第5話:レクイエムは抗争の後で

 銃声で目が覚めた。

 がばりと起きあがると、手に触れたのは柔らかいシーツだった。昨夜は酒を飲んでそのまま眠ってしまったはずだが、彼が部屋まで運んでくれたようだ。

 夜半は過ぎたが、まだ夜が明け切らぬ頃合いだった。窓の外はまだ薄暗く、外の景色は見えない。だが、そう遠くはない場所から複数の人間がうごめく気配がした。

 嫌な予感に耳をそばだてていると、にわかに部屋のドアが開く。音もなく滑り込んできたのは、彼だ。


「起きてるか」


 時間が時間である、彼も寝起きのはずだが、いつものジャケットにハットの装備を身につけ、手には銃を握っている。昨夜とは打って変わって、物々しい空気を全身に纏っていた。


「どういうことだ。何が起きている」

「連中にここがバレた」


 ドアの脇に体を付けて外の気配へ耳を澄ませながら、彼は手短に告げる。


「生憎と俺の組織は一枚岩じゃなくてなァ。あんたを手に入れたい連中と殺したい連中とで、都合よく勢力も二分されてんだ。

 で、殺したい連中が、あんたを俺ごと葬り去りにきたんだろうさ。下にいた俺の仲間も全員やられたみてぇだ」


 いつもの余裕めいた態度とは違い、隠しきれない焦りをにじませながらそう語る彼に、しかし私はどこか、ああ、と納得していた。少しだけ遅くなったが、ようやくその時がきたのだ。


 間もなく、今回が終わる。

 どこにも道はない。逃げられない。


「私を殺せ、禍星」


 彼にとっては唐突だったろうその発言に、驚いて振り向くのが見えた。


「私をここで殺して置いていけ。お前一人ならここから逃げられるだろう。

 連中の目的も半分は私の死なら、多少の足止めにはなる筈だ」



 彼のいる組織とやらがどういう状態なのか分からないが。奴らの襲撃の主目的が私なのであれば、逃げた彼を深追いすることはないだろう。私さえ死んでいれば、目的のほとんどは達せられる。

 彼を逃がすために、私の死が役に立つのだ。

 今までの終わりと比べたら、だいぶ。いや、かなり、上出来な最期だ。


「ああ。分かった」


 黙ってしばらく考えてから、やがて私の主張を飲み込んだ彼は、くるりと銃を弄ぶように回す。


「約束通り。

 あんたを、してやんよ」


 銃口が真っ直ぐ私に向けられた。

 いつか見た光景。あの時の銃弾は足に逸れたけれども、この距離で、この状況であれば、狙いを違えることはないだろう。


 そっと目を閉じ、彼には届くか届かないかのごく小さな声で、私は最期に呟いた。



「禍星。お前は、今も昔も私にとっての綺羅星だったよ」



 耳に、乾いた銃声が届く。

 つんと硝煙の香りが鼻をつき、ぐらりと私の身体は後ろによろめいた。




 貫いたのは、私の心臓。

 ではなく。




 私の、唇だった。




 呆然として、目を見開く。

 すぐ目の前にあったのは、彼の顔で。いつの間にか私は、彼に体重を預けるようにして左腕に抱きすくめられていた。


「いつもいつも、そうやっててめぇは逃げるよな、巫女殿よ」

「お前……?」

「久しぶりだなァ、『明星』よ。何千年ぶり、か?」


 彼は、ぎらついた目を光らせてにたりと笑う。



「俺は『昴流すばる』。禍星じゃねぇっつってんだろうが」



 彼が、何を言っているのか。にわかに理解できず、私は目を瞬かせる。


「こんな時に何を言っている。早く殺せと」

「魔女のてめーは殺したさ」


 黙らせるように、彼は人差し指で私の口を塞いだ。



「言っただろう。、と」



 一瞬、彼の視線に縫い止められたように身動きがとれなくなる。

 何かを言おうとして言葉にできず、しばらく口を開け閉めしてからようやく絞り出せたのは、次の一言。


「……覚えて、いるのか」

「覚えてるともさ。俺もあんたも互いに互いの人生を賭けたんだ。

 一世一代でも終わりゃしねぇギャンブル、一時はトんだかもしれねェが、忘れられるはずがねェだろうよ。

 会いたかったぜ、俺のエトワール」


 呆然としたままの私を余所に、彼は私の体を軽々と肩へ担いだ。


「女を乱暴に扱う趣味はねぇが、生憎と先方がお怒りなもんでねぇ。少しばかり我慢してくれや。

 つべこべ言わずに逃げるぞ、ガッティーナ」

「おい! どういうことだ、お前は昨日まで」

「種明かしは無粋だろう? 無事に逃げ遂せた後の蜜月まで、答え合わせはとっておこうぜ」


 私の言葉を両断すると、彼は身軽に窓枠へ手を掛けた。窓から覗いたその高さに、すっと青ざめる。

 しつこいようだがここは5階だ。加えて辺りにクッションになるものは何もない。普通であれば到底、逃げ道として想定し得ないルートだった。

 だがドアを出た先にあるだろうアパルトメントの階段からは、複数人の足音が昇って刻一刻と近付いてくるのが嫌でも分かった。別の逃げ場などない。


「……逃げられるとでも思うのか」

「逃げ切ってみせるさ。だがな、残念ながら俺に見つかっちまった以上、お前が俺から逃げるのは生憎と無理な相談だ」

「そういうことは聞いてない!」

「大事だから聞いておけよ、ガッティーナ。だから、お前を逃さないために、俺は今だけは確実に逃げ切るのさ。

 俺のこの足は。あんたが逃げられるって、保証してくれたんだろうが」



 カーテンを握り締め、彼は至って涼しい顔で私を覗き込んだ。



「舌を噛まねェよう、しっかり歯ァ食いしばっとけよ。全く、からこれで、些かやんちゃが過ぎると思わなくもねェが――。

 この星の元に生まれたことを恨めよ、ガッティーナ」



 私を抱きかかえたまま、彼は思い切り足を踏み切る。同時に飛び出そうになった悲鳴を、私は必死に飲み込んだ。


 宙に飛び出したその刹那、街の向こうで紫色に染まる空と、ようやく一筋差した眩しい光が見えた。


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