過去と今の願い
桐華江漢
第1話
もう一度やり直したい。
こう思った人は一体どれくらいいるだろうか。私の知る限りでは、すべての人が考えたに違いない。人生、恋愛、仕事など多種多様に誰もが一度は思ったのではないだろうか。
しかし、人は過去に戻ることは出来ない。たとえ、どんな権力を持つ者であろうとお金がある者であろうと、老若男女すべての人に共通していることだ。
だが、もしやり直すことが出来たら? もし過去の自分に「今」の自分が思っている望みを与えることが出来たら?
それが出来たなら、「過去の私」はきっと満足するだろう・・・・・・。
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
「・・・・・・どうしよう」
一人の少年がボソッと呟いた。
季節は夏。8月の半ば。子供達にとっては嬉しい夏休みの時期である。プールで遊び、バーベキューで肉を食べ、お祭の花火など楽しいイベント満載の夏休みだ。
そしてこの少年、中里健太も夏休みを満喫していた。先程までは。
「迷っちゃった・・・・・・」
そう、健太は迷っていた。
健太は夏休みを利用して家族とお婆ちゃんの家に遊びに来ており、近くの川で水遊びをしていた。透き通るような綺麗な川で、足を入れれば痛むくらいに冷えており、家族と来た際は必ずここで一人遊んでいた。今年も同様に、お婆ちゃん家に着くやいなや一番に駆けつけた。
いつものように足を踏み入れ、魚を追ったりして遊んでいると、川の向こうの石の上に一匹のリスが姿を現した。健太はリスを見るのは初めてで、可愛らしさと喜びで声をあげた。
すると、その声にビックリしたのだろうリスが動きだし、奥の森の中へ逃げてしまった。
「あっ、待って」
健太は慌ててリスの後を追った。
川では遊んでいるが、森へ入ったことは一度もない。リスの後を追う事だけを考えていた健太は、自分が森の奥深くまで来ていることに気付かず、リスを見失ってから初めてその事を知り、そして今に至る。
「後なんか追うんじゃなかった」
後悔が沸き上がるが次第に不安が頭を覆い始めた。今すぐにでも帰りたいが、今自分がどこにいるのか分からない。辺りを見回してみるが、どちらの方向から来たかも分からなかった。
「こっちかな?」
健太は自分の勘を頼りに足を進めた。しかし、どうやら間違っていたらしく、さらに森の奥へと入ってしまっていた。
「ど、どうしよう」
見上げると空はオレンジ色に染まり、もうすぐ夜が訪れることを語っていた。不安は恐怖に変わり、健太は今にも泣き出しそうであった。
次の茂みを抜けても何も変わらなかったら方向を変えよう。そう思い、健太は先にある茂みを掻き分けた。
「うわっ!」
茂みを掻き分けると自分の身長と同じくらいの大きな石が目の前に現れた。恐怖心を抱いていたことからその大きさに余計に驚き、尻餅を付いてしまった。
「いたたた」
痛みと恐怖が一気に襲い始める。健太は目に大粒の涙を溜め、そして大きく泣き叫ぼうとした。
「君は誰?」
すると頭上から声が聞こえ、健太は寸前で泣くには至らなかった。上を見上げると、石の上に一人の少女が座り、健太を見下ろしていた。
「君は誰?」
少女は先程と同じ質問を投げ掛け、健太はそれが自分への問い掛けと気付いた。
「ぼ、僕は中里健太」
泣きそうになったことを必死に隠し、鼻を啜りながら健太は少女に向かって自己紹介し、そして少女を観察してみた。
腰まで延びる黒髪に白のワンピースを着ている。同じくらいの年の子だろうか。白い肌と綺麗な瞳の持ち主で、その瞳はキラキラと輝き、まるで星のような瞳だと健太は思った。
「中里・・・・・・健太」
少女はゆっくりと健太の名前を口にし、にっこりと微笑んだ。
「君は? 君の名前は?」
健太は少女にも同様の質問をした。
「私は・・・・・・
少女は自分の名前を明かした。
「奏ちゃん、か。奏ちゃんは近所の子?」
健太はそう尋ねたが、彼女は首を横に振った。
「じゃあ、奏ちゃんも僕と同じようにお父さんとお母さんと来たんだ?」
しかし、奏はまた横に首を振った。
「え? じゃあ何処から来たの?」
「・・・・・・分からない」
奏は小さくそう呟いた。
「分からない?」
「私、何処から来たのか分からないの」
奏はそう言った。
「お父さんとお母さんは? 近くにいないの?」
「分からない」
「どうやってここに来たの?」
「分からない」
「そんな・・・・・・」
健太はショックを受けた。というのも、こんな森の中に自分と同じくらいの年の女の子がいたことに驚いたが、同時に嬉しくもあった。なぜなら、つい先程まで健太は迷子になっており、人に会えたことで安心したのだ。もしかしたら奏に聞けばこの森を出る道を教えてくれるかもしれない。しかし、奏もどうやら同じ迷子のようで、また不安が沸々と膨らんできた。
気が落ち込み、健太はまた泣き出しそうになったが、ふと何か聞こえたような気がした。耳を研ぎ澄ますと、微かに音楽のような旋律が耳に届いた。誰かが演奏するなりCD等で曲を聞いているのではないだろうか。
近くに家があると健太は一瞬喜んだが、以前お婆ちゃんから聞いた話を思い出した。
『いいか、健太。お前がいつも遊んでる川の向こうに森があるじゃろ? その森は恐ろしい森なんじゃよ。昼間はただの森じゃが、夜になると別の顔を出すんじゃ。家など一軒もないのに、何処からかピアノや笛の音色が聞こえてくるんじゃ。その音に導かれると怪しげな洋館に辿り着く。そして、その洋館に足を踏み入れたが最後・・・・・・』
お婆ちゃんはここまで話していた。最後にどうなるかは教えてくれなかったが、きっと何か悪い事が起こるに違いない。そう健太は考えていた。
今辺りは仄かに闇を覆い始め、夜へと移行し始めていた。そして聞こえてきた音楽。正にお婆ちゃんが言っていたことが起きていたのだ。次第に冷や汗が出始め、顔はみるみる青醒めた。
逃げないと。
健太はそう考え、奏と共にこの場から離れようと思った。道は分からないが、とにかくこの音楽が聞こえない方に逃げようとした。
「奏ちゃん。ここから」
逃げよう。そう言おうとした時、奏がスクッと立ち上がった。
「か、奏ちゃん?」
奏は音のする方へと顔を向けて、耳を傾けていた。
「・・・・・・行かなきゃ」
「え?」
すると奏は石から飛び降り、音のする方へと歩き出した。
「か、奏ちゃん!」
健太は叫ぶが、奏はまるで聞こえていないかのように反応することなく、スタスタと歩き続けていた。
今すぐ逃げたい。でも、女の子を置いて一人だけ逃げるわけにはいかない。
健太は連れ戻すため、奏の後を追った。
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
健太と奏は今洋館の前に立っていた。
ずっと健太は奏に声を掛け続け、腕を取って止めようともしたがそのたび奏に払われ、遂に洋館の前まで着いてしまった。
音楽は間違いなくこの洋館から流れている。微かに聞こえていた先程とは異なり、今でははっきりとその旋律が耳に飛び込んできていた。
横の奏を見ると、彼女はじっと目の前の洋館を見つめており、健太も洋館をもう一度見渡してみた。
焦げ茶色を基調とした壁に、蔦が絡み付いていた。いくつもの窓が存在し、鋭い傾斜の屋根が見え、まるで魔女の館のようだと健太は思った。中で魔女が大きな鍋をかき混ぜている姿を想像し、ブルッと身体が震えた。
窓にはカーテンが引かれているが、厚みが薄いのか光が外に漏れ出ていた。辺りはすっかり日が暮れ、余計に光が際立っている。もう自力で帰ることは無理そうだ。どうやらこの洋館にお邪魔するしかなさそうだった。
お婆ちゃんの言っていた洋館。しかし、もう一つ可能性があると健太は思い、その可能性を信じて奏に聞いてみた。
「この館は奏ちゃんの家?」
そう。奏は音楽が聞こえた後、何の躊躇いもなく、道に迷うことなくここまでまっすぐ歩いて辿り着いた。この洋館は奏の家である可能性は高い。そう健太は考えた。
「ううん、違う」
しかし、奏は否定した。そして、健太はふと疑問に思った。
「じゃあ、どうしてここまで迷わずに来れたの?」
「音楽を頼りに来たから」
たしかにそうだろうが、音だけでこうもすんなり辿り着けられるのだろうか。
「じゃあ、知り合いの家?」
奏はまたも首を横に振って否定した。
そんな様子の奏を見て、健太は今更ながら疑問を持ち始めた。
奏は健太と出会った場所に何処から来たのか分からないと言い、この洋館も自分の家でも知り合いの家でもないと答えた。しかし、彼女は音楽を頼りに躊躇いなくここまで歩いてきた。
普通なら怖がるのではないかと思ったが、奏はそんな素振りも見せず、まるで引き寄せられるように歩いていた。彼女は一体何者なのだろうか。
そんなことを考えていると洋館を見つめていた奏が動きだし、入り口であるドアのノブに手をかけた。
「か、奏ちゃん!?」
突然の奏の行動に健太は驚くが、彼女は臆することなくノブを回し始めた。しかし、ガチャガチャというだけでドアは開かなかった。
「開かない」
「ダメだよ奏ちゃん。インターホンを押さずにいきなりドアを開けようとするなんて」
そう言うが、奏はまだドアノブから手を離そうとしない。まるで何が何でも中に入らなくてはならないかのように、未だにガチャガチャと回し続けている。
「奏ちゃん!」
さすがに見ていられないと、健太は奏の手をノブから無理矢理離した。
彼女は少し落ち込んだように見えたが、ハッと何かを思い出したのか手を胸の中に入れ、何かを取り出した。
それは鍵であり、奏の首から掛けられていたものだった。
奏はその鍵を首から外すと、ドアにある鍵穴に差し込んだ。
「いや、奏ちゃん。それ何の鍵かは知らないけど、この洋館は奏ちゃんの家じゃないんでしょ? それで開くわけ・・・・・・」
ガチャリ。
「え?」
鍵が開く音がした。奏は鍵をまた首に掛け、それからドアを引いた。
すると先程までは開かなかったはずのドアが奏の力によりゆっくりと動き始め、そして洋館への入り口が開いた。
奏は何事もなく中へと足を踏入れ、健太も後に続いた。洋館からの明かりに一瞬目が眩むが、次第に慣れ始め中が見えるようになった。
床には大きな絨毯が敷き詰められ、上にはシャンデリアが垂れ下がっていた。奥には二階へと続く階段があり、子供ながら健太は立派な洋館であると理解できた。ずっと聞こえていた音楽がさらに大きく聞こえ、よく聞くとテーマパークとかで人形達が踊る際のとてもテンポのある音楽だった。
二人はしばらく呆然と立ち、先に我に還ったのは健太だった。勝手に入ってはいるが、この洋館の人に声をかけなければならない。
「すいませ~ん」
健太は大きな声で呼び掛けた。しかし、音楽の音に負けていると分かると再び腹に力を込めて声を出した。
「すいませ~ん!」
すると音楽の音量が下がり、コツコツと足音が聞こえてきた。足音は階段の上から聞こえており、誰かが降りてきているのだろうその音は次第に大きくなる。
折り返しの部分から一人の女性が姿を現した。髪が白く、顔には皺も寄っているので高齢なのは間違いないが、長身でスラッとした体型をしており、美人であると言えるだろう。灰色の上着を羽織り、どこかしら気品のある雰囲気を持っていた。腰の曲がった健太のお婆ちゃんとは正反対だった。
女性は健太達の姿を見ると目を見開き驚いた表情をした。そして次には駆け足で階段を掛け下り、健太達に向かってきた。
「えっ、あ、あの」
怒られる。そう思った健太は反射的に腕で頭を覆った。
しかし、女性は説教ではなく奏に抱きついた。力の限り抱き締め、まるで我が子を抱くように奏に腕を回していた。
「よかった・・・・・・!」
女性は嬉しさと心配の気持ちが混ざったような声を出した。しかし、奏はわけがわからないような顔をし、健太も状況が飲み込めなかった。
そして女性は腕を離し、奏と正面から向き合って質問を浴びせていた。
「大丈夫? どこか怪我はしていない? 一体何処に行っていたの? もう、本当に心配したんだから。お婆ちゃんを不安にさせないでちょうだい。気分はどう?」
連続して質問を浴びせる女性。しかし、健太は一つ疑問が浮かんだ。
(お婆ちゃん? この人は奏のお婆ちゃん?)
女性の話を聞く限り、どうやら奏のお婆ちゃんのようだ。しかし、ここは自分の家ではないと奏は言っていた。どういうことだろうか。
「お婆ちゃん?」
奏がようやく我に還ったのか声をあげた。しかし、次の言葉に健太は驚いた。
「お婆ちゃん、誰?」
奏は女性に問いかけていた。
「何言ってるの。私はあなたのお婆ちゃんでしょ?」
「ううん、私にお婆ちゃんなんていないよ」
女性の言葉を否定する奏。
健太はもう何が何だか分からなくなっていた。自分は奏のお婆ちゃんと言う女性。しかし、それを否定する奏。一体どうなっているのだろうか。もしかして、どちらかが嘘をついているのだろうか。
「・・・・・・やっぱり、そうなるのね」
しかし女性は狼狽えることはなく、逆に何か合点がいったかのような言葉を発した。
「奏。こちらにいらっしゃい」
女性は奏の手を引いて奥へと連れていこうとした。しかし、奏は抵抗した。
「いや、離して!」
「こちらへいらっしゃい」
「いや!」
奏は必死に抵抗するが、女性も離そうとはしなかった。
「あ、あの・・・・・・」
奏の様子を見て健太は止めようとした。しかし次の瞬間、女性は奏を引き寄せ自分の額と奏の額を合わせた。すると先程まで暴れて抵抗していた奏が大人しくなり、目を閉じ始めるとガクッと床に倒れてしまった。
「奏ちゃん!?」
健太は奏に駆け寄り、声を掛けるが反応しなかった。
「大丈夫よ。眠っただけだから」
女性は健太にそう言葉をかけ、それから奏の身体を抱き上げた。
「僕、名前は?」
女性が健太に名前を聞いてきた。しかし、健太は答えず、女性を睨み付けた。
「奏ちゃんをどうするんですか?」
「向こうのソファーで寝かせるのよ」
「奏ちゃんに何をした!」
「大丈夫よ。何もしてないから」
女性はそう言うが、健太は信じられなかった。額を合わせただけで奏は大人しくなった。それはまるで魔法のようで、この人は魔女ではないか。健太は本気でそう思い始めた。
「奏ちゃんを離せ!」
健太は女性にそう叫んだ。本当は今にも逃げ出したいぐらい健太は怖かった。足は震え、心臓はバクバクと暴れている。まるで逃げろと警告しているかのようだった。しかし、奏を置いて逃げるわけにはいかなかった。
「・・・・・・」
女性は無言のまま健太を見つめていた。そして、奏をゆっくり床に下ろした。
「え?」
奏を下ろすと女性は頭を下げ、健太に土下座をしていた。その行動に健太は戸惑いを覚えた。
「お願い。奏のために、私の言葉を信じて」
女性はそう言うと健太にずっと頭を下げ続けた。真剣なお願いであることは一目瞭然で、健太が理解してくれるまで顔を上げることはないだろう。
結局健太が折れることになり、奏を抱いた女性と共に奥の部屋へと向かった。音楽はいまだに小さいながら鳴り響いていた。
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
奏をソファーに寝かせた後、女性は奥のテーブルへ健太を招いた。
「はい、冷たい麦茶よ」
女性は健太の前に飲み物を差し出した。あまり迂闊に手を出したくはなかったが、ずっと恐怖や緊張していたせいか喉がカラカラだった。正直有り難く、健太は一気に麦茶を飲み干した。
「あら、いい飲みっぷり」
フフフッ、と微笑み、健太の向かいのイスに女性は腰を掛けた。
「また聞くけど、僕の名前を教えてくれるかしら?」
女性が再度健太に聞いてきた。飲み物を差し出してくれた恩もあり、健太は自分の名前を明かした。
「中里健太です」
「そう、健太君ね」
ありがとう、と一言述べてから女性は質問してきた。
「少し教えてほしいんだけど、あなたは近所の子?」
「ううん、お婆ちゃんの家に遊びに来たの」
「そう。今は夏休みの時期だものね。でも、どうしてこの館に来たの?」
「それは・・・・・・」
健太はこれまでの事を女性に伝えた。
「そう。道に迷ったのね」
「うん」
「まあ、この森はたしかに子供が一人で入ったら帰り道が分かりづらいわね」
女性は頬に手を当て、少し呆れたような声を出した。
「じゃあ、奏と会ったのも偶然だったのね」
「うん」
「それで、この館から聞こえる音楽を頼りに二人でここまで来た、と」
「・・・・・・うん」
健太は伝えながら自分の愚かな行為が原因であったと再認識し、反省から項垂れてしまう。
「・・・・・・ありがとう、健太君」
「え?」
下を向いていたら女性から感謝の言葉がかけられた。
「僕、何かした?」
「ええ。君は奏をここに連れてきてくれたわ。本当にありがとう」
そう言って女性はまた健太に向かって頭を下げた。
「あ、あの、えっと」
何か声を掛けようとしたが、健太は目の前の女性の名前をまだ聞いていなかった。
「あの、お婆ちゃんの名前は何て言うの?」
それを聞いた女性は頭を上げ、こう答えた。
「私の名前? 私は春野っていうの。春野お婆ちゃんって呼んで頂戴」
女性は春野と名乗り、健太は続けて春野お婆ちゃんに質問した。
「春野お婆ちゃんはここに一人で住んでるの?」
「ええ、そうよ」
「誰か他に家族はいないの?」
「ええ、いないわ。あの子を除いて」
そう言って春野は奏の方に顔を向けた。健太もつられて目を向ける。ソファーに横たわる奏は静かな寝息を立てていた。
「でも、さっきは・・・・・・」
健太は玄関でのやり取りを思い出していた。
「ええ。奏は私は自分のお婆ちゃんじゃないって言ったわ」
「そうなの?」
「いいえ。奏は私の唯一の家族よ。それは本当よ」
「じゃあ、どうして奏ちゃんはあんなこと言ったの?」
「それは・・・・・・」
春野は健太の質問に口ごもってしまった。何か言いたくないことなのだろうか。
「・・・・・・ふー。しょうがないわね。健太君には感謝してるし、本当の事を言うわ」
居住まいを正してから、春野は続けて話した。
「実は奏はね・・・・・・記憶がないのよ」
「え?」
「少し前にちょっとした事故があってね。その時に記憶がなくなったの」
「奏ちゃんは何も覚えてないの?」
「ええ。ほとんどの記憶が消えちゃって、私の事も忘れちゃってるのよ。だから、奏の記憶を取り戻すためにこの館に二人で暮らしていたの。そしたら急に奏がいなくなって、心配していたら君が連れてきてくれたのよ」
そこでようやく健太は春野がなぜお礼を言っていたのか、玄関でのやり取りを理解できた。
「じゃあ、奏ちゃんはまだ記憶が戻ってないの?」
「ええ」
「可哀想・・・・・・」
奏の素性を知り、健太は悲しくなってしまった。
「ねえ、健太君。お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「今日はもう遅いからウチに泊まりなさい。家の方には私が連絡しとくから」
「えっ、でも」
「この森は夜になると本当に方向が分からなくなるの。私が案内するべきなんだけど、奏の事もあるし、今はあまり館から離れたくないの。明日奏と一緒に案内するから今日はウチに泊まりなさい」
「・・・・・・うん、分かった」
「良かった」
ホッと息を吐く春野。
「それで、春野お婆ちゃん。お願いって?」
「うん、そのお願いはね。こっちにいる間だけでいいから、奏と遊んでくれないかしら?」
「奏ちゃんと?」
「そう。奏は今言ったみたいに記憶がないから私の事も友達の事も忘れているの。しかも、ここに来てからも友達が出来なくて寂しいと思うの。だから、健太君が良ければ奏と一緒に遊んでくれないかしら?」
春野は不安そうに健太を見つめていた。
「うん。僕も奏ちゃんと一緒に遊びたい」
「ホント!? ありがとう健太君!」
春野はイスから立ち上がるほど喜んでいた。勢いよく立ったせいで、その時の音で奏が目を覚ました。
「う、う~ん」
「奏! 起きなさい!」
春野は奏に寄り、肩を揺すって無理矢理起こした。
「奏、健太君があなたと遊んでくれるって」
「ふぇ?」
まだ寝ぼけている奏はうまく返事が出来ていない。
「こっちにいる間、健太君があなたと遊んでくれるのよ! 良かったじゃない!」
春野は我が事のように喜び、顔は幸せそうな表情をしていた。
「・・・・遊んで、くれる?」
「そうよ」
「本当に?」
「本当よ!」
春野は目に涙を浮かべ始め、ぽろぽろと泣き出した。
「良かった! 本当に・・・・・・本当に・・・・・・」
終いには春野は嗚咽を漏らし始める。一体どれ程嬉しいのだろうか。
「健太、私と遊んでくれる?」
奏が健太の方に顔を向けて聞いてきた。
「うん、僕奏ちゃんと一緒に遊びたい」
「・・・・・・嬉しい」
奏も嬉しさから顔には笑みが出ていた。
「それじゃあ、みんなでご飯にしましょう。今日はご馳走を作るわ」
涙を拭いながら春野がそう言い、準備をすると台所へと姿を消した。
部屋に残された健太と奏はこれから何して遊ぶか色々話し合った。川遊び、花火、虫取り、等々思い付くままをお互い意見を出し合い、わくわくして気分は最高潮になっていた。
すると奏がこんなことを言ってきた。
「ねえ、健太。この館を探検しない?」
「探検?」
「そう」
「でも、もうすぐ春野お婆ちゃんがご飯を作り終わるよ?」
「まだかかるかもしれないじゃない。それまで探検しましょ」
「・・・・そうだね。行こうか!」
「うん!」
健太と二人は駆け足で館の探検に出掛けた。もうすでに二人は遊ぶことに夢中になっていた。
二人は部屋を出ると二階へと向かった。キャッキャッと笑いながら駆け、上りきると二手に分かれていた。二人は右へと進路を決め、並んで歩き出した。
すると二つ目の部屋から音が漏れているのが聞こえ、それは今まで絶えず流れていた音楽だと健太は気付いた。
健太は音の出る部屋の前に立ち、ゆっくりとドアを開けた。
その部屋は休憩室のような部屋で、右手にはガラス張りの棚が並び、左手にはラッパのような、花が開いたような機械があり、そこから音が出ているのが分かった。今もそこからはテンポのいい音楽が流れている。
健太は奏と手を繋ぎ、右の棚へと足を進めた。そこには時計や書物、何かの文字が書かれている円盤など様々なものが飾られていた。
順に見ていると、ある一点で健太の目が止まった。写真立てが置かれ、一枚の写真が収められており、一人の少女が写し出されていた。その少女は・・・・・・。
「あれって、奏ちゃんだよね?」
そう。その少女は奏であった。恥ずかしそうに後ろで手を組んでカメラを見つめてはにかんでいた。
「あれって、私なの?」
しかし、奏は見に覚えのないような反応を示した。健太は奏の記憶喪失の件を春野から先程聞いていたので、無理もないと思った。
「うん、だって奏ちゃんそっくりだもん。着てる服は違うけど、間違いないよ」
「ふ~ん」
だが奏は特に気にするわけでもなく、すぐに興味が削がれたのか反対の再生機へと向かった。健太も後に続いた。
「これ、なんかカッコいいね」
「うん、なんか形がすごくキレイ」
二人は再生機をじっと見つめ、そこから流れる音楽に耳を傾けていた。
「でも、いつまで流しているのかな?」
「え?」
奏の言葉に健太が聞き返した。
「いつまでって?」
「ほら、この曲ってずっと流れているじゃない? あのお婆ちゃんが聴いていたんだろうけど、今は下に居るんだから止めてもいいんじゃない?」
「そうだね。もしかしたら春野お婆ちゃん、忘れているのかもしれないね」
どう止めればいいか最初は分からなかったが、どうやらこれは黒い円盤に針が触れていることで音が出ているのだと健太は理解した。そして、健太は回っている円盤に触れている針を持ち上げた。すると音楽は止まった。
「よかった。止まったよ、奏ちゃん」
ドサッ。
すると奏が急に倒れこんだ。
「・・・・・・奏ちゃん?」
健太は声をかけるが奏は反応しない。
「奏ちゃん、どうしたの?」
また先程のように眠ってしまったのだろうか。だが、もうすぐ春野がご飯を作り終える頃だ。健太は奏を起こそうと肩に手を触れた。
「・・・・・・え?」
健太は異変に気付いた。奏の身体が固まっていたのだ。触れた肩はカチカチで、まるで人形に触れているかのようだった。
「奏ちゃん? 奏ちゃん?」
健太は何度も揺するが、ポーズを取ったように奏の身体は全く動かなかった。
すると駆け足で近付いてくる音が聞こえ、勢いよく開いたドアから春野が姿を現した。
「春野お婆ちゃん、奏ちゃんが・・・・」
「奏!」
春野は健太を押し退け、奏にすがり付いた。
「奏! 奏! 奏!」
春野は何度も奏の名前を呼んでいた。しかし、奏はそれでも答えなかった。
「奏・・・・・・」
春野は最後の呼び掛けをした後、奏の身体を強く抱き締めた。
「あの、春野お婆ちゃん。奏ちゃんはどうしたの?」
「・・・・・・」
健太の問いかけに春野は答えない。
「もしかして、また眠ったの? それなら、また起こしてあげないと。もうすぐご飯」
「・・・・・・健太君」
春野は弱々しく健太を呼んだ。
「なあに?」
「・・・・・・ごめんなさい。私、君に嘘を付いていたの」
「嘘?」
「奏は私の家族じゃないの」
春野はそう口にしたが、健太は春野が何を言っているのか分からなかった。
「何言ってるの? 奏ちゃんは春野お婆ちゃんの・・・・・・」
「違うの。私、嘘を付いたわ」
そして、春野から信じられない言葉が放たれた。
「奏はね・・・・・・人形なのよ」
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
「人形?」
健太は春野の言葉を復唱した。
「そう。奏はね、人間じゃないの。私が作った人形なの」
「どういうこと?」
健太は春野に尋ねた。
「だって、奏ちゃんはさっきまで動いて、お話しして、笑ってたんだよ。人形が勝手に動くの?」
「そう。人形は普通自分では動けない。誰かの手によって動かさないといけない。でも、奏は別の方法で動くことが出来るの」
「別の方法?」
「この再生機よ」
春野はそう言って目の前の再生機を指差した。
「この再生機は特殊な力を宿していて、そこから流れる音楽が人形を動かすの。ほら、テーマパークとかで人形が動くアトラクションとかあるじゃない? そんな感じのものよ」
「じゃあ、奏ちゃんが動かなくなったのも・・・・・・」
「ええ。この再生機からの音楽が止まったからよ」
「じゃあ、また音楽を流せば」
「それは出来ないの」
「どうして?」
健太が春野に問いかけたが、答えたのは再生機だった。ピシッと何かが割れる音が聞こえたと思ったら、再生機が粉々に崩れ始めた。
「この再生機は一度止めてしまうと壊れてしまう。そういう仕組みになっているの」
「ほ、他にはないの?」
「ないわ。これ一台だけよ」
春野の答えを聞き、健太は絶望した。なぜなら、この再生機を止めたのは他でもない、自分なのだ。いわば、自分が奏をこんな風にしたと言っても過言ではない。
「ごめんなさい。その機械、僕が止めたの。誰も部屋に居ないから止めようと」
「ううん、いいのよ。私もちゃんと伝えなかったのも悪いし、本当の事も言わなかった」
しばらく沈黙が続き、健太は一つ疑問に思った。
「じゃあ、春野お婆ちゃん。あの写真は誰なの? 奏ちゃんじゃないの?」
健太は棚の写真を指差して聞いた。
「ええ、あれは奏じゃないわ。私よ」
「春野お婆ちゃん?」
「そう。私の子供の頃の写真よ」
「でも、奏ちゃんそっくりだよ?」
「それはそうよ。だって・・・・・・」
「だって?」
「奏は、私の過去を写し出した姿なんだから」
春野がまたとんでもないことを口にした。
「奏は私の幼少の頃を再現して作り上げた、いわば私の分身よ」
「分身?」
「そう。奏は私であり、私は奏でもあるのよ」
「?」
「分からないか。じゃあ、こう言えばいいかな?」
そして、春野は改めて自己紹介した。
「私の名前は春野奏っていうの」
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
「奏? 春野お婆ちゃんの名前は奏なの?」
「そうよ」
春野の名前が奏であると知り、健太は混乱し、頭の中を整理しようとした。
「え~と、奏ちゃんは人形で、その奏ちゃんは春野お婆ちゃんの昔の姿で、それで春野お婆ちゃんの名前が奏?」
「そうよ」
一つ一つ確認しながら健太は整理していった。
「そして、奏ちゃんはその再生機で動いていた」
「うん」
「それで、その再生機には特別な力があった」
春野は静かに頷いた。
「春野お婆ちゃんって、すごい人?」
「そうね、簡単に言えば、『魔女』よ」
「魔女?」
「そう。魔法とか薬草とかを作るあの魔女」
「じゃあ、春野お婆ちゃんはその魔法をつかって奏ちゃんを作ったの?」
「・・・・・・そうよ」
「どうして?」
「それはね・・・・・・」
一つ間を置いてから春野は切り出した。
「奏には、楽しい思い出を作って欲しかったからよ」
「思い出?」
「健太君は魔女の事を知ってる?」
「魔法を使うから魔女なんでしょ?」
「そうね。たしかにそう。でもね、その魔法が私達魔女を苦しめたの」
春野はさらに話を続けた。
「魔女は昔、怖い存在として色んな人に広まっていたの。魔女に近付くなとか、魔女は害のある人間だとかね。そのせいで魔女は人々から離れざるを得なくなり、誰とも関わることなく生きていくしか出来なくなったの」
健太は黙って春野の話に耳を傾けた。
「私もその一人でね。小さい時、ちょうど健太くらいの頃からお母さん以外の誰とも関わらなくなったの。だから、友達も一人も居なかった」
「・・・・」
「今はもう平気だけど、昔の私はすごく悲しかった。友達が欲しい、友達と遊びたいとずっと願ってた。だけど、その願いは叶わなかった」
過去を振り替える春野の声は、とても悲しそうだった。
「今思うと、あの時こうしていれば良かったと思うことがたくさんあるの。でも、人は過去には戻れない。それは魔女も同じ。だけど、私は諦めきれなかった。だから、奏を作ったの。過去の私を作り出してその自分には友達と楽しく過ごして欲しい、と」
人は過去をやり直せない。だが、過去の自分を生み出せば楽しく過ごす過去の自分が見れる。そう考えた春野は魔術を使い、過去の自分、奏を作り上げた。
「だけど、奏は思い出を作る前に止まってしまった。たとえ過去に戻れなくても、新しく生み出した幼い自分には笑って欲しかった。でも、それも摂理に反していたのね。だからバチが当たったのね」
そう言うと春野は力なく項垂れてしまった。健太は後半のほとんどが理解できなかったが、春野がとてつもなく落ち込んでいることは分かった。
「春野お婆ちゃん・・・・・・」
健太は春野の肩に手をやり、優しく声をかけた。
「・・・・・・ごめんなさい、健太君。君に私の我が儘を押し付けてしまって」
「・・・・・・」
「お腹空いたでしょ? ご飯が出来ているから一緒に食べましょ。ね?」
そう言って春野は近くのイスに奏を座らせた後、健太と共に部屋を出ていき、夕食を食べ、家にも連絡し、明日の朝に送ってもらうことを告げた後、健太は用意してもらった部屋で眠りについた。
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
翌朝、健太は春野と共に朝食を取っていた。昨日の出来事から二人とも口を閉ざし、黙々と箸を進めていた。そして、春野に送ってもらうため、二人は玄関から外に出た。外は二人の内面とは真逆で、見上げると晴々とした天気であった。
「ねえ、春野お婆ちゃん」
空を見上げながら健太は春野に声をかけた。
「・・・・・・何?」
気まずさからか、春野の返事には少しの間が空いた。
「昨日の言ってたことだけど」
それを聞いた春野の肩が微かに震えた。
「僕にはよく分からなかったけど、春野お婆ちゃんは子供の頃友達がいなかったんだよね?」
「そうよ」
「今もいないの?」
「・・・・・・そうね。いないわ」
春野は顔を上に上げたまま目を閉じてそう答えた。
「じゃあさ、僕と友達になろうよ」
「え?」
春野は驚き、健太の顔を見つめた。
「春野お婆ちゃんは友達がいないんでしょ? それから、友達を作るのが願いだったんでしょ?」
「そ、そうだけど」
春野は健太の言葉にオロオロし始める。
「でも、私が願ったのは過去の私であって、今の私じゃ・・・・・・」
「でも、春野お婆ちゃん言ってたじゃん。奏ちゃんは自分であり、自分は奏ちゃんでもある。奏ちゃんは自分の分身だって」
「・・・・・・!」
「昨日奏ちゃんは僕と友達になりたいと言ってくれたよ? それは、春野お婆ちゃんが言っていることでもあるんじゃないの?」
春野は手で口を塞いで震えている。
「それに、約束したよ? 一緒に遊ぼうって。奏ちゃんとの約束は春野お婆ちゃんとの約束でもあるんじゃないの?」
そして、健太は最後にこう口にした。
「だから、今日も一緒に遊ぼうよ。奏ちゃん」
その言葉を聞いた春野は健太を強く抱き締めた。ポロポロと涙を流しながら。
「ありがとう、健太君。ありがとう・・・・・・」
春野は泣きながら健太にそう言い続けた。
「じゃあ、一度お婆ちゃん家に帰ってからまた遊ぼう!」
「ええ! 一杯遊びましょう!」
健太と春野、健太と奏は仲良く手を繋いで歩き出した。満面の笑顔を浮かべながら。
奏は遅蒔きながら、ようやく願いを叶えることができたのだった。
了
過去と今の願い 桐華江漢 @need
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます