純白 ―1対1―

 

 ねえ、お兄ちゃん――お花畑って知ってる?


 見て見て! ほら、この本!


 お花畑にはいろんなお花がたくさん咲いてて、お空はとっても青いんだって。

 

 わたし、一度でいいからお花畑に行ってみたいな――。


 



 あのとき、俺が見上げた空は灰色だった。


 花畑どころか、一本の花すらほとんど見なくなったこの世界で――。

 俺は約束した。いつか、その絵本の中と同じ景色を妹に見せるって。



 ◆   ◆   ◆

 


 一閃。

 

 天地逆の視界を鮮血が覆う。

 グレーのジャケットを返り血に染めた少年が音もなく着地。手に持ったコンバットナイフの血を鮮やかに払う。同時に、少年の後方で頸動脈を切断された兵士が物言わぬ骸となって倒れた。


 そこは見渡す限り純白の世界。そこにあるのは区切られた空間、そして、生者と死者。自然界には決して存在しない純粋な白で染め上げられたその場所は、かつて少年が血を分けた妹と共に脱し、去った場所――。

 

 『国家』が秘匿する軍事研究施設――。

 

 黒いキャップを目深に被った少年の表情は窺い知れない。ただフードの端から除く少年の金色の髪が、純白の屋内と、無数の兵士の流した鮮血の赤に仄かな彩りを加えていた。





「――時間切れか」


 血の海の中立ち上がる少年。その背に声。


 銃声。


 少年は振り返らない。咄嗟に飛び退き、空中で回転しながらファイブセブンを引き抜くと、背面めがけて発砲。だが遅い。少年の肩口が放たれた弾丸に切り裂かれる。

 

 少年は銃を握った手で地面へと着地、そのままの勢いで側宙回転。少年の瞳は今度こそターゲットを捉える。少年は空中で上下逆の姿勢になりつつ二丁目のファイブセブンを抜き放ち発砲。しかしターゲットは動じない。ほんの僅かに半身を引いて、放たれた弾丸全てを紙一重で回避、ターゲットの顔に笑みが浮かぶ。


「妹を助けたいんだろ?」 


 ターゲットの男――黒いロングコートに二丁のデザートイーグル。そしてデザートイーグルを扱うに相応しい大柄で鍛え上げられた体躯を持った、黒髪の男――。



「――三日前に倒れた。目を覚まさない」



 少年は銃を構えたまま、その双眸に痛恨の色を浮かべ、答えた。

 

「当然だ。お前の妹はこの施設以外では長く生きられない。そうなるように、俺達が処置を施した」



「お前らが――エアをッ!」


 少年の青い瞳、その瞳孔が開く。

 引き金にかけられた指に力がこもり、大気が震える。



「今俺を殺せば、妹を救う手段も消えるぞ」


 少年の指が止まる。だが大気の緊張は消えない。それどころか、より張り詰め、まるで熱を持ったかのような錯覚すら覚えるほど。


「教えろ。妹を――エアを助ける方法をッ!」


 叫び。並の精神では正気を保つことすらできぬほどの殺気が放たれる。その殺気を正面から受け止め、コートの男は頷き、口を開いた。


「――俺を倒せたら、な。一度、お前とは本気で殺し合ってみたかった――」

「――ッ!?」


 先を取ったのはコートの男だった。少年には焦りがある。最愛の妹。今も苦しむ彼女を救わねばと言う気負いもあった。それが彼の判断を鈍らせた。


 跳ね飛ばされる少年。衝撃は腹部。焼け付くような痛みが全身に広がり、少年の額から大粒の汗が流れ落ちる。


 コートの男は着弾を確認することもせずに突進、加速。少年との距離を詰め、超至近距離から右手に持ったデザートイーグルを振り下ろす。少年は至近距離での交戦を避け、バク転と共に男の顎先を蹴り上げで掠めると、着地と同時にファイブセブンを発砲。しかし男もその弾丸を神速の旋回で回避。旋回の終り際、少年めがけて再度発砲。少年の弾丸と男の弾丸が寸分違わず空中で激突。対消滅する――。



 戦う二人の距離は吐息すらかかるほど。



 通常ではあり得ない超至近距離での銃撃戦。時には殴打、時には蹴り、時には関節を狙った肉弾戦と、一撃必殺の弾丸が交錯する死界領域。それは、二人以外の誰も間に入ることができない、二人だけの世界、二人だけの瞬間――。


 デザートイーグルとファイブセブンが互いの主を狙って交錯し、旋風と旋塵の中で10を越える銃火が瞬く。


 装弾数ではファイブセブンが圧倒的に有利だ。少年は死線ギリギリの接近戦で弾丸をやりとりしつつも、冷静にデザートイーグルの残弾を計算する。


 だが――。


 均衡が崩れる。黒と灰の嵐から少年が弾き飛ばされる。


 連戦による疲労。そして先制の一撃。それが二人の明暗を分けた。


 体格において圧倒的な差を持つ男の前蹴りをまともに受け、二度、三度と地面をバウンド。純白の壁面に叩き付けられる少年。激しくむせ返る彼の吐息に鮮血が混ざる。


 コートの男は追撃の手を緩めない。確信があった。自分の勝利。相手の死。



 男は、少年に憧れていた。



 自身が敗れれば、本当に少年の妹を助ける方法を教えるつもりだった。全ては、たとえ一時とは言え、自らの守るべき者と共に自由を手にした少年への尊敬の念――。


 だからこそ、最期にかける言葉はいらない。


 全身全霊で少年の命を奪う。

 それが、男がこの世でただ一人強さを認めた相手への礼儀――。 


 発砲。それは男の持つデザートイーグル。

 その弾倉に残っていた最後の弾丸が少年めがけて解き放たれる。解き放たれたそれは、寸分違わず少年の眉間へと吸い込まれる――はずだった。


 銃声。それは二度。


 その口から血を流し、霞む瞳で目標を定めた少年の銃口から、二発の弾丸が解き放たれる。弾丸は完全な直列配置を成して加速。音速を超え、一発目の弾丸が男の放った弾丸に直撃。双方はね飛ばされ虚空に消える。そして残った最後の弾丸は、勝利を確信した男の首を、まるでスローモーションのように静かに、そして確実に撃ち抜いていた――。





 ぽっかりと空いた黒い穴。そこから赤黒い鮮血と、もはや肺に届くことのない大気が血の泡となって零れ落ちていく。



 見上げる男。見下ろす少年。勝負は、決した――。



「――あんたが、教えてくれたことだ」 



 少年は、死の間際にある男を見下ろして言った。



「リロード前の弾丸は二発残せ――」



 その言葉に、男は震える顔で笑みを浮かべ、一度自分の血を指さした後、その指を少年へと向けて息絶える。



 それは、約束の品。



 少年が弱々しい息を吐く。

 肩口と脇腹からは、今もまだじくじくと鮮血が流れ落ちていた。



「帰らないと――」 



 痛む傷口を押さえ、少年はおぼつかない足取りで歩き始める。



「――エアが待ってる」



 純白の世界に鮮血の赤い尾を引いて、少年は歩く。少年の霞む視界の先には、どこまでも続く蒼穹が見えていた――。



 ◆   ◆   ◆



 果てしなく続く青い空。そして色とりどりに咲き誇る、辺り一面の花々。

 俺はその光景を噛みしめるように。エアは嬉しさを全身で表すように、二人で手を繋いで歩いていた。


「わあー! お兄ちゃん見て! わたし、こんなたくさんのお花はじめて!」

「ああ、俺もはじめてだよ」


 俺は空を見た。眩しい。純粋な青がこんなに目に優しい色だなんて知らなかった。




 ――あのとき、あいつは俺にエアを救う方法を伝えてくれていた。


 それは血――俺の血液をエアに輸血すること。


 俺とエアは元々一つの遺伝子。それが『国家』によって無理矢理分けられた。

 エアに足りないものは俺が、俺に足りないものはエアが。補い合って生きていける――。


 俺は視界に入る全てを目に焼き付ける。

 この景色を諦めなくて良かった。

 

 エアの笑顔を、諦めなくて良かった――。

 




「――おにいちゃん」


「約束。守ってくれて、ありがとう――」


 その大きな瞳一杯に涙を溜めたエアが俺に微笑む。


 俺の、俺達の戦いはひとまず終わったのかもしれない。

 だが、俺は俺の手に残った相棒ファイブセブンを捨て去るつもりは無い。


 エアを守る。その約束こそが、俺に残る最後の弾丸。


 これからも、ずっと――。


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最後の弾丸 ―Last bullet― ここのえ九護 @Lueur

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