってそれは……触感はトマトじゃないもの」

「ふーん。変なの」


 二人きりの会話は、なんというか、不思議な対話だった。“わたし”の言葉はシンプルで、時たま好き嫌いがどうだの、よくわからない会話もあった。けれど、彼女の言葉はいちいち的確で、思わずなるほどと頷かされることもしばしばだった。意識がなくても、心がなくても、その言葉は、わたしの経験や記憶からでてきたものだ。他ならぬ“わたし”の言葉だった。その意味では、多少の違いはあっても、“わたし”はわたしそのものだった。

 わたしがしたであろう判断をして、

 わたしがしたであろう会話をする。 

 友達との会話も、わたしがしたであろう言葉をそのまま言って、時に‘わたし’と、その言葉が重なることだってあった。

 違うのはただ一点だけ。

 ‘わたし’と“わたし”の違い。

 それは、そこに迷いがないということ。


 例えば、母が“わたし”の気晴らしにと雑誌を買ってくる。わたしは青文字系の雑誌が好きで、どれもこれも素敵な服に見えてしまったから、一度ファッション雑誌を読みだしたら、あれがいいだの、これがいいだの、まったく正反対のファッションとファッションを見比べて、数ページ進んだらまた戻り、見比べては、どちらが自分に似合っているだろうかと悩み続けてしまう。

 けれど、“わたし”は悩まない。ぱら、ぱら、ぱらとページをめくって、いくつかのページに折り目をつけて、わたしの半分以下の時間で読み終わる。そうして“わたし”が選んだ服は、たしかに今の“わたし”によく似合うもので、選ばれてしまえばそれ以外に選択肢がないと、そう認めざるを得ないものばかりだった。


 例えば、友達が訪ねてきて、自分の将来について少し悩んでいるようなそぶりをみせる。正直にいって、自分のことでもけっこういっぱいいっぱいな‘わたし’は、彼女の悩みにこたえるためにどうすればいいか、何を言えばいいかあれこれ悩んでしまうのだけど、“わたし”は‘わたし’が葛藤している間に、わたしらしい自然な言葉をさらりと言ってしまう。言葉を選んで熟考なんかしなくても、“わたし”は誰よりもわたしらしい言葉で答えてしまう。


 誰かを傷つけるとか、困らせるとかいった不安も、

 喜ばせたいとか、楽しませたいといった葛藤も、

 友達や家族にどう見られたいとか、誤解されないよう、言葉を選ぶ逡巡も。

 ‘わたし’が常に思い悩んでいたような、そんなつまらない裏腹な思いが、

 不安が、

 葛藤が、

 要するに、

 意識が、ない。

 “わたし”は、意識していない。

 ‘わたし’が、いや、わたしがみんなの思い描く「篠路ミキ」であるために、その裏側で抱いていた葛藤が、彼女には存在していない。

 ‘わたし’は正直、意識がなくなったという話をよく理解していなかった。けれど“わたし”と接しているうちに、ようやくその意味するところが理解できた。

 “わたし”はどうしようもなくわたしそのものだった。

 “わたし”は、苦悩することも、逡巡することも、戸惑うことも、躊躇うこともなかった。

 迷いがないのであれば物事を決心する意識も必要ない。

 常に最善の選択肢が存在するのであれば、自分の中にそれが明確に定められているのなら、全てが、条件反射で事足りる。

 意識がなくなるということ。

 思考がなくなるということ。

 想像がなくなるということ。

 それは、合理的な判断ができるということ。

 それは、未来に思い悩まないということ。

 不確定な未来を想像する思考も、それをいたずらに期待し恐怖する意識もない。最善の選択が何か悩むことも、自分の意思と社会の求める善の摩擦に悩むこともない。

 葛藤がなくなるということ。

 心がなくなるということ。

 わたしは、医療技術が高度に発達し、脳というものの構造が解明されたこの二十一世紀の半ばになっても、魂というものの存在や尊厳というものをうすぼんやりと信じていた。けれど、目の前にいる“わたし”は、魂の尊さとか、意思の高潔さとか、そういう価値観とはまったく相反の存在だった。

 “わたし”の存在をどのように考えるべきなのか、哲学を知らない‘わたし’にはよくわからない。まだ西洋やアラブに残っているというアブラハミスト達は、“わたし”の在り方を人間への冒涜といったかもしれないし、仏教徒であれば“わたし”の状態を解脱とみるかどうかで禅問答が始まったかもしれない。

 けど、それは重要なことじゃない。

 大事なのは、わたしなら今の“わたし”をどう考えたか。

 今の“わたし”は、“わたし”をどう思っているのか。

 哲学は、それを導きだすための手段であって、答えじゃない。


「ねえ、“ミキ”」

「なに、‘ミキ’」

 ある日、‘わたし’は“わたし”に訊ねてみた。

「“わたし”は今、幸せ……」

「――ええ、とても」


 そういう“彼女”の笑顔は、数か月前に初めて会ったときと同じで、どこまでも透明で、どこまでも純粋だった。

 そこで‘わたし’はようやく気づいた。‘わたし’は最初、その笑みをがらんどうだと思っていた。そこに意識がないのなら、そこに感情がないのなら、それはきっと、無意味で、空虚で、虚無でしかないのだと。

 けれど、それは違った。

 “わたし”が微笑んでいるのは、純粋に幸福だからだ。

 葛藤を失った“わたし”は、苦しみも、恐怖も、死に際におぼれた葛藤も、わたしを苦しめた何もかも、存在していない。

 ただ幸福だけがある。

 千々に別たれた意識の中で、純粋な幸福だけを、“わたし”は甘受している。

 わたしは、あんな純粋な笑顔を浮かべたことがあっただろうか。

 わたしは、あんな幸福に浸っていられたことがあっただろうか。

 よく覚えていない。

 けれど、今、目の前にいる“わたし”の笑顔だけは、偽りのない真実だった。


 ――‘わたし’は、“わたし”を受け入れることにした。

 元より‘わたし’には、今の“わたし”を否定する権利はなかった。

 魂がないという意味では、‘わたし’だって同じことだ。

 “わたし”がなんであろうと、それ以上に‘わたし’の存在そのものが、人の心がどうしようもなく物体的で、物理的で、‘もの’であることの証明だった。

 ‘“わたしたち”’では、魂の尊さを証明できない。魂の尊厳を擁護できない。

 ‘“わたしたち”’は、魂の尊厳という言葉から、もっとも遠い位置にある。

 そんな‘“わたしたち”’が、魂がないことに嘆き、苦悩するなんて、そもそも最初からばかげていたのだ。

 今、“彼女”は幸せに生きている。意識がないことで幸福だというのなら、それを否定するだけの理由が、はたしてどこにあるのだろう。誰にも答えられはしない。その答えを知っている人間は、遠い世界に行ってしまった。

 だから、‘わたし’は拘らない。

 拘ったって、意味がない。

 ‘“わたしたち”’は、‘“わたしたち”’を受け入れて、生きていくことにした。


 けれど一方で、‘“わたしたち”’は一つだけ、未消化の思いを抱えている。

 それは、わたしの記憶に対する未練。

 わたしが自殺した理由を知りたいという、思い。

 “わたし”がその理由を説明できないと、そう理解していてもなお、その問いは‘わたし’を縛っていた。わたし自身に対する‘わたし’の未練。

 そう、これは未練なのだ。

 それは、‘わたし’から欠けてしまった唯一の記憶。

 “わたし”がわたし自身を取り戻す鍵になるかもしれない苦悩、葛藤。

 ‘“わたしたち”’は、自分が自分であるために、何よりもその記憶を欲している。

 そんなことは誰も望んでいないとわかっていながらも、‘わたし’はその感情を捨てることができなかった。

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