カタバミ

群青更紗

2015.11.30

 週に一度、義姉の美也子を訪ねるのが、崇臣の習慣となっていた。兄が他界して間もなく三年が経つ。旧家の跡取りとして期待されていた兄が、身寄りのない美也子との結婚を決めた時、崇臣の家族以外の親戚中が反対したが、祖母の一声で決まった。美也子は身一つで嫁ぎ、その折祖母から紋入りの簪と着物を渡された。「あんたは今日から、この柿沼家の娘じゃ」そう言われて静かに涙を流した義姉は美しかった。十歳でまだ無邪気だった崇臣は、義姉が出来た事を照れながらも嬉しく思っていた。

 その義姉が、わずか二年で未亡人となった。親戚たちが騒ぐ中、祖母は自分の管理していた小さな神社に彼女を隠し、そのままそこに住まわせた。「騒がしい連中に晒すのは良くない、あんたも何かくだらない事を言われたらすぐ言いなさい」と母に言う祖母は、そのまま崇臣に定期的な訪問を命じた。柿沼家の中で、一番美也子が訪問されて気負わないであろう、という理由からだったが、慕っていた兄を失った崇臣への配慮でもあったとずっと後で知った。


 美也子の住まいは、住宅街から少し離れたところの、途方もない石段の上にある。両脇を木々で覆われ、薄暗い石段を登り切ると、突然美しい広場が現れる。小さな祠と、その横の社務所とが、一面細かな緑で覆われているのが特徴的だ。

「カタバミだよ、」最初の訪問の後、様子を聞かれて報告した崇臣に、祖母が答えた。

「うちの家紋。元々は砂利敷きで、カタバミは雑草扱いだったんだけどね。美也子さんが、カタバミは抜きたくないって。よく繁るからね、今じゃ絨毯みたいになってるだろ。……お守り、なんだとさ」

 そう聞いてあらためて思い返すと、美也子は髪に、あの簪を指していた。崇臣はそこに、義姉の嫁入りに対する深い想いと、決して消えぬ傷を見た気がして訪問の継続を躊躇ったが、祖母の言い付けでもあり強く拒むことは出来ず、毎週長い石段を上った。

いつ訪ねても、美也子はニコニコと出迎えてくれ、二人で茶を飲んだり宿題をやったりして数時間過ごした。しかし同時に、いつ訪ねても、美也子の様子は最初の訪問から、少しも変化が無かった。それでも崇臣は、少しでも美也子が穏やかになれるようにと密かに願いながら、根気良く訪ね続けた。その甲斐あってか、最近は、以前よりも明るい気がする。明るくなっていてほしい。そう思いながら、崇臣は今日も石段を登る。


「――いいんだよ、あんたは好きに生きなさい」

 その日、いつものように石段を登り、呼び鈴を押そうとして中からの声に気付き、崇臣は手を止めた。戸惑っていると、中から祖母が出てきた。祖母は崇臣に気付くと「おや今日だったかい、ご苦労さん」と肩をポンと叩いて出て行った。祖母を見送りに来たと思われる美也子に促されて中へと入り、いつものように過ごした。祖母と何を話していたか、聞くことは出来なかった。

 

数日後の夜中、崇臣は何だか胸騒ぎがして目を覚ました。どうにも止まらず、自転車を走らせて隣町へ向かった。いつもと違い、石段を必死でかけあがった。登りきったところで、崇臣は見た。

 月明かりの下、照らされたカタバミの全てが、茶色く枯れていた。「決して枯れることのない」「絶やすことの難しい」あのカタバミのその姿に、崇臣はゾッとした。汗と血の気が一度に引いていくのを感じ、転がるように石段を降りて逃げるように引き返した。

 翌週の訪問は、季節外れの風邪のため休んだ。そしてそれきり、美也子を訪ねることはなくなった。


 兄の三回忌法要のあと、美也子の再婚が告げられた。あの社は引き払い、飛行機の距離の土地へ行くのだという。着物と簪を返そうという美也子を、祖母は優しく拒んだ。

「娘を嫁がせるときは、実家の紋入りの着物を持たせるものさ。あんたはうちの娘だ」

 義姉があの日、兄の元へと嫁いできた日と同じ顔を見せた。崇臣は、ただただそれを、見ているしかなかった。


 あれから十年が経ち、社には今、崇臣が住んでいる。カタバミは茂らせていないが、時々砂利敷きの間から生えてくるのを見ると、あの夜の光景と、義姉の当時を思い、ほろ苦い気持ちになるという。

 今日も崇臣は石段を登る。

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カタバミ 群青更紗 @gunjyo_sarasa

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