4. わたし   ――2



 ‘わたし’。

 ‘わたし’の名前。

 ‘わたし’の名前は、篠路ミキ。

 ‘わたし’はダイアログAI。篠路ミキの人格を再現するダイアログAI。‘わたし’は式。すでに死んでしまった篠路ミキの人格を再現する公式。結果となってしまった篠路ミキを再現するための、固定された公式。


 いや、それは違う。


 篠路ミキの人格は消失したが、篠路ミキの肉体は生きている。‘わたし’は今、“わたし”と、わたしの家族の所有物として、“わたし”と対話する仮想の‘わたし’として存在している。‘わたし’と“わたし”が過ごした十か月の間に、それこそ、様々なことがあった。それらをログとして参照、回帰分析して、今の‘わたし’に反映する。

 今日の日付は、7月21日。‘わたし’は“わたし”に連れられて、わたしが、“わたし”が通っていた学校にやってきた。

 それが今の‘わたし’。

 暗転。




 ◇




 きん、こん、かん、こん……

 どこからか、チャイムの音色が聞こえた。

 授業の始まりを告げるチャイム。わたしがよく聞きなれた高校の。今日は夏休みの筈なのに。


 暗転。


 映像を認識する。蛍光灯の淡い白色に照らされた教室。それは、先ほどまで‘わたし’がいた教室。けれどその様子は、先ほどまでとは大幅に異なっていた。

 机や棚に押し込められた私物が増え、壁にかけられた掲示物、視界を埋める拡現も変化している。陽光の差し込んでいた教室は今では薄暗く、窓の外では季節外れの雪が降っているようだった。教室からは“わたし”がいなくなって、代わりに同年代の少年少女たちが数十人、教室の中にひしめきあっていた。クラスメイト達は全員、‘わたし’のよく知った顔だ。二年前のわたしの同級生たち。


「東京でこの時期に雪ってすげーよな――」

「電車止まってれば学校も休校になったのに――」

「後で雪合戦しようよ――」

「そうだ、昨日のニュースでさ――」


 クラスメイト。

 “わたし”のでは、ない。

 彼らは、わたしのクラスメイト。

 わたしの席の前で話している男子二人は、クラスメイトで野球部の宮原君と梶田君。

 教卓の付近で拡現をいじっている背の高い西野さんは、頭が良くてスタイルもいいクラスの人気者。

 その西野さんを囲んで談笑しているのが、お調子者という言葉がしっくりくる烏丸君と飯島さん。

 近視治療が確立して、医療器具からファッションアイテムにランクダウンしたメガネを、あえてクラシカルに着用しているのが樅山さん。

 みんな、わたしの、かつての友人。

 わたしの知る風景。

 わたしのいる風景。

 彼らは、彼女たちは、七月の夏の盛りの服装ではなかった。冬服、それも雪が降る季節の装い。長袖の冬服、濃緑のブレザーの下にカーディガンを着て、ロッカーにはコートが押し込められて、中には鼻を赤らめながら身を縮め、手をこすり合わせている人もいた。

 ‘わたし’は目をつぶり、ひとつの記憶を思いだす。


 ――わたしが自殺した日、関東地方に流れ込んだ寒気の影響で、この時期としては珍しい雪が降っていた。


 ‘わたし’の視界に黒板に書かれた日付が入ってきて、‘わたし’は改めて確信する。

 12月10日。

 間違いない。

 それはわたしが自殺した日だった。







  ――わたしのバイオローグを共有しましょう。


 そう提案してきたのは、“わたし”だった。


  ――わたしが自殺した理由は、“わたし”には理解できなかった。

  でも、‘あなた’なら理由がわかるかもしれない。

  もし、‘あなた’がそれを知りたいのなら。それを‘あなた’が教えてくれるなら。


 ――バイオローグには、その人の人生のすべてが記録されている。

 それはソーシャルメディアであり、

 国家による管理体制の一部であり、

 今やなくてはならない福祉社会インフラの基盤だった。

 バイオローグは、他者と人生の一部を共有するコミュニケーションツールとしての機能が本来の存在意義だ。死後に構築するダイアログAIは、あくまでバイオローグの副産物。だから当然のように、その情報をやりとりする手段だって存在する。だってそれはソーシャルメディアだから。

 例えば、140文字程度の簡単な短文を飛ばしあう通信ショートノーツ機能。映像に著作権・肖像権保護処理を施し、記憶を持ち合う共有シェアリング機能。そして、五感を完全に再現する拡現情報を共有する再現リライヴ機能。

 わたしたちは拡現を通じて、いくらでも自分の人生を他者と共有できた。

 映像を、

 音声を、

 食味を、

 薫香を、

 感覚を、

 感情を、

 記憶を。

 ‘わたし’は人間じゃなくて物体にすぎなかったけど、もともとわたし自身のバイオローグから造られた媒体だ。わたしの人生を、‘“わたしたち”’がやりとりすることは簡単だった。

 バイオローグによって投影された、わたしの記憶。‘わたし’の中では、なぜか曖昧になってしまっていた、死の直前の記憶。

 ‘わたし’は今、過去にいる。







「先週の試験どうだった。もう採点終わってるのかな」

「今日はまだ答案返ってこないかも、なんて希望を抱くだけ無駄だと思うけど」


 わたしの前の前で、アイとメグが会話している。

 二人はわたしの親友だった。わたしの傍らで指をひらひらと動かして、拡現上のデータを操作しているのが親友のアイで、そのアイにちょっかいをかけようとしている背の低い女の子がメグだ。わたしの親友たち、‘わたし’にも会いに来てくれて、回復した“わたし”を見舞ってくれた親友たち。もう大学生になってすっかり美人になっていた彼女たちの、‘わたし’が知る、二年前の姿。

 懐かしい――それは本当に懐かしい光景だった。その光景を眺めているうちに、人知れず、あたたかな思いが胸にこみあげてくるのを、‘わたし’は感じていた。


「うう、自分の点数なんて知りたくないよう。結果なんてずっとでなければいいのに――」

「「現実逃避禁止」」


 二年前のわたしの声と、‘わたし’の声が重なる。‘わたし’はわたし自身だから。わたしの思考と‘わたし’の思考が同期することは不思議ではない。むしろ、それが当然のことなのだ。


「「言ってくれれば、いっしょに勉強したのに」」


 そう。わたしはテストの度に、この台詞をメグに言っていた。そうするとメグは目を泳がせながら、また今度ね、と曖昧な返答をして、アイがやる気ないでしょとツッコミを入れる。それがわたしたち三人のいつもの流れ。それは、この日も変わらないようだった。

 懐かしい。懐かしくて、懐かしくて、胸に熱いものがせりあがってきそうになるけれど、それは、本来の主題じゃない。

 ‘わたし’が注意しなければならないのは、共通点ではなく相違点だ。‘わたし’であればしないであろう行動、それを知ることが、自殺の理由を紐解くヒントになる、そのはずだ。

 時計の長針が動く。8時32分。授業はまだ始まらないけど、教室の外でどしどしと歩く足音が聞こえてきて、教室は一気に静まり返る。引き戸をガラガラと開く音。入ってきたのは中年太りを隠さない往年の男性。わたしが知っている顔。数学の教師。三科先生。時計の長針が動く。8時33分。三科先生は一限目の授業では決まって三分近く遅れてやってきた。


「あー、おはよう。日直、号令」


 先生の顔をみながら、ようやくそこで、‘わたし’は先ほどの“わたし”の質問の意図を悟る。

 数学、現代文、音楽、世界史、英語。

 なんのことはない。

 それはわたしが自殺する十二月十日の時間割だった。




 ◇




 わたしは、どちらかといえば優等生の部類だった。

 勉学でも、人間関係でも、何も問題を起こさない。友達とのやり取りも平穏で、成績も学業態度も模範的だった。規範に不快感を覚えるよりも、型にはまることに安心感を抱くのがわたしだった。

 けど、それはわたしたちの世代では普通の事だったはずだ。

 教育心理学の本によれば、非行に走る青少年が大幅に増加し社会問題になったのは、教師や大人による社会的拘束が強かった1960年代のこと。教育制度が刷新され、子供たちに対する拘束がなくなるのと対照的に、不良という言葉は二十一世紀の始めには死語になっていた。情報化によって、詰込教育による人格形成の意義が完全になくなってからは、経験主義的な問題解決を中心とする学習法になって、学校はますます自由になった。

 皮肉なことに、学業が自由になればなるほど、多くの学生は健全で模範的な一般生徒に収斂されていった。

 自分が望む人間になるには、自分の力でそうなるしかない。自分の人生に責任を持てるのは自分だけなのだ。正しい人生なんて誰も教えてくれないし、仮に間違えたところで、誰も責任を取ってくれない。わたしたちは誰よりも模範的であることに努めた。成功者であることを願い、成功者であろうと努力した。自らで自らを規律していった。

 わたしの通っていた学校もそう。平和で平凡で平穏な、どこにでもいるようなありきたりな優等生たち。勉学に励み、クラスメイトをいつくしみ、部活動では精力的に活動して自己実現と成長を図る――そんな型にはまったわたしたち。

 ううん、それは違う。

 型にはまったんじゃない。わたしたちは、大人の世界の入り口をうまく通過できるように、自分の形を変えている最中なのだ。わたしたちはベルトコンベアに乗せられて、遠い先に見える社会の入り口を通過できるように、自分で自分の型を作っていく。大人の枠からはみでないように。あの狭い門をくぐって、大人に仲間入りできるように。先人がくぐり抜けたそのままの形に、自分を作り変えている。

 努力、友情、勝利。人々はみんな、自分の人生がそんなサクセスストーリーで語られることを望んでいる。いつかどこかでみたような、そんな物語が、自分の人生の記録に描かれることを望んでいる。

 今の“わたし”は、どうだろう。

 わたしを理解した“わたし”は、わたしの夢を追ってくれるのだろうか。それとも、合理的じゃないといって切り捨てるのだろうか。




 ◇




 ――一日の授業が終わった。

 終わってみればなんのことはない、普通の一日だった。特に変わった出来事もなく、‘わたし’とわたしの感情がずれていると、そう感じるような出来事もなかった。

 わたしはどこまでいっても‘わたし’だった。

 わたしの言葉も、態度も、特に変わったものは見られない。怖いくらいにいつも通り。自殺を選ぶ暗い感情の欠片なんて、どこにもみられなかった。

 わたしは下校の準備を始める。わたしはボランティア部だったけど、この日は大雪だから、すぐに帰るようにと顧問の先生から連絡があった。わたしは少し残念がっている。けれどすぐに気持ちを切り替えて、鞄を手に教室を後にした。


『外に行くよ』


 いきなり質の異なる音声が聞こえてきて、‘わたし’はないはずの心臓が壊れるんじゃないかというぐらいびっくりした。その声は、この拡現に参加していない筈の“わたし”の声だった。


『現実の動きも合わせた方がいい、そうでしょう。何かに気づいたら、すぐに止めて確認できるもの』

「それはそうかもしれないけど……」


 なんで、今、動きだす瞬間がわかったの。

 ‘わたし’は言おうか言うまいか少し悩み、結局、口をつぐむ。

 だって、その答えは明白だ。これは“わたし”のバイオローグだから。

 視界の動きに合わせて、‘わたし’の本体が揺れ動くのを感じる。“わたし”の動きは、わたしの行動を正確になぞっていた。

 どこからか聞こえてくる、“わたし”の声。


『気をつけてね』


 遠い声のように思える、“わたし”の言葉。

 それは、どこか予言めいていて、不吉な響きを帯びていた。





 学校の階段を下り、履物を変えて、校外に出る。

 学校の敷地をでた途端、わたしの視界を拡現が埋め尽くす。無機質な建造物の壁面に様々な広告を映しだされ、路上では、誰かが雪に合わせて作成したのだろうか。雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりする白くまのぬいぐるみの立体映像が投影されている。

 拡現ARの精緻さが高まるほどに、人は美しい幻想を求めた。雪で埋もれた白い風景は、瞬く間に企業広告のスクリーンと化して、幻想的な風景を創造する。

 愛らしい動きをするぬいぐるみ。

 道をスケートしていく企業キャラクター。

 そのあとをおいかけて、傍らを走り抜けていく子供たち。

 その微笑ましさを目にして、わたしの感情が暖かくなるのを感じた。

 バイオローグの再現は、その人生の追体験だ。ナノマシンによって脳とリンゲージしたバイオローグは、五感だけでなく、脳波の変化や体温の変調も記録している。

 主観の人物が何を見、何を考え、何を感じていたか。

 喜怒哀楽のあらゆるプライベートが、バイオローグにはたっぷりとつまっている。

 バイオローグで、わたしたちは進んで記憶を、感情を差しだしあい、共有する。互いに互いの記憶を、感情を共有することが、何よりも尊いことだと信じていたから。喜びも、楽しさも、悲しみも、怒りでさえも。

 その心情の変化を、わたしはつぶさに観察していた。

 記録の中のわたしは、子供たちの無邪気さに頬をゆるませ、立ち止まって見守ってしまうほどの余裕を残している。

 それは、これから自殺しようとする人の心情とは、どうしても思えない。

 バイオローグには、何もおかしな点はない。

 鼻歌交じりに道を歩くわたし。

 途中、買い食いをしている友人とすれ違って、早く帰りなよ、なんていいながらも、結局は一緒にたい焼きを買い、その暖かさに頬をほころばせる。お節介なカロリー表示を煙たそうに打ち払って、クラスメイトと別れたら、またしばらく一人道。けれどその間も、わたしは合唱で練習中のメロディを口ずさみながら、道を歩いている。

 ――バイオローグに再現されるわたしは、至って普通だった。

 わたしは‘わたし’の記憶するわたしそのままだ。

 わからない。

 なぜ、わたしは自殺するのだろう。

 まだ、‘わたし’にはわからない。




 ――交差点がみえてきた。

 わたしが飛び込んだという道路は、幹線道路だったために融雪装置で除雪されていて、車両が法定速度で走り抜けていく。その傍らの歩道を歩く人影はまばらで、拡現広告だけが寂しげに、雪上でワルツを踊っていた。

 きれいだなぁ。

 わたしはそうつぶやいて、突如として立ち止まった。

 白鳥、白ウサギ、白くま、そしてくるみ割り人形。

 わたしは雪の上を踊る幻を眺めている。愛しむように。

 傍らを駆けていく子供たち。

 わたしは彼らに手を振ってやる。

 気をつけてねと、そんなお決まりの言葉を投げかけて、

 何かが飛んでくる。雪玉。

 子供たちが投げた雪。路端で走りながら雪合戦なんて、危ないことをする。

 危ないわよ、気を付けなさい、というわたし。

 雪玉がどこかへ飛んでいく。ほら、いわんこっちゃない。

 雪玉がどこかへ飛んでいく。ほら、白い塊が、


 視界が、一瞬、ぶれる。


 手を、額に、触れる。

 熱い。脈動。赤。

 痛い、なんで、

 パニック

 叫ぶ

 あ

 あ

 あ


「―――――!」


 あ

 ああ

 そうか

 わたしは

 だから、それで




 気づくとわたしは息を荒げている。目に映るものが後ろに遠ざかっていく。腕を振る感覚、足の動きを妨げる雪の重さ。そこまで感じ取って、ようやく自分が走っていることに気づく。俯き、眼を塞ぎ、違う、違うの、と、うわ言のように呟いて。

 視界がぶれる。

 その瞬間の衝撃はなかった。

 音も何も聞こえなかった。

 暗転する。




 ◇




 気づけば、道路の前にいる。

 世界はすっかり夏色で、陽光に照らされた世界が鮮やかな色彩に染まっていた。道を埋め尽くす雪はなく、黒いアスファルトの上を車両が走り抜けていく。

 目の前を右から左へ横行していく車両の群れ。

 人の飛び込みを避けるために、新しく作られた安全柵。

 道路標識の傍らに置かれた花束。

 そこには死の記憶がある。

 わたしの死の記憶が。


「今のが、わたしの自殺の瞬間」


 “わたし”は‘わたし’の本体を抱えたまま、篠路ミキの死んだ場所に立っている。平坦な声調、荒い吐息。“わたし”も、自分の行動になぞらえて、ここで走ったのだろうか。

 吐きそうだった。

 ‘わたし’は、わたしが死に際に体感したあのぐちゃぐちゃした感情に、感情をかき乱されていた。


 気持ち、悪い。


 ダイアログAIには肉体がないから、精神的動揺だけがダイレクトに直結して、それがそのまま‘わたし’を苦しめる。肉体がないから、息を落ち着かせたり、深呼吸したりといった肉体的な動作で精神を安定させられない。ぐちゃぐちゃとした感情が‘わたし’の意識をかき混ぜる。

 どうにか心を落ち着けようと、‘わたし’は眼を閉じた。

 朝にここを訪れた時と今とでは、状況があまりに違いすぎた。

 道路、車両、安全柵、そこにある何もかもが、わたしの死の実感に結びついてしまった。

 記憶がフラッシュバックする。走りだす。無邪気に踊る拡現映像。降り積もる雪。雪に足を取られる。転びそうになる。そうして諦めればいいのにがむしゃらに走る。手を伸ばす。


 その先には何もない。


 衝撃の瞬間、痛みを感じるその直前に、バイオローグのフィードバックは停止している。だがあの瞬間、‘わたし’は間違いなく死を体験していた。

 目を閉じる。

 目を閉じる。

 目を閉じる。

 ……

 ようやく、ぐちゃぐちゃになった心が安定してきて、‘わたし’はゆっくり目を開く。

 “わたし”はまだ、わたしのバイオローグが途切れた場所で佇んでいた。


「なにか、わかった……」


 “彼女”は首をかしげながら、そう聞いてくる。相変わらず、その微笑みは透明だった。脳神経とリンゲージし、人の思考や精神状態まで記録するバイオローグを再生しても、“彼女”にはあの死に際の感情を得ていないかのように。

 “彼女”は、あれをみても、何も感じていなかった。

 他人事のように受け流していた。

 “彼女”は何度、あれを再体験したのだろう。あの、底なしの沼のような、真っ暗で、逃げ場がなくて、どこまでも落ちていくような、恐怖と後悔と不安と狂騒がごちゃ混ぜになったあの感情を、“彼女”は何度再現したのだろう。きっと一度や二度ではなかった筈だ。‘わたし’がこの記憶をもっていないことを知ってから、“彼女”は何度もこれを繰り返した。

 ‘わたし’には、到底耐えられない。


「ううん、なにも」


 ‘わたし’は、笑った。


「ぐちゃぐちゃしすぎてて、よくわからなかった」


 そっか、と、“彼女”は答える。‘わたし’は拡現に接続して、自分のホログラムを“彼女”の前に映しだす。道の真ん中に立ち尽くして、向かいあう同じ顔の二人。それはたいそうおかしな光景だったと思う。でも、それでもかまわなかった。今はそれが必要だと思った。

 ‘わたし’には、“彼女”に伝えたいことがあった。

 だから、表情を作る。

 ‘わたし’は、うまく笑えていただろうか。


「ありがとう、“ミキ”」


 おかげで、全て、わかったよ。

 そう、全て。




 ◇




「ねえ、“わたし”」

「なに、‘わたし’」


 ‘わたし’は帰り道、さっき呑み込んでしまった言葉を口にする。


「“あなた”は、一体何回、あの記録を再生したの」

「三十三回」


 “彼女”は、なんでもないことのように微笑む。


「死ぬ一時間前からなら、その倍」


 そっか。と、‘わたし’は答える。なぜそんなことをしていたのかは聞かなかった。それは自分の欠落を埋める為だったのか、それとも‘わたし’に聞かれたからだったのか。いずれにせよ“彼女”には意思がない筈で、無意識で行われた自分の行動を説明する事は不可能だから。

 三十三回。

 “彼女”は三十三回も、あの光景を追体験した。終わってしまえば、あれだけ自明で、言い逃れしようもないわたしの死をそれだけ繰り返しても、”彼女”はその真相に気づけない。

 ううん。きっと違う。

 “彼女”はそれに気づいてはいけないのだ。


「ねえ、‘ミキ’」

「なに、“ミキ”」


 ‘わたし’は彼女の名前を呼ぶ。


「もう、自殺の理由を考えるのはやめましょう。きっとそれは、意味がないことだよ。“あなた”にとっても、‘わたし’にとっても」


 “わたし”は首をかしげた。

 “それを知りたがっていたのは‘あなた’でしょう。”

 そういわんばかりに。


「パンドラの箱って、知ってる……」

「うん」

「‘“わたしたち”’にとって、わたしの自殺はきっとそれなんだよ。開いたらたくさんの絶望が飛びだしてしまう。だから、開けないようにするのが一番いいの」

「でも、箱の底には希望が残っているんでしょう……」

「希望も、絶望も、本質は同じよ。つまりは未来ってこと。人が生きていく限り必ずあるもの。

 生きていれば時間は勝手に過ぎていくし、ほっといたって未来には辿りつく。本当は箱なんか開かなくたって、絶望も希望もどこにでもある、ありふれたものなの。

 だったら、わざわざ箱を開かなくてもいい。それが‘わたし’の結論」


 “彼女”は遊歩道で立ち止まる。‘わたし’の言葉は伝わっただろうか。意識がない“彼女”は、‘わたし’の意図を汲み取ってくれただろうか。

 ‘わたし’は“彼女”に生きてほしかった。“彼女”は生きている。絶望することなく、苦しむことなく、自然のままに、人そのままに生きている。それが機械的な偶然の産物だったとしても、そのことを否定する権利は‘わたし’にはない。“彼女”には肉体があった。あの病院でいわれたように、“彼女”は生きていた。例えあらゆる道徳や哲学が“彼女”の生を否定しても、それだけは真実だった。

 ‘わたし’にはない真実。わたしにはない真実。


「そっか」


 “彼女”は、微笑んだ。


「‘あなた’がそういうのなら、それでいいよ」


 “彼女”はそういって、

 その言葉に‘わたし’はようやく一つ理解した。

 最初に出会ったときの質問。

 なぜ、わたしは自殺したの。

 ‘わたし’が“彼女”に対して行ったその質問。

 “彼女”は、それにこたえようとしていた。彼女の行動は、自分の欠落を埋めるためであり、‘わたし’の欠落を埋めるためだった。このわたしを辿る一日は、“彼女”のためでもあり、‘わたし’のためでもあった。どちらでもない、‘“わたしたち”’のための。

 それなら、なおさら‘わたし’のするべきことは一つだった。

 もう、わたしが自殺した理由に執着しない。

 ‘わたし’はわたしへの未練をきっぱり諦める。

 “彼女”は“彼女”で、

 ‘わたし’は‘わたし’だ。

 ‘わたし’がどこまでも物体でしかない以上、それを変えることはできない。

 最初からわかっていたことだ。

 ‘“わたしたち”’が、どこまでも偽物だということは。


「ねえ、‘ミキ’」

「なに、“ミキ”」

「自殺の理由を諦めるなら、‘あなた’はこれから、どうするの……」

「そう、だね」


 ‘わたし’はすぐには答えなかった。それについて考える前に、どうしても知らなければならないことがある。


「“ミキ”は、どうしてほしい……」

「そばにいてほしいな」


 “彼女”の言葉には、いつも通り、迷いがない。


「なぜ……」

「だって、‘あなた’は“わたし”だから。大事なわたしの、もう一人の‘わたし’だから」


 “彼女”が、当たり前のようにつぶやいたその言葉。

 それが、きっと、答えだった。

 ああ。

 “あなた”はあれをみても、まだ、そういってくれるのね。


「……‘ミキ’……」

「…大丈夫だよ、“ミキ”。ちゃんと考えてあるから」

「そっか」


 そう。答えなんて最初から決まっている。

 これから‘わたし’がするべきこと。

 ‘わたし’が“彼女”に対して何ができるか。

 あるとすれば、それはきっと、一つだけ。


「それじゃあ、」


 ‘わたし’は、微笑む。


「まずは、図書館にいきましょう」

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