第5話:レクイエムは抗争の後で
格子を隔てて、彼らは互いの手を合わせる。
『明星。俺は、国を出たときから命などとうに捨てた身。どうでもいいさ。だがな、……お前は、これでいいのか』
『これが私の運命だ。致し方ないさ、禍星』
『……またお前は、そんなことを』
囚われているのは、禍星と名乗るその青年。
だがしかし。本当に囚われているのは、誰か。
明星は、柔らかく笑いながら言った。
『事実だからなぁ。いい加減、受け入れもする。……ただ』
『ただ?』
『……もし。もし、私がここから自由になりたいと、そう願ったときには。その時は、どうかお前が私を殺してはくれまいか。
そして』
一息置いて。
彼女は、目を閉じたまま静かに願った。
『来世では、仮初めの名の『禍星』ではなく、家族しか知らぬその真の名を私に教えておくれ』
『……今、その名を告げるのでは駄目か』
『駄目だ。今生では、どちらも報われない。だから、お願いだ、禍星。約束してくれ。必ず私を、自由に』
『分かった。約束しよう、明星。必ずお前を、自由に』
彼の声を聞いて、彼女は安堵したように木の格子へ額を合わせた。厚い牢は二人を隔て、彼の額には届かない。
さらりと流れ落ちた彼女の艶やかな黒髪には、刺した赤い椿がよく似合った。
*****
銃声で目が覚めた。
がばりと起きあがると、手に触れたのは柔らかいシーツだった。昨夜は酒を飲んでそのまま眠ってしまったはずだが、彼が部屋まで運んでくれたようだ。
夜半は過ぎたが、まだ夜が明け切らぬ頃合いだった。窓の外はまだ薄暗く、外の景色は見えない。だが、そう遠くはない場所から複数の人間がうごめく気配がした。
嫌な予感に耳をそばだてていると、にわかに部屋のドアが開く。音もなく滑り込んできたのは、彼だ。
「起きてるか」
時間が時間である、彼も寝起きのはずだが、いつものジャケットにハットの装備を身につけ、手には銃を握っている。昨夜とは打って変わって、物々しい空気を全身に纏っていた。
「どういうことだ。何が起きている」
「連中にここがバレた」
ドアの脇に体を付けて外の気配へ耳を澄ませながら、彼は手短に告げる。
「生憎と俺の組織は一枚岩じゃなくてなァ。あんたを手に入れたい連中と殺したい連中とで、都合よく勢力も二分されてんだ。
で、殺したい連中が、あんたを俺ごと葬り去りにきたんだろうさ。下にいた俺の仲間も全員やられたみてぇだ」
隠しきれない焦りをにじませながらそう語る彼に、しかし私はどこか、ああ、と納得していた。少しだけ遅くなったが、ようやくその時がきたのだ。
「私を殺せ、禍星」
彼にとっては唐突だったろうその発言に、驚いて振り向くのが見えた。
「私をここで殺して置いていけ。お前一人ならここから逃げられるだろう。
連中の目的も半分は私の死なら、多少の足止めにはなる筈だ」
奴らの襲撃の主目的が私なのであれば、逃げた彼を深追いすることはないだろう。私さえ死んでいれば、目的のほとんどは達せられる。
彼を逃がすために、私の死が役に立つのだ。
今までの終わりと比べたら、だいぶ。いや、かなり、上出来な最期だ。
「ああ。分かった」
黙ってしばらく考えてから、やがて私の主張を飲み込んだ彼は、くるりと銃を弄ぶように回す。
「約束通り。
あんたを、自由にしてやんよ」
銃口が真っ直ぐ私に向けられた。
いつか見た光景。あの時の銃弾は足に逸れたけれども、この距離で、この状況であれば、狙いを違えることはないだろう。
そっと目を閉じ、彼には届くか届かないかのごく小さな声で、私は最期に呟いた。
「禍星。お前は、今も昔も私にとっての綺羅星だったよ」
耳に、乾いた銃声が届く。
つんと硝煙の香りが鼻をつき、ぐらりと私の身体は後ろによろめいた。
貫いたのは、私の心臓。
ではなく。
私の、唇だった。
呆然として、目を見開く。
すぐ目の前にあったのは、彼の顔で。いつの間にか私は、彼に体重を預けるようにして左腕に抱きすくめられていた。
「いつもいつも、そうやっててめぇは逃げるよな、巫女殿よ」
「お前……?」
「久しぶりだなァ、『明星』よ。何千年ぶり、か?」
彼は、ぎらついた目を光らせてにたりと笑う。
「俺は『昴流』。禍星じゃねぇっつってんだろうが」
彼が、何を言っているのか。にわかに理解できず、私は目を瞬かせる。
「こんな時に何を言っている。早く殺せと」
「魔女のてめーは殺したさ」
黙らせるように、彼は人差し指で私の口を塞いだ。
「言っただろう。
一瞬、彼の視線に縫い止められたように身動きがとれなくなる。
「……覚えて、いるのか」
「覚えてるともさ。俺もあんたも互いに互いの人生を賭けたんだ。
一世一代でも終わりゃしねぇギャンブル、一時はトんだかもしれねェが、忘れられるはずがねェだろうよ。
会いたかったぜ、俺のエトワール」
呆然としたままの私を余所に、彼は私の体を軽々と肩へ担いだ。
「女を乱暴に扱う趣味はねぇが、生憎と先方がお怒りなもんでねぇ。少しばかり我慢してくれや。
つべこべ言わずに逃げるぞ、ガッティーナ」
彼は身軽に窓枠へ手を掛けた。窓から覗いたその高さに、すっと青ざめる。
だがドアを出た先にあるだろうアパルトメントの階段からは、複数人の足音が昇って刻一刻と近付いてくるのが嫌でも分かった。別の逃げ場などない。
「……逃げられると思うのか」
「逃げ切ってみせるさ。だがな、残念ながら俺に見つかっちまった以上、お前が俺から逃げるのは生憎と無理な相談だ。
お前を逃さないために、俺は今だけは確実に逃げ切るのさ」
カーテンを握り締め、彼は至って涼しい顔で私を覗き込んだ。
「さァて。この星の元に生まれたことを恨めよ、ガッティーナ」
私を抱きかかえたまま、彼は思い切り足を踏み切る。同時に飛び出そうになった悲鳴を、私は必死に飲み込んだ。
宙に飛び出したその刹那、街の向こうで紫色に染まる空と、ようやく一筋差した眩しい光が見えた。
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