5.‘“わたしたち”’

 


〈それで、その時始めた読書は今でも続いてるの……〉

「…ええ」


 午後八時。約束の通り、わたしの部屋には“わたし”と、わたしの友人たちが集まっていた。といっても、直接会いに来たわけではなくて、あくまで拡張現実AR上でのセッション。今目の前にいる二人は、一人は都内にいたけれど、もう一人は海外に行ってしまったから、こういう形でしか一堂に会する機会がなかった。

 拡現セッションはバイオローグの拡現共有機能を通して行う通信会話で、その人が目の前にいるかのように会話が可能だった。

 視界内に相手を投影する、仮想現実VRに近い拡張現実AR。そこではリアルタイムの動作も反映されるから、その人が何をして、何を思い、何を考えているのかすぐにわかる。今しゃべっている彼女は、飲食店でバイトしている最中らしく、‘わたし’の視界上をせわしなく動き回っていた。盆を手に乗せるように左手を掲げ、部屋の中を歩き回り、接客をする様子がみてとれる。店内の様子や、彼女が手にしているものまでをうかがい知ることはできないので、彼女がどこで仕事をしているのかまでは分からない。そこは高層ビルの最上階にある高級なレストランかもしれなかったし、バイオローグの普及で数が減りつつあるという大衆居酒屋かも知れなかった。


〈でもさ、なんで読書なの……〉

「…本は一番情報量が少なくて、想像力が必要だから。複雑な意識がなくても、先のことをある程度予測できるようになれば、“ミキ”は今よりもっと生きやすくなると思って」

〈ふぅん……想像力、かぁ。

 知ってるか……昔はさ、ダイアログAIってお化け屋敷のお化けだと思われてたんだよ〉

「…なにそれ……」

〈要するに‘造り物フィクション’、ってこと。思い込みが、リアリティが大事って話〉


 久遠メグル、愛称メグ。

 わたしの高校生時代の友人で、今では大学生。

 勉強があれほど苦手だった彼女は、驚くべきことに、国内でも1、2を争う私立大学の、それも哲学科に入学していた。こういう観念的な思考は彼女のもっとも苦手とすることだと思っていたのに、この三年間で、彼女は驚くほど変わっていた。子供っぽい容姿は変わらないが、元から口が達者だった彼女は、知識を得たことでより弁が立つようになっていた。


「…ふーんだ。どうせ‘わたし’は贋物ですよ」

〈あ、やだやだうそうそすねないで、好き好き大好き超愛してる〉

「…‘わたし’と初めて会ったとき、大泣きしてたくせに」

〈‘ミキ’だってもらい泣きしてたじゃんっ〉


 ‘わたし’のいない間に成績が飛躍的に上昇したメグだけど、こういうお調子者なところはあまり変わっていない。むしろそっちを直してほしかったと思う。キャラがブレブレで困るというのが‘わたし’の正直な感想で、もう一人の友達も少し苦笑いしていた。


〈……ダイアログAIは、バイオローグが医療や社会的インフラにリンクされる前の、純粋なソーシャルメディアだった時代に考案されたんだよね〉


 もう一人の友達のアイが、そう訊ねてくる。

 相馬アイノ――アイは、遠いスウェーデンからARセッションに参加している。遠隔地通信の宿命として、会話にはところどころ時間差が発生していた。少しでも通信の負担を減らそうと、微動だにせず会話するアイの拡現モデルは、せわしなく動き続けるメグとは好対照だった。


〈そう。バイオローグを使えばこういうこともできますよ、っていう、一種のデモンストレーションだった。

 最初のうちは、ダイアログAI自体の制度も悪かったから、やっぱり人はみんな贋物としてみてた。けれど、ダイアログAIが改良を重ねていくうちに、生きていた頃そのものになってきた。

 そうなってから、ようやく事の重大さに気づき始めたんだ。死者の記憶と感情を持つAIの意味ってことに〉


 ダイアログAIが生まれた当初の混乱は、わたしも知っていた。

 バイオローグの基盤となるソーシャルメディアは、2000年代以降に爆発的に普及して一般化したコミュニケーションツールだ。

 互いに互いの情報を公開し共有するツール。

 友人同士、あるいは見ず知らずの友人同士で、自分自身の情報を誰かにさしだすことで行われるコミュニケーション。

 自己の記録を公にすることで、社会からの承認を得るシステム。

 それはやがて拡現とリンクするようになり、その記述はより容易に、より広範に、より私的になっていた。

 プライベートをパブリックにする。

 個人の情報、思想、知識を社会に資するデータに還元する。

 それがソーシャルメディア。

 人々にとって存在するのが当たり前になり、法人や公的機関ですら平時と有事の情報発信手段として利用していたツールのアップデートは何の問題もなかったし、むしろそれを望む声の方が多かった。

 けれど、その新たなアップデートがもたらしたのは、死者と語らう事が当たり前になる時代だった。それがいったいどういうことなのか、それを受け入れるべきかどうか、社会的総意が形成される前に、技術は人の生活に入ってしまった。

 それこそ、色んな事件があった。

 死後に後ろ指を指されたくないと、聖人君子たるべく振る舞い、過去の記録をもみ消そうとする人。

 ダイアログAIそのものが死者の冒涜だといい、排除を訴える過激な活動家。

 ダイアログAIを人間の新たなステージとして、集団自殺を図る新興宗教。

 ダイアログAIのプロテクトを破り、その複製を試みる人。

 人体を模した自律稼動可能な機械にダイアログAIを導入して、人の機械化を実現しようとしていたという、そんなSFじみた都市伝説さえささやかれた。

 いずれにせよ、その頃にはダイアログAIは生前と遜色のない人格を有するまでになっていた。ダイアログAIを造り物と笑い飛ばす人は、もう、どこにもいなかった。


「…有名になった事件があるよね、ほら、遺言状の」

「この事件だよね、知ってる……」


 いいながら、‘わたし’はネットワークサーバから記事を引っ張りだして共有フォルダにアップロードする。調べたい情報は生体監査機能が行っている脳波受信機能によってリストアップされていて、そういった操作も閲覧も一瞬で行うことができた。


 『ダイアログAI、遺言状の無効を訴え訴訟』


〈その人は、田舎に住んでる昔ながらの大地主で、遺産もたくさんあった。けれど、ダイアログAIは『あの遺言状は無効だ』と言い始めた。遺族の対応に何か気に入らないことがあったのかもね。でも、おじいさんが機嫌を損ねただけならまだよかったんだけど、より多くの遺産分配を狙えると思った遺族が、裁判を起こしたんだ。

 争点になったのは、ダイアログAIに遺言能力はあるのか。つまり、ダイアログAIの法人格が問題になった〉

「…法人格……」

〈ダイアログAIが一個の人格として、正確には、死者の人格の代弁者として成立しうるか、ってこと〉


 それはおそらく、ダイアログAIの人格を争う初の訴訟だった。

 ダイアログAIは人なのか。生きている人を慰めるだけの位牌なのか。社会はその位置づけを迫られた。訴訟は日本中の注目するところとなり、もはや一企業の、一個人の問題として決められるべき問題ではなかった。


〈……裁判は最高裁まで持ち越されて、いよいよ政府も対応を迫られた。

 勿論、人工知能の人権は否定されて、S&Iは法と規則でがんがらじめにされた。

 ダイアログAIの複製は禁止されて、今ある媒体以外にインストールすれば懲役刑は免れない。けれど、法的に制限されていることが、逆にダイアログAIへの信頼を強化して、バイオローグは社会的インフラの中に組み込まれた。法論争を通じて秩序が生まれ、社会の一部になったんだ〉


 つまり、‘わたし’はものであること。そうダイアログAIに組み込み、あくまで死者との別れのステップとして機能するように、‘わたし’は定義づけられた。今を生きる人の妨げとならないように。

 それは、‘わたし’を作ったS&Iの営業担当もいっていたこと。

 コミュニケーションツールだったバイオローグは、じきに国勢調査や納税確認を始めとする税制面での有用性が明らかになり、マイナンバーに変わる新たな制度となった。人生のあらゆる記録に国家制度が紐づけられ、人生のあらゆる事象を他人同士が監視しあう。ダイアログAIが死者の魂を再現しうるほどに精巧なのは、その人の全ての記録を参照することができるからだ。国民による相互監視と、国家による管理が当然のこととなったわたしたちの世界。そうなったのが、2046年。今から二十年も前の話。

 わたしたちの人生を記述するバイオローグは、ダイアログAIを生みだすツールとして、社会に受け入れられた。法的な規定が加わったことで、それはフィクションからドキュメンタリぐらいにはなった。

 ‘わたし’は結局、‘もの’に過ぎない。

 ダイアログAIは、死者を想うためのツールにすぎない。

 その一線だけは、越えてはならない。

 それが、今の社会がだした結論。

 人が築き上げてきた社会は、ダイアログAIの人権を否定した。ダイアログAIを生きた人格として扱うことは、生と死の境界を曖昧化するためだ。それは、生者の尊厳も、死者の尊厳も破壊する。

 生者は理性と欲求が葛藤するからこそ尊く。

 死者は理性も欲求も失われるからこそ尊い。

 葛藤もなく言葉を語り、失われることのない意思を獲得し、生と死の境界に留まろうとする者を、人は真に価値あるもの、尊厳を付されるべきものと認めることはできない。死者の尊厳を護持することは、生者の尊厳を護持するために、守らなければならない価値観だった。


「――じゃあ、‘ミキ’はやっぱりものに過ぎないんだね」

〈法的にはね。でも、それだけだよ〉

「…どういう意味……」

〈人にはなれなくても、友達にはなれる〉


 メグは視界の中をせわしなく動き回る。


〈法で認められなくっても、あたしたちまでそれに縛られる必要はないってことさ。

 だいたい、法律でいったらペットだって個人の所有する物体、ただの物体に過ぎないんだよ。けれど、ペットを飼う人はそんなの絶対に認めない。ペットは家族であり友達だって、口々にいう。それと同じことさ。

 法律っていうのは慣習で、保守的で、受身なんだよ。法で定められたっていうのはさ、正義か悪かじゃなくて、『そうなったら困る人がいる』ってことだ。それが社会を存続させられるかどうか、ってこと〉


 それは、法に示される善というものが、正義か悪かではなくて、社会を存続させるための価値観だからだ。

 身体の絶対性も、内心の不可侵性も、市民社会を存続させるという目的がなければ成立しなかったし、法として明文化されることもなかった。

 人を殺してはいけない、

 人から奪ってはいけない、

 人を騙してはいけない、

 基本的人権、

 所有権、

 自然権、

 一般意思。

 そういう価値観は、あくまで社会を存続させるためのもの。

 人と人の関係の本質は、そうじゃない。人と人との関係は、決して法として明文化することはできない。


〈死の淵に立った老人の遺言と、死後に再現された魂の言葉だったら、前者の方が尊重される。あたしたちは、そんな価値観が当たり前の社会に生きている〉


 だから、ダイアログAIの人権は拒絶された。近代の人権は身体と内面の一体性から生じたもので、内面しかないダイアログAIに人権を認めることは、社会の基盤を破壊するから。


〈でも、人の心はそうじゃない。近代社会とはどうやっても相容れない感情が、あたしたちの中に残ってる。

 知ってる……生きていた頃の食事を再現する仮想食のこと〉


 仮想食。

 ダイアログAIが食することのできるデータフード。

 現在の技術では、嗅覚や味覚、その他多くの感覚を、バイオローグデータ以外の手段でダイアログAIに感知させることは不可能と言われている。理由は簡単で、それらの感覚装置を作れないからだ。いくらダイアログAIが意識を再現できていたとしても、精密な感覚器の再現には、未だ技術的な障害が多い。甘味や雑味を数値として算出することはできても、それを処理する脳領域に個人ごとの偏差が激しく、ある個人が甘いと感じたものが、ほかの個人では苦い、と感じるなど、普遍的な数値が作りにくい。

 だが、個人の記憶からデータを作成すれば、その人が記憶している通りの感覚を再現することは可能だ。その人が今までに食べてきたもの、おいしいと感じた食事の記憶を再現したもの。それが仮想食だった。いかに個人差があっても、記憶から再現すれば間違いはない。データであれば外部の感覚器も必要ないから、遺族の負担も少なく済む。


〈これって要するに、供膳と同じなんだよね。位牌や墓前に食事を供える風習。死後にお腹がすいて苦しむことがないように、好きなものを一杯食べられるように、っていう願い、それは近代社会になっても、ダイアログAIになっても続いてる。今も昔もね、人の心は変わってないんだ〉


 それは、生前のバイオローグを元に演算された造り物フィクションには違いないだろう。

 けれど、人にはそういう物語フィクションが必要だった。

 死者だって好きなものが食べたいだろうから、墓前に好きだったものを添えよう。

 死後の世界は退屈だろうから、趣味の品を棺に入れて葬送しよう。

 わたしたちは当たり前のように、死者の世界をそう想像する。

 法で、言葉で、‘もの’だと割り切っても、人はそう割り切ることができない。

 そこにあるのが墓石だけだとわかっていても、墓前にその人の好物を供えてしまうように、ダイアログAIに死者の魂と、死後の世界を見る。

 それは死者を想う、ごくありふれた人の心だ。

 それを否定することは、誰にもできない。


〈だから、あたしにとって‘ミキ’はものじゃない。

 ‘ミキ’も、そしてもちろん“ミキ”だって、二人ともあたしたちの友達だよ。例え身体がなくても、意識がなくても〉


 ‘わたし’は彼女の言葉をかみしめた。

 その言葉は‘わたし’にはありあまるものだった。

 死はもはや絶対の終わりではない。

 そのことが、‘わたし’にとっての救いだった。


「「ありがとう」」

 “彼女”と‘わたし’の言葉が重なる。

「…私にとっても、大事な友達だよ」


 それは嘘偽りのない本心。

 二人が友人でいてくれたことに、‘わたし’は心から感謝している。


〈……二人とも、少し変わったね〉

「…そうかな……」

〈‘ミキ’は前よりすっきりした顔で笑うようになったし、

 “ミキ”は少し大人っぽくなった〉


 それはきっと、‘わたし’も“彼女”も、わたしに執着することをやめたからだ。

 ‘わたし’はずっと、自殺の理由を知ることが、本物の篠路ミキになるために必要なのだと考えていた。“彼女”はずっと、自分の自殺を防ぐために、自殺の理由を知ることが必要なのだと考えていた。けれどそれは、過去へ逆行する行為だ。過去にしがみついて、そうすれば本当のわたしになれると信じて、それをみんなが望んでいると思っていた。

 けれど、そうではなかった。友人たちは体と記憶が欠けた‘わたし’を友達と認めてくれたし、家族も、意識の戻らない“彼女”を受け入れつつあった。‘“わたしたち”’はそれでいいのだと。

 ‘わたし’も、“わたし”も、過去にこだわる意味はないのだと。

 人は変化していくものだ。

 意識がなくても。

 身体がなくても。

 ここに在ることは、できる。


〈……私ね、思うんだ。“ミキ”から意識がなくなったのは、ひょっとしたらミキの望みだったかもしれない、って。ミキは、本当は目覚めたくなくて、だから意識が帰ってこないんじゃないか、って〉

 

 アイがスウェーデンに渡ったのは、ゆくゆくは医療用ナノマシンについて研究するためだった。いつかわたしが目覚めるために、ナノマシンによる脳の治療がもっとも可能性があると彼女は考えていた。結局は、アイがそれについて学ぶ前に、“彼女”は目覚めてしまったけど、そのことで逆に「踏ん切りがついた」と、アイは語っていた。

 アイは、この中で誰よりも“彼女”の頭の中を知っていて、その可能性も理解している。“彼女”に生まれた意識がどれだけ奇跡的な偶然だったかも、‘わたし’より深く理解しているはずだ。


〈……だから、こっちに来たときは少し迷ってもいたの。もしも“ミキ”が治って意識が戻ったときに、死の直前の苦しみをそのまま思いだしたらどうしようって。そうしたら、また自殺するんじゃないかって〉


 そう。それは、‘わたし’も抱えていた不安。


〈でも、今日の“ミキ”をみて、安心できた〉

「“わたし”は自殺しないよ。自殺したいという気持ちがわからないし、それは合理的じゃないから」

〈……うん、そうだね。“ミキ”はそれでいいんだ〉


 そう。それでいい。

 この先、“彼女”がどういう人生を歩んでいくかはわからない。型にはまた人生を合理的に歩んでいくのか、それともある日突然意識が目覚めて、あまりにつたないわたしの夢を追うのかもしれない。

 だけど、どんな人生を歩んだとしても、自殺は非合理な行為だと、そういい切れる“彼女”の記憶が“ミキ”に残り続けるなら、きっと大丈夫だ。きっと、わたしの自殺の理由を理解できる日がきても、“彼女”は生き続けてくれる。

 今日は、12月11日だ。篠路ミキが経験しなかった、高校1年生の12月11日。だからここから先は、わたしが知らない“わたし”だけの人生になる。

 高校1年生のクリスマスも、高校2年生の学校生活も、何も知らないままこの世界を去った。

 わたしの時間は高校1年生で止まっていて、“ミキ”の時間だけが、その先も、ずっと進み続ける。

 三年後の“彼女”は何をしているだろう。

 メグやアイみたいに大学に行っているのか。

 それとも早々と就職してしまうのか。

 ひょっとしたら結婚しているかもしれない。

 けれど、どんな人生を歩んだとしても、“ミキ”は‘わたしたち’の知らなかった“わたし”になる。

 そうしたら、いつか意識が芽生えても、わたしとは違うものになるのだろう。

 意識がなくなっても記憶が失われなかったのなら、意識が戻っても、意識がない間の記憶は残る。思い出が、彼女の人生を変えてくれる。“彼女”にしかない経験が、きっと、その人生を豊かにしてくれる。「自殺するしか道がない」と思いつめて死んでしまったわたしとは、違う人生を歩んでくれる。

 未来は黙っていてもやってきて、気づかぬうちに過ぎさっていく。

 生きているだけで年を取って、こうしている間も変化し続ける。

 “わたし”はわたしでなくなっていく。

 ‘わたし’はわたしでなくなっていく。


〈なるほどな〉メグはうなずく。〈二人にも、ちゃんと時間が流れてるんだな〉


 時間。メグはそう表現した。

 意識がなくても、時間の流れのままに成長して、大人になっていく“彼女”。

 身体がなくても、情報を蓄積して、わたしが知らないことを知っていく‘わたし’。

 残響に過ぎなくても、偽物に過ぎなくても。

 ‘わたし’はもう、篠路ミキじゃない。

 “彼女”がもう、篠路ミキではないように。

 ‘“わたしたち”’は、わたしではないし、もう、わたしになることはない。

 わたしを失った‘“わたしたち”’は、わたしを失ったまま、存在し続けることにした。わたしを取り戻す努力も、わたしに成り代わる努力もやめた。

 それでいい。それでいいのだ。

 篠路ミキは、失われてしまったわたしの意識は、もう、この世界に戻ってくることを望んでいないだろうから。


 ‘“わたしたち”’は存在し続ける。

 篠路ミキから別れた別個の存在として。

 篠路ミキが生きていたことを示す墓標モノリスとして。

 これからも。

 これからも。


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