わたし、‘わたし’、“わたし”。

雪星/イル

0.‘“わたし”’



 ‘わたし’の同居人は、少し変わり者だった。


「ただいま、‘ミキ’」


 部屋の扉を押し開けて、“彼女”は‘わたし’の名前を呼ぶ。

 部屋の中をおおまたに歩いて、一歩、二歩、三歩で定位置のベッドの端。

 椅子に座って足を組む‘わたし’の目の前で、“彼女”はベッドに腰を下ろす。

 肩口で切りそろえたセミロングの髪に鳶色の瞳。

 化粧っけのない肌。

 そこそこ整った顔立ち。

 柔和な笑み。

 それが“彼女”の外見。

 特徴らしい特徴のない、外見だけなら至って普通な女の子。

 特筆すべきことがあるとすれば、わたしよりも少し背が高いという事だ。

 二年間ほど病院にいた“彼女”は、その間にすっかり美しく痩せてしまって、すらりと伸びた手足は細く、本当にわたしと同じ人間なのかと勘繰りたくなるほど、均整の取れた体つきをしている。

 ‘わたし’の同居人。

 ‘わたし’が知る限り、この世でもっともおかしな“変わり者スプーキー”。

 なぜ“彼女”が変わり者かって、‘わたし’が“彼女”の特徴を指摘したらそれこそ枚挙に暇がないのだけど、一つ挙げるとすればその容姿だった。

 “彼女”はいつも必要最低限の化粧しかしない。

 拡張現実Augmented Realityが出現してから、化粧の類はほとんど必要なくなった。傷んだ肌や小さい瞳が恥ずかしいなら、自分の理想を体現した拡現ARモデルを重ねればいい。今の拡現ARの解像度は、非現実と現実を見分けるのが困難なほど精巧に作られているから、拡現を肌に重ねれば誰だってその欠点に気づけない。

 けれど“彼女”は、その便利な拡現ARも、スキンケアもコンシーラもファンデーションもアイライナーも使わなかった。

 “彼女”には、見栄を張りたい相手も、自らの容姿に悩むこともなかったから。

 “彼女”は虚飾にまみれた世界の中で、あまりに自然体だった。

 自然体でありすぎた。


“それは生きるために必要なことなのかな。”


 “彼女”はいつだってそういって小首をかしげる。そんな言葉を呟く“彼女”と‘わたし’の部屋は、すべてわたしの私物で埋め尽くされていて、その中で“彼女”が手に触れたものといえば、本当に僅かなものばかりだった。

 服。

 学生鞄。

 ポーチ。

 ベッド。

 たまに机と椅子。

 そして本。

 ‘わたし’が“彼女”に朗読を頼まなければ、“彼女”は机の横にある本棚にだって指一本触れなかっただろう。

 わたしの部屋で、わたしのベッドで、わたしの生活リズムそのままに、‘わたし’と共に生活するようになった“彼女”。

 “彼女”は、一冊の本を無造作に‘わたし’の前に置く。

 ‘わたし’は本のタイトルを読みあげる。それはこの国に住んでいれば誰もが知っている著者で、誰もが読んだことのある小説で、誰もが理解している物語だった。タイトルさえ聞けば、ああ、あれね、と理解できる、そんな話。教科書にだって乗っている、はずだ。

 わたしが知っているのだから、“彼女”だって知っている。

 もう何度だって読み返して、中学2年生の読書感想文の評価だって満点だった。

 けれど、今の“彼女”には、もうその時のような感受性は残っていない。


「今週は、‘あなた’に言われた通りこの本を読んでみたけれど」

「…うん、どうだった」

「それが、どうしてもわからないんだけど、」

 ”彼女”は首をかしげ、

「なんでこの人達は自殺してしまうのかな……」


 この感想も予想通り。だから‘わたし’はこう答える。

 ええ、それはね、“篠路ミキ”さん。


「…それを考えるのが、今日の宿題だよ」




 宿題。

 ホームワーク。

 トレーニング。

 ‘わたし’は同じ家に住んでいる同居人にそれを課している。

 課題は週に一回。まだ紙の本を扱っている図書館から借りてきた小説を一冊だけ読んで、その感想を教えてもらう。

 ライトノベル。

 SF。

 恋愛小説。

 ミステリ。

 サスペンス。

 ノンフィクション。

 現代小説。

 古典的名作。

 ジャンルはなんだってかまわない。‘わたし’が本を選ぶこともあれば、“彼女”が無造作に本棚から引き抜いた本を読むこともあった。“彼女”が本を読むのはいつだって部屋の中で、“彼女”は部屋の真ん中で退屈そうに足を組んでいる‘わたし’に気兼ねすることなく大声で朗読してくれるから、‘わたし’がわざわざ読まなくても理解できる。

 けれど、“彼女”の朗読はあまりにも下手っぴだった。

 言葉に不慣れな外国人だって、あそこまで下手な朗読はできないだろう。

 例えば、主人公が病床の父を思い煩うシーンを”彼女”はいつもの無邪気な調子で読み上げてしまう。悲壮感も緊迫感もへったくれもなくて、下手をすれば抑揚どころか発音さえあっさり間違えて、文章の意味そのものが変わってしまう。

 そもそも“彼女”は、登場人物の気持ちというものを理解できていなかった。

 だから、発言や描写を予測できない、人物の情動を理解できない。

 女性と親しくする友人をみて嫉妬する男の気持ちも、友人が気になっていた女性と結婚すると知り自殺を選ぶ男の気持ちも、”彼女”には理解不能な衝動だった。


 Q.なぜ『先生』は主人公に手紙をだしたのでしょう。

 A.わかりません。

 Q.『先生』の言葉はなぜ友人を傷つけたと思いますか。

 A.“わたし”は今、友人が傷ついていたことをはじめて知りました。


 そう、笑顔で答える“彼女”を、変わり者スプーキー以外の言葉でどう表現したらいいのだろう。お手上げのジェスチャーで示したのは、”彼女”には情感を含めて読むことも、文脈や行間を捉えながら読むことも、不可能であると理解した‘わたし’の賢明さだ。


 オーケー、我が同居人。

 次からは全部棒読みでけっこうです。


 それ以降の音読は可もなく不可もなく。

 もちろん、根本的な解決は後回し。

 そんな“彼女”の国語の点数はいつだって赤点ぎりぎりの低空飛行で、四分の一の確率で正解できる択一問題や古典や漢文の言葉の意味のような決まりきった答えのある設問でどうにかハードランディングを防いでいた。‘わたし’の目からすればそんなものは、不時着も同然だったけど。

 だから‘わたし’は、この宿題を始めることにした。

 変わり者の“彼女”に、いかにして登場人物たちの心情を理解させるか。それが今の‘わたし’の課題だった。

 ‘わたし’は知っている。

 “彼女”は大事なものが欠けていて、

 その体は容器で、

 その体は残響で、

 その体は脱殻だった。

 それが欠点なのか利点なのかはよくわからないけれど、それがいつか、“彼女”が生きていくうえで障害になるかもしれない。だから‘わたし’は、”彼女”が一人でも生きていけるように、こうしてお節介を焼いている。


「だってそんなの、どこにも書いてないじゃない」

「…書いてないこと、正解のないことを想像するのが大事なの。

 行間、って、知ってるよね……」

「知ってる。けど、わからない」


 あっけらかんと。

 “それの何が問題なの”といわんばかりに、“彼女”の表情は朗らかだ。

 “彼女”は一切悩まない。

 考えないし、何かに思いつめることだってしない。

 ‘わたし’が問題だと思っている“彼女”の欠陥だって、

 けれどこれは、“彼女”自身は特に問題だとも、何とも思っていないのだろう。

 そう。そうだ。これは‘わたし’の自己満足。“彼女”はこんな宿題に何一つ意味を見いだしていない。他者の感情を想像することも、理解することも、共感することも、共有することも、“彼女”は価値あることと思っていない。

 そんなものがなくても、“彼女”は他者を心の底から思いやることができたし、

 そんなことを知らなくても、“彼女”はもっとも正しい選択を行うことができた。

 それが必要だと思っているのは‘わたし’だけ。付き合ってくれているのは“彼女”の方だって、そんなことは‘わたし’が一番よくわかっている。

 思考。意識。意思。

 選択を歪めるような要素は、“彼女”の決定に介入しない。

 存在しないのだから、介入する余地がないし、

 介入する余地がないのだから、存在する理由もない。

 “彼女”は何も考えていないし、何も思っていない。

 “彼女”は何も知らないし、何も識らない。

 “彼女”には感情がなかった。

 “彼女”には意識がなかった。

 “彼女”には、心がなかった。

 “彼女”はそこにいて、彼女はどこにもいない。

 それが今の“彼女”。

 “篠路ミキ”という名前の少女。

 そして‘わたし’は、その同居人。

 この部屋から動くことができない‘わたし’にとって、“彼女”との対話だけが、‘わたし’の存在する意義で、理由で、目的だった。だから、‘わたし’は“彼女”との対話を望んでいる。お節介だって焼くし小言だっていう。それを“彼女”が望んでいるわけではないと理解していても、‘わたし’は“彼女”との会話を続けている。

 目的はもちろん、“彼女”のために。


「ねえ、たまには、‘あなた’が読んでみてよ」

「…それじゃあ、“ミキ”の練習にならないでしょ」

「ほら、ここからおねがい」


 “彼女”は‘わたし’の言葉にもおかまいなしで話を進めるものだから、‘わたし’はやれやれと肩をすくめながら、“彼女”が広げたページに目を通す。


「…ここからじゃ読めない。もっとこっちに近づけて…うん。これなら大丈夫」


 そこで‘わたし’はふと気づく。そういえば、わたしは朗読が得意だっただろうか、不得意だっただろうか。

 これで‘わたし’の朗読が、あまりにもつっかえつっかえでたどたどしいものだったら笑えない。しかし、例え得意であっても、不得意であっても、“彼女”よりはましなはずだ。

 ‘わたし’は視界に収めたその文章を、一文ずつ朗読し始める。

 今は午後4時。夕食の時間までには、一冊読み終えることができるだろう。




 そうして、時計の短針と長身がちょうど正反対の文字盤を指し示した頃、“彼女”は不意に立ち上がった。

 午後6時は我が家の食事の時間。その習慣は今も変わっていない。

 ‘わたし’は“彼女”の朗読攻めが終わって、ようやく一息つくことができた。理解もできないのに“彼女”は‘わたし’の朗読を持て囃して、気を良くした‘わたし’はついつい全文を読み終えてしまっていた。“彼女”への宿題は、食事の後になるだろう。


「またあとで」

「…早く戻ってきてね、友達がくるんだから」

「8時だよね。わかってる」


 その言葉を合図として、

 観測者がいなくなり、‘わたし’の身体は、瞬く間に透けて、消える。

 拡張現実は現実には存在しないものを存在するかのように見せるもの。現実を少し押し広げたもの。拡張現実上に展開されるものは、それを観測する人の認識の中にしか生じない。”彼女”という観測者を失った‘わたし’は元のあるべき姿に戻る。


 ‘わたし’の姿。


 机の上に置かれたデジタルアルバム。


 白地に桜の花の文様をあしらった、うすくて軽いパンフレット型の筐体。


 何の変哲もない、ただの電子端末。


 これが‘わたし’。

 ‘わたし’という自我を生みだす装置。‘わたし’を演算するための装置。

 ‘わたし’がどうしようもなく物体で、どうしようもなく死んでいることの証明。

 わたしという存在のモノリス。

 “わたし”には意識が欠けていて、‘わたし’には肉体が欠けていた。

 そう。例えるなら、‘わたし’は式だ。

 わたしという存在、わたしという人生を一つ一つ数値に変換して構成された、この世にただ一つだけの公式だ。もう2度と変化する事がない、完結してしまった公式だ。

 オンオフの二進法の世界でのみ存在する事が許された、わたしの記憶、わたしの断片、わたしの残骸をかき集めた、わたしを導きだすための、わたしによるわたしの記述ログ

 それが‘わたし’。

 ‘わたし’という存在の証明。

 ‘わたし’。

 ‘わたし’は、苦悩している。

 もはや苦悩を覚える必要のない身になったにも関わらず、‘わたし’という存在は、かつてわたしであった頃と同じように苦悩を抱えている。

 わたしという人間の結末が、どのようにして算出されたか。“わたし”は、どのようにして生まれたのか。‘わたし’は、これを一体どのように説明するべきなのか。

 けれど、‘わたし’は、それを語らねばならない頃にきている。

 だから、これから話をしよう。

 わたしと、‘わたし’と、“わたし”について。

 篠路ミキという人間について。

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