読めない本、ココに在りマス

月ノ瀬 静流

『物語』は終わらない

 この物語はフィクションです。

 時々、妙にリアリティに溢れていたとしても、それは『取材』の賜物です。

 声を大にしていいますが、これは私小説ではありません。フィクションです。


 ――息子よ、オタクな親でスマン。




 今回、俺は『読めない本』という、お題小説企画に参加することにした。

 参加者は顔も名前も知らない人たちばかりだ。ネットなんだから当然だろう――というくだらないツッコミはさておき、実のところ、俺のことを知っている人は、ほとんど居ないはずだ。

 というわけで、自己紹介代わりに、俺が企画参加を決意するまでの経緯を話そうと思う。


 おい、そこのオマエ、ブラウザバック禁止! とりあえず、ここまで読んじまったんだから、ちょっとくらい付き合え! ……お願いだから。ここで帰られたら寂しいじゃないか。



 ある日、俺が仕事から帰ってきたら、小学三年生の次男の部屋の電気がまだ点いていた。時刻は、ちょうど夜の九時半を回ろうというところだった。

 うちのルールでは、子供は九時に寝ることになっている。まぁ、小学校中学年になったことだし、俺も嫁も『本人の自主性に任せて』、多少は目をつぶっている。(というのは建前だ。あんまり『時間にきっちり』をやると、あとでこっちが自分の首を絞めることになるからだ)

「おーい、いい加減、寝ろよー」

 様子を見に部屋に入ると、次男はパソコンで『動物オモシロ動画集』を見ていた。

 今まで、子供向け学習サイトしか知らなかった奴が、動画サイト? いつの間にそういうのを覚えたんだ――と、俺は少なからず、ドッキリする。

 そのうち、を覚えるんじゃねぇだろうな? 子供の吸収能力ってのは恐ろしいからなぁ(ワンクリック詐欺に引っかかっても慌てるなと、指導しておかないと……)。

 よその家ではどうか知らないが、うちは子供がパソコンを使うことに寛容だ。なぜなら、親の俺が日常的にパソコンに張り付いているような人だからだ(って言っても、半分は会社から持ち込んだ仕事をしているだけだぞ!)。

 ついでに言えば、俺は趣味でパソコンを組み立てる人で、次男が使っているパソコンは、俺のお古の筐体にマザーボードとCPUを新しくして……って、これはどうでもいいか。まぁ、もともとは、嫁がナントカって学習教材をさせるために、次男用のパソコンが欲しい、ってことだったんだけどな。

「これ見終わったら寝るー」

 ディスプレイから顔も動かさずに、次男はそう答える。その次の瞬間、ヤツは腹を抱えて爆笑し、ひとしきり笑い終えた後でこちらを向いた。

「お父さん、これ! ええとね、この犬がね……」

 無邪気な顔して解説を始める次男の頭を、俺はとりあえず、ぐりぐりと撫で回した。

「『おかえり』のひとこともナシかい?」

「……あ。おかえりなさい……」

 目に見えてしょぼんとする次男は、まだまだ可愛い。今年中学に入った長男の方は……っと、愚痴はやめよう。

「ほら、動画終わったろ。寝ないと――」

 やめないなら強制終了だぞ、と、手を伸ばしかけた俺の目に入ったものは、ディスプレイの中の犬ではなかった。

「おまっ、この本!」

 そう、それは、次男の机の上に載せられた一冊の本――。

「え? 学校で借りてきたやつだよ。すっごく面白いんだよ。主人公は探偵でね」

「違う! 作者!」

「え? そんなの見てないよ」

「『そんなの』は、ねぇだろ!」

 子供相手に声を荒らげながら、俺はその本を手にとってページをめくった。

 小学生向けの本だけあって、漢字にはことごとくルビが振ってある。だが、紛れもなくこの文体は……ってほどには、俺はこの作家に詳しくないけど、それでも期待を込めて、後ろにある著者紹介を開く。

「ああ……」

 間違いない。俺が高校生のとき、親友のアイツに借りて読んでいた、あのシリーズの作者だ。

 ――俺とアイツは、共に作家を目指していた。

 と、書くとカッコいいが、俺たちは単に『物語』が好きだっただけだ。

 次の巻の予想しあったり、気に入らない展開には作者をこき下ろし(若かったな)、オリジナル展開を語ったりしていただけだ。それが高じて、それぞれの物語を作るようになった。

 だから、そうだな。「作家を夢見ていた」ってあたりが、ちょうどいい感じだ。本気で作家になるつもりじゃないかもしれない。でも真剣に物語を作るのが好きだった。

 二人共、好きな作家の本は買い漁って読んだし(小遣いの八十%は本代、後は買い食い)、読み終わったら互いに貸し合っていた。そして、この作家の本はアイツの担当。アイツと大学が別々になってから、借りて読むことがなくなってしまい、気付いたらいつの間にか新刊を見かけなくなっていた。

 栄枯盛衰の激しい世界だ。まぁ……やっていけなかったんだろう。そう思っていた。並べるのはちょっと違うかもしれないけど、俺だっていつの間にか筆を折り、会社員をやっているんだから。

「まだ、書いていたんだ……」

「お父さん、この本、知っているの?」

「この話は知らないけど、この人の書いた別の本を、昔よく読んでいたんだ」

 詳しい内容は忘れてしまったけれど、この作家の得意とする温かい雰囲気はよく覚えている。俺が一番好きだったあのシリーズは、この作家の文庫デビュー作で、やはり新人のイラストレーターと組んでいたっけ。

 児童文学に転向していたのか。ああ、確かに、しっくりくるな。そうか。そうだったんだ……。

 俺の口から、深い息が漏れた。

 この感情はどう表現したらいいんだろう。アマチュア作家を気取っていたくせに、いい言葉が見つからない。

 古い友人にあったような気持ち?

 そうじゃないな。ただ懐かしいだけじゃない。もっと苦しくて切ない。正直に白状すれば、いい大人がカッコ悪いけど、俺は涙ぐんでいた。

 ……俺は、嬉しかったんだ。

 嬉しすぎて、泣きたくなった。

 俺は、『物語』が好きだ。『物語』を書く人も好きだ。

 もう断筆したと信じていた作家が、物語を書き続けていた――それだけで感動ものだ。

 しかも、だ。その作家の物語を、俺の息子が夢中になって読んでいるというのだ。

 ロマンじゃないか!

『物語』は終わらない。書く人がいて、読む人がいる限り、あのワクワクは途絶えない――!

「ねぇねぇ、お父さんが読んでいたの、どんな話?」

 自分の世界に入り込み始めた俺を、次男のキラキラした目が呼び戻した。『物語』に食いついてきた息子に、お主やるなと、心で褒める。

「冒険の話だ」

 物語に引き込むには、冒頭は簡潔に――それが俺のセオリー。

「どんな冒険? 面白い?」

 よしよし、良い感じに乗ってきたな。

「ムチャクチャ面白かったぞ! 詳しい冒険の内容は忘れちまったけど、キャラクターがいいんだ。主人公は冒険を始めたばっかり。凄く弱いんだ。でも、同じような冒険初心者とパーティを組んで……」

 ああ、駄目だ。俺が夢中になっている……。

 と、思った次の瞬間、次男の言葉に俺は耳を疑った。

「あ、その話! 電子図書館にあったかも」

「な? なにぃ? ってぇいうか、お前が『電子図書館』?」

「うん。会員は、好きに読めるんだよ」

「はぁ?」

 馬鹿みたいに口を開いたままの俺の前で、次男がパソコンをいじる。開いたのは、ナントカって学習教材のウェブページ。ああ、会員って、そこの会員ってことか。

「探偵のシリーズで、学校にない巻は電子図書館で読んでいるんだ。で、同じ人の本は並んで表示されるから、お父さんの言った本のあらすじを読んだことある」

 そうして、次男が開いたページには、俺の記憶通りの、新人イラストレーター(当時)の描いた、あの表紙イラスト。

 ああ、なんだよ、もう。これ、高校生が読んでいた本だぞ。それを小学生が読んでいいのかよ――いや、面白いから別にいいんだけどさ。

 俺は吸い寄せられるように、次男のマウスに手を伸ばす。

 クリックの感触は、ページをめくる感触とはまるで違うけれど、そこには俺がかつて夢中になった世界が広がっていた。――当然、漢字には、ことごとくルビが振ってあったけれど。

 時代は電子書籍かよ。変わったなぁ……。なんて思いながらも、俺は変わらない世界を感じていた。

「僕、今度、この本、読んでみようかな」

「おう、読め読め! 絶対面白いぞ!」

「うん」

「ああ、こいつを面白いと思えるなら、お父さんの秘蔵の本を貸してやろうか?」

「なになに?」

 高校時代から今までに、俺は何度か引っ越しをしたけれど、その際、捨てようと思っても捨てられなかった段ボール箱がある。それは、俺があのころに読んでいた本の山。うちに数箱。実家の物置には、もっとたくさん。嫁や母に肩身の狭い思いをしながらも、それは俺の宝物だった。

「どんな話?」

「いっぱいあるぞ。俺が一番、好きだったのは世紀末を舞台にしたバトル物で……」

 ……二十一世紀生まれの次男に『世紀末』は、ピンと来ないか。凄く好きな物語だったけど、もうとっくに絶版になっている。

 それでも、俺の口は止まらない。

「話の始まりは、こうだ――」

 今でも空で言える冒頭の一文。繰り返し、繰り返し、何度も読んだっけ。この作家の真似をして、随分書いたものだ。著作権の都合上、ここに冒頭の文章を書くわけにはいかないけれど、物凄くカッコよかったんだぜ。

 次男の関心を逃さぬよう、俺は言葉を巧みに操って、俺が好きだった物語を語る。こうやって読者を惹きつける技を、俺は親友のアイツと研究していたんだ。

 一番好きだった物語から、二番目、三番目と、一体いくつの話をしただろうか。俺のマシンガンオタクトークは止まらない。次男は楽しそうに聞いていたものの、次第に目がトロンとしてきた(しまった、寝かさないと)。

「お父さん、なんで、そんなに本に詳しいの?」

 不意に、次男があくび混じりに聞いてきた。

「そりゃ、お父さんも物語を書いていたらな」

「え? 何? お父さん、作家だったの?」

「違う、違う。趣味で書いていただけだ」

「ふぅん。僕、お父さんの書いた話、読みたいな」

「…………え?」

 黒歴史といわれる作品の数々は、もうとっくに失われている。少なくともノートに書いたものは確実にない。そして電子化されたものは、今とは違うフォーマットのフロッピーの中だ(昔はどのパソコンにもフロッピーディスクドライブが付いていたんだよ!)。

「もう……なくなっちゃったなぁ」

 あのフロッピーも捨ててはない。捨てられやしない。あの段ボール箱の中に封印されている。

「もう、書かないの? お父さんのお喋り、面白いもん。お父さんが書く物語も、きっと面白いと思うな」

 その言葉は、俺の心臓のど真ん中に飛んできた。

 子供相手のキャッチボールで、適当に手加減して投げていたら、思わぬ速球がいいところにドンピシャリと返ってきた、そんな感じだった。

 ――もう、書かないの?

 簡単に言ってくれるなよ。

 だいたい、書いたところで、俺の書く物語って、小学生に読ませていい内容か?

 動けなくなってしまった俺を救ったのは、嫁の「いい加減に寝なさい! あなたもいつまで喋っているんですか!」という至極まっとうな怒声だった。



 俺は、『物語』が好きだったんだ。

 次男と話していて、改めてそう思った。

 寝る前のネットサーフィンをしながら、俺はふと思い立ってアイツからのメールを探す。

 高校時代の親友だったアイツとは、もう何年も逢ってない。年賀状だけの付き合いだ。その年賀状すらも、リアルな葉書でななく、近年はいわゆる「あけおめメール」になっていた。


『あけまして、おめでとう。

 すっげぇ、久しぶりだな。毎年、今年こそ逢おうぜ、って書いているけど、さて今年はどうなるだろうな? まぁ、そう言っているうちは駄目なんだろうなぁ』


 相変わらずの、アイツの言葉。

 けれど、今年のメールは最後が少しだけ違っていた。


『また小説を書き始めた。ネットにあげている。よかったら感想くれ』


 あけおめメールは、小説投稿サイトのマイページURLで締めくくられていた。

 このメールを読んだとき、正直、俺はアイツも暇だなぁ、と思った。物語を作る労力がどれほどのものか、俺はよく知っている。

 せっかく教えてくれたんだからと、早速リンクを開いたところで、確か、嫁が「餅が焼けたよ」とか呼びに来たんだっけ? お正月だったからな。後で読もうと思っているうちに、すっかり忘れていた。

 俺は、今、再びアイツの物語世界へのページを開く――。

 ……物凄く文章力が上がっている、と思った。パッと見たくらいじゃ、その辺の本と変わらない。構成も丁寧だ。無駄がない。頭を使ってキッチリ組み立てられているのが分かる。仕事で結構な量の報告書を書いているんだなぁ、と、なんとなくアイツの日常が垣間見えて、ニヤリとした。

 けれど――若い頃の勢いがなくなっていた。展開が平凡だ。意外性がない。はっきり言って、つまらない。俺だったら、もっと面白いものを書く!

 俺には、まだまだ書いていない、たくさんの面白い物語があったんだ――いや、今だって、る!

 ――それらは、俺の中に封印されたまま、ずっと忘れられていた。

 ――それらは、存在しない物語だから、誰にも読まれることがなかった。

 書く人もいなければ、読む人もいない。

 ……それは、『物語』の終わりというんじゃないのか――?

 俺の目は、ただじっと、ブラウザ上のアイツのマイページを映していた。

 やがて、ディスプレイの輝度が下がり、パソコンがスリープモードに入ろうとする。

 ……書いてみようか、再び。

 俺の手がマウスに触れると、ディスプレイがパッと目を覚ます。

 マウスポインタがディスプレイ上を滑り、ユーザ登録ボタンがハイライト表示になった。

 ココに、俺の『物語』を残していこう――。

 まぁ、実のところ、俺の物語を読む人がどれくらいいるか分からない。

 けれど、次男がもう少し大きくなるまでネット上で待っているのも悪くないんじゃないか? 今はまだ、俺の物語を小学生に読ませる勇気がないんでね。



 と、まぁ、こんな感じで俺は小説投稿サイトに登録し、知り合いがいないのも寂しいから企画に参加してみよう、と思いたったわけだ。

 どうだ? 自己紹介を兼ねた、お題消化、見事だろ?

 あぁ? 分かりにくいって?

 仕方ねぇな、じゃあ、もう一回言うぞ。 

『読めない本』っていうのは、『これから俺が書く物語』のことだ。まだ俺の頭の中だけにあって、読者には読めないから、『読めない本』だ。

 ……そりゃまぁ、書籍化とか、そんな予定はないけど、今の時代、電子書籍も立派な本だろ? 電子化されたデータを『本』って言うのなら、俺の書く無料のネット小説だって立派な本じゃねぇか。

 何? オマエも小説を書いているって?

 ああ、分かったよ。それなら、オマエがこれから書く物語も、『読めない本』ということにしておいてやる。

 ということは、つまり、俺が見ているこのディスプレイの向こう側には、無数の『読めない本』が広がっている、ってことだなぁ。

 ――けど、それはいつか、『読める本』になる。

 俺の物語をオマエへ、オマエの物語を俺へ――。

 お互い、やれるところまでやってみようぜ?


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