第6話 乙女の恋は千年を超えて

6章「乙女の恋は千年を超えて」


 1


「はい、こちらが静御前さまを祀る静神社デス」


 ほうほう、なかなか凛とした雰囲気のある佇まいの神社ですな。


「次は乙姫さまに所縁のある嶋兒神社でありマス」


 浦島伝説は有名ですね。


「そして、かの聖徳太子の御母でありまする間人さまの像デス」


 なんと、聖徳太子の母上所縁の場所がここ丹後に在ったとは!


「少し距離はありましたが、ここは細川ガラシャ様の碑が建ってイマスネ」


 細川ガラシャと言えば、明智光秀の娘で、キリストの洗礼を受けた方ですね。このようなひっそりとした地に幽閉されていたのですか。


「続きまして、ここは小町公園と言いマス。あの小野小町のお墓が近くにあるという話デス」


 小野小町と言えば、平安時代を代表する有名な歌人じゃないですか。


「あとは、とくに名所などはありませんが、久美浜という土地に、かつての王国時代に国王の妻であった川上摩須郎女に所縁のある遺跡が点在してイマス」


 それは初耳ですね。丹後はその昔、王国だったのですね。


「で、最後に、この私の事務所にもなっております羽衣天女伝説の伝わる乙女神社デス」


 クサビビメさんはここにお住まいなのですね。素敵な名前の神社ですな。こりゃ立派だ。


「以上デス。お疲れさまでシタ」

 そう言って、クサビビメさんはどこから持ってきたのか、半日回しっ放しだった小型デジタルビデオカメラのRECボタンを押して撮影を終えた。


 おい!なんだこれ。

 半日かけて、バスを乗り継いで、この安っぽいローカル旅番組的なリポートの数々は。俺は太川陽介ですか?

 

「ああ!そういえば太川陽介も丹後出身デス!よく知ってましタネ」


 知らんわ!たまたまだわ!

 いやいや、そういうこと言ってるんじゃなくて…。


 俺たちは何故か戦いとは関係なく、地元のバスに揺られながら、クサビビメさんの言うままに、この土地に所縁のあるという丹後七姫の名所を巡らされていた。

 最後の乙女神社に着いたころにはもう夕方近くになっていた。

 春の陽気に絆されて、つい良い気分でバスの小旅行を楽しんでしまった自分自身も不甲斐ないのであるが、このサザエさんのオープニングテーマの映像みたいなやつ要る?

 そもそも、俺はこんな無理やり町起こしのために作られたような七姫伝説の設定など興味もなけりゃまったく知識もないし、どっちか言うと、もう一度あの電車に乗りたかったんですけど。


「しょうがないデス!これも決戦のためなのデス」


「決戦のため?」


「そうデス。昨夜の派手な戦いがどうやら地元の不良たちに動画で撮影されてたようで、警察が来るところを無理矢理映画の撮影だったと同じ支部の天女に伝えさせました。そうしたら、観光課に許可を取ってないと言われまして、急遽大神様のお力で許可をもらったのデス」


「いやいやいや、神様の力を使わなくちゃ解決できないほどのことでもないだろ。それにそれと決戦とどう関係あるんだよ」


 連れ回されてすっかり疲れきっていた俺はいつの間にかタメ口になっていた。クサビビメさんは気にする様子もなく続けた。


「それがナント!神器のひとつが観光課に保管されていることが分かったのデス!」


「え?神器が!観光課に?そんなことってある?」


「もちろん観光課の方はそれが力を宿した物だとは知ってマセン。たまたまこの地で出土した遺跡品の中にそれがありまして、文化的価値もあるので、郷土資料館の保管庫にしまわれてあるのデス。その事実を、観光課と話をつけていた別の天女が偶然千里眼の力を持っていたのでつきとめたのデス」


 そんな偶然ってある?なんかちょっと無理があるような気がしないでもないが、俺に真実を確かめる術はないのでクサビビメさんの話を信じるしかなかった。


 クサビビメさんの話によると、地元の歴史ロマンを取り入れた特撮ヒーロー映画を撮影するので、そのロケハンとリハーサルを兼ねてあの海で撮影していたところ、監督が急に調子が乗ってきて、つい本番撮影を決行してしまったという言い訳で、なんとか観光課を言い包めたらしい。そして、地元のPRをするのなら、映画撮影もOKだと許可を得た。

 撮影のどさくさに紛れて、観光課が管理する郷土資料館に保管された次なる神器をゲットするのが今回の目的だとクサビビメさんは話しを締めくくった。


 うーん、やはりどうもかなり無理矢理な感じがする。

 まぁいい。俺はあえて騙されてもいいやと、その作戦にのることにした。と言うか、もうすでに俺たちの知らない間にほぼ作戦は遂行されていたのである。


 ところで…。


「なんですカ?まだ質問がありますカ?しつこい男は嫌われマスヨ」


(大きなお世話じゃ)


「そうじゃなくて、その次の神器はどんな力を宿した誰の物なんですか?」


 この疑問は俺だけじゃなく、他の皆も気になっていたようだ。特にまだなんの能力も得てない宇美子は今度こそ自分が継承する番だと息巻いて、クサビビメさんに飛びかかろうかという勢いで勾玉のことを訊いた。


 宇美子、能力とかいらねぇじゃん。もう充分無双やんと、俺は心の中で七、八回繰り返した。

 だが、クサビビメさんの話を聞いて、俺は考え直すことになった。


「次の神器は、丹後所縁の七姫たちの頭脳がすべて詰まった賢人の力を宿した知力の神器デス。これを宿した人間は、IQ200の大天才になり、また心も菩薩様のように大らかになって、すべての邪念から開放され、それはそれは心の強い人物になれマス!つまりどんな絶望的な場面でもパニックにならず乗り切れるスーパーミラクルな聖人君主へと生まれ変われマス!」


 な、なんと素敵すぎる神器なんだ!宇美子にぴったりじゃないか!


 やりましょう!ぜひ、そいつを宇美子に継承させましょう。もうぜったい的に宇美子に必要な神器です!

 俺も今度は心から協力します!皆の力を併せればぜんぜんクリアできます。死んでも継承させます!宇美子さんを更生させるにはそれしかありません。さあさあ早く行きましょう。

 昨日寝てないけど問題ありません。決戦は明日ですもんね。

 今から向かいましょう。


 俺は、クサビビメさんの話を聞くなり俄然やる気になった。

 だってそうだろう。正直インベーダーの地球侵略などよりも、俺にとってはすぐ目の前にいるこの最凶女子の宇美子の方がどうにかなって欲しいのだから。インベーダーを片っ端から喰らう女子などインベーダーの何倍も達が悪いし、異星人との和平の道は程遠い。

 宇美子が菩薩さまのようになって、頭も賢くなってくれるなら、こんな願ったり叶ったりな神器は他にはない。

 

宇美子は、外見は問題ないのだ。どうにかしなければ下手をすれば人類の脅威になりえるほどの決定的に残念な中身を直さなくてはいけないのだ。

 すでに俺も被害者の一人だ。

 宇美子がまともになってくれれば、俺はインベーダーとの戦いだって進んで協力しよう。


 というわけで、俺たちはろくな休憩も取らずにその神器があるという歴史資料館に向かった。ちょうどその日最後のバスが到着して、急いで飛び乗った。

 宇美子は空腹で機嫌が悪かったが、明日になればカニ(ではない)食べ放題なのだからとなんとか説得し、俺は何発か殴られたのち、必死こいて連れ出した。



 2


「ついに天吾クンも防人としての自覚に目覚め始めたのデスネ。スバラシイデス」

 と、初めてと言っていいくらいクサビビメさんにちゃんと褒められた。

 別に俺は褒められても嬉しくはない。それよりも、宇美子が普通の女の子になってくれるのが嬉しかった。


 まだ作戦は遂行中であるが、これまでに比べたら楽勝だろう。歴史資料館の保管庫というくらいだから、屈強なガードマンが立っているものかと想像していたが、警備の方は驚くほど手薄だった。

 だいたい建物自体がただの公民館レベルで、一階のレクリエーション室では、夜のチビッ子剣道教室が行われていて、俺たちは誰にも怪しまれず、なおかつ素通りで建物に侵入できた。


 壁にはご丁寧に、資料保管室はこちらと、案内板まで掛っていた。学術的価値があると言っても、きっと金銭的な価値はそれほどないのであろう。

 それが神器だと知っているのは我々だけのようだ。

 俺たち一行全員でそこに向かうと流石にバレそうなので、リキと桜ちゃんは、チビッ子剣道教室の見学をするフリをして、見張りとして残した。

 俺と宇美子とクサビビメさんの三人で、保管室に向かった。

 もちろん俺の頭の中には、ミッションインポッシブルのテーマ曲が流れていた。

 実はこういうのは嫌いではない。

 ネトゲでも、侵入ミッションが一番好きだった。


 宇美子はと言うと、こちらも案外その気になっていた。銃など持ってないのに、バナナを銃のように持って、壁伝いに周りの目を気にしつつ…。

 って、いつの間にバナナなんて持ってたんだよ。


「あっ、これ?さっきのチビッ子教室で、子どもたちのおやつから失敬してきたんや」


 余計なことは止めてくれー。と、小声で説教してやった。

 宇美子は小さく舌をぺろっと出しただけで、反省する様子はない。いつものことだ。とにかく早く、その賢くなれる神器を継承して貰わねばならん。

 俺は怒りをぐっと我慢して、クサビビメさんのあとを追った。


「ちょっと天吾クン待ってクダサイ。ワタシは監視カメラには映らないから大丈夫デスけど、アナタたちはバッチリ映っちゃうので、羽衣を広げてみてくだサーイ。ステルス迷彩機能デス」


 クサビビメさんの言われた通り、天女の羽衣を廊下の監視カメラレンズのある方向へ広げた。自分では消えているのか分からないが、これで二人の姿は完全に見えなくなったらしい。ガードマンも居ないので成功してるのか確認できない。半信半疑のまま、俺は宇美子と身を屈めながらカメラの前を通過した。

「くっつくなやコラァ。セクハラか。変態か。あん、おん」

 と、宇美子に小声でつっつかれた。おまえの方がパワハラやんと言いたい気持ちをぐっとこらえて先を急いだ。


廊下は非常口の薄暗い明りだけで、俺たち以外には人の気配もなくしーんと静まりかえっていた。

 なんとなく薄気味悪い。

 まぁ、最悪見つかったとしてもこっちは、ロケハンとしてここに来ているという話はもう伝わっている。時間が無かったからこうして黙って侵入しているだけで、仮にばれても、なんとか言い訳はできるだろうと楽天的に俺は考えていた。

 なんと言ってもこっちには大神様とやらがついているのだ。地元の危機なのだから、そのくらいはなんとでもしてくれるはずだ。


 この油断がのちに絶体絶命のピンチを呼ぶことになるのだが、その時の俺は、スパイ大作戦に興奮し、ステルス迷彩とか俺ってちょっとカッコイイかもなどと呑気に構えていた。


 保管庫のある地下一階に辿り着いた。大きな建物でもないので僅か2、3分で着いてしまった。束の間のスパイごっこは文字通り一瞬で終わってしまった。


「はい、これが保管庫の鍵デース」


 ご丁寧にクサビビメさんはすでに鍵も持っていた。ホントにただのスパイごっこだった。


 部屋に入って電気を点けると、スチール棚が部屋の隅までまっすぐ並んでいて、数々の出土品や資料が箱ごとにわけられてあった。


「えーと、あっこれデスネ。平成6年度出土品」


 いともあっさりとクサビビメさんは目的の神器の入った箱を見つけた。どうやらすでに例の天からの言霊によって詳しい情報は伝わっていたらしい。

 しかし、一応は重要文化財なのだろう?ただのプラスチックの衣裳ケースに鍵も掛けられずに無造作にそいつは保管してあった。

 保管というよりただ乱雑に置かれているだけだった。


「本当にこれが神器なんですか?」


 クサビビメさんが取り出したのは、今回は勾玉ではなく錆びた銅鏡だった。確かに古い出土品って感じはする。


「そうデース。正確にはこの銅鏡の中に、七姫の力が封印されているだけで、銅鏡自体にはなんの力もアリマセン」


「だから今回は勾玉じゃないんですか」


「そうデース。ようするに力を宿す物はなんでもいいんデス。ただ流石にその辺の石っころだと簡単に捨てられちゃうので、いかにも意味ありそうな物に封印してあるのデスネ」


 そんな理由かよ。まぁ理にかなってるって言えばそうかも知れんな。と、俺は妙に納得した。


 さてさて、いよいよだ。


 神器が勾玉だろうが銅鏡だろうがなんでもいいのだ。早く宇美子を生まれ変わらせるのだ。

 こんなやつが天才になるのはしゃくに触るが、菩薩のような心になってくれるならもうなんでもいい。

 これ以上理不尽な暴力には耐えられん。


「さっそくですが、クサビビメさんこれを宇美子に継承させるにはどうしたらいいんですか?なにかまた試練があるのでしょうか?」


 桜ちゃんの時みたいに、宇美子に攻略不可能な試練だったら困る。


「あっ大丈夫デス!この銅鏡の封印さえ解けば、なにもしなくても継承できマス。もちろん封印を解く呪文も知ってマス」


 ああ良かった。これまでなに一つ順調に進まなかったけど、今回は問題なく遂行できるのか。

 自然と涙が溢れた。感動の涙ではない。宇美子の恐怖政治から解放される安堵の涙だ。


「なんや、つまらんのー」


 宇美子は不満げであるが、これ以上なんかあってもらっては困る。俺は予定通り明日、さくっとやつらをやっつけて笑顔で帰路に着きたいのだ。もうこんな旅はこりごりだ。


「それじゃあいきマスネ」


 そう言ってクサビビメさんは、オンソワカ的な怪しげな呪文を唱え始めた。次第に銅鏡が鈍い光を発しだした。


「おお!なんかそれっぽい感じ。伝説って感じ!」


 俺一人興奮していた。宇美子は寝てないせいで大あくびだ。なんの緊張感も高揚感もあったもんじゃない。


「デマス!デマスヨ!」


 クサビビメさんの声が大きくなった。いよいよだ。


 ピロリロリーン!


「ピロリロリ・ン?」


 銅鏡が光り、なにかとてつもないパワーが溢れだすのかと思ったら、安いクイズ番組の正解音のような、なんとも情けない電子音が資料室に響いた。


「へ?これで終わりですか?」

 俺は呆気にとられて思わず訊き返した。


「ええ、終わりデス」


「あの…。これで宇美子は変わったんでしょうか?」


「だと思いますヨ」


「思いますヨじゃなくて、変わって貰わないと困るんですけど」


「じゃあ実際に宇美子チャンがどうなったか確かめてみまショウ」

 クサビビメさんは宇美子の方を向いて言った。


 俺もはっとなって宇美子を見た。


 うーん、どうなんだ?見た目はなにも変わってないように見えるが。


「宇美子さん?なにか変わった?頭が冴えてきたとか、心が穏やかになったとか…」


 宇美子は小首を傾げた。自分でもよく解ってないようだ。宇美子は口を開いた。


「腹が減ってきた。モーレツに腹が減った。これって神器のせい?」


 俺が落胆し、その場に崩れ落ちたその時、上の階からリキの叫び声が聞こえた。激しい物音も同時にして、建物ごと揺れた。


「なんだ?なにかあったのか」

 やっぱり順調にはいかないようだ。次はなんだ?


「行ってみまショウ!」


 俺たちはステルス迷彩で姿を隠すのもすっかり忘れて、急いで階段を駆け上がった。

 目の前に飛び込んできたのは、異様な光景だった。さっきまで、チビッ子剣道教室で竹刀を無邪気に振り回していた子どもたちが、鬼の形相になって、桜ちゃんとリキの前に立ちはだかっていたのだ。


「なにがあったんだ?」

 俺が訊くと、桜ちゃんが俺たちに駆け寄って言った。


「それが急に付き添いの大人たちが一斉に気を失って、そしたら今度は子どもたちの目つきが変わって、私たちに襲いかかってきたの。だけど子どもだから殴るわけにもいかないし、なんとかリキくんが盾になってくれてたんだけど、この子たちどう言ってもなにも聞こえてないみたいで攻撃を止めようとしないの」


 確かに子どもたちの様子は尋常ではなかった。

 グルルルと野犬のような低い声を発していた。顔もみな同様に険しく憎しみに歪んでいた。


「リキ子どもたちになにかしたのか?幼女の体をさわったとか」


「そんなことせぇへんわ。こいつら誰かに操られとるみたいや」


 子どもたちは竹刀で次々と襲ってきた。

 リキはなんとか傷つけないように身をかわして、子どもたちの攻撃を受け流した。

 だが、子どもたちは痛みすら感じていない様子で、まっすぐにこっちに向かってきた。



「クサビビメさん。これもインベーダーの仕業ですか?」


「違うと思いマス。あいつらにそんな力はありません。これは違う者の仕業デス」


「いったいどうしたら…」


「とにかく、子どもたちを操っている張本人を探して倒すしか方法はないデス。玄関の方からすごい妖力を感じマス」


 犯人は建物の外か。


「リキ、桜ちゃん。なんとか子どもたちを抑えつけておいてくれ。俺と宇美子で犯人を倒す」


 俺はそう言って玄関に走った。何発か竹刀をくらったが、いくら虚弱な俺でも天女の羽衣の力もあって、攻撃を振りきることに成功した。なかなかのダイハードぶりだ。俺わりとカッコイイかも。


 一方、宇美子はと言うと…。そこには菩薩様がいた。落ちつきがハンパない。室内なのに後光が射していた。やっと現れた神器の効果なのだろうか。両手の平を怪しい宗教の教祖のように左右に翳すと、オーラに気圧されて、あれほど狂気丸出しの子どもの集団が、一時的に素立ちになり、ポカンと宇美子を眺めているだけになった。

 俺は無駄に派手に立ち回ったのが徒労で終わってなんだか恥ずかしくなった。


「すごい…。七姫の神器最強やん」

 俺は思わず心の声が出てしまった。


「宇美子チャンの継承した神器はひとつで七つ分の才女の力を宿してマス。だからスゴイんデス」


 正直、神器の力はぼんやりとしてよく分からないものであったが、宇美子の変貌は事実だ。きっとスゴイのだろう。

 て言うか、宇美子が初めて暴力以外で他者を治めたのだ。

 神器の力がどうとか言うよりも、この光景自体が俺にとっては奇跡だった。


 宇美子はゆっくりと歩いて外まで出た。


「宇美子ちゃんなんだか綺麗☆」


 桜ちゃんが呟いた。俺も同じことを考えてしまった。静かな宇美子は綺麗なのか。

 ほんの少し、ドキドキした。同時に不思議な寂しさも覚えた。

 娘を嫁に出す時の父親の気持ちってこんな感じなのかなぁとなんとなくそう思った。


 しかし感傷に浸っている暇はなかった。俺たちが外に出ると、暗闇の中に只ならぬ妖気が漂っていた。


 羽衣の力が妖気を感知したのだ。


「あそこだ!あの街灯の下に誰かいる!」


 灯りの下にぼんやりと浮かぶ巨躯を発見した。

 ここから数十メートルの距離があったが、その影は人間ではないとすぐにわかった。大きさが人間のそれをはるかに超えていたのだ。

 ゆうに3メートル以上はあった。


「あ、あいつはもしかして!天吾クン近寄っちゃダメデス!」


 一緒に外に出たクサビビメさんが叫んだ。が、クサビビメさんが叫んだとほぼ同じタイミングで、その大きな影は俺の方に向かって突進してきた。


 近寄るなって言っても、むこうから来てるんですけどぉ!


「逃げてクダサイ!天吾クンの敵う相手じゃないデス」


 そう言われて咄嗟に踵を返して俺は走りだした。クサビビメさんの口ぶりからするとそいつの正体をすでに知っているようだ。


 俺のすぐ後ろで、ドスの効いた声が轟いた。


「お、おまえらよくも我が同胞を、愛する同胞を殺してくれたなー!」


 竹内力そっくりのその声は、どんどん俺の背後に近づいてきた。


「やめなさい。そなたは勘違いをしているようじゃ。そなたの名は酒呑童子の元家来であった茨木童子であろう」

 口調がいつもと違ったので、一瞬誰だか分からなかった。言ったのはクサビビメさんだった。

 そういうしゃべり方もできるのか。じゃあいつもの偽アメリカンな感じは、あれはキャラ作り?

 いや、そんなことどうでもいい。それよりも酒呑童子の仲間だって?


 俺は身を屈めるようにして恐る恐る振り向いた。

 そこに居たのは巨大な蒼い体の鬼だった。

 なんとなくあれ、映画で見たアバターに似てるなぁというのが第一印象だった。竹内力そっくりの声の印象よりも線は細い感じだった。スラリと延びた脚が、俺のすぐ傍で止まっていた。

 フンドシ姿に真っ白い着物の帯びを締めずに羽織っていて、夜風に裾がはためいていた。


「おぬしはこの地の天女か。わしがこの地を離れてからおよそ千年。悪い虫の知らせがあって、久しぶりにこの地を訪れてみたら親方さまの霊気が消えておった。そして臭いを辿ったらここに着いたんじゃ。いったいなにがあったのか話を訊かせてもらおうか。場合によってはおぬしらを皆殺しじゃ!」


 茨木童子というその蒼鬼は、俺のギリギリの所で歩みを止めたが、しかし今すぐにでも襲ってきそうな剣幕で捲し立てた。


 術は解けたようで、資料館の建物からリキと桜ちゃんも出て来た。子どもたちも気を失っただけで無事だった。


 3


「もう、ごめんねー。わしがなんか勘違いしちゃったみたいでー。驚かせちゃったねー。天吾クンって言うんだ。防人にしてはカワイイ坊やねー。頑張ってね☆じゃあ親方さまの霊魂は大神様が持ってくれてるのね。親方さまったらすぐ無茶するから困るわ。昔からそうなのよね。わしを庇って首を刎ねられたりして。だけどそんなとこが好きなのよね?まぁ体も無事みたいだし、二百年もすればまた生き返るよね。でも、この地を守って戦死だなんて、親方様カッコイイ。素敵。大好き。あーあ、久しぶりにお酒一緒に?みたかったなぁ。残念だわ。親方さまの亡骸は大事に保管してちょうだいね。腐らせたりしたらタダじゃおかないぞ!えいっ!」


 と、アイドル声でポコっとかるいゲンコツを頭に受けて、30センチほど木の床を突き破って地中に埋まった俺は、ただただ苦笑いするしかなかった。


 ついさっきまで竹内力でしたよね?とは言えず、ただただ苦笑いの愛想笑い。軽いゲンコツで地中にめり込まされて、やっぱりこいつは鬼に違いないと確信はしたのであったが、信じられないことに茨木童子は女だったのだ。

 しかもあの酒呑童子のおっさんとは只ならぬ仲だったらしい。


 今でも心の中はラブラブなのよと、3メートルを超える女型巨人、じゃなかった、蒼鬼の茨木童子にニヤニヤと大昔の恋ばなをされて、俺たちはどういう気持ちで聞いたらよいのやら。


 とりあえず誤解はとけた。

 勇敢に戦って死んだという話は、本当は真実ではないけど、ここはそういう話にしておいたほうが良さそうなので俺はクサビビメさんに合わせた。


 明日が決戦だってのにこれ以上余計な戦いはしたくない。


 そしてこの話が幸をそうし、ここにきて頼もしい助っ人が参戦した。酒呑童子のおっさんは、どう見ても枯れた田舎のじじいだったが、この茨木童子という女の鬼はまだまだ現役バリバリの妖気を発していて、ぜったいに強いと感じた。


「しかし、インベーダーかなんか知らんけど、よくもわしの親方さまを倒しおって、ぜったいに許さん。わしがぜんぶ倒してやる。酒の肴にしてやる。ぐるるるる」


 と、アイドル声からまた瞬時に竹内力声に変わった茨木童子が宇美子の姿と重なった。


 俺たちはあの後、茨木童子の背に乗って、クサビビメさんの家である乙女神社に戻っていた。誤解が解けたあと、皆で質素な晩飯を食べ、その後まったりタイムに突入したのであった。


 ふと宇美子の方に目をやると、よほど疲れていたのか、それともこれまで使ったことのない脳ミソを急激に使ったせいか、すでに横になって熟睡していた。

 リキも同じく寝てしまった。いびきがやたら五月蠅い。

 クサビビメさんと桜ちゃんだけがまだ起きていて、桜ちゃんはニコニコと茨木童子の恋ばなを楽しそうに聞いていた。

 ほっぺを微かに赤らめて…。


 って!桜ちゃんお酒?んでるやん。未成年の飲酒はダメっすよー。


「あはははは。これ甘くておいしいね」


「そうじゃろ?おぬしもなかなかいける口じゃな。さぁさぁどんどん?め?め。土産に持ってきた京の酒じゃ。わしのおごりじゃ」


 茨木童子に勧められ、桜ちゃんは水を飲むようにゴクゴクと杯を空にしていった。


「?めや、?めや」


「あはははは」


「唄えや唄えー」


「あはははは」


「さあもう脱げ脱げー。裸踊りじゃ。わしの舞いを見せたろう」


「わたしも脱ぐ―。一緒にダンスするー」


 いやそれはダメダメダメ!(と言いつつ強く止められないのが男の性だよね)


「あははは。天吾くんジョーダンだよー」


 盛大にズッコける俺。


 こんな具合で茨木童子との宴は深夜まで続いた。未成年の飲酒はダメですよと、妖怪にコンプライアンスを説いてもなんともならず、俺も無理矢理何杯か酒を?まされ、それが意外と美味くて少し良い気持ちになってしまった。

 宇美子とリキがもう寝ているって状況がなによりもGOOD!

 もうこのまま、飲んで飲んでのまれて?んで、酔いつぶれるまで?んで、明日は決戦中止ってことにならんものかなぁと微かな期待を抱いていたが、?むほどに、急遽参戦することになった茨木童子のやる気は俄然アップしていった。


「おいおなご、ところで名はなんと申す?見ればまだ幼そうじゃが、酒にはめっぽう強いようじゃな」


 上機嫌な茨木童子が空になった杯に酒を継ぎ足しながら言った。


「わたしですか?わたしは桜といいます。お酒が強いのはきっと酒呑童子さんの力のおかげですよー」


 桜ちゃんの何気ない一言に、茨木童子の顔色が急に変わった。


「ん?なに?今、なんと申した」


「だから酒呑童子さんのおかげなんです。わたし酒呑童子さんの力を継承したから」


 ガシャーン。


 茨木童子はいきなり持っていた杯を床に叩きつけ割った。再び女の声から竹内力に豹変。うん、どうやら桜ちゃん地雷を踏んだようだ。俺は酔ったふりをしてへらへらしてみたが、茨木童子に怒りは収まる気配はなく、またとんでもない事を言いだした。


「お、親方さまぁ!あいつめ、あいつめ、あいつめ、昔から幼いオナゴのケツばかりを追いかけおってからに。よりにもよって、己の力をこんな小娘に継承させたじゃと…!そ、それはつまりは男女の契りを交わしたも同じこと。ワシという者がいながら、よくも、よくも、よくも、よくも、きぃぃぃぃぃ。悔しい。悔しい。悔しい。悔しいぃぃぃぃ!」


 いや、あの、男女の契りとはちょっと違うと思いますよ。ねぇクサビビメさんもそれは違うって言ってくださいよ…。


 俺は震えながらクサビビメさんに事情を説明してもらおうと振り向いた。


「ぐー、ぐー。ぐーぐー」


 って、肝心な時に寝ちゃってるし!あんたが説明してくれなきゃややこしい話になっちゃうんですよ。

 俺はクサビビメさんを揺すったがぜんぜん起きない。クサビビメさんも酒はあまり強くないようだ。

 おいおいおいおいどうしよう。


「あ、あの茨木さん、その話はちょっと事情がありまして。決して男女の契りなどではなくて…ゲフっっ!」


 茨木童子はすでに理性が吹き飛んでいて、俺の話に耳をかそうとしないどころか、俺は酒瓶でぶん殴られてしまった。

 普段、宇美子から理不尽な暴力を受けてきたおかげで致命傷は免れたが普通ならこんなもんで殴られたら即死やぞ。


 俺は脳天からぴゅーと血が吹き出て床に倒れた。


「ぬああああ。これで合点がいったわ。ワシの親方さまが異星人などに簡単に殺されるわけはない。きさまが親方さまの力を吸い取ったせいなのじゃな。許せん。親方さまも許せんが、若さを武器に親方さまをたぶらかしたきさまはもっと許せん!ワシが頭から喰ってやるわー」


 ダメージで体が動かない。桜ちゃん逃げて!せめてクサビビメさんが目を覚ますまでは逃げ切って…。グフ。

 力尽きた俺を思い切り踏んづけて、茨木童子は巨体を起こした。桜ちゃんは恐怖で今にも泣きそうな…。いやまったくそんな様子はなかった。いつものニコニコ顔だった。


「もう茨木さんったら、わたしたちそんなんじゃないですよー。照れちゃいますよー」


 え?桜ちゃんまさかのオッサン好きなのか?なにそのまんざらでもない感じは。それに桜ちゃん、今は女子トークしてるんじゃないよ。よく見てごらん、ほら目の前のアバターおばさん、すっかり妖怪変化に戻ってるよ。マミられちゃうよー。

 意識が朦朧として声にならない。依然桜ちゃんはピンチだ。

 当の本人だけが、頭を掻きながらニコニコと頬を赤らめていた。桜ちゃんの強さがなんとなく分かった気がした。


「ぐぬぬぬ。やはりきさまも親方さまを想っておるのじゃな。外に出―い。ワシと戦って、ワシを負かしたのなら許してやろう。だが、ワシに勝てぬ場合は容赦なく喰らってやるぞよ」


「あはははは。しょうがないなぁ」


 いや乗っちゃダメだって桜ちゃん。いくら剛力の能力を持ってるって言っても、相手は怒り狂った伝説の鬼。カニインベーダーとはわけが違う。

 俺はなんとか這うように後を追ったが、二人はさっさと外に出てしまった。俺は二人の争いを止めることができなかった。


 4


 まさかの恋のバトル勃発。だれが予想できようか。だいたい茨木童子の登場だって突然だったのに。やっと危機を回避したと思ったら今度は酔いの席での恋のいざこざ。しかも原因はあの枯れたオヤジってとこがどうも納得いかない。

 茨木童子とならお似合いだと思うよ。だけど桜ちゃんとあのオッサンが恋に発展するフラグなど一回も立ってないっすよ。

 俺はなんとか這って外まで出たが、すでにバトルは開始されていた。


「くらえ!きさまごとき芥子粒ほどの頭、粉々に砕いてやるわ」


 きゃー発言が怖いよ。あんたまさに鬼だよ。


 茨木童子は疾風の早さで拳を桜ちゃんに飛ばした。長く伸びた爪が地面をかすって、境内の玉砂利が弾け飛んだ。

 攻撃の風圧が俺の顔まで届いた。あんなの当たったら本当に粉々になってしまう。なのに…。


「きゃははははは」


 桜ちゃんは笑いながら茨木童子の疾風の拳をいとも容易くかわした。こっちはこっちで怖い。戦いを楽しんでいるようだ。君はアラレちゃんか。


「ぬぬ、陰陽師も恐れたワシの疾風の拳を避けるとは。だが避けるだけではワシは倒せぬぞー。お互い奥義を尽くせーい!」


 茨木童子は別の80年代バトル漫画みたいだしもう無茶苦茶だ。


「きさまぁなぜ攻撃してこぬ。ワシを舐めておるのか」


 茨木童子の執拗な連打を難なくかわし、桜ちゃんはひょいと狛犬の上に、スカートひらりひるがえし飛び乗った。

 こんなアクロバティックな桜ちゃんを見るのはもちろん俺も初めてだった。

桜ちゃん確か学園でも天文部だったよなぁ。運動神経もそんなに良くはなかったはずだと、俺は体育祭の時の借り物競走で、いつまでもパンを齧れずにぴょこぴょこと小ジャンプを繰り返していた桜ちゃんの哀れな姿を思い出していた。

これも鬼の力なのか。でも酒呑童子の力って剛力だったはずだよなぁ。そのへんの設定わりと適当なのかなぁと、不思議に思った。

ただ、能力設定はどうあれ茨木童子にやられては困る。

俺の青春の灯火が消えてしまう。卒業式の日に屋上で告白するっていう俺の夢を消さないでくれ。

頑張れ桜ちゃん。負けるな桜ちゃん。


「あのぅ、本当に攻撃してもいいんですか?茨木童子さん」

 狛犬の上で、まったくバチあたりに見えないほど可愛く小首を傾げた桜ちゃん。つぶらな瞳に悪意はまったく感じられない。


「ふ、ふざけるなぁ。小娘が、いくら親方さまの力を継承したといえど所詮は人間の体、このワシに通用すると思うなよ」


「通用しちゃった時は?」


「構わぬ。本気で打ってこい!」


 茨木童子は防御の体勢もとらずに、ほぼ鋼の筋肉で構成された上半身を露わにして、仁王立ちで桜ちゃんの正面に立った。


「じゃあ行きますね」

 桜ちゃんがそう軽く言って一秒も経たなかったと思う。


 俺には早過ぎて桜ちゃんがなにをしたのか見えなかった。俺の花に焦げくさい匂いが漂ってきた。


 あんぐりと口を開けたままの茨木童子。

 

 よく見ると、地面になにかが突き刺さっていた。


「あれは…。ツノ?」


 俺は再び茨木童子に目をやった。頭に生えていた二本のツノのうちの一本が見事に折れて、そこから煙が立っていた。


「な、今の攻撃…。なにも見えなかった」


 さっきまで怒りの形相だった茨木童子が目を見開いて、なにが起こったのか分からない様子で棒立ちになった。


 俺もよく分からなかった。桜ちゃんの本気の攻撃って、マジで?


 桜ちゃんはいつの間にか地面に降り立っていた。桜ちゃんの右拳からも湯気が立っていた。

 なんらかの攻撃を繰り出したのは確かなようだ。


「そんなバカな。ただの小娘が鬼の力とここまでシンクロ率を発揮するはずがない」


 シンクロ率?もう、キャラ設定が適当すぎる。それはいいとして、俺も衝撃だった。宇美子に匹敵、いや、今の桜ちゃんなら宇美子以上に強いかもしれない。

 なるべくならこれ以上無双キャラは増えないで欲しいのに。


「ぬう、まぐれだ。きっと酒のせいだ。あの酒は滋養強壮剤でもあるから、きっと親方さまの力が酒に共鳴したのじゃ。解った、もう油断はせぬ。今度はワシも本気で迎え討つ!」


 茨木童子は若干焦りの顔を見せつつも体勢を立て直した。どうやら次の一撃で勝負は決着するようだ。



 争い反対派の俺だったが、やはり自分だって男の子だ。こういう場面には自然と心が燃えあがった。

 バトルシーンオンリーの展開は良い。しかも美少女。萌え要素もたっぷりだ。深夜アニメ大好きな俺の心が躍らないわけがなかった。


 もうどうせなら思い切りド派手なやり合いを見せてくれ。


「いくぞ小娘ぇ!」


 茨木童子が今度はちゃんと戦闘の構えをとった。牙がガチガチと鳴った。


「あのぅ…。わたし一応、桜って名前があるんですけど…」


 桜ちゃんは相変わらずだった。


 それでも境内の空気が一気に張りつめていくのが分かった。玉砂利が微かに揺れている。妖気が充満していた。


「ぬぁぁぁぁ。くらえぇぇ。これがワシの最終奥義!ファイナルイグジットデッドストラァァァイク!」


 だからキャラ設定!あんたは昔の妖怪でしょうが!


 茨木童子の拳から藍白い焔があがった。奥義の名前は酷いが攻撃は本気だった。境内の砂利はすべて吹き飛び、その下の地面も深く裂け、拳から繰り出された藍の斬撃は一直線に桜ちゃんを襲った。


 俺はこの時、一瞬桜ちゃんが不敵な笑みを浮かべたように見えた。距離もあったし、刹那の出来事だったので俺の気のせいかも知れないが、桜ちゃんには余裕があったように感じたのだ。


「もうこのへんにしときましょ」


 そう桜ちゃんは言って、自分の身体を襲った藍の焔ごと、拳で撃ち砕いた。火は散りじりに消滅し、拳圧が増幅しながら茨木童子に向かって飛んでいく。

 攻撃を繰り出したばかりで防御がとれなかった茨木童子は、その巨大な拳圧をまともに全身にあびて、3メートルの巨体はいとも簡単に後方に飛ばされた。神社の鳥居にブチ当たり、鳥居ごと崩れ落ちた。


 勝負は圧倒的な強さで桜ちゃんに軍配があがった。はっきり言って最初から最後まで茨木童子は桜ちゃんの相手ではなかった。

 軽く頭ポンで俺の体が地中に埋まるほどの怪力をもった鬼だ。決して弱いわけではない。桜ちゃんが強すぎた。大人と子どものケンカどころではなかった。


 燃えた。感動で目頭が熱くなった。美少女で最強ってなんて素敵なんだろう。これは宇美子とは違う。宇美子も見た目は一応美人の類には入るし強さは言わずもがなだ。しかしなにかが決定的に違う。美しさが無いのだ。

 倒した相手をその場で喰い始めるようなやつとはすべてが違う。桜ちゃんこそ最高の女神さまである。

 と、俺は一人で感涙し、ようやく出血も止まったのでズキズキする頭を押さえながら立ちあがり、桜ちゃんを讃えようと近づいて行った。


 うん。またデジャヴかなぁ?この光景見た事あるよね。


 桜ちゃんの立っていた場所には桜ちゃんではなく鬼が立っていた。あいつだ。あの幻の竜宮の浜で、桜ちゃんの偽物が変化した鬼の姿そのものだった。

 俺は喰われた記憶がフラッシュバックし、パニック発作を発症しそうになった。


「なんで?桜ちゃんシンクロ率100%的な状態で暴走モードじゃないよね?決戦を前にみんな死んじゃうからその展開はやめてね…」


 引き攣った笑顔でなるべくやさしく俺は鬼に語りかけた。たぶん鬼は桜ちゃんなんだろうけど、そこは認めたくなかった。


 茨木童子は崩壊した鳥居の下敷きになってまだピクリとも動かない。目の前の鬼に俺が勝てる気配は一ミリもなかった。


「グルルル」


 鬼は殺気だった目で俺を睨んだ。すでにこの光景は経験済みであるが、経験しているからって慣れるわけはない。

 何度だって怖いものは怖い。


「クサビビメさーん」


 俺は無意識のうちに情けない声で助けを呼んでいた。この場合助けになるのは天女のクサビビメさんだけしかいないと、弱者の防衛本能がそう働いたのだろう。


「あららら。もうこうなる前に早く起こしてクダサイネ」


 クサビビメさんだった。


「何度も起こしましたよー。いくら揺すってもぜんぜん起きてくれないんだもんなー。怖かったんですからね。ボク怖かったぁー」

 俺は泣いていた。なんかずっと泣きっぱなしだ。


「大丈夫デース。桜ちゃんは鬼の力が抜けちゃったのネ」

 クサビビメさんはそう言って、胸の谷間にしまい込んでいた小さくした酒呑童子の亡骸を天に放り投げた。

 途端に、俺の目の前にいた鬼から白い蒸気が立ちあがり、酒呑童子の亡骸に吸い込まれていった。

 小さくされた亡骸が徐々に元の姿に戻っていく。いや、元の姿ではなかった。あのしょぼくれた腹の出たオッサンの酒呑童子ではなく、引き締まった肉体美を誇る、古代ローマの戦士って雰囲気の、これなら茨木童子が惚れるのも分かるわぁってルックスのマッチョドラゴンがそこに現れた。

 どうやらこれが本来の酒呑童子らしい。


 桜ちゃんも元の、可愛さ果汁100%のあの桜ちゃんに戻っていた。


「ん?わしはどうしたんじゃ?へっくしょん!寒いのぅ。なんでわしは裸でいるんじゃ。それにこの姿は昔のわしじゃないか」


 酒呑童子のオッサンはなにも覚えてないらしい。

俺はこうなった事情をクサビビメさんに説明した。


「あらそうだったのデスネ。もし亡骸がワタシの胸にしまってあるなんてバレてたらもっと危なかったデスネ」

もっともだと思った。

「きっと茨木童子の持ってきた鬼の酒のせいで、桜ちゃんに宿った鬼の力が外まで漏れちゃったんデスネ」

 そうクサビビメさんは結論付けた。解っていたなら?ますなよなと言いたかったが、おかげで茨木童子には勝ったのだから結果オーライだった。


マッチョな姿に戻ったというのに、酒呑童子のオッサンは茨木童子の姿を見た途端、ギャーっと叫び声をあげたかと思うとまたハクション大魔王のような体型の、腐れオヤジの姿に戻ってしまった。

よほど茨木童子とは過去にいろいろあったのだろう。


「なんで?なんで?なんでこいつがここにいるの?わしなんかやらかした?勘弁してほしーわー。無理やわー。ああテンションさがるわー」

 と、酒呑童子のオッサンは完全に取り乱してキャラ崩壊寸前だった。


 そういえば!


 俺はふと重要な事を思い出した。


「あの、酒呑童子さん」


「なんじゃい。わしは今モーレツに過去のトラウマと戦っとる最中なんじゃい。腹が痛い。腹が痛いぞー」


 鬼のトラウマはどうでもいいのだ。


「酒呑童子さんを殺したのって誰なんですか?」

 俺はズバリ真相を訊いた。


「殺した?わしが殺されたのか?ぜんぜんなんにも覚えとらんぞ。わしは海まで一緒に着いていったところまでしか覚えとらん」


「本当になにも覚えてないのですか?」


「ああ。だいたいこのわしがそう易々と殺されるわけがないわ」


「なにを言ってるのヨ。オッサンはインベーダーとの戦いの最中にヤラレタんじゃないノー」


 クサビビメさんが俺たちの間に割り込んで言った。


「そうですよ。わたしを庇ってくれたんですよ。ありがとうオジサン」

 元の姿にもどった桜ちゃんが言った。

 やはり皆の記憶は書き換えられているようだ。俺だけが過去の記憶を持っている。謎は残されたままになってしまった。


「そうじゃったかいの?ぜんぜん思い出せんが、おぬしを守って倒されたのだったら本望じゃ。わはははは」


 トラウマと戦ってたんじゃないのかよ。桜ちゃんに褒められた途端ニヤニヤするオッサンの姿に、事件の真相など正直どうでもよくなってきた。生き返ったんだし。

そりゃ茨木童子が怒るのも無理はない。酒呑童子はただのスケベ親父やないか。


 スケベ親父にバチが当たったのか、いつの間にか起き上がっていた茨木童子がとんでもない殺気を纏ってオッサンの背後に立っていた。

 宇美子のゴゴゴゴを超える殺気を感じ取った酒呑童子のオッサンは、瞬時に蒼ざめて(赤鬼のくせに)ゆっくりと後ろを振り向いた。


「あの…。ごめんなさい。本当に本当にごめんさない」


 鬼の目にも涙。実際にその光景を見れるとは。


 そのあとのあれこれは悲惨すぎるので割愛させていただきます。


 それよりも大変な事になってしまった。酒呑童子のオッサンが生き返るのと引き換えに力を吸収してしまったせいで、唯一攻撃型の能力を継承していた桜ちゃんが、普通の女の子に戻ってしまったのだ。

俺個人としては、普通の女の子に戻ってくれて嬉しいのだけど、桜ちゃんを守らねばならぬという使命ができてしまった。

桜ちゃんに惚れ込んでいる酒呑童子のオッサンは、茨木童子に睨まれて、桜ちゃんに近づくことさえ許されない状態だし、なんとかリキに頑張ってもらうしかない。

俺も出来るだけやるけどさ。すでにフラフラだけどさ。


 こうして最後の夜も、結局寝られないまま朝を迎えた。


 二日寝てないよ。お布団でゆっくり眠りたいよー。といくら愚痴をこぼしても、ついに決戦の日はやってきてしまった。


 こんなモチベーションで丹後の海を守れるのか不安でいっぱいだった。

とうぜん納得はいってない。俺の故郷でもないのだし。やっぱり俺は不本意であった。

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