聖ミルメオン教会堂は、ここ都市国家オリージュにおいて最大の宗教施設であり、同時に最も歴史ある建造物でもあるという。

 初代国王ミルメオン・オリージュが美しき女神エルフィーデに導かれてこの地を築いた伝説は、この国に住む者なら知らぬ者はいないらしい。女神への信仰はあつく、ステンドグラスを始め、教会のいたるところに伝説を模した意匠が施されている。

 中でも壮観なのは礼拝堂の壁画だった。愛らしい天使たちを従える有翼の美女が、騎士鎧の青年に手を差し伸べている光景が、精緻せいちなタッチで表現されている。

「……盛りすぎじゃない?」

 そんな美麗な宗教画を眺めるセーラの第一声が、それだった。

「見てよあの女神。体型が違うし、そもそもあんな美人じゃないし」

「ま、まあ、もうちょっとふくよかだよね……」

 控えめに同意したのはポンチョを纏った赤髪の少年――ケルビーだ。乾いた笑いを浮かべながら、礼拝堂をぐるりと見回す。

「けど、エルフィーデ様が愛されてるのがよくわかるね。ここの人たちの信仰には、心が感じられる」

 そう無邪気に微笑む姿から、先ほどゾンビたちを制圧してのけた張本人が彼であることを見抜くのは難しかったかもしれない。

 着陸地点を探しあぐねていたケルビーが、戦闘状況を察して上空から掩護射撃を行ったのが、およそ十分ほど前。それから教会で合流して、今に至る。〝神翼セレスタ〟は教会敷地内に駐機しており、敷地を囲う高い鉄柵のおかげで安全は確保されていた。

「エルフィーデ様もこの世界の人々を大事にしているし、まさに相思相愛だ。理想の関係だね」

「ま、その『大事な人々』はたくさんゾンビになっちゃったけどね。もっと早く助けてあげられなかったのかしら。頼りない女神だわ」

「ちょっと、セーラ!」

 ケルビーが「しーっ!」と口の前に人差し指を立てる。べつに彼は女神エルフィーデを信奉しているわけではない。それでも慌てて不敬な言い草を咎めたのは、祭壇の女神像にぬかずく女性に聞こえてしまうのをはばかったためだ。

 女性――銀髪の女剣士は、ここに来てからずっと祭壇で祈りを捧げている。そんな彼女の後頭部に女神像が優しい微笑を落としていた。

「――お待たせしました」

 ステンドグラスから射し込む淡い雪明かりの中、女剣士が裾を翻して立ち上がった。

 改めて見ると、艶やかな銀髪の下、女剣士はやや幼さの残る顔立ちをしていた。十六歳のセーラより、一つか二つ年上といったところだろう。だが女剣士の優雅とさえ言える立ち居振る舞いが、彼女を淑女たらしめている。

 ケルビーがため息をもらした。

「さっきは気づかなかったけど、すごくキレイな人だね」

「そうね、あたしといい勝負かも」

「ははは、君って鏡を見たことがないのかい?――い、いひゃいひゃい!」

 少年の頬をつねりながらセーラは、壁画前までやって来る女剣士を出迎えた。

「ずいぶん熱心にお祈りしてたのね」

「はい。女神様に感謝を捧げていました」

「感謝? こんな状況で何を感謝するのよ?」

「あなたがたと出会えたことに」

 少女と、つねられて涙目の少年を順に見やり、女性がくすりと微笑む。

「もうこの都市で生きた人に会えるとは思ってませんでしたから……。セーラさん……それからケルビーさん、でしたね」

 女性が黒外套ローブの胸に手をあてた。

「名乗りが遅くなり、失礼しました。私はレオナと申します。オリージュ王家の盾たる親衛騎団、その団長を務めていました」

「親衛騎団の団長?」

 およそ多くの国家に対外戦力というものは存在するが、親衛騎団といえば主君を直接的に護衛する精鋭部隊を指す。単純な戦闘力だけでなく、知力や忠誠心など様々な面で高水準が求められる彼らは、文字通り国を代表する戦士たちだ。

 この女剣士はたしかに見事な剣術でゾンビを圧倒していた。だが、親衛騎団の団長トップというには、いささか若すぎではないだろうか。

 そんなセーラの疑念が伝わったのか、女剣士――レオナが早口で補足した。

「団長といっても、私は若輩者で、ほとんどお飾りで拝命しているに過ぎません。実際、私より優秀な騎士はたくさんいます……今は、もういませんが」

 一転、レオナの顔が曇った。生傷に触れたかのように、表情が苦しげに歪む。

「私たちは敗北したのです。たった一人の男に、手も足も出ず」

「……詳しく聞かせてくれる?」

「……三日前、その男は前触れもなく、城に現れました」

 記憶をさらうようにレオナは目を伏せると、震える声を絞り出した。

「まるで見張りなどいなかったみたいに玉座の間に飄々ひょうひょうとその男が現れたときは、さすがに驚愕しました。ですがそれも、直後に男が言い放ったことに比べたら些細ささいなものです。男は王様にこう言いました……『わたくしは、あなたに無限の軍勢を提供する用意があります』」

「無限の軍勢……」

 ただならぬフレーズを繰り返したセーラに、レオナが首肯を返す。

「ええ、あの動く死体のことです。しかし初めはそうと示されず、得体の知れない男の提案だというのに皆が興味を持ちました。隣国との関係が悪化している昨今、戦争になる前に、なるべく早く対策をとる必要があったのです。だから『無限の軍勢』という響きは魅力的でした……それが、死者を冒涜ぼうとくするものと知るまでは」

 ふと、レオナが壁画に視線を転じた。

 緋色の両手剣を携えた青年騎士へと微笑みかける女神、それと天使たちの姿を焼きつけるようにじっと見つめる。

「私たちの祖先は女神様の導きでこの地に国を築き、そうして今の私たちがあります。いわばこの命は女神様からの授かり物。その命を戦いの道具におとしめる提案は、とうてい許容できるものではありませんでした。しかも、あろうことかその男は〝試供品〟と称して、殺害した市民の遺体を運び入れてきたのです。王様はお怒りになり、男の捕縛を命じられました。……そのときです、遺体が起き上がり、私たちの前に立ちはだかったのは」

 セーラにとってゾンビはホラーの定番のようなものだが、この世界にはそもそも〝生ける屍リビングデッド〟という概念すらなかったのだろう。目の当たりにした衝撃は並大抵ではなかったはずだ。

「どれだけ斬っても倒れぬ敵を相手に、私たちは消耗する一方でした。やがて仲間の騎士が倒れ……そしてその遺体が敵と化して襲いかかってきてからは、敗北までそう時間はかかりませんでした」

 レオナの声が詰まった。その唇から漏れたのは深い悲哀と羞恥しゅうちの念、そして身を裂くような悔恨だ。

「……私は逃げました。王様も、仲間たちも置いて、幼い弟だけを連れて城を抜け出しました。街の方にもすでに歩く死体がいて、混乱が生じていましたが、それからも逃げました。とにかく逃れたい一心で教会に駆け込み、地下通路から都市の外に出て……」

 ふっとレオナがかすかに息を吐いた。

「本当に……本当に愚かでした。着の身着のまま逃げたところで、まだ小さいあの子が寒さに耐えられるわけなかったのに、私はそんなことにすら……」

「……それで、戻ってきたのね?」

 肩を震わせて黙りこんでしまった女剣士から目をそらさず、セーラは訊ねた。

「弟さんや、みんなの仇をとるために」

「……そう考えたのは、教会に戻って、化け物になっていた神父様たちをこの剣で斬ったときでした」

 腰に吊った長剣にレオナが視線を落とした。

「これは王家に代々伝わる宝剣で、城を抜け出すときに持ち出したものです。この剣なら化け物を倒せると、そのとき初めて知りました……おかしいですよね。もっと早く気づいていれば、 城から逃げる必要もなかったし、あの子が凍え死ぬこともなかったかもしれないのに……」

「……事情はわかったわ」

 レオナの自嘲混じりの述懐に頷いて、セーラが難しい顔をした。

「ケルビー、あんたはどう思う?」

「……死霊術士ネクロマンサー系の異能いのう使いだね。この世界のことわりとあまりにかけ離れているし、城にやってきたその男が異世界人オーヴァーランダーで間違いないと思う」

 赤くなった頬をさすりながら、ケルビーは明瞭に答えた。それから少女同様、悩ましげに眉根を寄せる。

「この手の異能の対処は簡単だ。術者を倒したり、術の行使こうしをやめさせれば、力の供給源を失ったゾンビは元の死者に戻る。ただ、問題はどうやって術者までたどり着くかだよね」

 レオナの話からして、術者の男は城内にいる可能性が高い。だがそこには、ゾンビと化した兵士たちがひしめいているはずだ。

「あのゾンビ、セーラの銃でも倒せなかったんでしょ? それじゃ正攻法は無理だ。〝神翼セレスタ〟で制圧するにしたって武装には限りがあるし、下手な攻め方はできない」

「短期決戦しかない、ってわけね。ゾンビは相手にしないで、術者のところに直接乗りこんでぶっ倒す。なーんだ、あたしの得意分野じゃない」

「簡単に言わないでよ。術者が護衛にゾンビを置いてないなんて考えにくいし、そもそも術者が城のどこにいるかもわからない。短期決戦をしようにも条件が悪すぎる」

「……化け物の対処は私に任せてください」

 二人の相談にレオナが口を挟んだ。長剣の鞘を持つ手に力をこめる。

「玉座の間へは、私が城の脱出に使った隠し通路をたどれば、潜入は容易でしょう。あの男がそこにいなかったとしても、城内ならご案内できます」

「いや、でもそれは……」

「私一人では、あの男の元まで行き着けません……」

 なにやら歯切れ悪いケルビーに、レオナはせつせつと訴えた。

「何度も挑みましたが、化け物になった市民に阻まれて、城にたどり着くことすらままなりませんでした。でも、あなたたちの力があれば、きっと……お願いします、どうか私にも手伝わせてください!」

「ダメよ」

 深く頭を下げたレオナにかかったのは、あまりにすげない拒絶だった。

「ごめんね。規則なんだ」

 声もなく固まる女剣士に、ケルビーが申し訳なさげに、しかし断固とした口調で説明する。

「この事件はとっくに、君たちの常識の範疇はんちゅうを超えてる。異世界とか転生とか、君にはわからないだろう? そんな人を事件の解決に巻きこんじゃいけないことになってるんだ」

「規則の問題じゃないわ。あんたは連れていけない」

 ケルビーの言を混ぜっ返すようにセーラが言い放った。その目は、先ほどレオナを拒絶したときと同様に冷たく、厳しい。

「いくら役立つからって、死にたがりを連れ歩きたくなんかないわ」

「死にたがり……⁉︎ わ、私のことですか!?」

「ほかに誰がいるのよ」

 色めきたったレオナを、セーラは真っ向から見返した。

「さっき言ってたわね。教会に戻って、化け物になった神父さんを斬ったときに仇討ちを考えた、って……。訊くけど、なんで戻ってきたの? 剣が効かなきゃ殺されるだけだったのに」

「それは……」

 言いよどんだレオナに、セーラはため息をついた。思った通りとばかりに肩をすくめる。

「おおかた、生きる気力を無くして、弟のあとを追おうとでもしたんでしょ。でもそのあてが外れて、今は、戦いながら死に場所を探してる……この分じゃ、仇討ちが上手くいっても、すぐ自殺しちゃうんじゃないかしら?」

「違う……違います!」

 レオナがかぶりを振った。震える声は泣いているようでもありながら、内に激情を含んでいる。

「私は責務を捨て、民を見殺しにしました。もう、そんな過ちはしたくない……騎士として戦い、皆の無念を晴らす。それが私の目的です。あの男を討つまで、進んで死ぬような真似は絶対にしません」

「……じゃあ、約束して」

 目尻に涙をためた、しかし決意のこもった眼差しに向けて、セーラが言った。

「人生を投げ出さないって。仇討ちが終わったあとも、がんばって生きていく――そう約束して」

「……はい」

 住民が死に絶えた都市で独り生きていく――それは残酷とも言える要求だったが、女剣士は迷わず首肯した。

「約束します」

「それじゃ決まりね。一緒にがんばりましょ!」

「いやいやいや! 何言ってるのセーラ!」

 厳しい表情から一転、にこやかにセーラがレオナの手をとる。そんな少女に慌てて食ってかかったのはケルビーだ。

「さっき言ったでしょ⁉︎ 巻きこんじゃいけない、って! さらっと規則を破らないでよ!」

「あたしもさっき言ったでしょ? 規則の問題じゃない、って」

 相棒の追及に、どこ吹く風といった調子でセーラは言い返した。

「大事なのは戦う力と、心構え。それさえあれば文句はないわ。だいたい、ゾンビに対抗できるのはレオナだけなのに、レオナ抜きでどう攻めこむのよ。あんた、剣を扱えんの?」

「それは……あぁ、帰ったらまた怒られるぅ……」

 言い負けてケルビーがうずくまる。頭を抱えてぶつぶつと呟く姿はなかなか哀愁を誘うものだったが、セーラはまったく気に留めなかった。ガッツポーズすらしている。

「それじゃ、さっそく死霊術士退治と行きましょうか」

「はい……用心して行きましょう」

 レオナが固い声で応じた。

「街には化け物が多く徘徊しています。城に着くまで、できるかぎり避けていきたいですが……」

「あー、それはだいじょうぶ」

 警戒する女剣士に軽く手を振って、セーラは天井を指差した。

「空にはいないでしょ」

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