第8話 さらば日本海!

8「さらば日本海!」

 

 1

 カニ臭い浜には宇美子と俺の二人。曇天模様だった空からついにパラパラと雨が落ちてきて頬に当たった。さっき砂浜に埋まった時に顔を擦りむいたのだろう。ヒリヒリと沁みた。

 ところで…。


「宇美子。他のみんなは?」


「なんや!」


「いや、だから他のみんなはどうなったのかって」


「今、おまえ目の前で見てたやろ。なに言っとんねん」


「俺は太古のビジョンを見ていたから知らないんだ」


「はっ?頭わいとんのか?意味不明なこと言うな」


「嘘じゃない。頭の中に突然現れたんだ。それより俺が訊きたいのは他のみんなはどうなったのかって」


「そんなもん喰ったに決まってるやろ!ボケ」


 なにを宇美子は言っているんだ。


「だから、おまえが喰えって言ったから喰ったんやろが」



 嘘だろ。いくら宇美子でもそんなことするわけはない。俺だってみんなを喰えなんて一言も言ってない。


 宇美子の様子が明らかに変だった。目の焦点が合ってない。瞳孔が開ききっていた。ついに人間の理性まで失ってしまったのか?でもまさか。

 物理的に考えたってみんなを胃の中に収めるのは不可能だろう。いや、あれだけのカニたちを捕食したんだ、もしかしたら宇美子は本当のことを言っているのか。


 俺はどこかに誰かの欠片が落ちてないか、怖いと感じながらも咄嗟に捜してしまった。

 どこにも皆の痕跡はなかった。


「宇美子、嘘だよな。みんなも喰ったなんて…そんな出鱈目な話するなよ」


「なんでわたしが嘘言わなあかんねん。腹が減ったら喰うのは人間なら当たり前やろ」


 無茶苦茶だ。当たり前なはずはない。それではただの肉食獣だ。冗談でカニバリズムなんて連想したこともあったけど、本当に実行するバカがどこにいる。


「吐き出せ。今すぐ吐き出せ。丸飲みだろ?丸飲みならまだ間に合うから」


 我ながら冷静さを失っていた。

 幻の竜宮で桜ちゃんに化けた鬼に喰われた経験があったから、宇美子の話ももしかしたら嘘じゃないのかもと、ぜんぶではないが信じている自分がいた。


 もう一度周りを見渡した。やはり誰もいない。

 あるのは魚介系インベーダーたちの残骸だけだった。


 宇美子はこれだけの数を喰べ尽くしたというのに、まだ満たされていないのか、浜に転がった羽根の取れたトビウオ型インベーダーをつまんで、生のまま頭からむしゃむしゃと喰べ始めた。



「もうやめろ宇美子!戦いは終わったんだ。やめてくれ。おまえはいつからそんな化け物になってしまったんだよ」


 俺が叫んでも、宇美子は構わず残った魚を喰べまくった。魚が無くなると、カニ型の千切れた殻にこびり付いた僅かな肉をチュウチュウと吸いだした。

 こうなったらもうただのゾンビだ。


 俺は足もとにあった長めの流木を拾い上げ、思い切り宇美子の頭を殴った。俺が止めるしか、宇美子の捕食は終わらないと感じたからだ。

 友達を、しかもこう見えても列記とした女子の宇美子を殴ることに一瞬の躊躇いはあった。

 だけどこれしか方法が浮かばなかった。


「宇美子ぉぉ。もうやめろぉぉぉ!」


 俺は一発では倒れなかった宇美子を何度も何度も殴打した。ごつごつした流木を素手で握っていたから、俺の手も血で滲んだ。


 何度も何度も、厭な衝撃が両腕に響いた。何発振り下ろしたのだろう。俺も訳がわからなくなっていた。ついに流木も根元から折れてしまった。

 ポタポタと砂に血が沁み込んでいくのが見えた。

 宇美子の血だ。


 やっと…やっと宇美子の口が止まった。宇美子は両腕を力なく地面についた。その手もぐにゃりと曲がって、顔面から砂浜に突っ伏した。


 殺ってしまった。俺は友達を殺してしまった。とりかえしのつかないことをしてしまった。


 顔面を砂につけたまま宇美子は動かなくなった。鮮血が見る見る拡がっていく。

 俺は恐怖と絶望が綯い交ぜになった黒い物が込み上げてきて、初めて殴られてもいないのに吐いてしまった。

 これが戦争なのか?違うだろ?こんな結末は望んでないし、これではどちらが勝ったのか分からないじゃないか。俺一人残されて、これからどうすればいい。警察に出頭するのか。友達を卒業旅行の最中に殺してしまいましたって。

 じゃあ桜ちゃんとリキはどう説明すればいいんだ。


 パニック状態だった。ブルブルと全身を震えが襲った。歯がガチガチと鳴った。

 夢だろ?これも、あの時と同じ幻だろ?また気を失って目覚めたら、みんなが俺を迎えてくれるんだろ?

 俺は力が抜けて、腰から砕け落ちるように座り込んでしまった。どうすることもできず、いきおいが増した冷たい雨にしばらくの間うたれ続けていた。


 背中につたう雨水に寒気を覚え、俺は我に返った。以前頭は空っぽのままだった。

 ふと海の方を見た。雨のせいか戦いが始まるまではちらほらと歩いていた観光客の姿もなくなっていた。

 宇美子が観光客まで喰べてしまったのじゃないのかと不安になった。

 次の瞬間、空からヒラヒラと舞いおりてくるなにかの姿が視界に入った。デジャヴを感じた。たった三日前に遭遇したばっかりの光景だ。だけど似ているようでまったく違った。

 ヒラヒラと旋回しながら俺のすぐ頭上で浮いたまま停止したのはクサビビメさんだった。


 クサビビメさんは無事だったんですね。俺がそう言おうと言葉を発するより先に、クサビビメさんが口を開いた。

 その言葉は俺の知っているクサビビメさんじゃなかった。


「おぬし…。よくもこれまでワラワを騙しておったな。危うく死ぬところじゃったわ。だが、ぬしらの正体が分かった今、もうワラワに怖い者はおらん。呪いをかけておいてよかった。おぬしらで勝手に自滅してくれたのだからな。神器の秘密もやっと解明できた。これでこの丹後の海はワラワの物じゃ。おぬし一人ではもうなにもできぬまい。人殺しとして裁かれるがいい」


 そう言い残して、クサビビメさんは天空高く飛び上がり、再び姿を消した。


 今のはなんだったのだろうか。

 俺がクサビビメさんを騙していたってどういうことだ?

 呪いっていったい…。神器の秘密?


 絶望に打ちひしがれていた俺だったが、クサビビメさんの登場によって、ちがう感情が芽生えてきた。


 やはりこの旅には俺の考えもしなかった大きな陰謀が隠されている。これまでも説明のつかないおかしな事が何度となく起きた。

 浦島はどこに消えたのか。

 宇美子はなぜあそこまで変わってしまったのか。

 俺が見た幻の竜宮の浜や、脳裏に映った太古の記憶はなんだったのか。

 俺は一人になってしまったが、ここで諦めるわけにはいかないと強く感じた。

 クサビビメさんの後を追おう。そう決めた。

 おそらくクサビビメさんは乙女神社に戻るだろう。他にヒントはない。もう一度乙女神社に行くしかない。もしそこにクサビビメさんがいなくても、俺は捜しあてるまで何周でもこの地をまわってやる。


 俺は全身雨に濡れたまま、駅の方へと歩きだした。

 時刻表はすでに頭に入っている。時間を確かめ、乙女神社のある峰山町行きの電車に飛び乗った。

 なんの確証もないが、今はクサビビメさんを見つけるしか真相に辿り着く術はないだろう。

 目的の駅に着くまで、ぼんやりと車窓に肩を押しつけて、灰色の風景を眺めていた。俺の気持ちを表すかのように、窓ガラスの外はずっと鈍色に霞んでいた。


 2


「自分そんなシリアスなキャラちゃうやろ。来るの遅すぎるわ。日暮れるか思ったわ」

 リキがいた。


「ほんまじゃ。キサマの持ってる羽衣の力を使って全力で走れば列車よりもよっぽど早く着いたじゃろが。なにをちんたら車窓の旅気分で来たんじゃ。このアホが」

 服がボロボロになって余計にアバター感が増した茨木童子が怖い顔をして俺を睨んだ。


「まぁまぁそう言うてやんな。逃げずにここに着いただけでも認めてやろう。最近の子は褒めないとのびないって言うじゃろ」

 酒呑童子のオッサンもいる。


「天吾くんなりに頑張ってたからわたしは怒らないよ」

 ああ、桜ちゃんだ。桜ちゃんの言葉はいつでも誰よりも優しい。


 駅で俺を待っていたのは、涙が出るほど嬉しい光景だった。

 みんな生きていたのだ。

 やっぱりおかしいと思っていた。宇美子がみんなを喰うはずがない。


「みんな…。良かった生きてたんだね…うう」


「天吾くんごめん」


「いやいいんだよ桜ちゃん。みんなさえ無事だったなら謝らなくてもいいよ。良かった良かった…ううう」


「いやそうじゃなくて、今時間が無いの。急いでクサビビメのあとを追わないといけないの。行き先はもう分かってる。でもそこであいつを逃したら大変なことになっちゃうの。泣いてる暇なんかないから」


 桜ちゃんは感動でむせび泣く俺を、ベリークールな口調で制した。俺は訳もわからないまま、茨木童子の背中に乗せられた。

 バス移動を考え、ちゃんとバスの運行表も確認してきたのに、乗り物担当の努力は無駄に終わった。


「時間がないから、移動している間に手短に説明するわ」

 茨木童子の背中で、桜ちゃんが言った。いつもと雰囲気が違う。こんなクールな桜ちゃんは初めてだった。

 そして桜ちゃんの語った真実はぶっ飛び過ぎてて、すぐには信じられない内容だった。


「私も天吾くんが防人でなく本来の力を知らない間に発現させていたことに気づかなかった。と、ややこしくなるからとりあえずその話は置いといて、先に宇美子ちゃんのことと、この旅の真の目的を話すね。一回しか言わないからしっかり聞いていてね」


 いまいち桜ちゃんの言葉が要領を得ない。俺はただ黙って頷くことしかできなかった。


「この旅の発端は、去年の修学旅行の時、宇美子ちゃんが沖縄の海で呪われたことから始まってるの。犯人は天女のクサビビメと、その手下。その呪いによって宇美子ちゃんはヒダルガミにとり憑かれてしまった。ヒダルガミにとり憑かれるといくら喰べても空腹が満たされなくなる。最初は宇美子ちゃんも己の力で呪いを抑え込んでいれた。だけど、竜宮の神器が奪われたことによって、じょじょに宇美子ちゃんは力を失っていき、生きる屍、つまりゾンビ状態になってしまった」


「ちょ、ちょっと待って桜ちゃん。話の意味がよくわからない。なんで宇美子が竜宮の神器と関係あるの?それに宇美子が呪われたって、呪われる理由が解らない」


 桜ちゃんは少し困った顔をして溜め息をついた。でも俺が疑問を抱くのは当たり前だ。そもそもなんの話をしているのか意味不明なのだ。桜ちゃんはしばらく考えてからさらに続けた。


「信じるか信じないかは天吾くんに任せるわ。簡単に信じてと言って理解してもらえるとは思えないから」


 桜ちゃんはそう前置きして、本当に簡単には信じられない話をした。そう、すべてはあらかじめ決められていたんだ。


「宇美子がオトヒメ様の生まれ変わり?桜ちゃんはコノハナサクヤビメで、リキがタジカラオだって?」


 桜ちゃんの話は俺の想像のはるか上をいっていた。

 

 宇美子は、竜宮城の主だったオトヒメの転生した姿だった。竜宮城はやはり沖縄の近くに存在していて、特別な方法でないと辿り着けないらしい。浦島伝説の通り、遥か昔、竜宮に浦島太郎が招かれ、オトヒメはそこで浦島と恋に落ちた。

 浦島が竜宮城を去ったあとも、浦島を忘れられないオトヒメは、竜宮に神の力を宿す神器だけを残し、浦島のあとを追って、やがて関西に流れついた。その後、オトヒメがどうなったのかは分からないが、宇美子はオトヒメの転生した姿なのだと桜ちゃんは説明してくれた。

 桜ちゃんの言うには、この国の太古の神々は、己の体が消滅したあとも、何代にも渡って魂の転生を繰り返し生きてきた。

 自分が神の生まれ変わりだと知らないまま一生を終える者がほとんどであるが、ごく稀に己の力に目覚める者がいる。

 それが、桜ちゃんやリキであり、宇美子もまた自分がオトヒメの生まれ変わりだと、修学旅行先の沖縄で気づくこととなった。

 同時に、クサビビメの手下によって竜宮城に眠っていた神器が持ち出された事実を知る。

 みんなであとを追い、手下と戦ったが、逆に宇美子は呪われ、神器は奪われてしまった。この旅は、オトヒメが隠した神器を取り戻すための旅だった。

 これがこの旅の真相だ。


 桜ちゃんの話を聞いた後も、俺の疑問はまったく消えない。こんな突拍子もない話をどこまで信じたらいいのかすら分からない。仮にこの話を事実として受け入れたとしても、やはり謎は残る。


「クサビビメさんが宇美子に呪いをかけたのだとしたら、なんで最初の出逢いの時、俺たちをインベーダーとの戦いに巻き込んだんだよ。おかしいだろ?」


「そうね。お互いに顔を知ってるはずなのに、共に協力してインベーダーと戦うなんてね」


「そうだよ。ぜんぜん辻褄が合わないじゃないか」


 俺はもっとたくさんの事を訊きたかった。


「この旅にはもうひとつ、天吾くん、君が深く関わっているのよ。君の真の力に私たち全員が惑わされた…」


「時間切れじゃ。着いたぞ。話はひとまず終わりじゃ」


 一番訊きたかった重要なところで、桜ちゃんの言葉を地上に降り立った茨木童子が遮った。


 俺がなにをしたって言うんだ?俺はなにも自覚はない。

茨木童子の背から降りた桜ちゃんはすぐに走りだした。俺は呼びとめようとしたが、本当に時間が迫っている様子で、他のみんなも真剣な表情で脚を速めた。俺はあとについていくしかなかった。


 




 3


 そこは乙女神社ではなかった。一帯に拡がるのはただの田園風景。どこの田舎でも見られるいたって普通の田んぼのあぜ道を、一列になって進んだ。

 少し先の田んぼに柿の木が植わっていて、木の根元にお地蔵さんを祀るほどの小さな祠が見えた。


 それまでは小雨まじりの田園風景だった辺りが、目に見えない境界を跨いだ瞬間に、空気が変わった。空の色も夕焼けよりも赤い煉獄を想わせる空色になった。


「ここは?」


「ここは月の輪田。丹後王国時代に最初に米が作られた場所よ」

 桜ちゃんはすでに臨戦態勢に入っていた。俺に説明しながらも周りの気配を探っている様子だ。


「月の輪田?」


「この場所で、太古の稲作の神だった豊受大神様が天照大神様の命によって初めて米を作りだしたの」


 どう見てもどこにでもある田んぼの一つにしか見えなかったが、史実を伝える粗末な石碑がぽつんと立っていた。ゆっくり読んでいる暇はなく、ちらっとだけ「日本稲作発祥の地、月の輪田」という文字が目にはいった。


「クサビビメは本来ならこの地の稲作を守る役職についていた。それがなんらかの理由で、突如、丹後の海を乗っ取ろうと企てた。そのために竜宮の神器が必要になったってところまで、私は突き止めたの。宇美子ちゃんがヒダルガミの呪いでゾンビになる前に神器を取り戻したかったんだけど、あのインベーダーの襲来事件によって、逆に宇美子ちゃんのゾンビ化は進んでしまった」


「そうか、宇美子がいくら強いと言っても、常人離れした力を発揮したのはすべてヒダルガミの呪いのせいだったのか…」

 なんとなく合点はいった。宇美子の異常な食欲が、宇美子本来のものじゃなくてほっとした。

「じゃあ、クサビビメはここのどこかに居るんだな」


「まだここには来てない。私たちはクサビビメよりも先回りするために急いでいたから。クサビビメはこの地に存在するもう一つの天女の棲家、奈具神社に隠してある竜宮の神器を持ってからここに来るはず。私がこっそり調べたけど、乙女神社には神器はなかったから。念のために遠くに隠しておいたのがアダになったわね」

 奈具神社はここからだいぶ距離の離れた弥栄という場所にあるから時間的には充分間に合っているはずだと桜ちゃんは続けた。


「そういやクサビビメはこう言ってた。やっと神器の秘密が解ったって」


「ええ。竜宮の神器はもしもの時のために封印がされていたから」


「でも、もう秘密は解けたんだろ?ヤバイんじゃないの」


「だからこうして先回りしたの。神器の封印はこの月の輪田でしかできないから」


 俺は神器の秘密を知りたかったが、いつもの、もう慣れっこになったお馴染みのバッドタイミングで、クサビビメが境界を越えてついに月の輪田に降臨した。

 クサビビメと一緒にもう一人男が付いていた。

 見覚えのある顔だった。


「あいつ、浦島ナンバー4!」


「ええ。だけどあいつは浦島なんかじゃない。あいつはクサビビメの手下のヒエノソコツガミ。要するに貧乏神の仲間。宇美子ちゃんにヒダルガミの呪いをかけたのもあいつ」


あのジジイやっぱり貧乏神だったのか。臭いし、臭いし、臭いし、俺も浦島っていうよりどう考えても貧乏神としか思えんよなって第一印象から感じていたんだ。俺の勘は間違ってなかった。


 ん?待てよ。じゃあ桜ちゃんたちはやっぱり浦島ナンバー4のことは知ってたのか?

 あのカニ型インベーダーの大群と戦った網野の浜で、俺が夢から醒めた時、みんなの記憶は書き換えられていたはずだ。


「桜ちゃん…」


「言いたい事は分かってる。あれはみんなが君に嘘をついてたわけじゃない。一時的に本当に記憶がすり変わっていたの」


 桜ちゃんの言葉で、薄っすらとだが点が線に繋がった気がした。これまでの出来事を考えると、真実はひとつしかなかった。

 信じられないし、自分自身でも信じたくない。


「あの…俺…」


「シッ、クサビビメに気づかれるから身を屈めて」

 桜ちゃんは俺の口をふさいで、小声で言った。俺も急いで身を屈めた。


 桜ちゃんてこういうところは、シリアスシーンでも変わらずにド天然なんだなぁと思った。俺たち二人が屈んだところで、すぐ後ろで同じように屈んだ茨木童子の巨体は、ペンペン草以外になにも生えていない田園のど真ん中でまる見えだった。


「てへ。私ってドジね☆」


 どんな場面でもカワイイと感じた桜ちゃんにほんの少しだけ「あんたバカ?」って言いそうになった。


「おぬしら生きておったのか!しぶといやつめ。ゾンビ化したオトヒメによって全員喰われたと思っておったが、まぁよい。わたしがここで討ち取ってやる」


 クサビビメはすぐに俺たちに気づいた。そりゃ田んぼの真ん中に巨大アバター似の鬼が屈んでいたらアホでも気づくよなぁ。


「キサマが黒幕か。天女ごときワシ一人で充分じゃ」


 アバターでは決してない茨木童子が先陣を切った。

 ぱっと見、この中で今一番頼れる存在だ。


「鬼がなにを言う。しょせん物の怪、神族には勝てまいて」

 クサビビメはそう言うと、上空に舞い上がり得意の急転落下攻撃を繰り出した。茨木童子も負けていない。あれほどの戦で、体力の消耗も激しいだろうに疾風の拳はいささかも衰えてはいなかった。


 空中で両者がぶつかりあう。風圧が地上まで届いて、境界の壁がビリビリと震えた。俺も飛ばされそうになった。


「わしも加勢するぞ」


 酒呑童子のオッサンも茨木童子に助太刀しようとしたが、それを浦島ナンバー4と偽っていたヒエノソコツガミが阻んだ。


「貧乏神がわしと対峙するなど一万年早いわ」

 

こんなに怒っている酒呑童子のオッサンは初めてだ。いわれのない浮気疑惑をかけられてイライラが溜まっていたのだろう。

 

ヒエノソコツガミはなにかゴニョゴニョと呪文のような文句をつぶやいた。すでに刈り取られて泥がむき出しになった水田の水に波紋が立った。ほぼ同時に、水田の底から泥が人の形となって、起き上がってきた。

一体だけではない。泥人間は何体も生まれて、俺たちに襲いかかってきた。


「ぬぅ。泥田坊か。ザコが邪魔をするなぁ!」

 

酒呑童子が拳を振るうと簡単に泥人間は消し飛んだ。

 だが、いくら倒してもすぐに復活してしまう。次第に泥人間同士が合体して、巨大な泥の塊へと変化していった。


 酒呑童子は大量の泥に飲み込まれて見えなくなってしまった。


「待ってろオッサン!オレが助ける」


 リキが泥の塊に突進したが、表面の泥が飛び散っただけで酒呑童子までは届かない。

 泥の中から酒呑童子の声が小さく聞こえた。


「泥田坊はただの操り人形じゃ。本体の貧乏神を叩くんじゃ」


 声が聞こえても相変わらず俺はオロオロするだけだった。

 リキは辺りを見回してヒエノソコツガミを捜したが姿が見つからない。


「天吾くん!」


 桜ちゃんが俺の背中をおした。


「わかってる。ちょっと待って桜ちゃん。俺は確かになんの戦力にもならないけど、俺には俺なりの戦い方があるんだ」


 俺は走りだした。


「嘘でしょ天吾くん…」


「ごめんなさーい。俺に出来ることは逃げて生き残ることでーす!」


 桜ちゃんが絶句するのも無理はない。この場面で逃亡など、絶対にやっちゃいけない。

 分かっていた。だからこそ俺は逃亡した。


「はっはっはー。なにあれ。あれでも防人なんだから笑ってしまうわ。やっぱりまだ自分の力に完全に目覚めてないのね。役立たずの仲間を持って残念だったわね」


 俺の背後からクサビビメの高飛車な声が聞こえた。一瞬だけ、田んぼに横たわった茨木童子の姿が横目に見えた。

 茨木童子の力でもクサビビメには敵わないのか。


 それでも俺は全力で走った。


「見損なったぞ天吾ぉぉ!みんなピンチや、自分だけ逃げんなや!」


 まだヒエノソコツガミを捜しながら泥と格闘していたリキが俺を呼び止めた。だけどまだ止まらない。


 俺はみんなからかなり離れてやっと振り返った。

 すでに境界すれすれのところだ。


「クサビビメェ!よく聞け!俺はすでに力に目覚めている!この力を使ったらどうなるか、おまえが一番よく知っているよなぁ」


 俺はありったけの大声で叫んだ。


 俺の言葉にクサビビメは敏感に反応した。


「い、今、なんと言ったぁぁ!」


「だから力に目覚めたと言ったんだぁ!俺は自分の正体を思い出したんだ!」


「出鱈目を言うな!おまえのやってきたことは事故と同じだ。コントロールできていないはずだ」


「ああ、今まではな。だが、俺はすべての記憶がよみがえった。俺がなんの生まれ変わりで、どういう力を持っているのかもすべてだ」


「バカな。なら言ってみろ!おまえの真の姿を」


 明らかにクサビビメは焦っていた。クサビビメの焦りの表情を見て、俺は推理が確信に変わった。

 実はなにも解っていなかったし、力に目覚めたなどハッタリだった。これまでの出来事を時系列に並べて、総合的に導きだした答えがこれしかないと思っただけだ。


 今、俺に出来るのは、クサビビメたちを焦らせて隙を作ることしかなかったのだ。


「いいだろう。言ってやろう!俺の真の姿こそ、本物の浦島太郎だ!俺は竜宮城にかつて行っていた。そこで力に目覚めたんだ!本来人間だった浦島太郎は竜宮城から帰って神に近い存在になった。俺は浦島太郎の生まれ変わりだぁぁ!」


 クサビビメは目を見開いたままゆっくりと地上に降りた。

 リキと桜ちゃんも俺を黙って見ていた。


 あれ?なんか空気が重いような。


「くっくっくっ…。わははははぁ」

 クサビビメはお腹を抱えて笑いだした。


「やはりハッタリであったか。誰が浦島太郎の生まれ変わりだって。浦島太郎などもともとどこの誰かすら解っておらぬ存在。浦島太郎が神だって。くっくっくっ。あー面白いこと言うわねー。あんたはほんっとに最後の最後までバカね。大バカやろうだわ」


 違ったかー。ぜったいに浦島太郎の生まれ変わりだと思ってた。痛恨の推理ミス。にしても、関西人はアホって言われるよりもバカって言われたらマジで傷つくんやからな。バカバカバカ。


 またしてもカッコイイところを見せられなかったが、俺の推理はこれだけじゃなかった。最悪、こういうミスもあるかも知れないと予防線を張っておいた。言っておく、俺はアホかもしれんけどバカじゃあない。

 

「おいクサビビメ。本当に笑ってて大丈夫なんだな?」


「なにがよ。ハッタリしか言えないあんたを笑う以外のリアクションってある?うっ、ぷぷぷぷぅ」


 クソぉ。思い出し笑いがむかつく!今笑えなくしてやる。


「クサビビメ、果たしてそう言い切れるのかなぁ?」


「だからなんのことぉ?テ・ン・ゴ・クン」


 完全にバカにしてやがる。


「俺が浦島太郎の生まれ変わりでない根拠はあるのかって言ってるんだ」


「何度も言わせないで。浦島太郎なんて存在しないのよ」


「そのおまえの記憶は確かなのかなぁ。クサビビメさん」


 クサビビメさんは思い当たるふしがあったのか、俺の言葉を聞いた途端に青ざめた。この推理はぜったいに間違いない。自分でも信じられないが、こう考えるしか辻褄が合わないからだ。

俺はさらにたたみ掛けた。


「俺の真の力は記憶の操作。記憶を自由に書き換えてしまう能力だ。と言ってもこれまでは自由に能力を使いこなせなかった。力だけが暴走し、おまえだけじゃなく、神器を取り戻しに来たはずだった自分の友達の記憶まで、すべてぐっちゃぐちゃに書き換えてしまってたんだ」


「お、おまえいつその事に気づいたぁ!」


 どうやらビンゴだったらしい。間違いじゃないのならもうあとひと押しだ。


「最後の合戦の時だ。俺は戦いの最中、この国の太古の映像を見た。その時にすべてを思い出し覚醒したんだ。今はもう自由に記憶を操作できるからな。おまえが存在しないと断言した浦島太郎は本当に存在しないのか?ついでに言ってやる。おまえの手下だと思っているやつは本当の手下か?貧乏神なんて存在してるのか?どうだ、そう言い切れる根拠はあるのか!」


 酒呑童子を飲み込んでいた泥が一斉に崩れ落ち、泥まみれになった酒呑童子が倒れるように出てきた。


「えっ?どういう事?本当に記憶を書き換えたの?ヒエノソコ!ヒエノソコ!隠れてないで出てきなさい!」


 クサビビメの呼び掛けに貧乏神の応答はなかった。


「どうだ。もともとおまえに手下なんていないんだ」


「嘘でしょ。そんな…。じゃあ、まさかこの神器も…」


 これは棚ぼただった。この旅初めてのグッドでラックなタイミングだ。クサビビメが焦ったあまり神器まで出してくれるとは思ってなかった。

 

 チャンスはこの時しかないと、俺は待ち続けた最後の切り札を使った。


「今だぁー。宇美子ぉぉぉぉ。クサビビメを叩け!」


「よっしゃゃゃゃゃゃゃあ!任せときぃぃぃ!」



 この一瞬のために俺は全員の注意を引いていた。天橋立の浜から、羽衣を巻いて、羽衣の持つステルス能力を使って宇美子を運んだ。羽衣は物体を軽くする能力もある。そのおかげで非力な俺でも一人で宇美子を運ぶことができた。

 宇美子はやはり俺の攻撃などでは死ななかった。クサビビメが浜から去ってすぐに宇美子は意識を取り戻した。

 宇美子が生きていたからこそ俺は駅に向かい、ここまで来れたんだ。もし本当に宇美子をこの手で殺していたなら、俺はそんな気力も湧かなかっただろう。

結果的に騙すことになって、桜ちゃんや他の仲間には悪かったけど、クサビビメは宇美子を一番恐れているはずと考え、俺は切り札にとっておいた。


 作戦は的中した。


「桜ぁぁ。神器をうけとって!」


 宇美子は油断したクサビビメから難なく神器を奪い返し、桜ちゃんに向かって投げた。

 桜ちゃんはしっかりと両手で受け取った。

 それを横目で確認した宇美子は、クサビビメに渾身の右ストレートを繰り出した。

 どんな理由があるにせよ天女のボディに躊躇なくワンパンチをお見舞いできる宇美子の狂暴さはやっぱりリーサルウェポンに相応しいと、心底感心してしまった。

 この状況下で客観的に感心できてしまう俺も凄いんだけどね。


 ふごぉぉぉっ!


 クサビビメはなんかいろいろと吐き出して、苦悶の顔で地面をのたうち回った。美しかった着物も泥まみれだ。

 もはや天女の面影はどこにもなく、哀れな姿になってしまった。

 なんでか知らんが、宇美子にやられている者を見ると敵であろうと同情してしまう。


 ちょっともういいんじゃないかなぁ。やり過ぎじゃないかなぁ。


 宇美子のオラオララッシュは結局みんなで取り押さえるまで続いた。一応天女なんだし、バチとか当たらないのか心配になった。


 クサビビメは戦意喪失し、天女の羽衣できつく拘束された。一番丈夫な布だ、これなら逃げる心配もない。

 もっとも、クサビビメは最後まで本当に俺が覚醒したのだと思い込み、もう反撃する気力は無くなって、代わりにひどく俺に怯えていた。

 自由に記憶を書き換えられるなんて俺だってそら恐ろしい。

 もちろん俺はクサビビメに対して記憶を書き換える能力など使わなかった。そんな能力が自由自在に使えるなら、まっ先に桜ちゃんを自分の彼女にするってぇの。

 貧乏神は羽衣のステルス能力で消えていた宇美子が、こっそり後を追って、祠の裏に隠れた貧乏神を俺の言葉に合わせて倒したのだ。

 あのタイミングは良かった。素直に宇美子を褒めてやろう。

 

 どうやら俺には記憶を書き換える恐るべき能力が隠されているようなのだが、自覚がまったくない。この旅をややこしいことにしていた張本人が俺自身だったという笑えない結果が残っただけだった。

 だいたい俺はなんの生まれ変わりなのだか。


 こうして、なんだかよく分からないまま、今回の騒動は終結した。なんだかよく分からなくした犯人はおまえやろう天吾と、宇美子にボコボコにされたのは言うまでもない。


 宇美子の本来の能力は、海洋生物を己の兵隊にして万の軍勢を構築することのできる能力なのだと、ボコボコにされた後に聞かされた。

 えっと、もしかしてそれって…。

 そうだったのだ。俺たちが戦っていたインベーダーは、そんなもん最初から存在しておらず、あれはぜんぶ宇美子の兵隊だった。

 自覚がないといってもそりゃあボコボコにされても仕方ない。宇美子は知らずに自分の部下を喰べていたのだから。


「すんませーん。一生かけて償いますからー」

 と、俺は地面に顔面を擦り合わせて土下座したが、桜ちゃんが

「謝らなくてもいいよ。どっちみちいつも宇美子ちゃんはああやって魚を誘っては喰べてるから。ヒダルガミの呪いでいつもより少しだけ多めに喰べただけだから」だって。


 悪魔やー。間違いなく一番極悪非道なのは宇美子だー。



「アホ、わたしはぜったいに食べ物を残さへん。ちゃんと命をいただきますって心の中で言って喰うんやから。無駄な殺生とは違う」


 そんな某少年マンガのグルメ戦士みたいなこと言われても、喰われる身にもなったれよと俺は言いたかった。ボコボコにされすぎて、それ以上は言い返せなかったけど。


 竜宮の神器が無事戻り、宇美子の呪いも解けた。ヒダルガミの呪いって宇美子が少しだけ食欲旺盛になっただけであんまり意味がなかったような気もする。宇美子の強さはなにも変わってない。

 てっきりヒダルガミのせいで強くなったのだと思っていたら、そうではなく「むしろ捕食に向かう分弱くなった、普段ならあんなカニの兵隊などデコピンで倒せる」って、宇美子は自信満々に語った。

 もう本当に付き合いはこれっきりにしようと俺は強く決意した。


 ヒエノソコツガミはもう悪さはしないと誓約書を書かせ、もともと居た山に帰った。

 クサビビメはあの後すぐにどこからか飛んできた別の管轄の天女に連行された。大神様に狼藉を働いた罰を天界でうけることになるらしい。

 結局のところ、事件はなにもしなくても解決していたのだ。

 ああそうですよ。悪いのはぜんぶ俺です。俺がややこしくしたんです。


 そっちの方が早いからと、俺たちは三度、茨木童子の背中に乗せられて天橋立の駅に戻り、そこから大阪行きの電車に乗ることにした。

 駅に着いてすぐ、ひどい耳鳴りがした。

 ここにきてまた変なビジョンでも見るのではと不安になった。

 だけどそれはビジョンではなく、脳に直接聴こえる澄んだ声に変わった。


「ワタクシはこの地を治める大神です。この度は、我が地の天女のせいで、あなたたちを大変難儀な目に合わせてしまいました。クサビビメは、この丹後王国の建国1300年にあわせて、出世を目論んでいたようです。竜宮の宝を盗みだすなどまったく愚行でしかありません。天女のくせに、やたらミーハーだし、天女にも使えるスマホを持たせろとか愚痴ばかりだし、前々からなんかやらかすんじゃないかなぁって心配してたのですよ。ちょうどあなたたちが代わりに懲らしめてくれて助かりました。ほんとすいません」


 これが天からの啓示ってやつだろうか?なんか若干後半が軽いノリだった気がするのは、神様に対して勝手なイメージが出来上がっているからか。実際はこんなものなのか。


 天啓はそれだけで終わった。


「わぁ見て、みんな」


 若干チャラい天啓が終わってすぐ、桜ちゃんが海のある方角の空を見て言った。俺も空を見た。

 もう日は暮れていたのに、空が明るくなり、一筋の光の柱が海の上に立った。


「新しい天女が降臨するんじゃな。なかなか見られん光景じゃぞ」

 酒呑童子が言った。


「この天の橋立の松並木はもともと天界に向かって立っていて、この国を創ったイザナギが天界と地上とのはしごとして使っていたのじゃ。昼寝してる間にはしごが倒れて、それが天橋立の松並木になったという伝説じゃな、うんうん」

 茨木童子がいかにもご当地協賛してますよ的な補足説明をした。


昼寝してる間にとか、神って適当なんやなぁと、光の柱を眺めながらいろいろ不安になった。

よく考えたら、桜ちゃんがコノハナサクヤビメで、リキがタジカラオで、宇美子がオトヒメの生まれ変わりだってことがもう不安を通り越して、奇跡でしかなかった。いや、俺はまだ半信半疑だけどね。

 にしても、俺はいったいなんの生まれ変わりなのだ。誰も教えてくれない。

「あんたが完全に力に目覚めたら、ぜったいにエロいことにしか能力を使わんからな。あんたは今回の旅でみんなに迷惑かけ倒したんやから、まだ覚醒はさせへん」


「そうね。天吾くんはエロいことに使いそうだもんね」


「そうや元引き籠りなんてエロのかたまりやからな」



 みんなして口ぐちにエロ、エロって、この能力ってもっと恐ろしいんじゃないの?俺の場合エロだけが心配なの?ねぇねぇ。


 俺がみんなに近寄ろうとすると、みんな一斉にあからさまに嫌そうな顔をしてそっぽを向かれた。

 こんな成長しないどころか、成長を妨げられる主人公っていないと思う。俺はツッコミ担当のモブキャラじゃない!プンスカしている間に、そろそろ電車が来る時間になった。

 俺たちは両手いっぱい土産を持って改札をくぐった。


 4


「まさかお嬢ちゃんがかのコノハナサクヤビメの生まれ変わりじゃったとはなぁ。酒に強いのも納得じゃ。貴殿の御父上が造った酒はわしら妖怪の間では一番の美酒じゃ」


 酒呑童子のオッサンの言うには、コノハナサクヤビメは、甘酒を乳がわりに育ったのだそうだ。父親のオオヤマツミと並んで、酒の神様とも呼ばれているらしい。そりゃ誰よりも酒に強いはずだ。

 もちろん桜ちゃんは普段から飲酒などしておらず、今回初めて酒を飲んだらしいが、サクヤビメの血は絶えてなかったようだ。桜ちゃんが酒に強い理由を知り、ますます鼻の下をのばすダメ鬼の酒呑童子を、殺気だった茨木童子がギラリと睨んだ。


「いや、違うって。茨木ちゃん。別に恋しちゃったとかそういうのじゃなくて、わしはただあっぱれと思っただけじゃ」


「恋なんてワシは一言も発しておらん。枯れたオッサンが、なにが恋しちゃっただ。キサマは女子高生か!ああおぞましい。キモイ。キサマやはりこの娘に心を寄せておるのじゃな。ワシという者がおりながら。許さんぞ。千年呪うてやろか。このロリコンオヤジめ」


「ロリコンは言いすぎだってー。誤解だってー。やめてくださいってー。ああ、やめて痛い!痛い!茨木ちゃんのやつシャレになってない。マジで死ぬって!今度死んだらわし本当にまた復活までに五百年はかかるねんてー。ごめんなさーい」


 酒呑童子は最後にその言葉を言い残し、山の彼方に消えていった。茨木童子もあとを追って消えた。

 結局二人とはお別れのあいさつもできなかったが、会おうと思えばまたいつでも会えるだろう。

 一言お礼も言いたかったけど、これ以上桜ちゃんに恋されても困るし、これはこれでベストなお別れだったんじゃなかろうか。

 ああ!酒呑童子のオッサンの大事なことを忘れていた。

 大事なのに、あまりにもしょうもない真実だったので、うっかり記憶の彼方に消し去ろうとしていた。

 オッサンを殺した犯人は、なんと桜ちゃんだったのだ。

 正確に言えば、殺したわけじゃなく、桜ちゃんに一目ぼれしたオッサンが、魂核という物の怪が命を保つのに最低限必要な魂まで無意識のうちに、桜ちゃんに捧げていたのだ。

 で、普通に命の灯火が消えて、浜で自然死だって。

 しょうもな。これはもう浮気と言われてもしょうがないだろう。


俺の見た幻の竜宮城の説明は真相が解っても謎のままだった。おそらく、能力の発現と共に、虫の知らせみたいなものが映像になって現れたのかもしれないと、この時はそう自分で結論づけた。


 ちょうど出発の時刻になった。ホームに大阪行きの電車が滑り込んで来て、俺たち四人は無事に最終電車に乗った。発車を知らせるベルが鳴って、ゆっくりと電車は動きだした。

 長かったような、短かったような、不思議な卒業旅行はこれで終焉を迎えた。

 ただの卒業旅行ではない。俺の力を取り戻す特別な旅行だった。これからは少しだけ自信を持って生きていけそうだと俺は思った。

 少しだけ淋しいのは、せっかく出生の秘密を知って、深く結び付いた俺たちもあと数日で高校を卒業し、別々の人生を歩んでいくのだ。


 俺は桜ちゃんと同じ進学先で、この旅行のおかげできっとバラ色の大学生活を送ることになるだろうからまったく問題はない。

 リキは確かどこかの町工場に就職が決まっていたはずだ。力自慢のタジカラオの血が役に立つだろう。まぁ一人で頑張ってくれや。


 宇美子は卒業後どうするのだろう?こいつのことだから、女子プロレスラーにでもなって活躍するのかな。今からなら、アマレスでオリンピックも狙えるかもしれないなと、ふと横に座る宇美子を見た。

 どことなく淋しそうな横顔だった。

 宇美子も、みんなと別れることを考えて感傷的になっているのかな。

 黙ったままの宇美子はやはり顔だけなら充分可愛いかった。オトヒメの血を受け継いでいるだけのことはある。

 まったくもって惜しい人だよ。


 俺も少しだけ宇美子に対して同情と憐憫の想いが湧いて、少しの間、宇美子の横顔から視線が外せなくなった。


「ん? なにジロジロ見とるんやボケ」


 宇美子が俺の視線に気づいてこっちを振り向き言った。


「いや別になんにも、俺も外を見てただけ…」


「嘘つけ、今確実にわたしの顔見てたやろ。このスケベ。エロ。変態。今度能力使ったらぜったい殺す」


 どうだこの言われようは。スケベなのは健康な男子なのだから仕方ないとしても、俺は変態じゃない。

 どう考えたって、たとえヒダルガミにとり憑かれていたとはいえ、変態度数の高いのは宇美子の方だ。俺は間違ってもおまえなどに心を奪われたりなどせんわ。


「あーやっぱりだ。天吾クン宇美子ちゃんが好きだったんだ。ふーん、なんとなくそうだとは思ってたんだよね。お似合いだと思うよ。宇美子ちゃんの愛情を受けとめられるのは天吾くんしかいないよ!宇美子ちゃん彼女になってあげなよー☆」


 ちょ、ちょっと待ってくれ桜ちゃん。とんだ勘違いを君はしているよ。その妄想だけは止めてくれないか。宇美子の愛情って、こいつ暴力しか振るわへんやんか。それを受けとめるって、俺ただのドMみたいやん。


「桜ぁ、誰がこんなしょぼくれたやつの彼女になるって!ア、アホかおまえ!なに言ってくれとるんじゃボケ。いくら桜でも許さんぞ」


 わぁー。なんか宇美子が心なしか頬を赤らめているんですけど。マジ引くわー。この旅行で一番引いたわー。


「桜ちゃん、俺も宇美子にそういう気持ちはないよ。それに、もうすぐ卒業だから会えなくなるし」


「え?天吾くん知らなかったの?宇美子ちゃんも私たちと同じ大学だよ」


 桜ちゃんの言葉に気が遠くなった。そんなはずがない。宇美子の成績であの大学に進めるわけがない。


「宇美子ちゃんスポーツ特待生だよ。一番早く進学決まったの宇美子ちゃんだよ。それで私も同じ大学に決めたんだもん。宇美子ちゃんならぜったいオリンピック出るよー」


 スポーツ特待生!その発想は無かったわー。


「だから私てっきり天吾くんも宇美子ちゃんを追っかけて同じ大学にしたんだと思ってた。やっぱり神族は魅かれ合うのかなぁって」


「もしかして、俺をこの旅行に来るように仕向けたのもそれが理由?」


「もちろんそれだけじゃないよ。宇美子ちゃんの呪いを解くのと、不安定な天吾くんの能力を目覚めさせるのが一番の理由だったけど、でも友達としては上手くいって欲しいもん」


 だから違うよ。桜ちゃん。どこまで鈍感なんだろうこの子は。コノハナサクヤビメだけあって、年中頭にお花が咲いている。


「わたしはこんなやつの彼女にはならんからなぁ!」


 宇美子も宇美子で他の乗客に迷惑なほど大声で荒ぶっている。最後の最後までこの旅はこんな調子か。


「あっ、ついでに言っとくんやけど、オレの就職する工場も自分らの大学のすぐ近くやから、会おう思ったらいつでも会えるで」


 リキ、おまえの就職情報はどうでもいいんだよ!


「へぇーリキくんも近くなんだ。また遊ぼうね?」


「うん。そうだね?ボクたち神族の血っていう運命の糸で結ばれてるもんね?」


 ハートじゃねぇよ!てめぇは他所の国の工場に飛ばされたらええわ。中東の砂漠のど真ん中に行ってまえ!


「なんだか楽しくなってきたね。また大学入ったらみんなで旅行にいこうよ。今度は夏の海がいいね」


「夏かぁ。それもええな。バイトして金貯めて…いや桜の力を使ったら金なんてすぐやん。今度はアメリカにでも行ってもっとでかいカニ喰べようか!」


「もう宇美子ちゃん、神の力は無闇に使っちゃダメ。今回は旅の資金を作るために神の力を使ったけど、あれは特別中の特別。次はちゃんとバイトしてお金貯めるの!」


「桜ちゃんはバイトなんてしなくてええよー。ボクが夏のボーナスで西海岸でもどこでも連れてってあげるからねー」


「ありがとリキくん?」


 だから勝手に盛り上がるなっての。俺の意見は一切無視か。


「お、俺は遠慮しとくよ…」


「アホか天吾!おまえも一緒に来るに決まっとるやろ。わたしらだけで時刻表見れるわけがないやろ」


「いや俺だって、海外の時刻表までは解らんて」


「いいじゃない。天吾くんは同じ仲間なんだから一緒にいこう。それにツッコミ役がいないとこのメンバーは纏まらないもん」

 桜ちゃんは俺のことツッコミだって思ってたの?ボケの自覚あったの!?


「そうや!天吾はまだ真の力を覚醒しとらんしな。また旅に出れば目覚めるかもしれん。いつまでも不安定なのも困るしな」


 リキぃ、なになになに?そういう続編フラグ立てるの止めてくれますか。もうこんな騒動に巻き込まれるの嫌や。やっぱり俺は引き籠ってネトゲしてる方がいいよ。


「決定や。次は夏にこの四人でまた旅にいくで」


「やったぁ。宇美子ちゃん今度は水着だね。天吾くんを悩殺だねぇ。高天原一の賢人をかどわかすなんて罪なお姫様よねぇ☆うふふふ」


 桜ちゃーん。宇美子の水着姿にはぜったい悩殺されないって。勘弁してよ。(それと、今しれーっと重要な事言った気がしたんですけど…)

 あああ、バラ色の大学生活が血の色に染まってしまう。


 俺はテンションが上がった宇美子になぜかチョークスリーパーを極められながら、されるがままで泣けてきた。


 帰りの車中に、宇美子の悪魔の宣言が轟いた。


「よし! カニ喰べにいこう!」

 

そう言って、宇美子はナゾのオリジナルソングを声高らかに歌いだした。


 ぜんぜん懲りない困ったオトヒメ様の歌声が、永遠に続くかのようで、俺はどうしてもこう叫ばずにはいられなかった。


 俺は一生不本意やー!


                                        おしまい

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カニ喰べにいこう! 垂季時尾 @yagitaruki

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