一方的な殺戮さつりくだった。

 黒外套ローブの人物が剣を閃かせるたび、雪上に屍が増えていく。毛皮を加工した冬着は寒さは凌げても、斬撃の前では無意味だ。丸腰の市民たちは胸を貫かれ、フードごと頭を叩き割られ、次々と死体となって転がる。

 おびただしい数の死を振りまきながらも、凶刃は止まらない。雪で白く染まりつつあるローブの裾をはためかせ、虐殺者は手近な市民へと長剣を振りかぶる――

「待ちなさい!」

 惨劇を中断させたのは突如響いた怒声と、その直後の鈍い墜落音だった。

 道路の端、うず高く積もった雪にが真上から突っこんだのだ。

 は雪山に完全に埋没し、しばらく妙な沈黙が続いたが――

「せいっ!」

 くぐもった声とともに、雪山の斜面に細長いものが生え出てきた。細長い銀色の棒と、黒い革手袋に、赤いジャケットの袖。人の腕だ。その腕が、手にした金属棒を振りかぶるように手首をしならせる。

「とりゃ!」

 金属棒が斜面を叩いた刹那、雪山が弾け飛んだ。

 まるで内側で爆発でも起こったかのように、積もっていた大量の雪は細かな粒となって吹き飛んでいる。代わってさっきまで雪山があった場所に佇んでいるのは、右手に肩幅ほどの長さの金属棒を携えた一人の少女だ。

「ふぅ……息が詰まるかと思った。着地点が悪かったわね。まあ、それはそれとして」

 赤色を基調としたジャケットとパンツに同色の帽子キャップという、防寒性能はあまり優れてなさそうな服装だが、この寒さを少女は意に介していないようだった。肩まで届く金髪の下、不敵な笑みを浮かべる顔は血色がいい。

 だがマントを羽織った剣士を睨みつけるその青瞳は、有無を言わさぬ輝きを宿していた。

「そこまでよ。その人たちから離れなさい」

「あなたは……?」

 少女――セーラの警告に対して、返ってきたのはいぶかしげな問いかけだった。もっとも、積もった雪からいきなり出てきた人物に対してのセリフと思えば、充分に冷静な発言といえたかもしれない。

 頭からすっぽりかぶったローブで人相は窺い知れないが、声の響きと体型からして、剣士は女性のようだった。緋色に輝く両手剣の先端を市民たちに向けたまま、やや早口で言葉を継ぐ。

「こちらに来てはいけません。一刻も早く離れてください!」

「冗談。殺人を見過ごせってことならお断りよ」

 虐殺者のどこか険しい勧告を笑い飛ばして、セーラは雪に足をとられぬよう慎重に、しかし素早く市民たちの前まで進み出た。

 異常事態に背を向けるなど職務としても許されないし、個人的にも願い下げだ。女剣士の挙動に目を光らせながら、背後にちらりと視線をやる。

「もう大丈夫よ。あんたたちはさっさと逃げ……」

 恐怖にすくんでいるのか、市民たちは動かない。安心させるように笑いかけたところで――セーラの表情が凍った。

 背後にいたのは防寒着をまとった男性だ。分厚い上着に、風よけのフード。この雪国に似合う暖かそうな服装だ……だが、まともなのはそこまでだった。

 フードの内側、雪まじりの髭を蓄えた中年男の顔はひどく青ざめていた。もはや生気を欠片も感じさせない顔の中、白い丸石みたいな眼球が、息を呑んだ少女をとらえている。がぱっと唇が割れ、人間のものにしては鋭すぎる歯列が現れた。

「ちょっ、何よこれ……きゃっ!?」

 そのとき強い力で後ろに引き倒されていなければ、セーラは中年男に喉を噛みちぎられていたかもしれない。一瞬前まで少女の首があった場所を、前のめりに噛みついてきた男の歯が通過する――その顔面を、緋色の長剣が貫いた。

「殺人ではありません……彼らは、もう死んでいますから」

 セーラを引き倒した女剣士が、流れるような動きで刺突を繰り出したのだ。巻きあがったかぜにフードがめくれ、女の長い銀髪と、白い肌があらわになる。

 男を蹴り飛ばす反動で剣を引き抜くと、女剣士は転倒したセーラのそばでさっとひざまずいた。

「とっさのこととはいえ、失礼しました。お怪我はありませんか?」

「ええ、ありがと……って、それより何よ、あれは」

 気遣う銀瞳に短く返し、セーラは呻いた。体に痛みはない。呻いたのは別の理由からだ。

 防寒着を纏った市民の集団――大人から子どもまで全員が一様に、足を引きずるように緩慢に歩いてくる。フードの中の青ざめた顔は先ほどの中年男と同じく、死者のそれだ。

 先ほどいきなり噛み殺されそうになったことを抜きにしても、話が通じる相手じゃないのは明白だ。徐々に距離を詰めてくる大量の死体に、セーラの声が上擦った。

「みんながみんなゾンビってこと!? どうなってんのよ!?」

「彼らは……」

 嫌悪感全開でわめくセーラに、女剣士は苦しげに切り出した。死体の群れを見る眼差まなざしはひどく痛ましい。

「彼らは、この街の住人です。ですが先日までは、あんなおぞましい姿じゃなかった……あの男が来るまでは……」

「あの男?」

 眉をあげたセーラだったが、背後に転じられた女剣士の視線を追って、顔をしかめることになった。

 後方の街路から新たな防寒着の一団が現れたのだ。緩慢な動きでこちらへと向かってくる。

「囲まれた……ここまで、ですか」

 左右を住宅に挟まれた一本道。前後のゾンビどもをやり過ごすのは、翼でも持たないかぎり不可能だ。

 悲壮な決意が、立ち上がる女剣士の銀瞳に宿った。

「私が道を開きます。その隙に、逃げてください。教会の地下に街の外へつながる通路がありますので、そこから――」

「バカ言わないでよ。逃げるわけないでしょ」

 緋色にきらめく剣を構え直す女剣士の横顔にかかったのは、軽い調子の拒絶だった。起き上がったセーラが金属棒を肩に担ぐ。

「それより、〝あの男〟ってのを詳しく教えてくれる? 気になるところで止めないでよね」

「で、ですが、そんな場合では!」

 少女の嘆息まじりの問いに、女剣士は初めて狼狽ろうばいの色を見せた。

「今ならまだあなたを逃がせます……何も言わず、私に従ってください。これが教会の鍵です。いくつかありますがこれが入口の鍵で、これが――」

「だから、それはいいから。さっきの続きを話して」

「よくなんかありません!」

 まるで人が変わったかのようだった。

 鍵束を突き返された女剣士が、再度、鍵束を突き出す。薄紅の唇がかすかに震えているのは寒さのためか、それとも別の理由からか。

「市民を守るのは、私の責務です」

 魂の底から絞り出すような声だった。

「それなのに私は、誰も守れなかった。守るべき民を、みすみす化け物にさせてしまった。私はもうそんな過ちを犯したくない…………お願いします、どうか――」

「だったら、もう『ここまで』だなんて言わないで」

 剣士の懇願を遮った声は、決して強くはなかった。

 叱りつけるようであり、同時に優しく諭すようでもある、そんな声。

 まるで娘に言い聞かせる母親のように、セーラはそっと鍵束を押し返した。

「あたしが嫌いな物がこの世には二つあってね。一つは、助けてもらいながらお礼も言わないような恩知らず。もう一つは、人生を簡単に諦める根性無しよ。そんな人に命と引き換えに救われたところで、こっちは全然嬉しくない。誰かを助けたいなら、自分自身ごと助ける気概で頑張がんばんなさい」

 押し退けるように女剣士の肩に手を置いて、セーラは前に進み出た。ゾンビの集団に突きつけるように伸ばした腕の先で、金属棒に変化が起こる。

 まるで生き物のようにグニャリとうごめき、膨張。持ち手を覆うように無骨に伸びると、数秒後には金属棒は短機関銃サブマシンガンへと変貌を遂げていた。

「それはそれとして、あたしが来たせいでピンチになった感もあるし、きっちり挽回させてもらうわ」

 銃口が閃いた。立て続けに吐き出された銃弾が雪風を引き裂いて、迫るゾンビ市民の胸を貫通し、頭部を撃砕する。

 銃声がやんだときには、後方の街路を阻んでいたゾンビはすべて肉塊と化して雪に沈んでいた。

「ふふん。やっぱり、ゾンビは大火力殲滅せんめつが定番よね」

「な、何なんですか、今のは!? あ、あなたは……」

 片手でゾンビの一団を一掃してのけた少女に、銃声に耳をふさいでいた女剣士が震える声をかける。

「あなたは、いったい……」

「あたしはセーラ。セーラ・ティフレット。ここの異変を解決するために派遣されたエージェントよ」

 黒光りする短機関銃を小枝のように軽々と肩に担ぎ、セーラはウインクを返した。銃火器とそれがもたらした光景に目を見開いたままの女剣士の手を取る。

「それじゃあ、さっきの話の続きを――えっ!?」

 女剣士の手を引いて走りだそうとしたところで、セーラの顔が驚愕に染まった。

 視線の先、もぞもぞ起き上がってきているのは、たった今撃破したばかりのゾンビどもだ。胴体は蜂の巣のように穴だらけだし、中には首から上がなくなっている個体もいる。だというのに、再びこちらに迫ってきているのはいかなるわけか。

「なんでこいつら、まだ動いて……!」

「気をつけて、反対からも来ています!」

 短機関銃を再び構えたセーラの耳を、硬い声が叩いた。女剣士が睨む先では、緩慢な歩みのゾンビ集団が今になってようやく、しかし最悪のタイミングでこちらへの接近を果たしている。

「ああもう、もう一回、道を開くわ! 次はすぐダッシュよ! 掩護えんごよろしく!」

「は、はい、承知しました!」

 返答とほぼ同時に、短機関銃が火を噴いた。爆音が響き、撃たれたゾンビの全身が衝撃に跳ねる。だがゾンビの進行は止まらない――脚を撃たれても転ぶことなく、ひたすら押し寄せてくる。

「ウソでしょ、どうなってんのよ……!」

 背後では女剣士が複数体のゾンビを斬り飛ばしている。それをチラリと窺いながらセーラが毒づいたとき――

 雪の空が、ちかっと瞬いた。

 直後、セーラの正面に迫っていたゾンビは、天から飛来した何かに頭から貫かれ、地面に縫い止められている。ほかの個体も次々と串刺しにされ、今度こそ完全に動きを封じられた。

「こっち来て!」

 飛来した針のようなそれ――長大な白羽フェザーを視認し、セーラが女剣士の腕を引っ張った。よろけた彼女をかすめるように白羽が風を切り、ひしめくゾンビどもに次々と突き立っていく。

あっぶな……でも、ナイスよ、ケルビー……!」

 あれだけいたゾンビは残らず昆虫標本のように雪道に固定されている。雪の吹き荒ぶ空に〝神翼〟の影をかすかに捉えつつ、セーラは大きく息を吐いた。それから、よろめいたまま何が起こったかわからぬげに目をしばたたいている女剣士を起き上がらせる。

「それじゃ、ここを離れましょっか。安全なとこまで案内してくれる?」

「は、はい……こちらです」

 事態を呑みこめぬげに女剣士は串刺しになったゾンビたちを呆然と眺めていたが、やがて頭を大きく振った。セーラを先導して走り出す。

 行く手には、教会の尖塔の影が、豪雪の中にそびえていた。

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