転生てんせいっていうのは、要するに生まれ変わりのことだけど、あたしたちにとっては違う意味を指すわ」

神翼セレスタ〟の操縦席から豪雪を見据えたまま、セーラは声だけを後部座席に飛ばした。

「それが異世界転生。本来なら同一世界で起こるはずの生まれ変わりが、何らかの理由で魂が別の世界に移動したために発生する異常現象よ」

 後ろからはまったく反応が返ってこないが、まさか凍えたということはないだろう。この座席は一見、無防備なようでいて、あらゆる自然環境から乗員を守る力場フィールドが張られている。同等の力場を常に纏っているセーラにはあまり恩恵が感じられないが、今のレオナはまったく寒さを感じていないはずだ。構わず説明を続ける。

「この転生した異世界人――あたしたちは『オーヴァーランダー』って呼んでるけど、あいつらは基本的に、世界にとっては異物なの。例えるなら、体内に侵入したウィルスみたいなものね。そしてそのウィルスが秩序を乱したと判断したとき、世界管理者は〝抗体〟を送りこんで異物の駆除にかかる」

 前方にそびえる王城の影が大きくなってきた。目標地点まで、もうまもなくだろう。

「その抗体こそがあたしたち。管理者の要請で異世界人オーヴァーランダーを排除する、異法取締官いほうとりしまりかん――ってちょっとレオナ、聞いてんの⁉︎」

「無理だよセーラ。たぶん今の彼女は、何を言われても耳に入らないと思う」

 後部座席のケルビーの隣で、レオナは呆然と機外の風景を眺めていた。四肢を伸ばし、ぴたっと貼りつくように座席に体を預けて微動だにしない。

『世の中はね、省けるところは省いた方が良い目を見れるのよ』というセーラの主張で空から向かうことになったが、レオナのことを思えば少々無茶な行軍だったかもしれない。離陸する際も、驚きのあまり彼女が落ちてしまわないか心配だったものだが、まるで意識が抜け落ちてしまっているかのような今の状態も別の意味で心配だ。

「まあ、飛行機のない世界じゃ、こういう反応にもなるわよね」

「飛行機があっても〝神翼セレスタ〟には驚くと思うけど……レオナさん、だいじょうぶ?」

 青い顔で目を見開いたまま固まってしまっている女剣士に、ケルビーはこれ以上驚かせてしまわないよう慎重に声をかけた。

〝神翼〟は世界管理者――神様の乗り物だ。本来ならただの現地人が搭乗するなどありえない代物しろものである。

 これが女神エルフィーデのものと知ったら、敬虔けいけんな信徒である彼女は今度こそ驚きのあまり落っこちてしまうかもしれない――念のためにいつでも捕まえられるよう構えつつ、少年は再度訊ねた。

「だいじょうぶ? 無理しちゃダメだよ。つらければ、いつでも着陸するから」

「ケ、ケルビー、さん、だ、だいじょうぶ、です……」

 あまり大丈夫とは思えない声音でレオナは返答した。微笑んでいるつもりなのだろうが口元は引きっている。

「そ、空を飛ぶって、こんなに、こ、怖いことだったの、ですね……でも、ば、化け物に遭うのに、く、比べたら、や、安いもの、です……」

「……うん、セーラ、もう降りよう。彼女はもう限界だ。そもそも〝神翼〟に僕ら以外を乗せるのも規則違反なんだし」

「何言ってんのよ。レオナの言うとおり、ゾンビに遭うのに比べたら安いもんじゃない。それにもうすぐ城に着くわ」

 相棒の主張を無情に斬り捨てながら、セーラは背後を顧みた。青ざめたレオナに下を見るよう指で示す。

「あんたが脱出した隠し通路ってどこ? その近くに降りるけど」

「パ、中庭パティオ、です……」

 震え声でレオナが答える。彼女の視線の先、下方では王城の全貌が鮮明に現れつつあった。

 都市を貫く大通りの突き当たり、広大な庭園を伴って白亜の城館がそびえていた。

 尖塔をいただくひと際大きな館を中心にして、両隣にそれよりやや小振りの館が繋がっている。上から見るとあたかも雪に舞う冬鳥を思わせる全景だが、レオナが指差したのはその中央部――三つの館に三方を囲まれた敷地だ。

「あの中庭に、ち、地下への入り口が、あって、そこから」

「玉座の間に続いてるわけね」

「は、はい……ちゅ、中央棟の最上階まで、のぼるのは、た、大変ですが……」

「大変なのはあんたの方だから……。でももう大丈夫。すぐに降りるから、もうちょっとだけ我慢してね」

 半ばグロッキーなレオナから中庭へ目を移すと、セーラは操縦桿を強く押しこんだ。機体が急降下し、巨大な城館がぐんぐん視界に迫って来る。

 幸い、中庭周辺にゾンビの姿は見当たらない。この勢いのままさっさと着陸して――

「待って、セーラ! 何かいる!」

 ケルビーが叫んだのはそのときだった。

 鋭い警告に、セーラは素早く中庭に目を走らせる。だが再びの索敵にも敵影は見受けられない。

「どこ? 何も見えないけど――」

「そっちじゃない! 屋根だ! !!」

 ケルビーが睨んでいるのは正面、中央棟の尖塔だ。その傍らに、人型の大きな影がうごめいている。

 人影が屋根から何かを拾い、腕を振り上げた。

「っ!」

 背筋を走った悪寒が、セーラに操縦桿をめいっぱい切らせていた。

 わずかでもそれが遅れていたら、屋根から投擲とうてきされた建材の塊は操縦席に直撃していただろう――だがそれは最悪を免れたに過ぎなかった。豪速で迫った塊は、回避行動に移った〝神翼〟の端に着弾し、衝撃で機体を激しく揺さぶっている。

「しまった……レオナ!」

 機体を守るフィールドは外的衝撃には対応していない。バネの上にいるかのように激しく機体がたわみ、セーラとケルビーが座席にしがみつく――だがレオナは間に合わなかった。傾いた座席から機外へと放り出される。とっさにケルビーが手を伸ばしたが、尾を引く悲鳴を虚しくつかんだだけだ。

「セーラ! レオナが!」

「わかってる!」

 だが今は中庭に落下したレオナの身を案ずる余裕はなかった。怒鳴り返しながらも、セーラは機体を制御しようと操縦桿をひねっている。しかし意に反して〝神翼〟の機動が安定しない。徐々に減速しながらも突き進む先は、中庭を臨む中央棟の窓だ。

「頭を低く!」

 叫ぶやセーラが操縦桿の裏側のスイッチを押しこんだ。直後、〝神翼〟の底部から長大な白羽フェザーが五本、立て続けに発射されている。

〝神翼〟唯一の武装であるフェザージャベリンは窓を囲むように壁に突き刺さった。破壊された壁の中心を〝神翼〟が突き破る。

 壁の破片とガラス、そして轟音を盛大に撒き散らして、機体は城内廊下をバウンドした。さらに進行方向にあった両開きの扉をも突き破り、豪華な絨毯を摩擦で削りながらようやく動きを止める。

「……セーラ、生きてる?」

「……このくらいで天に召されやしないわ」

 土埃とガラス片を払い落としながら、二人は身を起こした。

 広い部屋だった。白壁に囲まれた部屋を縦断して、赤い絨毯が扉から、一段高い位置にある最奥の椅子スローンまで伸びている。

 その椅子から中腰に立ちあがった姿勢で、男が独り、硬直していた。

「な、なな、なんなのよいったい⁉︎」

 筋肉質の肉体を紫の毛皮ファーで覆った男はしばらく驚愕に固まっていたが、やがて「くちゅん!」と小さくくしゃみをした。巨体と呼んで差し支えないその長身をたくましい両腕でかき抱く。

「寒い! 風が寒い! ちょっと、アテシは薄着なのよ⁉︎ 誰だか知らないけどなんてことしてくれるのよ‼︎」

「……見て、ケルビー。ずいぶんお喋りなゾンビがいるわ」

「ゾンビじゃないよ、たぶんあの人が死霊術士ネクロマンサーだよ……そりゃあ、レオナから聞いた話のイメージとはだいぶ違うけど」

 男は紫色の長髪を振り乱してなおも甲高い声でわめいているが、それを無視して二人は機体から降り立った。

 この城内にまともな人間が残っているはずもない。どうやら運良く敵の懐に入り込めたようだ。

 しかも敵は独り――このうえないチャンスだ。

「ちゃっちゃと終わらせて、レオナを探しに行きましょうか」

「うん。彼女には悪いけどね。仇討ちの相手を取っちゃってさ」

「何をぶつくさ言ってるの! 絶対に許さないんだからね!」

 ジャケットの懐から大型拳銃リボルバーを取り出したセーラを、男は激怒の表情で睨みつけた。自身に向いた銃口を気にもせず、長剣の鞘を引っ掴んでセーラへと近づいていく。

「絶対に許さないわぁ……ダーリンと一緒に、アンタたちを殺してやる。それから死体奴隷したいどれいにしてずっとこき使ってやるわ。まずは扉と壁の修理。それから――」

 ――一発の轟音が、男の陰惨なプランを遮った。

 発射された弾丸は男の額に着弾している。見事なヘッドショット――そして絶叫があがる。

「い、い……いった~~い!! 何すんのよアンタぁぁああああ!!」

 剣を引き抜きかけた姿勢でのけぞっていた男が、ぎょろりと目玉を動かした。

 その額は赤く腫れあがっている。普通、銃弾が命中したらその程度で済むはずがないのだが、発砲した当人が凝然ぎょうぜんと立ちつくしてしまったのは別の理由からだ。

「……命中したわよね? なんで、? やっぱりあいつ、ゾンビなの?」

「〝異能回帰弾いのうかいきだん〟が効いてない……ってことはセーラ、あの人は異世界人オーヴァーランダーじゃない。この世界の人だ!」

「ウソでしょ!?」

「許さないぃぃぃ……よくもアテシの顔に傷をぉぉぉ……」

 分厚い紅唇こうしんから怨嗟えんさを紡ぎ、巨漢は長剣を抜き払った。氷のように蒼ざめた剣身がぎらりと光を帯びる。

「集いなさい、アテシの死体奴隷!」

 男の四方で、塵のような黒い何かが渦巻いた。次の瞬間、それは剣と鎧で武装した四体の兵士たちと化している。兵士たちの顔はこれまで出会ったゾンビたち同様、死者のものだ。

「あんな芸当するのに異世界人オーヴァーランダーじゃないって、何かの間違いでしょ!?」

「わからないけど、ここは退こう! 回帰弾が効かないんじゃ、僕らに打つ手はない!」

 慌てて〝神翼〟に乗り込む二人に、ゾンビ兵士たちが追いすがった。その動きは速く、同じゾンビでも市民たちとは比べ物にならない――だが兵士たちが取り付くよりも〝神翼〟の発進の方が若干早かった。浮揚ふようから滑らかに旋回した機体が、先ほど破壊した扉へと取って返す。

 扉の外から現れた何者かがそこに立ち塞がったのはそのときだった。

「ちょっ、こいつ……!」

 立ち塞がったのは、優に四メートルを超える黒々とした巨体だ。それが先ほど屋根から攻撃してきたシルエットと同一と気づいたときには、巨体は機体の先端部をがっちりと捕まえている。

「⁉︎」

 飛行中の〝神翼〟を生身で受け止めたことも驚異的だったが、そのまま機体を振り投げたのは輪をかけて驚異だった――壁にしたたかに叩きつけられ、セーラとケルビーが床に投げ出される。よろめきながらも起きあがろうとするセーラの耳朶じだを打ったのは、複数の足音と甲高い嗤笑ししょうだ。

「逃げられるわけないじゃな〜い? なんたってダーリンは特別で、最強なんだもの。他の死体奴隷とは格が違うのよ〜」

 巨体――全身真っ黒の巨人ゾンビの腕に、男が仲睦まじげにしなだれかかる。

「そっちの坊やは可愛い顔だからもうちょっと悩むとして、小娘、アンタは今すぐぶち殺してやるわ。殺して、こき使って、ほかの連中みたいにダーリンの養分にしてあげる」

「……この都市をめちゃくちゃにしたのは、あんたなのよね?」

 目が合うなりまなじりを吊り上げた男に、セーラはことさらゆっくりと問いかけた。ひっくり返った〝神翼〟の傍ら、うつ伏せで動かないケルビーを盗み見つつ、腰の金属棒にそろそろと手を伸ばす。

「死ぬ前に教えて。なんでこんなことをしたの? この国に恨みでもあるの?」

「決まってるじゃな〜い。アテシとダーリンの愛の千年王国を築くためよん」

 そんなこともわからないのかと言いたげに男は肩をすくめた。

「ダーリンが死んで悲しみにくれるアテシの前に、神様が現れたの。あ、神様っていってもクソ女神エルフィーデのことじゃないわよ? アテシ好みのダンディな殿方♡ 神様はダーリンを生き返らせてくれて、しかもアテシたちの愛を応援してくれたの。アテシたちはそのお告げの通りにがんばって、こんなに大成功したってわけ!」

 大仰に腕を広げながら語りきって、男は太い顎に指をあてた。

「この国に恨みはないけど、まあ、近場だったしぃ? それにエルフィーデを信奉する国ってアテシ、好きじゃないしねぇ……さ、お喋りはおしまいよ。サクッとぶち殺したげるわ」

「……そうね、殺すならひと思いにやってもらえると助かるわ」

 絶体絶命だというのに、セーラの声にじる気配はない。かすかに笑ってすらいる。

「あんたがあたしを殺せるなら、だけどね?」

「はあ? 笑ってんじゃないわよ、ブス! アンタたち、やりなさい!」

 男の怒号に合わせゾンビ兵士たちが一斉に抜剣し――肉が裂ける湿った音が室内に響いた。だが斬り落とされた頭はセーラのものではない。

 首から上を失ったゾンビ兵士が力なく崩れ落ちる。

 その背後に立つのは、緋色の長剣を振り抜いた銀髪の女剣士だった。

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