薄曇りの空に、雪が吹き荒れていた。

 強風に翻弄されながら降り落ちる雪は、街並みを白く覆っていく。民家も教会も等しく一色に染まるさまは、あたかも街全体に純白の絨毯カーペットを敷きつめているかのようだ。

「とんでもなく吹雪ふぶいてるわね……」

 雪のカーテンの向こう、遠くにうっすらとそびえ立つのは、この国の王が住まうであろう城だ。おとぎ話に出てくる、氷雪にざされた城のようなその影をぼんやり眺めながら、セーラは目にかかる金髪を掻きあげた。悩ましげに低く唸りつつ隣席に呟く。

「ケルビー、もっと高度下げて。雪のせいで下の様子がちっとも見えないわ」

「はい了解……おっと」

 少女の指示に軽く頷きかけて、操縦席に座る赤髪の少年――ケルビーは慌てて操縦桿ハンドルをきった。風に煽られた雪が目の前いっぱいに広がったのだ。白の塊を大きく回避して、灰色の空へとけ出る。

 二人が搭乗する飛行体に屋根はなかった。鳥の羽根に似た形の機体に、箱の底みたいな着席スペースがあり、その一隅に申しわけ程度に操縦桿ハンドルが付いている。だがそれだけで、ほかには機器類も、風防すらもない。

 ここは教会の尖塔をも眼下に収める、遥か上空だ。少年の方は灰色の厚手のポンチョを纏っているが、その程度の防寒着で常人が無事でいられる環境ではない。だというのに、当人たちは寒さなどないかのように平然としている。不思議なことに、吹きさらしであるにもかかわらず、彼らと座席に雪は降りかかっていなかった。

「危ない危ない……。エルフィーデ様も人が悪いよね。送りだすなら、もっと晴れた日にしてくれればよかったのに」

「あの女に〝様〟なんかつけなくていいわよ。泣きついてきたくせにお高くとまっちゃって。この〝神翼セレスタ〟だって、どれだけ貸し渋られたか」

 セーラが座席を叩くと、なめらかな手触りとほどよい弾力が指先に返ってきた。それを心地よく思うでもなく、恨みがましくべしべし叩き続ける。

「しかも、あたしには断っておきながら、ケルビーが頼んだとたんにころっと態度を変えたのがまた腹立たしいわ。若い男にいい顔したいのか知らないけど、年齢としを考えろっての」

「いや、それは仕方ないんじゃないかな。君の〝神翼セレスタ〟の扱いが乱暴なの、けっこう知れ渡っちゃったからさ」

 ケルビーは幼い顔立ちに苦笑いを浮かべた。

「この前『華土羅カドラ』に行ったとき、君ってば城壁に突っこんで〝神翼セレスタ〟を壊しちゃったでしょ?」

「あー、あれね。ちょっと操縦ミスったときね」

「そのことをカドラ様、なかなか許してくれなくてさ。それがきっかけで、君の悪名が広まっちゃったんだよ」

「なんですって!?」

 初耳だったらしく、セーラの眉が不機嫌な角度に吊り上がった。憎い人物がそこにいるかのように、少女の青い瞳が豪雪の空を睨む。

「あのヒゲオヤジ、助けてもらった分際でよくも……。自分の立場をわかってんのかしら……!」

「君が言えた口じゃないでしょ。誰がどう見たって君が悪いよ」

「ハッ、こっちは命懸けで仕事してんのよ。避けられない犠牲の一つや二つでいちいち責任を取らされちゃ、こっちの身がもたないっての」

 操縦ミスを犠牲と同列に扱うのはどうなんだろう――少年がそう指摘するのを遮るように、セーラはびしりと細い指を突きつけた。

「『華土羅』といえば、あんたが謝りに行ってる間、こっちはたった一人で変態オヤジの宮殿に乗りこんだのよ。ほんっと大変だったんだからね! 今回はしっかりサポートしなさい。いざってときは〝力〟も使ってもらうから」

「もちろん、それはがんばるけど……」

 誰のせいで謝りに行くはめになったかについては特に言及しないで、ケルビーがふと不思議そうに首を傾げた。

「僕の〝力〟は、事前に許可もらっとかないとダメなんでしょ? 申請はしたの?」

「……あ」

 気が抜けたようにセーラが座席にぐったりともたれた。ほどなく彼女の口から呪詛のように「お役所仕事は融通きかない」とか「なにが書類の不備だ」だの暗い愚痴が漏れ出てくる。

 精神衛生上よろしくなさそうなスピーカーを意識から追い出しつつ、ケルビーは前方に視線を戻した。

 さっきよりも風雪の勢いが増している。搭乗する機体――〝神翼セレスタ〟の飛行には影響しないが、このままではどこに向かっているのかもわからなくなってしまう。

「ねえ、目的地はこのあたりだし、そろそろ着陸しとめてもいいかな? いくら楽に移動できても、これじゃ視界が悪すぎるよ」

「そうね……それじゃ、あまり人目につかなさそうな広い場所でも探して――」

 眉を曇らせる少年に、なかなか厳しい条件を告げていたセーラだったが、ふと言葉が途切れた。背もたれから跳ね起きるや、座席のへりから身を乗り出す。

「ちょっとセーラ、どうしたの?」

「ケルビー、確認だけどって殺人は普通にあること?」

「え? いや、戦争のときくらいかな」

 派遣される前に受けた、現地に関するレクチャーの記憶をたぐり寄せつつ、少年は頷いた。

「基本的に、殺人は御法度ごはっとになってるね。やっぱり人が寄せ合って生活する以上、自然と同胞殺しは禁忌になるみたいで……えっと、まさか、何か事件?」

「そのまさかよ」

 遥か下方に目をこらせば、路上にいくつもの人影が動いているのが見えた。そのうちの一人が何かを振りまわしていて、そのたびに他の者たちが倒れていく。

「明らかに異常事態ね。もしかすると異世界人オーヴァーランダー絡みかも。これから介入するわ。あんたはどっか適当に着陸しといて」

「……え?」

 呆けたような返答に、セーラはため息とともに操縦席に振り返った。なぜか困惑した様子の少年を、半眼で見据える。

「なによ、『え?』って。あたしの声、聞こえなかった?」

「聞こえたけど……聞き間違いかな? これから介入? 着陸してからじゃなくて?」

「あー、そういう意味か。聞き間違いなんかじゃないわよ?」

 セーラが、トンッと助手席を蹴った。柵を乗り越えるような気軽さで乗降扉ドアパネルを飛び越す。

 だがここは空中――当然ながらその先に足場はない。

 セーラは片方の手で帽子を押さえながら、操縦席に笑顔で手を振った。

「大丈夫よ。そろそろ、あんたも慣れなさい。じゃあねー」

 セーラの体を重力が捕らえ、血走った目で何か叫ぶ少年の姿が遠ざかる。

 地上からだと、天を舞う巨大な羽が人影を生み落としたようにも見えたかもしれない。もっとも、この吹雪ではそれらを視認するのは不可能だったろうが。

 雪風を切り裂いて、セーラは直下へと急行した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る