「なに、この声……」

 突然聞こえてきたその声は、重厚な響きを備えていた。いわおのような存在感を発しながら、どこか不安を掻きたててくる、低い声。

 セーラが訝るが、瀕死の男の反応は違った。

「か、神様……? この声……神様、よね……? お願い、助けて……」

 室内にほかに新たな人物はいない。だが必ずどこかにいる――そんな確信を持ったかのように、死霊術士の男は息を切らしながらも懸命に乞うた。

「アテシまだ死にたくなぁい……お願い神様ぁ……」

いな。貴様はもう必要ない』

 返ってきた答えは無慈悲だった。

『とはいえ、ここまで貴様はよく働いた。その功労に免じ、無為むいな死は迎えさせぬ。光栄に思うがいい。貴様はに尽くす』

「あ……」

 男が不意に跳ねるように起き上がった。剣を引き抜かれて人形のようにくずおれるレオナをそのままに、まるで何かに引っ張られているかのように歩きだす。

 瀕死の人間ができる動きではない。そして当人もそれを自覚しているようだったが、激痛に喘鳴ぜんめいを吐き出すしかできないでいる――黒い巨人が自身を出迎えるまで。

「ダァ……リン……」

 すがるように見上げてくる男に対し、巨人は無言だった。そのたくましく膨れあがった胸筋は、先ほどまで無数の銃弾を浴びていたのが嘘のように傷一つない――いや。

 巨人の胸板が、中央でバックリと割れた。

「ウ、ウソ……!」

 観音開きのように割れたそれが、負傷によるものではないことを男は知っていた。巨人の胸の内側にわだかまる暗黒を凝視し、男の喉を絶叫がほとばしる。

「アテシをする気なの⁉︎ 待ってダーリン、そんな――」

 それが男の最後の言葉だった。掴み上げられた男が巨人の胸に取り込まれ、暗黒へと溶けるようにその全身が没する。巨人の胸板が元通りに閉じたとき、男の名残なごりは、床に落ちていた蒼色にきらめく長剣だけだ。

『ほかにしようもなかったとはいえ、やはり剣のたしなみがない者を選ぶべきではなかったな』

 巨人が長剣を拾いあげた。次いで、その白い双眸そうぼうが捉えたのは、ひろがる血に横たわるレオナだ。

『余と共に在るに足るはたぐいまれなるつるぎの名手。高貴なる血を引き、加えて美しいとなれば申し分ない』

 巨人が大股にレオナに近づいていく――その足を撃鉄の上がる音が止めた。

「あんたが異世界人オーヴァーランダーだったのね」

 すでに短機関銃は元の金属棒に戻っている。それに代わってセーラが構えているのは、先ほども発砲した大型拳銃リボルバーだ。

「無機物への異世界転生……決して珍しいケースじゃないけど、まんまと意表を突かれたわ」

『ほう……なかなか事情に通じているようだな、小娘こむすめ

 巨人――いや、巨人を操る蒼の長剣は、かすかに感嘆したようだった。とりたてて装飾もない長剣のどこから発声しているのか知れないが、低い笑いが漏れ聞こえてくる。

『察するに、その奇怪きっかいな飛び道具なら余を殺せるわけか。だが、これならどうだ?』

 巨人の手中で剣が反転した。そのまま巨人の胸に深々と突き刺さり……剣身が徐々に体内に沈んでいく。

『死者を不滅化し、使役する力……慣れればこれほど便利な能力もあるまい。いかなる攻撃にも滅びぬ肉体は余にとっても究極の鎧となる』

 狙いを定める間もなかった――巨人の体内に消えた長剣にセーラが歯噛みする。銃弾の効かない巨人ゾンビの中に隠れられては、手の出しようがない。

 だが、まだ手詰まりではない。ゾンビを滅ぼす手段が、まだ――

『この鎧があれば貴様の飛び道具も、あの忌々しき魅了の魔眼すらも恐るるに足りんが……余をおびやかす物が一つ残っているな』

 巨人が再びレオナを見た。正確には、彼女が握りしめる緋の宝剣を。

『不滅者を元の死者に戻す、余と対極の力を持つ剣……まさしく天敵か。それがあるかぎり安堵はできぬな』

「い、行かせないわ!」

 巨人の動きを制するようにセーラが声を張りあげる。あの宝剣を壊されでもしたら終わりだ。

『フッ……貴様は自分の心配をすべきではないか、小娘?』

 巨人の膝がたわんだ。

『使い手を持たぬ剣、何するものぞ。あのレオナとやらは余の刃を直接浴びたゆえ、じきに我が配下と化す……ならば、ほかにあの剣を使いうるのは誰だ?』

「⁉︎」

 それはまるで巨大な砲弾だった。巨人の突進をセーラは横に跳んで避けようとして――気を失ったままのケルビーの襟を掴む。見た目よりも軽い少年の体を思いきり投げ飛ばし、その直後、彼女は背中から壁に叩きつけられていた。

『仲間を庇うか。泣かせよる』

 巨人がセーラの喉首を掴み、そのまま彼女を高々と差し上げた。

「……!」

 無造作な絞首にセーラがもがくも、バタつく足は虚しく宙を蹴るだけだ。視界がだんだん霞み何も見えなくなってくるが、せめてもの抵抗に巨人を睨もうと目に力を込める。

『良い目だ』

 低い笑声が聞こえた。

『この状況でも屈さぬとは、殺すのが惜しくなってくる――だが終わりだ。死ね』

 風切り音とともに、セーラの体がドサリと落ちた。

『バ、バカな――』

 巨人から、初めて狼狽ろうばいの声が漏れた。

 拘束から解放されたセーラは酸素を求めて激しく咳き込んでいる。だが異世界人オーヴァーランダーを動揺させたのはそれではない。セーラを捕らえていた巨腕に宝剣を食い込ませている女剣士に、驚愕混じりの怒声をぶつける。

『余の剣を受けていながら、なぜ余の配下と化していない⁉︎』

「セーラさん、ごめんなさい……本当は、あなたの言う通りでした……私は、死に場所を探していました……」

 はだけた黒外套ローブの下、胸の刃創じんそうからは出血が続いている。一言喋るたびにつっかえながらも、レオナは懸命に言葉を紡いだ。

「弟の後を追いたかった……生き長らえたことを悔やみもしました……でも、でも今は、違います……私は負けない……戦って、生き抜いてみせる……だって――」

『小娘が!』

 剣が刺さったまま振り回された巨人の腕がレオナに直撃した。

「レオナ!」

「セーラ、さん……」

 床に叩きつけられる寸前、唇がかすかに動いた――〝約束、しましたから〟

『小娘ふぜいが……この賢王を見くびるな!』

 巨人の脚が大きく持ち上がった。セーラが駆け寄る暇もなく、レオナの頭上に足が降り落ちる。

 だが、結局、レオナが踏み潰されることはなかった――巨人の右脚はその瞬間、膝から下が突如として消失してしまっていたからだ。

『な――⁉︎』

 バランスを崩した巨人が轟音をたてて後ろに倒れ込む。

 右脚の切断面は美しさを感じさせるほど滑らかだったが、いったいどれほど鋭利な刃物が通ればこうなるのか。そもそも切断されたのなら右脚がどこかに転がっているはずなのに、見当たらないのはいかなるわけか。

「ケルビー……」

 倒れた敵から、セーラは唯一の心当たりへと目を移した。そこにいたのは、片手を突き出した姿勢でたたずんでいる相棒の少年だ。

 気絶から回復したばかりのケルビーは顔色こそ悪かったが、眼差しは彼にしては珍しく鋭かった。淡く発光するを巨人に向けたまま肩を上下させていたが、セーラの視線に気付き、くしゃりと悲しげに顔を歪ませる。

「ごめんセーラ……僕、無断で〝力〟を――」

「無断なんかじゃないわ」

 セーラが少年の詫びを遮った。

 その唇が、口早にコマンドを唱える。

「【セーラ・ティフレットがケルブシルフに命ずる。〝異神の理ゼノヴィデンス・アーツ〟、開帳かいちょう】」

 刹那、ケルビーの全身を爆発的な白光が覆った。

 そして時を置かず、強烈な輝きが少年の掌に収束する。

決着ケリをつけるわ。サポートしなさい――あたしに当てたりしたら、承知しないからね?」

「――うん!」

 ケルビーが頷いたと同時に、両手で大型拳銃を握り直してセーラが駆け出す。

 そしてそのときには巨人も身を起こしつつあった。

『不滅の鎧が……おのれ、何をしたっ!』

 健在な手足で体勢を整え、巨人は自身へと向かってくる少女にえた。叩き潰さんとばかりに、少女を挟むように両腕を繰り出す。

『余は屈さぬ! 余は終わらぬ! 余の統治する新たな国を打ち立てるまで、余は――』

「ふざけたこと言ってんじゃないわよ、〝賢王〟。異世界人に国を奪われたことは同情するけど、ここはあんたの物じゃない」

 セーラの左右で、今にも打ち合わされようとしていた巨人の腕が次の瞬間、消滅した。気体と化したかのごとく、ほどけるように霧散する。

 巨人に肉薄するセーラが、拳銃を突き出した。

「嘆かわしいわ。〝賢王〟なんてたたえられながら、こんな、自分自身に泥を塗る真似するなんて――」

 巨人の分厚い胸板が、塵のように削れ落ちていく。両腕と同様に胸筋が、その内側の暗黒が、ぼろぼろと崩れ去っていき、そして蒼き剣が露出した。

 その剣身に殴りつけるように、セーラは銃口を押しつけた。

「――あんたの前世に謝んなさい!」

 轟音――ゼロ距離で命中した異能回帰弾は、即座にその機能を発現した。

 異物存在を捕縛する光の鎖が弾頭から射出。蒼の長剣を何重にも覆うとともに、対象の保有する異能ちからを封印していく。

『余……余、は……』

「――答えなさい」

 そして意思持つ剣は、その存在そのものが異能のようなものだ。徐々に発声能力を失いつつある剣に、セーラは問うた。

「あんたをこの世界に送り込んだのは誰? 誰が、あんたに力を与えたの?」

『……か――』

 最後の声はか細かったが、明瞭だった。

『――神』

 光が弾けた。眩い光が晴れたとき、巨人の胸の内にはもう何もない。異能回帰弾の機能によって、蒼き剣は本部の牢獄へと直接転送されたのだ。

「また神、か……」

「ねえセーラ、さっきの異世界人オーヴァーランダーが誰か知ってたの?」

 ぽつりと呟きながら拳銃を収めたセーラの背中に、ケルビーの質問がかかった。彼の手からはもう先ほどの光はなくなっている。

「国を奪われた、とか言ってたけど」

「まあね。たぶん、こないだ行った『華土羅カドラ』で、異世界人に殺されてた王様よ」

 蒼き剣が漏らしていたいくつかの聞き覚えある単語を反芻しながら、セーラは倒れ伏した巨人を見下ろした。

 両腕と片脚、そして胸部を無くした巨人の全身は、今や薄光に包まれつつあった。術者が倒れたことにより、その使役体である巨人ゾンビも消滅しつつあるのだ。

 そしてその変化が起こっているのは巨人だけではなかった。

「な、なんであんたまで消えかけてんのよ⁉︎」

 横たわるレオナの全身にも同じ光が現れているのを目撃してセーラが目を剥く。まさか、敵の剣を受けたせいでゾンビ化したのか? しかし彼女にそんな様子はない。

 困惑するセーラに対し、レオナはため息を吐くように微笑んだ。

「もう……時間みたいです」

「時間……?」

「セーラさん、ケルビーさん……ずっと黙っていてごめんなさい……私はもう、死んでるんです」

 からん、とレオナの手から緋の宝剣がこぼれ落ちた。だんだん透けていく自分の手を不思議そうに、あるいは愛おしそうに、穏やかな瞳で見つめる。

「弟と凍えて、一度は死んだ私に、宝剣が、命を吹き込みました……。でも、生き長らえたのが嫌で、私は死にたがってた……それから城に向かって、あなたたちに会って、心を言い当てられて……」

 白い頬に滴がつたった。

「あの約束のおかげで、また生きたいって思えるようになったんです。結局、ずっと生きていられるわけじゃなかったけれど、死にたくないって思うことがこんなに幸せなんて知らなかった……ありがとうございます……」

「バカ」

 制帽キャップつばを深く下ろし、セーラが毒づいた。

「守れない約束だったら、最初からしてんじゃないわよ」

「ごめんなさい……あの、怒られていながら頼みごとをするのも気が引けるのですが……」

「いいよ。なに?」

 セーラは唇を固く結んでいる。代わってケルビーが応じると、レオナは傍らの宝剣を指で示した。

「これを……私を生かして、守ってくれた剣を、よろしくお願いします」

 ケルビーが頷く。心残りが晴れたようにレオナが微笑んで――ふと風に誘われたように視線を転じた。

 視線の先、〝神翼〟の突入によってできた壁穴の向こうで、暗雲が割れていた。豪雪が嘘のようにやんでいて、暖かな日射しに無数の光の球が踊っている――元の死者に戻った市民たちの魂が天に昇っているのだ。

「きれい……」

 数多の光に、レオナはうっとりと独りごちた。

「あの中にみんながいる……もし生まれ変わって、みんなに会えたら――」

 囁きが途切れた。光の球が天井へ浮かび上がっていったとき、レオナの姿はもうどこにもない。巨人の方もいつしか消え失せていた。

「鞘を残していってくれてよかったね」

 残された宝剣と鞘をケルビーが拾いあげ、ふと首を傾げる。

「レオナを生き返らせて、ゾンビを倒した剣……魔法の剣マジックウェポンか何かなのかな」

「転生者よ、それも。誰だかは知らないけど」

 セーラがぶっきらぼうに教えた。ひとつ息を吐いてから補足する。

「ただし異世界じゃなく、純粋にこの世界のね。通常の転生は管理者の仕事だし、エルフィーデなら詳しいんじゃないかしら。まあ、なんにせよ、あたしたちの管轄外の代物ね」

「えっ、それじゃあ――あいた

「なに不安そうな顔してんのよ。だからって放っていくわけないでしょ」

 少年を軽く小突いて、セーラは剣と鞘を半ば引ったくるように受け取った。

「あたしは違うわ……あたしは約束を、守る」

 少女の手許てもとで剣が鞘に収まり、澄んだ音をたてた。


 神々は、各々おのおのの世界を導き、見守り、破綻せぬよう管理している。

 たとえ人の世が乱れても、それは世界の破綻ではない。その乱れすらも世界の一部であるからだ。

 だが、もしその乱れがからもたらされたものであったなら?

 予期せぬ外部介入は神の思惑を超え、世界をたやすく破綻へと促していく。

 その事態を解決し、元の秩序を取り戻す組織こそが、天枢院てんすういん審理聖省しんりせいしょう

 そして、そこに所属する異法取締官エージェントたちは――

「あ、ダメ、完全に壊れてる。この〝神翼〟ヤワすぎるわ」

「ヤワすぎるわ、じゃないよセーラ! あああまた怒られるうぅ!」

 当分、帰れそうになかった。

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