Ⅰ
薄曇りの空に、雪が吹き荒れていた。
強風に翻弄されながら降り落ちる雪は、街並みを白く覆っていく。民家も教会も等しく一色に染まるさまは、あたかも街全体に純白の
「とんでもなく
雪のカーテンの向こう、遠くにうっすらとそびえ立つのは、この国の王が住まうであろう城だ。おとぎ話に出てくる、氷雪に
「ケルビー、もっと高度下げて。雪のせいで下の様子がちっとも見えないわ」
「はい了解……おっと」
少女の指示に軽く頷きかけて、操縦席に座る赤髪の少年――ケルビーは慌てて
二人が搭乗する飛行体に屋根はなかった。鳥の羽根に似た形の機体に、箱の底みたいな着席スペースがあり、その一隅に申しわけ程度に
ここは教会の尖塔をも眼下に収める、遥か上空だ。少年の方は灰色の厚手のポンチョを纏っているが、その程度の防寒着で常人が無事でいられる環境ではない。だというのに、当人たちは寒さなどないかのように平然としている。不思議なことに、吹きさらしであるにもかかわらず、彼らと座席に雪は降りかかっていなかった。
「危ない危ない……。エルフィーデ様も人が悪いよね。送りだすなら、もっと晴れた日にしてくれればよかったのに」
「あの女に〝様〟なんかつけなくていいわよ。泣きついてきたくせにお高くとまっちゃって。この〝
セーラが座席を叩くと、なめらかな手触りとほどよい弾力が指先に返ってきた。それを心地よく思うでもなく、恨みがましくべしべし叩き続ける。
「しかも、あたしには断っておきながら、ケルビーが頼んだとたんにころっと態度を変えたのがまた腹立たしいわ。若い男にいい顔したいのか知らないけど、
「いや、それは仕方ないんじゃないかな。君の〝
ケルビーは幼い顔立ちに苦笑いを浮かべた。
「この前『
「あー、あれね。ちょっと操縦ミスったときね」
「そのことをカドラ様、なかなか許してくれなくてさ。それがきっかけで、君の悪名が広まっちゃったんだよ」
「なんですって!?」
初耳だったらしく、セーラの眉が不機嫌な角度に吊り上がった。憎い人物がそこにいるかのように、少女の青い瞳が豪雪の空を睨む。
「あのヒゲオヤジ、助けてもらった分際でよくも……。自分の立場をわかってんのかしら……!」
「君が言えた口じゃないでしょ。誰がどう見たって君が悪いよ」
「ハッ、こっちは命懸けで仕事してんのよ。避けられない犠牲の一つや二つでいちいち責任を取らされちゃ、こっちの身がもたないっての」
操縦ミスを犠牲と同列に扱うのはどうなんだろう――少年がそう指摘するのを遮るように、セーラはびしりと細い指を突きつけた。
「『華土羅』といえば、あんたが謝りに行ってる間、こっちはたった一人で変態オヤジの宮殿に乗りこんだのよ。ほんっと大変だったんだからね! 今回はしっかりサポートしなさい。いざってときは〝力〟も使ってもらうから」
「もちろん、それはがんばるけど……」
誰のせいで謝りに行くはめになったかについては特に言及しないで、ケルビーがふと不思議そうに首を傾げた。
「僕の〝力〟は、事前に許可もらっとかないとダメなんでしょ? 申請はしたの?」
「……あ」
気が抜けたようにセーラが座席にぐったりともたれた。ほどなく彼女の口から呪詛のように「お役所仕事は融通きかない」とか「なにが書類の不備だ」だの暗い愚痴が漏れ出てくる。
精神衛生上よろしくなさそうなスピーカーを意識から追い出しつつ、ケルビーは前方に視線を戻した。
さっきよりも風雪の勢いが増している。搭乗する機体――〝
「ねえ、目的地はこのあたりだし、そろそろ
「そうね……それじゃ、あまり人目につかなさそうな広い場所でも探して――」
眉を曇らせる少年に、なかなか厳しい条件を告げていたセーラだったが、ふと言葉が途切れた。背もたれから跳ね起きるや、座席の
「ちょっとセーラ、どうしたの?」
「ケルビー、確認だけどここって殺人は普通にあること?」
「え? いや、戦争のときくらいかな」
派遣される前に受けた、現地に関するレクチャーの記憶をたぐり寄せつつ、少年は頷いた。
「基本的に、殺人は
「そのまさかよ」
遥か下方に目をこらせば、路上にいくつもの人影が動いているのが見えた。そのうちの一人が何かを振りまわしていて、そのたびに他の者たちが倒れていく。
「明らかに異常事態ね。もしかすると
「……え?」
呆けたような返答に、セーラはため息とともに操縦席に振り返った。なぜか困惑した様子の少年を、半眼で見据える。
「なによ、『え?』って。あたしの声、聞こえなかった?」
「聞こえたけど……聞き間違いかな? これから介入? 着陸してからじゃなくて?」
「あー、そういう意味か。聞き間違いなんかじゃないわよ?」
セーラが、トンッと助手席を蹴った。柵を乗り越えるような気軽さで
だがここは空中――当然ながらその先に足場はない。
セーラは片方の手で帽子を押さえながら、操縦席に笑顔で手を振った。
「大丈夫よ。そろそろ、あんたも慣れなさい。じゃあねー」
セーラの体を重力が捕らえ、血走った目で何か叫ぶ少年の姿が遠ざかる。
地上からだと、天を舞う巨大な羽が人影を生み落としたようにも見えたかもしれない。もっとも、この吹雪ではそれらを視認するのは不可能だったろうが。
雪風を切り裂いて、セーラは直下へと急行した。
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