第2話:オレンジの幻影と白の現実
瞼を閉じても、目の奥でちらちらと炎が瞬いている。
昼間でもどこか暗いその屋敷は、昼夜を問わず煌々と明かりが灯されていた。我が国の中枢にある神殿の、更に奥社。ごく限られた者を除き人を寄せ付けないその場所は、名実ともに祭儀の、そして
正座をして祭壇に向き合っていた私は、背後に人の気配を感じ、息を飲んだ。
「
「……分かった。行こう。人払いは済ませているね」
「問題ありません」
「ありがとう。下がってよい。一刻の後に儀式を始めると伝えよ」
一礼し、侍女はやはり音なく下がる。
背後から人の気配が完全になくなるのを確認してから。
私は、静かに立ち上がった。
*****
懐かしい、夢を見た。
今となっては遠すぎる、詮無い記憶だ。
橙の炎が濃く焼き付いた残像を振り払って、私は意識を現実に戻す。
目に入ったのは、見覚えのない白い天井だった。真っ白く塗られた天井と壁には一点の染みもない。
あまり広くはないその部屋の中を、まだ覚醒しきらぬ頭でぼんやりと眺めていたが、やがて私は異変に気づいた。
――さっきまでの記憶が、ある。
思わず目を見開いた。
あれからどれほどの時が流れたのか分からない。だから、さっき、というのは適切ではないかもしれないが。
ともかく、今の私には、逃げ回った末に『彼』に撃たれた記憶が克明に残っていた。
いつも。私は『最初』、何も覚えてはいないはずなのだ。
それを思い出すのは、大抵が殺される直前で。
……ということは、さっき殺されたばかりというのに、また間もなく私は殺されるのだろうか。
未知の不安に苛まれそうになった時。
突然、部屋のドアが開いた。
「よぉ。お目覚めか、魔女」
姿を現したのは、目つきの悪い茶髪の青年だった。
何者かとじっと彼を凝視した後。やがて気付いた私は、自分の間違いを悟る。
今は上に白いシャツ一枚だけを羽織った姿であり、ジャケットとタイを身に付けていないのですぐには分からなかったが。彼は確かにあの時、私を撃った人物その人だ。
思わず自分の体を確認する。白いシーツに阻まれて目視はできなかったが、意識したとたんに襲った左足の鈍い痛みは、嫌でもあの時の焼けるような痛みを想起させた。
つまりは。
まだ、私は生きている。
「死んだみてェに白い面だが、大丈夫そうだな。アンタのそれは元からか」
私の顔を観察するように眺め、彼はどかりとベッドの脇にある椅子に座った。猫のような瞳をくっと細め、遠慮なしに私を指さす。
「エトワール・マノン・ド・トリュフォー。
通称『智の魔女』。古今東西のあらゆる知と、未来予知に千里眼を会得する魔女。
最初は聖女として珍重されたが、疎まれたあんたは修道院から逃げ出し、あちこちから追われ追われて、最後に俺様に撃たれた、と。
これはお前で合ってるな?」
「……違いない」
それは間違いなく私のことだった。
今の私、の。
「どういうことだ。……何故、私は生きている」
「命拾いしたなァ、魔女よ」
けはは、と笑い声を立ててから、彼は人差し指を真っ直ぐ伸ばし、銃の形にしたそれを私の額に押し当てた。
「俺の受けた命令は、最初あんたを殺すことだった。
だがあんたを撃つ間際、俺のポケットで連絡が鳴ってねェ。脳天を貫くはずだった弾丸を、足へ逸らしたんだ。それでアンタは気絶しちまったがな」
指を離し、彼は硝煙を息で吹き払う素振りをしてみせた。
「状況が変わった。路線が『殺し』から『誘拐』へ変更に、な。
だから俺はアンタを丁重に俺の巣へ運び込んだってワケだ」
「……なぜ私はここにいる?」
誘拐であっても、彼の家へ連れられる謂われはない。意識を飛ばしていたなら尚のこと、目的地を気取られずどこにでも連れ去ることが出来たはずだ。
しかし彼は私の問いをせせら笑った。
「貴様の頭は脳天気かよ。大事な商品を傷物にしたとあっちゃ、俺が殺されるだろうが。
依頼内容は『無傷で生け捕ること』。だからアンタはここで傷が治るまで大人しくしててくれよな」
そこまで言うと、彼は立ち上がってきびすを返した。
今の自分の状況をようやく飲み込んだところで、はっとして思わず呼び止める。
「待て、
「……あん? それは、俺の昔の名前か?」
やはり。
こいつは、覚えている。
ただ、その反応からして。
「辛気くせぇ響きで呼ぶのはやめろ。それは今の俺じゃない」
「お前、覚えているのか」
畳みかけるように聞いた私の質問に。
彼は、にたりと口を歪めた。
「ああ、言ったろう。覚えているとも、ミオ・テゾーロ。
あんたはどの時代でも等しく俺の獲物で、等しく俺の生活の糧だ。
今回は、ちょっとばかり事情が違ったみてぇだがな」
……あぁ。違いない。
間違いなく、彼は、いつもの彼だった。
私はいつも、十代か、よくて二十そこそこで死ぬ。
これは、多種多様な人生や時代の中で何十回となく繰り返されてきた、私の運命だ。
そして。
いつも例外なく、私の死因は他殺であり。
必ず私は、今、目の前にいる『彼』に殺される。
直接利害関係の生じる間柄だったり、雇われた暗殺者であったり、立場はその都度違うけれども、それだけは揺るぎなかった事実だ。
私は自分の前世を、彼に殺される生が繰り返されたのを、全て覚えている。
けれどもその記憶を取り戻すのは、いつも死ぬ数ヶ月前だ。だから私は、さっき覚えていた事実に焦った。
結果的に今の私は生きていたので、早々に生まれ変わった訳ではなかった、のだが。
「それだけか? 昔話がお望みなら付き合ってやるよ。後でな」
どうやら本当に何か用事があるらしき彼は、そう言って場を切り上げる。立ち去り際、私は彼の背中へ一つだけ言葉を投げた。
「逃げるとは思わないのか」
「逃げる? 馬鹿言え」
けははは、と部屋の向こう側に消えながら彼はにやりと笑んだ。
「その足でどこに逃げようってんだよ。窓は開くがここは5階だ。それでも逃げてぇならてめーの自由にするがいいさ」
乱雑に音を立てドアが閉まる。彼が立ち去ってしまった後で、私は左手にある窓から下を覗き見た。
外壁にはろくに足がかりはない。クッションになりそうな木もなく、万一足を滑らせれば煉瓦に真っ逆様だ。
ずきりと痛みを訴える左足をさすり、私は眉をひそめた。
なるほど。
逃げるのは、まだ得策ではなさそうだ。
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