ゼノヴィデンス・アーツ

雲乗リュウカン

第1話 屍剣―ソード―

Overture

 さざめく嬌声きょうせいが、春の陽気になまめかしい彩りをもたらしていた。

「おう、いいぞ、いいぞぉ! 歌え、踊れ!」

 薄布を胸と腰にまとった踊り子たちに、若い男は玉座から好色な笑みを向けた。左右にはべる女たちが差しだした葡萄ぶどうの実を口にする間、伸ばした両手は彼女たちの腰回りをうごめいている。

 宮殿の大広間は、まさにこの世の楽園だった。ずらりと並ぶ豪勢な酒と料理に、惜しげもなく肌をさらす娘たち。ぜいの限りを尽くした、庶民には一生かけても味わうことのできない快楽のうたげだ。

「だが、まだまだだ。俺は、この人生をもっと満喫してやるぞ」

 ふっと息をつくと男――リーブ・ストランドは、柔らかな感触を堪能たんのうしていた手を、長い黒髪に隠れるおのが右目にあてた。少年から青年への過渡期である幼くも精悍せいかんな顔に、長い時を過ごしてきたかのような憂いの影が帯びる。

「もっと早く気付いていりゃあな……ずいぶんと回り道をしたもんだ」

 貧民として生まれ育ったリーブが自らの〝力〟に気付いたのは、つい三カ月前のことだった。

 気付いてからはじっくり検証し――そしてその能力を熟知してからは早かった。賢王として君臨していた先代王をまたたく間に玉座から引きずり下ろし、王が所有するすべてを、そっくりそのまま自分の物としたのである。

 障害は数多かったが、彼の〝力〟をもってすればそれらは無きに等しかった。目下もっか、宮殿内のすべての人間は彼の支配下にある。覇道のいしずえとして申し分ない環境が完成していた。

 だから、広間に見慣れぬ少女が入ってきたときも、彼はたいして注意を払わなかった。せいぜい、踊り子たちに比べて顔もスタイルも見劣りする娘だなどと思ったくらいだ。

「ずいぶん羽振りがいいじゃない、石島信夫いしじまのぶお

 だが、歩み来る少女が呼んだ名前――遥か昔に置いてきたはずの名前を耳にした瞬間、電流でも通ったかのように彼は身体を硬直させた。

「石島信夫。日本の千葉県出身。享年五十一歳。死因はビル屋上からの転落死。死後、何らかの理由で異世界『華土羅カドラ』の貧困層の長男として転生てんせい――」

 石島信夫なる人物の経歴をつらつらと暗唱しながらリーブの眼前にまでたどりつくと、少女は小馬鹿にするように肩をすくめた。

「ここまではよくある話だけど、ちょっとやり過ぎたわね。第二の人生、慎ましく送っとけばよかったのに」

「誰だ、おまえ……」

 声をわななかせながらも、リーブは少女を睨みつけた。少女の手に握られた、この世界に存在しないはずの武器――拳銃に本能的な恐怖を覚えつつ、さりげなく前髪に手をかける。

「さては、俺と同じ転生者てんせいしゃか!」

「同じ? 一緒にしないでよね、異世界人オーヴァーランダー。あたしは――」

 少女の言葉が途切れた。前髪を払ったリーブの右眼――複雑怪奇な紋様の浮かぶ金瞳が少女を直視したのだ。

 魅了みりょうの魔眼。それがリーブに発現した特殊な〝力〟だった。

 見つめた相手を一切の抵抗も許さず意のままに支配する能力。この力でリーブは先王を自害させ、簒奪さんだつを成し遂げたのだ。

「小娘が。忌々いまいましいことを思い出させやがって……!」

 他人にいいように使われ、そのすえに苦しさから身投げしたの記憶を追い払うように、リーブは吐き捨てた。玉座から立ちあがり、棒立ちになった少女のあごをつまむ。

 衛士に処理させるまでもない。今や自らのとりことなった少女に、リーブは傲然ごうぜんと言いつけた。

「どこで俺の前世を知ったのかは知らんが、ただでは済まさんぞ。まず、その銃を捨てろ。それから服を脱いで踊ってもらおうか」

「どっちも願い下げよ、この変態オヤジ」

 硬い衝撃にリーブがのけぞった。後ろに倒れながら、銃で顎を殴られたのだと悟ったが、痛みとは別のショックに尻餅をついたまま動けないでいる――力が……魅了が、効いていない?

「そんな異能ものに頼らなければ、あたしが出張ることもなかったってのに……それはそうと、忌々しいってなによ。あんた、自分の人生をなんだと思ってんの?」

 心底うんざりしたような少女の手で鈍く輝いたのは、無骨な大型拳銃だ。へたりこんだまま後ずさるも正確に向き続ける銃口に、衛兵を呼ぶことも忘れてリーブが叫ぶ。

「何なんだよ、おまえ……う、撃つなあああ!」

 轟音が悲鳴をかき消した。

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