3. わたし ――1
やがて春がきて、梅や桜が薄紅色に色づく季節になった頃、“わたし”は退院することになった。
‘わたし’の定位置は、病室のベッドサイドテーブルから勉強机の上に変わり、“わたし”は新しい生活を始めることになる。
意識を持たない“わたし”が病室から解き放たれて、何か問題がおきないかとハラハラしたけれど、そんな心配をよそに、“わたし”は誰よりもわたしらしくふるまって、あっという間に家族の枠の中に戻っていった。
考えてみれば、意識がないからといって、“わたし”がわたしと全く違う行動を取る筈がないのだ。“わたし”の行動は、すべて篠路ミキの積み重ねた行動から導きだされたものなのだから。
“わたし”は、かつての篠路ミキの生活に瞬く間に順応してみせた。
学校にも復学した。多くの人と触れ合うことがいい刺激を与えるという判断だった。二年間の空白期間は、療養のための休学に置き換えられ、病弱な同級生というカバーストーリーを与えられた“わたし”は、自分の異常を隠しながら、学生生活を続けている。
‘“わたしたち”’のセッションは、今も続いている。
場所はいつもわたしの部屋の中。‘わたし’は家族の前に姿を現すことがなくなって、“わたし”とだけ話すようになっていた。家族はきっと“わたし”と話をしたいだろうと思って、時たま家族の元に行くように促すのだが、そうすると“わたし”は素直に聞いて部屋をでる。しかししばらくすると、やはりわたしの部屋に戻ってきて‘わたし’との会話をはじめるので、‘わたし’は少し辟易した。
考えてみれば、わたしは家にいる間は、居間ではなく自分の部屋にいることが多かった。つまりこれはわたしの習慣であって、必ずしも“わたし”のせいではない――と、理解はしていたけれど、やはり家族との時間は少なかったように思う。そうすれば、自然と、‘“わたしたち”’の会話が増えていく。‘わたし’は、いつしか“わたし”とのやりとりを楽しむようになっていた。一時期からはそれにかつての友人たちも加わって、随分と賑やかになっていた。
入学式、
オリエンテーション、
部活動見学、
勉強、
部活、
試験。
感情のない“わたし”が語る、あまりに透明な“わたし”の人生。
‘わたし’は、わたしの人生をもう一度辿る“わたし”を見つめ続けた。“わたし”が一人で生きていけるように、“わたし”がわたしらしく生きていけるように。
篠路ミキの意識は、“わたし”が目覚めて十か月が経っても、まだ、帰ってこない。
◇
「明日、外に散歩にいきましょう」
その日、食事を終えて部屋に戻ってきた“わたし”は、開口一番にそう提案した。
なんで、とか、どうして、とか、そういう理由は聞かなかった。聞いても意思がない“わたし”には、全ての行動が自明だったけど、その理由は単純明快すぎて説明の必要がないか、あるいは説明できないかのどちらかだから。今回はおそらく後者だろう。
‘わたし’は、その提案を甘んじて受け入れることにした。行く宛も用事もない‘わたし’に断る理由はないし、‘わたし’が外に出たのは、病院と家を往復したあの時だけだったから、空白の二年間の間に街がどのように変わったのか、少しばかり興味があった。
翌日、“わたし”はいつも通りの時間に目覚め、外出の準備を始めていた。いつも通り化粧っけのないすっぴんで。それどころか夏休みだというのに学校の制服をきて外出しようとしている。
なんで学校の制服なのか、と訊ねても“わたし”は「これが一番都合いいの」と、よくわからない答えを返すだけ。
とうとう服を選ぶこともやめてしまったのだろうか。
それは、さすがに勘弁してほしいのだけど。
“わたし”は‘わたし’の本体を鞄に収め、行ってきますといいながら扉を押し開ける。
――久しぶりに体感する、外の世界。
‘わたし’は、世界の色彩の強さに驚いている。街はすっかり夏の盛りで、あらゆる色が照りつける陽光を反射してひときわ強い色彩を放っていた。立ち上がる入道雲、濃緑に染まる街路樹、透き通るような青空、光に切り抜かれてくっきりと浮かんだ影の色、じいじいと鳴く蝉時雨。
そう、今は七月の終わり。夏の盛り。
「そうか。今って、夏だったんだね」
「そうだよ」“わたし”は歩きだす。「暑くないから、忘れてた……」
「うん、いま、ようやく実感した」
暑さや湿度を感じなくなった、ダイアログAIの‘わたし’。真夏のべたつくような空気も、木陰のありがたさも、時折吹く風の心地よさも、もう記憶の中だけのもの。今は夏なんだ、と思い込まなければ、湧き上がることのない感覚。
そっか、と短く答えて、“わたし”は足取りも軽やかに歩きだす。
‘わたし’の本体はA4サイズのノートほどあって、そのまま持ち歩くには不恰好だったから、少し大きめのバックの中に入れて、視覚の代わりとなるアイカメラだけが外にでるようにしてもらっている。ホログラム投影装置をオフにした‘わたし’は、それこそ数世代前のタブレットPCとそう変わらない。
“わたし”に抱えられて、‘わたし’の視界は街並みを進む。
街は、思った以上に昔のままだった。駅前の商業地区に立ち並ぶ、競争の激しい店舗がいくつか入れ替わっていたぐらいで、わたしが生まれ育った街並みは、記憶にある2年前のものとそう変わっていない。
2年という月日は、“わたし”のようにゆっくりとした歩みであったらしく、‘わたし’は少し拍子抜けする。
街を歩いていると、いろいろな情報が目に入ってくる。店の広告、案内表示、公共交通機関情報、などなど。それらは全て肉眼に移るものではなく、拡現によって視界に付与された拡張情報だった。町の至る所に仕込まれた二次元コードを視界に収めると、その二次元コードにリンケージされた拡張情報が拡現に表示される。人々が知りたいと思う数多の情報は、町の至る所に仕込まれていて、それをみる人間はそれらに意識を向けるだけで、その情報を開示させることができる。かつては極彩色のネオンや情報過多の立て看板が町にあふれていたらしいけれど、拡現にそれらの情報を収納して、より効率的に宣伝できるようになってからは、立て看板やネオンはレトロな装飾品になり果てた。
店舗の客観的評価、顧客の満足度、商品の人気度、飲食店では、アレルギーを持つ人のために、詳細な食材情報までも開示される。店の主人やシェフの経歴、メニューのオススメや客層の統計、そのお店に使われている食材の種類を、ただの顧客に過ぎない人間にも、つまびらかに開示する。
なぜそうなったかといえば、顧客の側がそれを求めたからだ。顧客の安心を守るために、顧客が店舗を信頼するために、プラス要素の情報だけじゃなく、マイナス要素の情報も全て開示させる。それが当たり前の社会だった。
相手を信頼するために、信頼を失いかねない情報をも求めるというのは、なんともおかしな話だけど。
今の‘わたし’には不要になった情報をぼーっ、と眺めていると、唐突に“わたし”は歩く向きを変え、早朝販売のパン屋に向かっていく。
「どうしたの……」
「カロリーが不足しています、ってメッセージがきたの」
だからパンを買うのだという。バイオローグの体調監査機能は信頼性が高いから、“わたし”がそれに逆らう理由はない。最善の行動に対して、迷いはない。食べ歩きが社会的に最善なのかどうかはわからないけど、少なくとも、“わたし”個人としては最善の行動だった。
お店で買った菓子パンをかじりながら、“わたし”は何度か‘わたし’に話しかけてきた。‛わたし’が好きだった洋菓子店の前を通りすがるとき、よく遊んだ公園の近くにさしかかったとき、遠目にかつての級友と思しき姿を認めたとき。“わたし”は、‘わたし’に言葉を求めた。
あのお店のモンブランケーキはどうして好きだったの。
あの公園の遊具は危険な鉄骨製のままなのに、どうして好きだったの。
あれ、○○くんだよ。身長も容姿も随分変わったね。ところでどうして、彼は人気者だったのかな。
等々。街中ですぐ横に人がいたとしてもおかまいなしに話しかけてくるので、これには少し参ってしまった。いくら拡張現実を通した思念通話が当たり前になって、携帯電話がなくとも遠くの誰かと会話する事が可能になったからと言って、天下の往来で独り言をつぶやき続けるのはいろいろと問題があった。
そう、“わたし”と‘わたし’の会話は、周囲の人間にはただの独り言にしか聞こえないのだ。声質から口調まで、何から何まで一緒なのだから。
それだというのに、“わたし”はあれもあれもと聞いてくる。黙ってばかりいるわけにもいかないから、‘わたし’は周囲に人がいないことを確認してから答えるけれど、それにもやはり限界があった。‘わたし’が答えた次の瞬間、横にふいっ、と表れたスーツ姿の男性が、奇異な生き物をみるような目で“わたし”をみていたのを、‘わたし’は忘れられそうにない。
もちろん、そんな視線を受けたとしても、“わたし”はいたって自然体だった。
「ねえ、みえる」
何が、と問う。
“わたし”の目の前にはただの道路があった。片側三車線の幹線道路。道路のこちら側は閑静な住宅街が広がり、反対側には大学があって、駅から少し離れているにも拘わらず、俄かに活気づいている。道路と歩道の間には、飛びだしを防止するための背丈の低い街路樹と柵が並び、“わたし”はその道路に向かい合い立ち尽くしている。
何の変哲もない道端。際立った記号もなにもなく、‘わたし’は首をかしげる。
「ここが、どうかしたの……」
“わたし”は、右の手の先で横道を指し示した。一車線の細い路地で、その交差点に信号はなく、その路地が一方通行であることを示す標識だけが所在なさげに立っている。
その根元で、誰かのために添えられた花束が、風に揺られていた。
「ここが、わたしの自殺した場所」
――不思議と、驚きはなかった。
それは、あまりに淡々とした口ぶりで、だから‘わたし’は、抵抗もなく、すんなりと受け入れることができた。
ああ。そうか。ここが。
「わたしは、そこの裏路地から飛びだして、すぐそこに迫っていたトラックに轢かれたの」
“わたし”はその場でぐるりと回って見せる。‘わたし’にも見えるように。
そこはわたしの家に近所だったけど、最寄り駅のちょうど反対側で、‘わたし’が通う高校への通学路だった。幹線道路の横道であるその道路は、閑静な住宅街につながっていて、車の往来もほとんどない。幹線道路から一つそれただけで、そこは随分と様子が違っていた。歩道と道路の間の柵は、わたしの飛び込み事件のあとにできたものらしく、塗装がまだ真新しかった。
「何か、思いだした……」
「……ううん、なにも」
「そっか」
“わたし”はあっさりと納得して、足早にその場を離れていく。
いつものことだけど、その行動に迷いはなかった。“わたし”にとって、次にどこに向かうべきなのかは自明なのだろう。
“わたし”の行動は時々わからないことがある。同じわたしから生まれた‘“わたしたち”なのに。
悩まないこと、常に最適な選択を判断できること。
それがいかにわたしと違う価値判断だったのかを、改めて思い知らされる日々。
けれど今回だけは、“わたし”の目的がうすうすとわかり始めていた。
これは、わたしを辿る道なのだ。
◇
わたしの終わりから、“わたし”の歩みはさらに過去へさかのぼる。
“わたし”が次に向かったのは、学校だった。
だから制服をきていたのか、と、‘わたし’は鈍い頭でようやく理解する。
高校一年生の冬に自殺して二年間眠っていた“わたし”は、同じ学校でもう一度一年生からやり直すことを選んだ。幸いにして、かつての同級生たちは卒業し、学校でわたしのことを知っているのは当時の教師たちしかいなかったので、「二年間療養のために休学して入院していた」という設定はうまく機能した筈だ。例え身上に好奇の目を向ける人はいても、“わたし”自身の奇妙さは、「長い入院生活のせいだろう」という憶測を植えつけるその
階段をのぼって、一年生の階へ。壁には一学期の期末テストの結果らしいものが拡現掲示板で掲示されていて、その中に「篠路ミキ」の名前もあった。点数は5科目合計435点で、学年上位二十人以内に入っている。すごいけれど、現代文だけは目に見えて低く、赤点ぎりぎりという“わたし”の言葉を再確認する結果になった。
“わたし”は自分の教室に入っていく。
無人の教室。夏期休暇の初日に学校に入りこむもの好きは他にいないようだ。“わたし”は誰もいないのを確認して、‘わたし’の筐体をバッグからとりだすと、机の上に安置する。
‘わたし’は“わたし”に手伝ってもらいながら、教室をぐるりと見渡した。わたしが九ヶ月通った学校の教室。三十人程度の生徒が入ることのできる、いたって平凡な間取り。特徴なんてどこにもないのに、‘わたし’はノスタルジックに浸っている。
私物の配置、座席数の細かな違いはあれど、この机も、この黒板も、この教室も、‘わたし’が通っていた当時のままだった。
この教室は、かつてわたしが過ごした場所。
‘わたし’にとっては、ほんの数か月前まで過ごしていた場所。
‘わたし’が過ごしたこの空間は、すでに別の誰かのための空間にかわっていたけれど、わたしが過ごしていた頃の面影は随所に残っていた。
けれど、こうして見渡せば思いだす。
自分がこの教室にいたこと、
友人たちが座っていた席、
教壇に立つ教師の顔立ち、声、
クラスメイトの名前、表情、仕草、言葉。
なつかしさがこみあげてくる。
「ねえ、ホログラムを展開してみたいんだけど」
「今日は誰もこないだろうから、大丈夫だよ」
言われてたしかにそうだと思い、‘わたし’は自分のホログラムデータを拡現上に展開する。
この瞬間の感覚は、いつ何度やっても奇妙な感覚だ。
‘わたし’は誰かによって認識されるホログラムデータとして拡現上に展開するけれど、‘わたし’の自己認識は桜色のデジタルアルバムのままだ。動かしているのは紛れもなく自分の手足だけど、視界と空間認識は本体のまま。
だから、左を向きたいと思ってホログラムを動かしても、実際に視界が動くことはなくて、誰かにメモリアルアルバムを動かしてもらわなければならない。‘わたし’は“わたし”がいないと、この教室をぐるりと見回すことだってできやしない。本当に、わたしが生きていた頃とは雲泥の差だ。
けど、それでもかまわなかった。
‘わたし’は、アルバムのアイカメラやGPSを通して‘わたし’のホログラムの座標を確認し、同時に自己認識に現実世界を読み込んで、破綻――例えば拡現が現実の物体にめりこんだりしないように――が起こらないように気をつけながら、ホログラムを操作する。
かつてわたしの席だった場所に‘わたし’が座っている。
それが本当のわたしでなくて、ただの
わたしがここにいると、そう思い込むことに、意味があった。
この席に座っていると、わたしがこの教室で過ごした、ほんの一年に満たない日々がよみがえってくるようだった。
「ねえ、三科先生、憶えてる……」
「憶えてるよ。数学の先生だった。もうそろそろ定年だったと思うけど、まだいるの……」
「うん。今は非常勤講師なの。野球部が甲子園に行くまではやめられないんだって」
「野球部の顧問でもないのに、相変わらずだね」
「現代文の弓塚先生は……」
「たしか一月で――ああ、二年前の一月ね――産休に入る予定だったよね。若くて背も低いのに、貫禄があった。怖かったなぁ」
「うん。今は復職したよ。じゃあ、音楽の政木先生」
「かっこいい先生だったね。同級生にも人気だったから、よく憶えてる」
「世界史の大村先生」
「怖い顔をしていたよね。でも、一番丁寧だった」
「英語のクラーク先生」
「わたし、あの先生、苦手だったな」
思い出話に花が咲く。‘ “わたしたち”’は、とにかく共通の話題には事欠かない。この教室の中でなら、いくらでも思い出話をできそうだった。
壁にかけられた、昔ながらのクオーツ式アナログ時計がかちり、と音を立てる。
長針が一つ進んで、6の数字を指した音。いつもなら、授業が始まる時間だ。
「八時半になったね」
「うん、そうだね」
“わたし”の手が‘わたし’に伸びる。正確には、‘わたし’の本体に。
「ねえ、‘ミキ’。一つ、提案があるんだけど」
「なに」
「あのね……」
“わたし”が告げた言葉。
“わたし”らしからぬ、けれど考えてみれば本当に“わたし”らしい、合理的な提案。
‘わたし’はその提案に驚き――けれど、頷いた。
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