運命の夜 Ⅲ

部屋に入ってすぐベッドに飛び込んだルイズは

天蓋を下ろし、続く才人を待ち構える。

しかし、ドアの向こうの才人はなかなか部屋に入ってこない。

「…なにしてるの? はやく入ってきなさいよ」

「…ああ。いや、懐かしいな、と思ってさ」



ドアを開けると同時「ただいま」と続ける恋人に、

「おかえり」しようとして、しかし、ルイズは口をつぐむ。


いけない。今はまだその言葉に応じてあげることはできない。

それを自分が言えるのは、すべてを知った才人が

自分の願いを受け入れてくれたら、の話だ。


「…ちょっとそこで待っててくれる? 

大丈夫、そんなに時間はかからないから」

「お、おう。わかった」


「着替えてくる」だといらぬ誤解を呼びかねないし、

「服を脱いでくる」とも言いにくい。

言葉を濁しつつもマントの留め具を外し

靴下を脱ぎ捨てるルイズだったが、しかし

ブラウスのボタンに手をかけたところで

違和感に気づく。指の、というか

体全体の動きが、どうにも緩慢なのだ。


まいったわね、なんでよりにもよっていまなのよ…


気持ち悪さを感じはするが、原因の見当はついている。

おそらく「零」を詠唱した際、身体にかけた

「固定化」の影響が残っているだろう。

時々こうして、身体の感覚が曖昧になるのだ。


(サイトに手伝ってもらおうかしら?

でも、心配かけさせたくはないし…)


天幕の向こう、テーブルに掛けて

大人しく待っている恋人の影を見やる。


手伝ってもらうこと自体はいい。

だが、才人の意識が虚無の方に行ってもらっては困る。

ただでさえ今でも、罪悪感に押しつぶされそうな心を

理屈と理由で繕っているのだ。

訝しまれ、問いかけられればきっと

自分の心は迷い、決意は揺らいでしまう。


そう。間違うことは許されないのだ。今夜、今夜すべてを

終わらせてしまわなければ、自分の心はきっと

この幸せに溺れてしまう。それだけが確かである以上

不用意なことは言うべきではないはずだ。


…しばしの黙考を経たのち、結局ルイズは

才人の手を借りないことに決めた。

先程食堂でふらついたときのように、時が経てば感覚は戻っていく。

多少時間がかかりはするかもしれないが、思ったよりは遅くならないはず、と

判断してのことだった。



手早く脱げるほうがいいわね。

んっと、まずはスカートから…


あんまり待たせすぎると怪しまれるし、急ぐに越したことはない。

留め具の紐をなんとか解き、足を崩して

スカートを脱いだルイズだったが、そのとき

天幕をくぐってひょっこりと、才人が顔を出してきた。


「なぁルイズ。…その、よかったら手伝おうか?」

「ちょっ、な、なに勝手に入ってきてんの! 

 待っててって言ったじゃない!」


いきなり目の前に現れた才人に、足を組み直したルイズは

思わずブラウスを抑える。

才人も一瞬気まずそうな顔をしたが、かと言って引っ込みはせず、

視線を逸らしながらも続けてきた。


「や、なんか手間取ってるみたいだし、

俺が脱がせてやった方がいいかな、って。

食堂のときもだったけど、まだ、うまく身体動かせないんだろ?」



 ・・・まったく、いつもヌケてるくせに、

どうしてこういう時に限って目ざといのかしら・・・


 ・・・自分を案じてくれているのは分かるが、

しかしいまばかりは素直に喜べない。とはいえ

ここで断れば余計に心配させるだけなので、

ルイズはとりあえず、恋人の提案を受けることにした。


「そうね。じゃあ、おねがいしてもいいかしら」

病人や怪我人のように扱われるのは癪だ。

どうせならこの際、少しでも意識させてやりたい。


胸元に寄った髪を後ろに流し、姿勢を正して向き直ってみるが、

そんな仕草も恋人の気を逸らすまでには至らない。

わかった、と真剣な顔でベッドに上ってくる才人に、

ルイズの中で焦りが募る。


 まずいわ。こんな色気もへったくれもない空気じゃ、こいつ

「今日はもう寝よう」なんて言い出しかねない・・・! 


 いくらその気にさせようとしても、肝心の才人が

自分を見てくれなければ意味がない。なんとかしないと、と

頭を回すが、そうこうしている間にも才人の左手が・・・・・・ 


ん? 左手?


「ちょ、ちょっと待ちなさい! …あんたその左手、どうするつもり?」

「どうって…まさか、右手しか使うなとか言わないよな?」


おもわず飛び出たその言葉に、恋人は戸惑いに動きを止める。

実際そこまで気にしてはいないのだが、とはいえこの口実を逃す手はない。

ここは流れに任せるべきだと、ルイズは強情を気取ることにした。


「あたりまえじゃない、傷口開いたらどうすんの。

…べつに、ボタン外すくらい片手でもできるでしょ。ほら」

抑えていたブラウスから手を離し、ついっと視線を向けてみる。

…思いつきで付け足したにしては、なかなか筋が通った言い分だ。

怪しむ素振りも見せず、恋人は頷いてくれた。


「まぁ、それもそうだな。…遅くなっても、文句言わないでくれよ」

言葉のあとに1拍あけて、ゆっくりと近づいてくる右手。

腰から臍、胸元へと登っていくその指先を見つめるうち、

しぼんでいた期待が、再び膨らみを取り戻していく。

とにかくこれで一安心。内心ほっと息をつき

安堵に浸ろうとしたルイズだったが

しかし、そこには思わぬ落とし穴があった。


「よし、次は上脱がせるぞ。…ん? あれ? …えーっと…」

ボタンを外し終わって後ろに回り、ブラウスを片腕ずつ

丁寧に脱がせた直後、

手を止めてしまう才人。

どうしたのだろうかと疑問に思って、

ルイズはそこであ、と気づく。



自分が今着ているのは、白のキャミソール、

背後の才人からでは脱がせるのは難しい。

上に引っぱるにしたって、結局

途中で腕が突っかえてしまうわけで…


「ルイズ、悪いけど一旦ベッドから降りて…

いや、俺が立ったら…でも片手で…」


あれこれと考えを巡らせ始める才人、再び怪しくなっていく雲行き。

せっかく取り戻した雰囲気を、こんなことで散らされてはたまらない。

ルイズは才人の方を向き直り、軽く胸を張ってみせた。


「あーもう、まだるっこしいったらありゃしないわ。

ほら、このまま前からやってちょうだい」

「…ま、前って…いいのか? その…」

「手伝ってくれるんでしょ? わたしのこと。

わたしがしてって言ってるんだから、はい」



戸惑った様子の恋人に構わず、ルイズは両腕を上げてみせる。

開いた腋を見せつけるような格好に、耐えられなくなったのか

わかったよ、と才人は手を伸ばしてきた。


…たくし上げるだけなら片手でも、羞恥を覚える間もなく済んでしまった。

キャミソールを脱がせてくれた才人に、ありがと、と

身体を起こして礼を言うルイズだったが

なにやら恋人の様子がおかしいことに気づく。


真面目な顔をしたと思えば、すぐにふにゃりと

頬を緩めるの繰り返し。往復するその視線が常に

自分の胸元を経由していることに気づき

顔を赤らめるルイズだったが、

込み上がってきた羞恥は同時に閃きをもたらしてくれた。


あれ? もしかしなくてもだけど。

このままサイトに押し倒させた方が、色々てっとり早くない?

…その、どのみちするつもりなわけだし…


…そもそも、二人で過ごすこの夜は

才人に「選ばせる」ためというのが

一番大きな理由なわけで。


であれば、まずはとにかく事を進めるのを

優先するべきであって。大切にされるもされないも

二の次に考えることのはずだ。


…目の前の才人は、自分の身体に夢中になって

興奮を抑えるのが精一杯といった様子。

いまなら多少強引に迫っても怪しまれはしないだろうし

こんな調子では夜が明けかねない。

覚悟を決めたルイズは立ち上がり、

恋人に続きをやってもらうことにした。


「る、ルイズ? いきなりなにを…」


「決まってるじゃない、上が終わったら、次は下でしょ?

ほら、早くしてちょうだい」

言葉と共に片手を腰にやり、それでもって

反対の手で逃げられないようにその頭を押さえる。

恋人の顔は見えなくなるが、上ずったその声を聞けば、

どんな表情をしているかなんて、見なくてもわかってしまう。


「い、いや、流石にそれは…」

「あによ、あんたがやりたいって言ったんでしょ。

やるんなら最後までやってよね」

ぴしゃりと言い切りしばらく黙ると、流石に恋人も観念したらしい。

おっかなびっくりといった様子で、右手をパンツにかけてきた。


「…じ、じゃあ、お言葉に甘えて…」

片手では一度に引っ張れないのか、左右に行き来する手つきはもどかしい。

太ももを撫でる吐息の熱、蒸発しそうになる

思考を必死に引き止めながら待つと

やっとのことでばさりとパンツが脱ぎ下ろされる。


…恋人の肩を支えにして片足立ちになり、足元に落ちた下着を無造作によける。

生まれたままの姿になったルイズは、その感想を聞いてみた。


「黙ってないでなんか言いなさいよ。それとも、暗くてよく見えなかった?」

「いや…その…なんていうか…」

「なによ、はっきりしないわね。ちゃんとこっち向いて言ってよ」

視線を伏せたまま、言い淀む恋人。

どんな顔をしているのか見たくなって

膝をついたルイズは恋人の顔を覗き込む。


…突然のことに固まった黒い瞳孔が、だんだんと興奮で見開かれていく。

理性を保とうとしたのか、なおも俯こうとするその顔に

手を添え動きを封じると、才人はたまらず声を上げた。


「す、ストップ! ルイズ、ま、まずいって…」

「なにがどうまずいのよ。わたしの身体に文句あるっての?」

「あるわけないからまずいんだよ! すごくきれいで、

興奮しちまって! 手え出したくてたまらねえよ!」

「だったら出せばいいじゃない。それとも、そんな意気地もないの?」

「そういうわけにもいかねえだろが! …いま、いま手ぇ出したら

おれ、お前のこと…め、めちゃくちゃに、しちまうっ…!」


上ずりきったその声はもはや泣きそうで

我慢の限界であることが見て取れる。

…問題ない。あと一押しだ。

恋人が完璧に仕上がったことを確信したルイズは

微笑みを浮かべ、とどめの一言を放った。


あのね。そんな心配するくらいなら

もっとちゃんと、わたしのこと見なさいよ。

…ううん、見てくれるだけじゃ足りないわ。

わたしの声を聞いて、わたしの身体に触れて、もっと─


─わたしに、夢中に、なりなさい─


言うと同時にその頭を抱え込み、ぐいっと胸元に押し付ける。

羞恥で頭が沸騰しそうになるが、その効果は絶大で。

弾けたように才人の身体が動いた。


勢いよく伸び、自分の背中に巻きついてくる左手。

覆いかぶさってくる大きな身体に

ルイズは緊張に身体を強張らせるが…

…しかし、前のめりになった体は、それ以上は体を預けてきてはくれない。


自分を押し倒しはしたものの、ベッドに突っ張った

右手を支えに動かなくなってしまった恋人。

どうしたの、と声をかけようとするルイズだったが、

耳に入ってきた呟きに、思わず息を止めてしまう。


「…いや、やっぱダメだな。うん」


「…だ、ダメって、いったいなにがよ! まさかあんた、この期に及んで

怖気づいたなんて言うんじゃないでしょうね!?」


焦燥に駆られて思わず、ルイズは恋人の顔を覗き込むが

しかし、その黒い瞳は熱を帯びたまま。変わったところは

何も見受けられない。


「ち、違うって! …なんていうかさ、うまく言えないけど

心配とか抜きでお前のこと、大事にしたくなったっていうか…」

「じゃあうまく言えるまで考えて。じゃなきゃ納得できないわ」


本来、こんなところで時間を取られるのは好ましくないが

ここまで自分を不安にさせておいて、

半端な説明で済まされるのも腹立たしい。

雰囲気が冷めるのも覚悟の上で、視線を向け続きを急かすと

才人はゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「…ほら、昔、こうしてお前の着替え手伝ってたころ

お前の寝床に潜り込んだことあっただろ?

あのときも俺、こんなふうにお前を

めちゃくちゃにしようとしてたっけ、って

思ったら…なんか違うような気がしてさ…」


「いつの話をしてんのよ。そもそも、

あの頃のあんたはわたしの使い魔で

今はわたしの恋人でしょう?

一緒に過ごした時間も、積み上げた気持ちも

まるっきり違うのに、どうしてそこだけ比べるわけ?」


「だからだよ。だって今の俺、使い魔扱いされてた頃とは

くらべものにならないくらい、お前のこと好きになってんだぜ?

だったら、もっとお前のこと大事にできなきゃダメってもんだろ。

…くだらないかもしれねえけど。そう思っちまったんだよ」


照れ臭いのか、ぽりぽり頭を掻き始める恋人に

ルイズは呆れたように息をつく。


「まったく、なによそれ。あれだけニヤニヤわたしの体見といて

いまさらなにいってんのよ」

「かもな。でも、せっかくの夜なんだし、付き合ってくれよ。

少なくとも俺は、どれだけお前のこと好きか、お前に分かって欲しいからさ」

「…ふん。だったら、言葉なんかじゃなくて

もっと態度や行動で示してくれる?

それとも、あなたの言う「好き」って

わたしだけ裸にして恥ずかしがらせることなわけ?」


「まさか! …す、すぐ着替えるよ」


動揺を悟られぬよう煽ってみせると

案の定、恋人は乗っかってくれた。

返事をするなりばっ、と身を離し

背を向け慌ただしく服を脱ぐ恋人に、ルイズは

すべてを打ち明けたい気持ちを堪え

震える喉を理性で抑え込む。


…分かっている。分かっているからこそ、こんなにも辛いのだ。

現に、あれだけ決意で固めたはずの心が

たった言葉一つで、こんなにも容易く揺れてしまっているのだから。



「悪い、待たせた。じゃあ、その…」


生まれたままの姿になった恋人が、

再び自分の元に帰ってくる。

高鳴ってしまう胸の鼓動を、

醒めた思考で塗りつぶしながら

ルイズは自分に言い聞かせる。


恨んでくれて構わないわ。…呪ってくれたっていい。

だって。今からわたし、それくらいひどいこと

あなたにしちゃうんだから。…しなくちゃいけないんだから。


分かっている。こんなのはただ

自分の弱さを恋人に押し付けているだけだと。

だとしても、その隣に寄り添えない自分には

これ以外の選択肢なんてない。…いや、あってはならない。


「あ、でも。いくらなんでもいきなりってのは…まずはいろいろ準備とか…」

「あーもう、そんなのくっついてるうちに

なんとかなるわよ。そんなことより、することあるでしょ?」


両手を恋人に向け広げ、むっと口をとがらせてみせると、

ゆっくりと恋人が顔を近づけてくる。

重ねた唇から伝わる熱が、少しずつ体のこわばりを解いてくれるが

同時に込み上がってくる愛しさに、心まで溶かされてしまいそうで。

満たされてしまいそうな己を誤魔化すために

ルイズは建前を並び立てる。


そうよ。終わりにするっていうんなら、せめて

いまこの時くらいは…悔いなく過ごさせてあげるべきじゃないの。


愛されたいだなんて思ってない。

伝わって欲しいとも思わない。


だから、そういうことにしてしまおう。

この感情に溺れさえ、呑まれさえしなければ

それくらいは許されるはず。


そう。だってこの口づけは、自分がいま示せる精一杯の本音で。

この体を離せば最後、言葉も想いも失なわれた日々が。

…自分のことを、待ち構えているかもしれないのだから。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勝手にゼロの使い魔 22巻 カゲヤマ @311010612

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ