最後の弾丸 ―Last bullet―

ここのえ九護

教会 ―1対20―


 雨――。



 雨が降っている。


 

 今にも崩れそうな穴だらけの屋根から水滴が零れ落ち、僅かに残る乾いた地面に俺達は身を寄せ合う。


 ここはとある教会。その懺悔室――。


 かつては大勢の巡礼者達がこの教会で祈りを捧げたのだろうが、今となってはただの廃墟だ。祈りは、俺達に何も与えてはくれない――。



「お兄ちゃん……」

「――寒いか?」



 すぐ隣から聞こえる、今にも消えそうな小さな声――。

 エア――俺の妹。そして、俺に残された最後の、たった一つの守るべきもの。


「ううん……。お兄ちゃん、さっきからこれ、使ってない」


 その小さな手で、しっかりとクマのぬいぐるみを抱きしめるエア。もう片方の手には、今までエアが纏っていた毛布が握られている。


 だけどそれは、俺達二人が使うにはあまりにも小さい。



「いいんだ。お兄ちゃんは寒くないから」

「嘘だよ、さっきから、震えてる――」


「――エアには敵わないな」


 少しふくれたような顔で言うエアに、俺は困ったような笑みを浮かべる。

 そう、俺は震えている――。


 でも、それは寒いからじゃない。


 ――目を閉じる。


 雨音に混ざって聞こえてくる幾つもの足音。その足音は固く、重い――。



(エアは俺が守る)



 瞼を開き、薄暗く垂れ込めた雲を見つめる。

 その向こうに輝く太陽の光を、少しでも目に焼き付けておきたかったから。



「エア、お兄ちゃんな、また少し行かなくちゃ」

「――帰ってくる?」

「ああ、約束する」


 ここにくるまで、何度となく繰り返したやりとり。


 エアは賢い。俺がどこに行って、何をしようとしているのかくらいわかってる。

 そして、俺を止めても無駄だということも――。



「――待ってる。エア、いい子で待ってるから」

「すぐ戻ってくる」


 

 俺はエアの肩を抱き、差し出された毛布でもう一度彼女の体をしっかりとくるむ。

 不安げな表情を浮かべるエアに向かって一度頷き、俺はその場を足早に離れた。 



 心配ない。弾なら腐るほどある――。



 俺はそう呟き、薄暗い闇の中で二丁の拳銃を引き抜く。


 FN Five-seveNファイブセブン


 それが、俺の愛銃の名前だった――。



 ◆   ◆   ◆



 礼拝堂――。

 

 砕けた屋根からは相変わらずの雨。腐り落ちた木製の椅子が左右に並び、中央の宣教台にはしとどに雨が降り注いでいる。祭壇には巨大な神像と、それらを祝福するかのような天使達の絵画。


 ただ腐り、草木の繁茂はんもに身を委ねるばかりのはずだったその空間に、今、無数の軍靴の音が響き渡る。


「ターゲットは?」

「反応、確認中――」


 規則正しい、ある種機械的な集団の動き。その中で指揮官らしき男の声が響く。

 総員20名。全員が頭部までを覆うボディアーマーに身を包み、その手には最新の閉所用サブマシンガンを携行している。

 

 子供二人を追い詰めるには、あまりにも多すぎる戦力――。


 だが、彼らは決して無駄な戦力を投入したわけではない。

 それは、今までの幾たびかの交戦で彼らが身をもって学んだこと――。


「反応補足!」


 声が響く。礼拝堂に向かい左右に大きく広がった隊列を取る彼らの間に緊張が走る。

 彼らが身につけるフルフェイスヘルメットのバイザーに赤い光点が輝く。反応は目の前。雨降り注ぐ神像――。


 彼らの視線が、目の前に立つ神像に集まる――。


 瞬間、彼らは軽やかに空を舞うくまのぬいぐるみを見た。 


 銃声。刹那の間隙かんげき


 飛び出した影は一つではなかった。

 跳ねるように神像の影から現れた、グレーのジャケットを着た少年。

 目深くかぶったフードと帽子は彼の表情を伺わせない。


 礼拝堂正面、指揮官の前に立つ二人が関節部を同時に撃ち抜かれ崩れ落ちる。その二人が床を舐めるより速く、少年は礼拝堂から前方に向かって回転跳躍。兵士達が体勢を整えるよりも速く、いま正に自らが撃ち抜いた二人の眼前へと着地する。


「――っ!?」


 着地した少年が膝立ちの体勢から顔を上げ、フードの奥に隠れた蒼い瞳が露わになる。自らを貫くその眼光に、指揮官はただ息をのむことしかできない。


 左右から向けられる銃口。しかし撃てない。発砲すれば同士討ちだ。少年は指揮官を見据えたままゆっくりと両手を広げる。


 銃声。少年の左右に立つ二人が即座に倒れる。少年は発砲の勢いそのままに旋回、今度は指揮官の左右を固める二人の兵士が着弾の衝撃に跳ね飛ばされる。

 指揮官が叫ぶ。最早同士討ちなど構ってはいられない。


 少年が跳ぶ。降り注ぐ雨音をかき消す銃声の連打。重なり過ぎた爆音は、一つの巨大なうねりとなって少年を飲み込む。


 跳躍した少年を追って銃撃の痕が壁面を伝う。それはまるでのたうつ大蛇のよう。少年が着地したのは左翼。一人の兵士を一瞬で羽交い締めに取って掌握、驚異的な貫通力と初速を誇る5.7×28mmの弾丸が、数十という単位で哀れな兵士に突き刺さる。

 少年は片手でその兵士を盾として、自身の後方で味方からの銃撃にすくむ兵士三名のこめかみを無慈悲に撃ち抜く。

 それと同時に盾とされ、物言わぬ無機物と化していた兵士を驚異的な膂力で右翼に向かい投げ捨てた。

 だが、残る兵士達ももはや目くらましには動じない。投げ捨てられた兵士には目もくれず、その後方にいるはずの少年を硝煙越しに撃ち続ける。が――。


 銃声。出所は右翼背後。

 少年は投げ捨てた兵士の亡骸の背に隠れ、同時に頭上高く跳躍していたのだ。


 四人が倒れる。背面はアーマーの防護が薄い。無防備に晒された弱点を表情一つ変えずに撃ち続ける少年。


 一人、二人、三人。一瞬で七つもの命の灯が消える。


 左右から激昂した兵士が少年を掴みにかかる。少年は反応。両手のファイブセブンを即座に逆手に。その場で両手を広げ高速旋回、掴もうとした兵士が顎先をしたたかに打ち払われ昏倒――崩れ落ちた背面に、追い打ちの弾丸が吸い込まれていく――。


 ――銃声が止み、薬莢が地面へと落ちる甲高い音が、薄い白煙に包まれた礼拝堂に響き渡る。荘厳な鎮魂歌のごときその響きの中、少年はその身に魂魄こんぱくにも似た光を纏い、ゆっくりと振り返る。


「――負けだ。我々の」


 無数の兵士達の骸の中、指揮官が言う。


「だが、私一人生きては部下達に示しが付かない」


 指揮官はそう言うと、手に持ったサブマシンガンを投げ捨て、腰のホルスターから拳銃を取り出す。そして、その銃口を自身のこめかみに押しつけた。



「さよならだ少年。私と、君の」



 それが、その場で放たれた最後の弾丸だった。



 引き金と共に指揮官の体が風船のように膨らみ、弾ける。閃光と爆炎。少年の影が、炎と衝撃の波にかき消える。


 すでに崩落寸前だった礼拝堂の屋根が崩れ落ち、宣教台を押し潰す。戦いの跡も、流れ出る血も、亡骸も、全てが塵になっていく――。


 


 ――いつの間にか雨は止んでいた。


 崩れ落ちた神像に、屋根から一筋の光が射す。

 その光の中、神像の横。

 瓦礫にも潰れず、ただそこにあるくまのぬいぐるみ――。


 それが持ち主の元に戻ったのか否か。

 それは――。



 ◆   ◆   ◆



「あ、お兄ちゃん!」

 

 埃にまみれた俺の姿に、エアは心配と喜びを半々に浮かべた表情で立ち上がる。

 その笑みに応え、俺は手に持ったぬいぐるみを差し出した。


「ほら、これ。借りちゃってごめんな」

「ううん。約束――守ってくれてありがとう」


 ぬいぐるみを手に、表情をほころばせるエア。

 そのエアの笑みに、俺は心の中で誓いと想いをより強くする。


 


 絶対に守る。

 それが俺の、最後の弾丸――。

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