第3話 ミッドナイトサブマリン

3章 ミッドナイト・サブマリン



「ときめく心もしもなくしたら見えないのさ空にはなにも」とはタツノコプロの名作、未来警察ウラシマンの主題歌の一節であるが、ときめくもなにも空なんかもう見えない。だってここは深海だし。本当は深海って呼べるほどの深い場所でもないと思う。深夜だから海中はもともと真っ暗だった。

 宇美子の酔いが醒めるのを待っていたせいで、俺たちは時間に追われていた。クサビビメさんの情報だと、明後日の朝にはインベーダーたちがやる気満々で押し寄せてくるらしい。神器集めを明日に延ばすと間に合わなくなるかもしれないからと、俺たち一行はこうして深夜の海に亀型の潜水艦に乗って進んでいたのである。


 それで俺は、再放送で幼少のころに見たアニメ未来警察ウラシマンを思い出していたのであるが、亀型の潜水艦てどっちか言ったらタイムボカン系だよね。

 もう俺はなにが出てきてもいちいち驚かなかった。


 次の神器は、オトヒメ様の力を宿した竜宮の勾玉だった。


「浦島伝説って知ってるよネ?」


「ええもちろん。浦島太郎のことですよね」


「じゃあ話は早いわ。次は竜宮の勾玉を取りに海にいくわヨ」


「竜宮の勾玉ですか?ということは竜宮城に行くのですか?」


「違うわよ。竜宮城は丹後の海にはないワ」


「でも竜宮の勾玉ってオトヒメ様が持っているのでは?」


「昔はね。それを浦島太郎が玉手箱と一緒に持ってきちゃったノ」


「たしか、浦島太郎伝説って全国どこにでもありますよね?」


「そうネ。だって浦島太郎って一人じゃないもん」


「どういうことですか?」


「竜宮城に招かれたお客さんはみんな浦島太郎って呼ばれるノ。オトヒメがいちいち客の名前覚えられないからって、もうみんなひっくるめて浦島太郎でいいやって。で、ここ丹後の海にいた漁師の子も浦島太郎ってコトになったワケ。そいつが悪いやつでさ。よりにもよって竜宮城の一番の宝である竜宮の勾玉を盗んじゃったのヨ」


「それでどうなったんですか?」


「もちろんバレてサ、今は海の底で玉手箱で爺さんにされたあげく幽閉されてるワ。自業自得ネ」


「じゃあ竜宮の勾玉はもうそこには無いじゃないですか?」


「それがね。その浦島ナンバー4がね、勾玉の力を継承しちゃったのヨ。そのせいで今も海の底で生きてるんだけどネ。ワタシたちの次の目的は浦島ナンバー4の力を引き継ぐのヨ」


 と、解り易くクサビビメさんとの会話でこれまでの経緯をお送りしましたが、つまりそういうことらしい。

 にしても、4番目の客ってことで浦島ナンバー4と呼ばれてしまう伝説の人って…。


 亀型潜水艦は、由良浜海岸という場所の立岩と呼ばれる海上に突き出した大きな岩のそばに隠されていた。これもクサビビメさんが管理しているらしい。天女の仕事ってけっこういろいろあるんだなぁと少しだけ関心しつつ、俺は浜に挙げられたそいつに搭乗した。


どう見ても完全なメカだった。時代設定とかそんなもんは関係ないのだろうか。艦の中は外からの見た目よりも案外に広く、五人が余裕で入ることができた。あいにく六人は無理のようで、酒?童子のオッサンだけは浜に残された。


 潜水艦内部のコクピットは近代的なレーダー完備で、ちゃんとデジタル潜望鏡も搭載されていた。押すといろいろと発射しちゃうんじゃないのかなぁと嫌な予感たっぷりのデンジャラスなボタン類もズラッと並んでいた。

 宇美子が好奇心で押さないか心配だったが、意外にも宇美子はメカ関係には興味ないようで、一番裏の席にさっさと座り、まだ少し二日酔い気味の気持ち悪そうな表情でペットボトルの水をグビグビ飲んでいた。宇美子が静かなのは良いことだ。とってもとっても良いことだ。

 俺は男子なので電車だけでなくもちろんメカ全般好きだ。リキもすっかり立ち直って、キラキラと目を輝かせながら内部を観察していた。一生のうちで潜水艦に乗れる経験などそうそう訪れはしない。


「クサビビメさん!この潜望鏡見てもいいっすか!」


「いいワヨ」


 クサビビメさんは操縦席ですでに操縦桿を握っていた。天女って潜水艦も運転できるのか!

 デジタル潜望鏡で海面から浜の方を見ると、酒?童子のオッサンがこっちに向かって手を振っていた。ズームすると、その口元は明らかに「桜ちゃーん」と言っていた。あいつめ。


 次第に亀型潜水艦は沖へと進んで行った。


「あの、これって海上自衛隊のレーダーとかには映らないのですか?たしか近くに海自の基地もあるんですよね?」


「ああ、舞鶴にあるわネ。大丈夫よ。見た目は近代兵器っぽいけどこれも神器と同じだから人には感知できないの。選ばれた人間以外にはネ。言わば神様のステルス潜水艦ネ」


 そうか、神様ってなかなかセンスあってすげぇなぁと俺は妙に感心していた。某国が秘密裡に巡航させ、不測の事故で沈没させてしまった旧式の原子力潜水艦を、勝手に改造して亀型潜水艦に造り直したって事実を知るのはまだずっと先のことである。


「そろそろ深くなってきたわネ。潜るから席についてクダサーイ」


 クサビビメさんが言って、俺たちは各々の席についた。


 海中は真っ暗で、レーダーだけを頼りに潜水艦は進んだ。


 やがてドラゴンボールレーダーのように、円型の座標画面にピッピッと音を発しながら光る箇所が映し出された。


「そこにあの爺さん…じゃなくて、浦島ナンバー4が幽閉されてるからもう少しで着きマース」


 海底を進行することおよそ一時間で、俺たちは無事目的地に到着した。と同時に、裏の席で桜ちゃんが「はいっ」と手をあげた。


「あのー、宇美子ちゃんがなんか無理そうなんですけど、どうしましょう?」


 その声で「えっ?」と後ろを振り向いた俺の頭上から間髪入れずに…。


 エロエロエロエロエロエロエロエロ、ウゲェェェ。ゴバァアア!

 プシャー。ゴエー。ゴエー。ゴエー。って!


「ウッギャー!」


 なんかずっと宇美子静かだなぁと思っていたら最低最悪、阿鼻叫喚、地獄だぁ!地獄すぎる!


 まさか女子のリバースを全身に浴びるなどという潜水艦に搭乗する以上の、貴重だけど決して嬉しくはない経験をしてしまうとは。

俺は小学校の遠足以来のもらいゲロをしてしまった。

 ビニール袋くらい用意しとけよ。着替えどころかタオルすらないよ。どうせぇちゅうねんこれ。もう。もうっ!


 しょうがないので俺はポケットに入れていた天女の羽衣で顔を拭こうとしたら、鬼の形相へと瞬時に変貌したクサビビメさんが操縦席からすっ飛んで来て本気でど突かれた。シバかれた。シバキ回された。128連コンボを受けて死を覚悟した。


 俺は相変わらず運がない。もうここの海の底で物言わぬ貝になりたい。


 宇美子は俺とは逆にスッキリした様子で「ほな行こか」としれっと言いやがった。

 なにか間違っている気がするのは俺だけだろうか?どうもずっと不本意なまま冒険が繰り広げられている。アドベンチャーってもっと胸躍るドキドキハラハラな気持ちになるものじゃなかったのか?その中で「正義とは?」みたいな若い苦悩のジレンマがあって、ちょっと恋愛要素もあって、その先にカタルシスに満ちたエンディングが待っているんじゃあないのか?それはマンガの見すぎか?

そういやカタルシスって元々ギリシャ語の医療用語で、薬で吐かせてすっきりさせるって意味だったような、ウィキペディア情報だからホンマかどうか知らんけども、もしそういう意味ならさっきの宇美子のリバース行動はそれこそカタルシスなのかも知れんが、いや、やはりそれは絶対に圧倒的になにか違うぞ。

 ああもう誰か僕を助けてください。おうちに帰らせてください。神さまお願いします。


 こんなことを俺がデッキにぶっ倒れた状態で考えていたら、元の笑顔に戻ったクサビビメさんが俺に「たった今天神さまから言霊がきまして、オマエ防人に選ばれたんだからもっとちゃんとしないと天罰落とすゾ、ですって。フフフ」だって。


 もう充分天罰受けてますって!


「触らぬ神に祟りなし」という言葉は本当だなぁと、俺は痛感したのだった。触るつもりもなかったのにさ。



 2


 海底には大きな裂け目があって、そこをさらに縫うように進むと一か所だけぼんやりと光りを放っていて、どこから繋がっているのか無数の荒縄が複雑に張り巡らされていた。縄にはびっしりと海藻や貝がへばり付いていて、かなり古くから存在しているように見えた。

 俺は詳しく描写説明するのが嫌すぎるひどい状態のコートと上着を脱ぎ捨て、シャツ一枚で潜望鏡から海底の様子を窺っていた。

 クサビビメさんの説明では、海底に幽閉されているナンバー4を連れて来られるのは、天女の羽衣の力を継承した俺だけらしい。

 継承と言っても、俺はあの時、砂浜で羽衣を拾っただけで力を継承した自覚などまったくなかった。羽衣がどんな力を宿しているのかさえ知らないのだ。


「大丈夫。大丈夫。天吾クンはそれ持ってるだけで問題ないから、安心して行ってきてクダサイネ」


 だからもう少しインフォームド・コンセントを重要視してもらえないでしょうかね?ほら、こういうのは信頼関係が大事じゃないですか。と、いくら俺が訴えてもクサビビメさんは大丈夫だからの一点張りだった。顔は笑っているが目の奥が笑ってない。正直怖いので、俺はしょうがなく従うことにした。

 潜水艦のハッチは二重構造になっていて、第一扉を開け、俺だけが外に出された。すぐに扉は固く閉じられてもう船内には入れない。次に第二扉が自動的に開いた。海水が一気に流れ込んできた。


 クサビビメさんを信用するしかなかったが、実際に羽衣の能力を体験するまでは不安で泣きそうだった。


 俺は海底にいた。水圧も酸素も、なんの問題もなかった。それどころか水に濡れている感覚すらない。見えないバリアーのような物で覆われているのか?しかし俺の体は地上と変わらない状態で自由に動いた。海中の浮力はあるようで、足で海底を蹴るとふわりと月面移動しているように体が浮かんだ。


「すげぇ!これ超楽しい!」


 俺はしばらく海底散歩を楽しんだ。といってもほんの僅かの時間。一分もしないうちに、俺の頭の中にクサビビメさんの、呪いの声が響いた。


「天吾クーン…これ新しいアクティビティじゃないんデスからねー。時間がないの分かってマスかー?分かってるわよネェ?ん?天吾…」


 ほとんど光のない世界で、直接天女の呪怨の声が突如脳に聞こえたらどない思いますか?俺はちびるかと思いました。


「すいません。ごめんなさい。すぐに行動を開始いたします…」

「はいはーい。気をつけてネ?ガンバってネ☆」


 別に怒ってるわけじゃないのよといった口調で、クサビビメさんは声色を元に戻したが、あの天女絶対に腹の中真っ黒だ。なにかあったら無表情で人の命を奪うスゴ味を持ってやがる。これでは宇美子とさほど変わらない。いや、宇美子はああ見えても一応人間だ。どういう存在なのかいまいちよく分からないクサビビメさんのほうがある意味リアルに怖い。神の天罰がどうとか言ってたし。今は逆らうのは止そう。

 俺は指示通り、光りの方へと向かった。気のせいか荒縄がビリビリと放電しているようだ。いや、気のせいじゃなかった。水中で揺れる荒縄に巻き付けられたお札が、俺が近づくにつれ点滅するように青い炎を発しだした。水中であったがどう見てもそれは炎だった。


「あのー、なんかヤバくないっすか?クサビビメさん聞こえてるんですよね?」


「大丈夫デス!羽衣の力と封印の札が共鳴してるだけだからそのまま進んじゃってクダサイ」


 たぶん大丈夫ではない雰囲気だった。でも信じるしかないっ!


 ほらやっぱり大丈夫じゃなかった。簡単に天女を信じるものではない。


「熱ちちちちち。痛てててて」


 荒縄に貼られていたお札が剥がれ一斉に俺を襲ったのだ。


「あの、クサビビメさん?これぜんぜん大丈夫じゃないんですけども。ケツとかちょっと燃えちゃってるんですけども…」


「…」


 なんと無言!


 クサビビメさんは完全無視を決め込んだ。


 どうすりゃいいんだよ!戦い方も分からんし、とにかく早く浦島ナンバー4ってのを捕獲するしかないのか。


 俺は急いだ。青い炎を纏ったお札はどんどん数を増やして俺に向かってきた。一応天女の羽衣の力なのか体のギリギリのところでお札ははじけ飛んでいった。それでもダメージはゼロではなく、はじけ飛んだお札の火の粉がビシビシと体のいたる部分に当たっては小さい火柱をあげた。

 水中で焼け死ぬなどという奇妙な最期は嫌だ。


「うぉぉぉぉぉ!」と、やっと主人公らしい雄叫びを挙げて俺は猛進した。目の前も無数のお札に囲まれて前方がよく見えてなかった。


「うっぎゃー。痛ってぇぇぇぇ」

「うっぎゃー。痛ってぇぇぇぇ」


 叫びと衝撃は同時だった。

 俺は思いっきりそれに激突し、その衝撃で体を囲っていたお札もすべて消し飛んだ。青の炎が海中に四散した。そこが水の中だとすっかり忘れていたが、激突から一瞬間おいて大量の気泡が渦を巻いて上へ上へ昇って行くを見て、海中だったと思い出した。

 霧がはれるように気泡はちりじりになり、元の暗い海底が姿を見せた。脳震とうを起こしたのか頭がクラクラする。自分が上を向いているのか下を向いているのか分からなくなった。

 眼前に汚れた人間の脚があった。脚は縄で両足とも縛られていた。

 俺は自分が逆さを向いているのを確認し、焦りつつも体制を立て直した。


 確かに居た。ボロボロの布っ切れになった着物を辛うじて身に着けている白髪、白髭の老人が居たのだ。

 どう見てもこいつが浦島ナンバー4だった。フンドシの先が昆布の如く俺の顔を舐めて、水中のはずなのに悪臭が鼻をついた。


「臭っせー」


 気を失うかと思った。浦島太郎というより、貧乏神に近い印象のそのジジイは俺の強烈な頭突きをモロにボディーに受けて、こっちは本当に気絶していた。死んでるのかと一瞬危惧したが、鼻と口から空気が漏れているのが見えた。息はあった。


 浦島ナンバー4にとっては災難のなにものでもなかったが、こうして確保に成功した。不細工ながらもやっと活躍らしい働きができたかなぁと、俺はジジイを縄から引き離して、少しだけ誇らしい気持ちで潜水艦に帰還した。


 だのに…。


「臭い臭い臭い臭い。また吐くー!このジジイ臭い!あんたジジイ背負って自力で浮上せぇ!ボケェ!」

「そうデスネ…。ウップ。こ、この悪臭は強烈デスネ。神器にも異常がでそうデス。そうしてもらいまショウ」


 復活した宇美子と腹黒天女に蹴り出され、俺はジジイを背負ったまま再び海中に捨てられた。

 亀型潜水艦は無情にも俺たちを残してさっさと海面へと行ってしまった。


 ひどすぎる。俺だってずっと臭いのを我慢しているのに。

 すぐに頭の中にクサビビメさんのメッセージが響いた。


「ちゃんと浦島さんを連れてきてクダサイネ。そうしないと魚雷を発射しますからネ」


 やっぱりそれ兵器搭載してんじゃん。なにこの人使いの荒さ。俺がなにか悪いことでもしましたんか?命がけで浦島を確保したのにお礼も賛美の言葉も無しで魚雷で脅すなんてなんという天女だろうか。本当は悪魔じゃないのか。

 俺は無理矢理戦争に巻き込まれたアムロの気持ちがよく分かった。


「オヤジにも魚雷で狙われたことないのにー!」


 海中で叫んでも虚しく泡が立つだけで、もう潜水艦はとっくに先に行ってしまった。俺は悪臭に頭がおかしくなりそうなのを必死に堪えて、まだ気絶したままの浦島ナンバー4を担いであとを追った。


 ようやく海面が見えてきた。海上に頭を出すと、海から浜までは予想よりもずっと近く、遠くに浜が見えた。浦島の悪臭は、浦島の体の回りを覆う目に見えない膜のような物が原因だったようだ。海面に浮上するとその膜が自然に剥がれたようで、悪臭は海水に洗われ、さっきよりはマシになった。それでも貧乏神のような爺さんを背負って夜の海を漂うのは気持ち悪い。フンドシが緩いせいか、俺の背中に言葉に出したくない爺さんの物がフニャフニャと当たる感触がするし、早く浜に戻りたかった。

 羽衣のおかげで泳ぎに自信のない俺でも問題なく泳ぐことができた。亀型潜水艦の影が、雲間から覗いた月明かりに照らされて海面に見えた。あともう少し。浜まですぐそこだった。


 俺が安堵の一息をついた時だった。


 ドーンッ!


 俺のすぐ数十メートル先で潜水艦が突然爆発した。


 呆気にとられている間もなく潜水艦はブクブクと音を立て、海中に沈んでいった。


「なんだってぇぇぇー!?」


 俺の某編集部ばりの叫び声で気を取り戻した浦島のジジイが、くっさい息を吐きながら耳元で「なんじゃ?めしの時間か」と寝ぼけ声で言った。

 少しのことではもう驚かなくなっていたが、あの潜水艦にはみんなが乗っていた。これはどう考えてもただ事ではなかった。ついにインベーダーの攻撃が始まってしまったのか。

 俺は沈みゆく潜水艦を追った。だがすぐに頭の中にクサビビメさんの声が届いた。


「ワタシたちなら大丈夫デス!それより早く浜に上がってクダサイ!」


 これまでは呑気だったクサビビメさんの声が明らかに緊張していた。ただ事でないのは間違いなかった。


 足がつくところまで来ると、急にズシリと体が重たくなった。どうやら羽衣の力が無くなったようだ。俺は浦島を背負って這うように浜に上がった。上がると同時に全身の力が抜け、砂浜に倒れこんだ。


 そこにクサビビメさんを筆頭に、宇美子、桜ちゃん、リキがびしょ濡れで並んでいた。

 雲が動いて見え隠れしていた月が完全に姿を現した。照らされた砂浜全体が見えた。四人が立ち竦んでいた。俺には目を向けていない。違うなにかを見下ろしていた。

 俺も急いで重い体を起こした。


「ちょっとこれ」

「おっさん!おっさん!」

「ひどい…」


「これは…深刻かもデス」


 浜に横たわっていたのは酒呑童子のオッサンだった。


 オッサンは、すでに死んでた。

 

 3


 酒呑童子のオッサンの死体を発見してから一時間後、俺たちは浅茂川海岸近くにある嶋兒神社という小さな社に移動していた。

 この神社には水江浦嶋子、つまり浦島ナンバー4が祀られている。しかしそれは伝説上の話で、つい数時間前に実際の浦島は俺が救出していた。なぜここに移動したのかというと、ここの社に、ナンバー4が竜宮城から盗んだ宝である神器が隠されているという話を、ナンバー4本人から聴き出したからだった。むろん力づくで。


「酒呑童子のオッサンは神器でどうにかなるんですか?」

 俺はクサビビメさんに訊いた。


「酒呑童子はこう見えても鬼の一族デス。今は完全に死んでいますが、普通の人間ではアリマセン。普通の人間は死んだら魂はいわゆる常世に運ばれマス。物の怪である鬼は常世には向かいマセン」


「じゃあオッサンはどうなるんですか?」


「人間は次に生まれ変わるまで、新しい身体が見つかるまでは常世で長い時を過ごすことになりマス。でも物の怪の身体は基本的にはひとつの魂にひとつだけデス。つまりは魂の力さえ戻れば死ぬことはアリマセン」


「よかったぁ。じゃあ酒呑童子さんは生きかえるんですね」

 

桜ちゃんが安堵の声で横たわったオッサンの頬を撫でた。ちなみにここまで酒呑童子のオッサンの巨体を運んだのは桜ちゃんだった。こういう光景は見たくなかったが、神器によって剛力を得た桜ちゃんはオッサンの巨体をいとも簡単にひょいと持ち上げ、抱き枕でも担ぐように軽々と運んだ。

 少し立ち直りかけていたリキはまたもしょんぼりモードで桜ちゃんの後ろをとぼとぼと歩いてついて行った。


「で、なんでわざわざずいぶん歩いてここまで来たんや?」

 宇美子が、俺が同じ質問をしようと思ってたところに割り込むようにして言った。


「問題は誰が酒呑童子を殺ったかデス。こう見えてかつては最強の鬼だったんデスよ。そうそう簡単に殺られるようなオッサンではないんデス。それを調べるためにここにキマシタ」


「どういうことや?」

 宇美子の恐竜並の脳ミソでは分からないらしい。代わりに俺が答えた。


「つまり、浦島の神器があればその謎が解けるってわけですね?」


「さすが、防人の天吾くん。ただの鉄道オタクじゃないデスネ。その通りデス」


 いや、ただの鉄道オタクなんですけど…。と、本心は心の中に留めておいて、俺はクサビビメさんの説明を待った。


「浦島ナンバー4の持っている神器の力はズバリ時を操る力デス!」


「時間操作!それはタイムスリップってことですか?」


「簡単に言えばそうですが、現代人のあなた達なら解ると思いますがタイムスリップはそう簡単なことではアリマセン」


「つまり普通にタイムスリップして時間を戻せばタイムパラドックスが起きる可能性があるということですね!」


 俺は一応その手のゲームや小説は一通りやったり見たりしてきたのでタイムスリップの難しさはなんとなく理解していた。

 ただし他の三人はまったくそのあたりの理解力に乏しく、あんたらなにさっきから話てるの?と言ったぽかんとした表情で突っ立っていた。桜ちゃんは話すら聞いてなくて、ずっと酒呑童子の顔を撫でてあげていた。それはそれで愛らしさが溢れて魅力的ではあったが、リキは羨ましそうにうっすらと涙を浮かべ、宇美子など両手いっぱいにカニ脚を抱えて貪り喰っている…。


 ん?貪り…喰ってる…?


「っておい!宇美子はん。それいつの間に獲ってきたんすか?」


 SF展開をまたも無視してこの女はもう!


 どう見ても宇美子の抱えていた物は、あの天橋立で宇美子が捕食したカニ型インベーダーの、もはやどこかの一部だった。

「あっこれ?なんかそこの浜に打ち上げられてたから。あんたらの話難しくてわけわからんし、腹も減ったしちょうどええわ思て。ははは」


 わらっとる場合ちゃうちゅうねん。今は酒呑童子を殺した犯人を突き止めるのが先やろがい!


 流石にクサビビメさんも宇美子の姿を見て驚愕の表情だ。


「やっぱりやつらはもう動き出してるみたいデスネ」


「酒呑童子を殺したのもインベーダーなんですか?」

 俺は再度クサビビメさんに訊いた。


「それはないと思いマス。集団攻撃なら可能性はなくはないですが、酒呑童子の身体を見るかぎり一撃で殺られてマス。インベーダー一匹くらいに殺されるオッサンじゃないデス。それにそのカニも浜で倒れてたんですよネ?」


「ああ、これ?そうよ。そこに倒れてた」

 宇美子は甲羅の中身を素手でほじくり回しながら答えた。


「他にインベーダーとは違う何者かがいるようデスネ。やはり浦島の力を借りるしかないデス」


 宇美子のせいで少し論点はずれたが、結局時を遡ることには変わりないようだ。

 クサビビメさんは話を続けた。


「天吾クンが言ったタイムパラドックスの件ですが、それは心配ありまセン。浦島の力は、時空を超えられるほど強力ではないデス。本来の持ち主であるオトヒメが使えばタイムスリップも可能かもしれまセンが、もしものためのセーフティネットとして玉手箱が用意されていました。例外なくこのナンバー4も玉手箱の力で見ての通り腐れジジイになってしまいました。今持ってる力はせいぜい過去のビジョンを覗き見ることくらいしかできまセン」


 腐れジジイ呼ばわりされた伝説の浦島さんは、深海に幽閉されていた疲れのせいか、はたまた単に老化のせいか、社の石段に腰を下ろし、ぜぇぜぇと荒く臭い息を吐いて今にも死にそうな雰囲気だった。やっとの力で、浦島ナンバー4は口を開いた。


「長く辛い海の底から助け出されたと思ったら、この老いぼれをこんなに歩かせやがって、宝は渡さんぞ。わしはもう一度竜宮城に行ってこの体を元通りにして貰うんじゃ。そのためには宝をオトヒメ様に返さなくてはならん。わしはもう懲りたんじゃ。オトヒメはそら恐ろしい女神じゃ」


「浦島さん安心して、神器はすぐにあなたにお返しシマス。ただ少しだけお借りするだけデス」


「わしは誰も信じんぞ。特に女神の話はな」


「あら、ワタシはメガミじゃないデス。天女デス」


「同じようなもんじゃ。触らぬ神に祟りなしじゃ」


 なんか俺と同じようなことを浦島爺さんは吐き捨てるように言った。俺としては罪人とはいえ、この戦いになんの関係もない浦島さんには同情できる部分が多々あったが、残念ながらうちには宇美子がいた。余計に同情してしまった。


「ジジィ。つべこべ言わず力を貸したってもらえへんか?そうせんとまた深海に戻したってもええんやで。誰に助けてもらったかもう忘れたんか。恩を仇で返すとはさすが盗人やな。罪人やな。さらに恐ろしい末路が待っていても文句は言えへんなぁ。どうなんや?ジイ様よ。あん?おん?」


 宇美子、浦島さんを助けたのは俺だよ。宇美子は潜水艦の中で酔って横になってただけじゃん。俺にゲロをぶちまけただけじゃん。すまん浦島さん。俺がこの戦いに巻き込まれたと同じように、運が悪かったと諦めてください。ほんますんません。


 浦島ナンバー4は、宇美子の凶悪なメンチと気迫に震えあがって、泣く泣く神器を渡すことに合意した。ほとんどただの恐喝である。ちょっとチビってたし。もう一度言います。ほんまにすんません。


「はい、話は決まりましたネ。あとはこの神器を誰が継承するかですネ。宇美子サンかリキクンか」

 クサビビメさんは宇美子とリキの顔を交互に見た。

「うーん。そうネ。正直この力はどっちでもいいのよネ。酒呑童子の時のような適正検査もないデスし…」


「あのクサビビメさん。オレどっちか言ったら桜ちゃんみたいにガッツーンと肉弾戦で使えそうな力が欲しいんやけども」

 リキが弱々しい声で言った。もうおまえには肉弾戦は無理じゃないのか?この旅で心がボッキボキに折れて再起不能状態だろ。と俺が思っているとクサビビメさんが


「リキクンあなたもう心ボッキボキじゃないデスか?肉弾戦は無理デスネー」ってトドメを刺した。まったく女は残酷だ。


「はいじゃあ決定!竜宮の勾玉はリキクンに継承してもらいマショウ!」


「ちょ、ちょっと待ってください!」

 俺は叫んだ。


「ハイなんでショウ?天吾クン」


「その竜宮の勾玉なんですが、それってリキが継承しなくても元々そこのジジィ…いや浦島さんが継承した力でしょう?だったらわざわざリキじゃなくても浦島さんに過去の映像を見せてもらったらいいだけの話じゃないんですか?こんな力を継承しても、その…インベーダーたちとの戦いになんの役にも立たなさそうだし」


 俺の頭をよぎったのは、浦島ナンバー4が竜宮城から盗んだっていう竜宮の神器の力って、スタンドのムーディーブルースの能力と丸被りやんって事と、筋肉バカがそんな能力を持ってもなんかエロいことにしか使わないんじゃないかという懸念であった。それをクサビビメさんに話してもしょうがないし、だいたい流石にムーディーブルースは知らないだろうと思って、よぎった考えは話さなかった。


「まぁ…。そうかもしれないわネェ。リキクンがムーディーブルースみたいな力持ったところで一回使えばもう終わりだわね。話の展開のために都合よく出てくるモブキャラ扱いになっちゃうわネ」


 ムーディブルース知ってるのかよ!モブキャラって、どんだけマンガカルチャーに詳しいんだよ、天女のくせに。

 俺が呆れていると、クサビビメさんは社にポーンと飛んで行って、薄汚れた木戸の奥からボロボロの子袋を取り出した。

 子袋から小さな勾玉を出すと、近くでヘロヘロになっていた浦島ナンバー4に吸い寄せられるように勾玉は浦島の元へ光を発しながら飛んで行き、キーンという耳につく異音を出して、やがて銀色の神鏡へと変化した。


「これが竜宮の神器の真の姿です。過去を復元させる鏡『覆水鏡』デス」


「や、やめてくれぇぇ。こいつのおかげでわしは数百年も海の底で幽閉されてたんじゃ。もう見たくもないわ!こいつはおまえらにやる。いや、ダメだこれをオトヒメに返さないとまた呪われてしまう。ど、どうにかしてくれぇ。わしを助けてくれぇぇぇ」

 浦島ナンバー4のジジィは完全にパニック状態で、オロロンと泣き叫んだ。なんか浦島太郎の話って嫌やなぁ。夢壊れるなぁと、俺は冷めた目で、老いぼれジジィのフンドシのはだけた汚いケツを眺めていた。


 その時だ。宇美子が突然、またしても展開を無視した声を発した。


「キッッタァァァー!やりぃ。マジで?マジで?ありえへん。これありえへん。カモがネギ背負って来おったでぇぇ!無双タイムやでぇぇぇ!」


 なにを言っとるんだこいつは?カモがネギ背負ってくるかアホ。そう思って宇美子の方を振り向いて、俺は腰をぬかした。


 カモがネギを背負っているわけではなかった。しかし…。目の前に広がっていたのは、浜から次々と上陸してくるカニの大群だった。

カニといっても普通のカニじゃない。

 そう、あいつらだった。カニ風の、クサビビメさんの言うインベーダー達。本当にインベーダーゲームのように隊列を組んで、ズンズンとこちらに迫って来ていた。

 俺たちにはゲームのようなトーチカもない。撃墜させるための戦闘機もない。あるのは己の肉体のみだ。


「やっぱり酒呑童子を殺ったのはあいつらでしたかネ?どう思います?天吾クン」

 真顔でクサビビメさんが言った。


「いやいやいや、どう考えてもそりゃそうでしょう。それよりもこの状態、大ピンチじゃないんでしょうか」


「どう見てもそうデスネ。天吾クンオメデトウ。いよいよ防人の本当の仕事の開始ですヨ。うふふ」

 クサビビメさんは不敵な笑みを浮かべた。まるでこの絶体絶命の状況を楽しんでいるかのようだった。

 状況を楽しんでいるのはクサビビメさんだけではなかった。


 宇美子はもうカニに向かって走りだしていた。

 桜ちゃんは来ていたコートを丁寧にたたんで地面に置き、顔に似合わないファイティングポーズをとっていた。

 桜ちゃんの姿を見てリキは速攻で上半身裸になり、自慢の上腕筋を振り上げて雄たけびをあげた。

 ドン引きしているのは俺だけか。否、浦島のジジィはションベンを漏らしながら泡を吹いて気絶していた。ズルい。俺も気絶しときゃよかった。

 クサビビメさんにポンと背中を押されて、俺は前のめりに二三歩前に出た。


「今こそ神器の力を見せちゃりぃ。がっしゃー楽しげだっちゃーぁぁぁ」

 クサビビメさんの目の色が変わっていた。地元の方言が出ていた。こりゃマジやなと、俺は覚悟を決めるしかなかった。


 ああ、そうです。みなさんもお分かりでしょう?もちろん不本意ながらっすよ。ヒーローの戦いなんてだいたい不本意ってもんですよ。だって戦う理由ねぇんやもん。

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