第4話思考、然る後実践
1の部屋は、最後の部屋らしかった。懐中電灯で照らした限り、次の部屋に続く扉は無さそうだし、それまでと同じく窓も無い。
僕は深呼吸する。
ここで謎が解けなければ、僕には本に辿り着く資格はないということだ――暗号曰く許可でさえない、通過点に過ぎない資格すらないということである。
ふと僕の中に、不安の蛇が首をもたげた。
それは今生まれたものではない。この廃墟に来てからずっと、どころか少女から暗号を渡されたあのときからその気配は感じていた。
だが、僕は見て見ぬふりを決め込んできた――気にしたら負け、そんな確信があったからだ。
積み重なったそれが今、無視できない程の高さとなっていた。
不安の正体は、ただの一文だ――もし資格がなかったら、僕はどうなるのか。
「………一先ず、灯りか」
ため息をついて、僕は部屋の中央に向かう。当たり前のようにそこにあった蝋燭に火を点し、本棚に向き直り、
「………うっ?!」
息を呑んだ。
そこには、これ迄の部屋に無かったものがあった。部屋の奥の本棚、その前の本の山が大量の血を流していたのだ。
「………………」
ぎくしゃくと、油の切れたブリキの玩具みたいに、僕はそこに歩み寄る。屈み、震える手で本の死体を拾い上げた。
血は、既に乾ききっていた。黒ずんだ血痕は中にも染みているらしく、飛び出す絵本みたいに不自然に膨らんでいる。
一山丸ごと、血痕に沈んでいる。
見上げると、本棚も血が飛び散っていた。拭った様子もないその跡は、黒く染まるほど放置されて尚不気味な気配を残していた。
「………これは………これが」
これが、答えか。僕は震える身体の奥で冷静に考えていた。
不安に対する答えは、最悪の形で示されていた――資格がなかったらどうなるのか、この血が全てを物語っている。
僕の前に訪れた者は、無資格者だったらしい。その為、彼は許可されなかったわけだ――本を探すことも、生きたまま立ち去ることも。
「………どうする」
僕は、思わず呟いていた。内面は自問自答の嵐だ。僕には、資格があるか?それを試す勇気があるか?――命を賭けて。
帰るなら、今だ。今ならまだ、きっと間に合う。外はもう暗いだろうが構うことはない。とにかく館から離れて、それから朝を待とう。
帰ろう。僕の理性は優しく囁いた。
イヤだ。僕は、首を振る。
どうやら話に信憑性が出てきた所じゃあないか、これからが良いところだ。大体常々思っていたろう、無為に生きたくない、無駄に死にたくないと。なら、益々良いところだ。ここでの生き死には、人生の結末と同じだ。
ここで駄目なら、僕は一生【読めない本】は手に入れられない。そんな一生なら、いっそ短い方が良いだろう。
僕の中の無謀さは、強気に笑った。僕の外も、同じように笑っていた。
「………とはいえ、ここにも手掛かりらしきものはないか………」
一通り部屋を見終えると、僕は嘆息した。本が散らばる部屋には、それまでと同じく変わったところは何もなかった。見繕って調べた本も、貴重ではあるが普通の本か、或いは白紙だったし。
「和書の翻訳も在るのは凄いけどな………」
英訳された日本作家の推理小説をぱらぱらと流し読み、僕は床に腰を下ろした。
「疲れた………」
調べて判ったのだが、ここには本棚以外の物が極端に少ない。窓が無いのは既出だが、
家からは人が見えて、部屋からはその生活が見えるものだ。この廃墟からは、そのどちらも見えてこない。
本の数からは相当な読書家を想像させるが、整理されていないのは否定材料だ。
机の上の燭台は読むのに便利だろうが、椅子が無いのが不便に過ぎる。
何もかもちぐはぐで、中途半端で、巧く噛み合わない印象の部屋。強いて言えば無駄なものは置かない主義といったところか。
「………………」
ふと、何かが引っ掛かった。
見るともなしに眺めた本棚。その光景に何か違和感を感じたような気がする。
その違和感が、先刻自分で考えた事と噛み合ったような………。
「………無駄なものは置かない。必要なものしかない………許可………まさか!?」
慌てて、僕は暗号のコピーを取り出した。その文面を読み、それから本棚と、その下に散らばる本の山へと視線を移す。
そして。
「わかったぞ………!!」
僕は、高らかに笑い声を上げた。
僕の勝ちだ。【読めない本】は、直ぐ目の前にあった。
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