第5話呪われた本
作業は、3の部屋から始めた。
1と書いてある以上、そこが始まりと思って間違いない。
高揚する心を押さえ付け、僕はひたすら無心で作業に没頭した。【読めない本】の内容がどんなものであろうとも、僕は結末から本を読むタイプではない。
幸い、やることは単純にして明快。単なる片付けだ。
「暗号は詰まりそういうことだ」
誰にも聞こえないというのに、僕の唇は動いていた。無心でやるにはその方がいいし、何よりこれは、謎を解いた者の特権にして義務だ。
「暗号にあった2つの組み合せに、そのあと。あれは単に『本を持ち出すな』という警告じゃなく、もう一歩踏み込んだ指示だ。持ち出さず、元に戻せ」
本棚には元あった本の形がくっきりと残っていた。散らばっているのは一段分だし、どこに戻すかは簡単だ。
戻しながら、僕は本の題名を読み取らないように注意する。
「洋書だけでなく、和書の翻訳版や題名だけの本を用意した理由はそれだ。文字が足りなかったんだ」
ここには無駄なものは無い。
必要だったのは本の題名だ。
「本棚に並んだ題名の羅列。それが、【読めない本】の正体!」
作業にどれだけの時間が掛かったのか。窓の無い部屋では日の傾きも知れず、敢えて時計を見ようともしなかった僕は何時間とも何日とも信じただろう。或いはその逆、数分と言われてもそれはそれで納得だ。
答えに直結している確信は、退屈な作業に挫けぬ活力を与えた。それが、誰にも辿り着けなかった答えならば尚更だ。
そして今。【
唇が綻ぶ。これで僕は唯一に成れる――この世界で唯一人に成れるのだ。胸を張って生きられる。
目の前には、似た部屋の中で唯一の相違点、1の部屋血だまりの本棚だ。
僕はその題名の一文字目を読み始める。名残を惜しむように、ゆっくりと。
それは、或る【偉大な存在】の歴史だった。
遠い空――詰まりは宇宙からやって来た彼の者は地上に降り立つと、それまで居た支配者たちと争いを始めた。
ありがちではあるが、そこに書かれていた争いの模様は詳細で、僕は引き込まれていった。
どこかの宗教における神の歴史らしいと、冷静な部分で僕は考えていた。それがこうして隠されていたということは、異教とされた歴史でもあったのだろう。
僕の冷静さはそこまでだった。
唯一の存在に手を掛けた僕はその事自体に熱中し、その詳細な記録にのめり込んでいったのだ。
1の部屋で争いは終わり、勝利した【偉大な存在】が支配を始めた。
2の部屋では、その存在に対する反抗が起きた。というのも彼らの主神は、封印が解ければ世界を滅ぼすとされる程に強大な神だったからだ。
部屋の終わりで、【偉大な存在】の多くが封印されていた。
3の部屋に踏み込んだ時、僕は、不気味な視線を感じた。誰かが見ている、手の届かない何処かから。
理由はすぐに解った。3の部屋に示されていたのは――彼らを解き放つ呪文だったのだ。
我を解き放て。そんな声が、視線が、僕の全身を舐めている。
漸く、僕は熱病から醒めた。これは、罠だったのだ。僕の結末は、彼と同じだ。
「う、うわあああああああああ!!」
叫び、僕は本に手を掛けた。一番触りやすい目の高さの棚の本を、勢い良く地面にぶちまけた。
ダン、という音は、玄関ホールから聞こえた。誰か来たのだ、誰か――善からぬ者が。
そこからは、僕は新たな熱病に侵された。訳の解らないうわ言を叫びながら、本棚から本をぶちまけ、走り、体当たりするように扉を押し開けると次の部屋でも同じことをした。
不吉な者は、僕の後を追ってきた。振り向くことはしない。そんな暇は無い。とにかく本を、本を、本を。
べしゃ、という音は、どこか他人事のように響いた。僕が僕の血に溺れるように沈み込んだのは、当たり前のように1の部屋の、例の本棚の前だった。
赤く、紅く、そしてやがて黒く染まり始める意識の中で、僕はもう判然としない頭で考える。
そう言えば。
誰が僕の身体を片付けるのだろうかと。
――遠くで、パタンという音が聞こえた。扉が閉まったのだろうそれは、まるで本を閉じたように聞こえた。
「あ、読み終わった?」
俺は、なるべくにこやかに声をかける。
勝手な友人のせいで無理矢理入らされたバイトだ、このくらいの役得は欲しいというものだ。
相手は、古本屋には珍しい幼い少女。自分で切ったらしいショートボブの黒髪は、思わず手直ししたくなるような惨状だった。
とはいえ荒野のような髪型は、少女の退廃的な雰囲気に良く合っていた。非常に、見映えがする。
俺の趣味はカメラだ――基本的には風景だが、彼女のような浮世離れした相手ならフィルムに納めるのも悪くない。
そう思い、少女が手にした文庫本を閉じたのを見て声を掛けたのだ。
とはいえ、少女は無反応だ――好ましいことに。
「なあ、面白いかい、その本?」
会話の種にでもと、俺は尋ねる。すると少女は俺の方に視線を向けると、微かに微笑んだ。
俺は、目を疑った。彼女の持っている本から、赤い血のような雫が一滴、こぼれ落ちたように見えたのだ。
思わず目を擦る俺に、少女の声が囁いた。
「えぇ、大好きな
声は遠いようにも、近いようにも感じたが、俺は何となく解っていた。
多分もう、そこに少女は居ないのだろうと。
逢魔奇譚 Unreadable Books レライエ @relajie-grimoire
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます