第4話:モヒートでは酔いきれない
勢い込んで一口ワインをあおれば、慣れない刺激に喉が焼けた。
せめてむせかえらないように堪えるが、よほど顔をしかめていたのか、見かねた彼が「仕方ねぇなぁ」とワイングラスを取り上げる。
「何だったら飲めるんだ」
「果実酒ベースのカクテルなら」
「ラムしかねぇな。モヒートでいいか」
私の返事を聞く前に彼は棚から瓶を取り出し、手際よくカクテルを作り出した。カラカラと小気味いい音をたてて材料が混ざり合う。
私の不器用さは目に余るものがあるが、それにしても彼の器用さは群を抜いている気がする。今日まで与えられてきた食事だって、質素ではあったがどれも味に申し分ないものばかりだった。
瞬く間にできあがったカクテルをすっと差し出すと、彼はテーブルに軽く腰掛けた体制で、片手で自分のグラスを軽く掲げた。
「じゃあ、仕切り直しといこうや」
私も目の前に、出来立てのモヒートを掲げる。
「血塗られた俺たちの全生に」
「……因果に満ちた今生に」
カラン、とグラスを合わせてから口を付ければ、複雑な心情とは裏腹に、爽やかな風味が口内に広がった。アルコールを少なくしてくれたのだろう。飲みやすい。
「本当に。覚えているんだな」
「何度も言わすな、言っただろ」
「……お前が覚えているのは、今回が初めてだよ」
前世でも、そのまた前世でも。更にその前を辿ってみても、一度たりとて彼が覚えていたことはなかった。
私が死ななかったのに次いで、二つ目のイレギュラーだ。
さぁて、と彼は早くも一杯目のワインを飲み干す。
「何度も生まれ変わってりゃ、一回くらいそんなこともあるだろうよ」
「それで簡単に済む話ではない。今までの回数が多すぎるんだ。一体、何回これを繰り返したと思って」
「あぁ知ってるよ。それも十回や二十回じゃない」
言葉を遮って、彼は椅子に座り直し怪しげな笑みを浮かべた。
「五十でもきかねェな。百でも足りるかどうか。数えることすら馬鹿らしい。
異常と思うのはもっともだがな、あんたも俺も、これまでを思い出してる時点で十分に異常だろうがよ」
彼の言うこともまた、至極もっともだった。
「ま。俺は過去の話にさしたる興味はねェし、昔の生に執着もねェがな。
俺が唯一覚えていないっつぅ『一番最初』が原因なのか。こんなことを飽きもせずに繰り返してんのは」
「そう、……だろうな」
覚悟をしていた話題に触れ、景気付けにモヒートを半分流し込んだ。一度に飲めばさすがに喉の奥がかっとして、胸が熱を帯びる。
「私とお前は、敵同士だった。
何十年にわたって戦を繰り返した憎み合った国同士。私は巫女で、お前はその巫女を暗殺するスパイとして私の国に潜り込んでいた。それと知らずに私たちは知り合ったんだ。
……結果的に正体がばれたお前は、お前の国を滅ぼす呪術を完成させるための生け贄にされたんだ」
一息に言ってしまってから、残りのモヒートを飲み干した。グラスに残った氷が、からんと間の抜けた音を立てる。
「始まりの概要は、そんなところだ。最初は、私がお前を殺した。
何度も何度もお前に殺され続けるのは、……お前を酷い目に遭わせた、きっとその報いなのだろう」
「馬鹿かてめぇは」
間髪入れずのその反応に驚いて、私は顔を上げた。彼は、怪訝な表情でグラスを持ったまま私を指さす。
「あんたが俺を殺した訳じゃないだろうが。結果的にはそうかもしれねェが、状況的にゃ殺されない方が不自然だ。そこにアンタがいたかどうかの違いしかない。
そんな理由で来世まであんたを追いかけて殺し回るほど俺は小さい人間じゃねぇ」
「殺したも同然のことを私はしたんだよ」
私は。
他ならぬお前に、本当に酷いことを、頼んだんだよ。
喉まで、出掛かったけれども。
口に残ったミントの葉と一緒に、それを飲み込んだ。
今は、今。それを口にしてはいけない、のだ。
「どうあれ、しょうがないんだよ。あの、最初の人生があって。それからずっと似たような人生が繰り返されてきたことは、私が狂っているのでなければ、覆しようのない事実なのだから」
いつの時代でも、私は何故か、呪術に類した特殊な力を持ち。
いつの時代でも、それを人に悟られ利用され、最後には殺される。
幾度後悔しただろう。
幾度、自分の存在を呪っただろう。
けれどな。その度に、お前に巡り会って、私は。
最期の最期で、少しだけ救われているんだ。
だから、きっと、今回も。
今回だって、お前には迷惑だったかもしれないけど、それでも私は、楽しかったんだ。久方ぶりに、お前と話が出来て。
一緒に、お酒が飲めて。
あの時もお前は、私に真っ赤な椿をくれたね。
目に眩しい、とても綺麗な、花だった。
「あんたは、どうしたいんだ」
「ん?」
「あんたは、それでいいのかって聞いてんだよ」
「当たり前だろう。これが私の運命だ。多少の報いは仕方がないさ」
誰だって、好き好んで死にたくはない。
けれども。
私は、いつだって、お前になら殺されてもいいと思っているんだよ。
*****
彼女の声が途絶える。
寝息と一緒に肩が上下した拍子、彼女の顔から艶やかな黒髪が流れ落ちた。
「……てめぇ」
彼はエトワールの目の前にかたりと音を立ててグラスを置いた。しかし深く眠りについた様子の彼女に、目覚める気配はない。
「まだ、この期に及んで。
そんなことを言ってんのかよ、明星」
呟いた声に。
エトワールが目覚める気配は、ない。
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