第12話
2015年5月18日
大学精神科カンファレンス症例提示。
A4用紙120枚高坂元准教授の手記添付。
教授結論「本田の話は妄想の域を出ないレベル。作話の可能性大。応神天皇を騙る本田に直接会ったことのある中原が本田と高坂(先生)の主治医に最適。高坂(先生)は出向先の東九州総合病院の経営が悪化し、うつ病になったと考えられる」
東九州総合病院で一緒に仕事をしたこともある自分が主治医では先入観が入る、と反論するも、決定事項とのこと。
榊原准教授談「(高坂先生の主治医になるという意味について)先入観がすでに入っていることがわかっていれば大丈夫だ」
2015年5月19日
榊原先生談「私が撒いた種だ。自分が大江教授に高坂先生が書いた小説風の手記を見せなければ、こんなことにならなかった。医局の症例検討会に出す意味を考え、手記を教授の手から取り返すべきだった、と後悔している。
本田の件で高坂先生から相談され、本田に関する高坂先生の手記を持参したのに、教授はこれを書いた高坂先生までも精神的におかしくなっている、入院が必要だと言う。
出向先の東九州総合病院の経営が悪化し、うつ病になったと教授は言うが、そんなことはない。
経営はむしろ良好で、新病院建設後は患者数倍増、周囲の評判も非常に良い。院長としての職責も十分に果たしていて、職員からの人望も厚い。
通常、日常生活が支障なく送れて、他人に危害を与える恐れも無く、服薬管理もまったく問題ない患者を入院させることはない。
確かに自分は本田の言動をどう考えるべきなのかわからず、高坂先生の手記を参考までに持参したが、高坂先生を陥れようとして症例検討会にかけたのではない」
*
僕がそのレポートを初めて目にしたのは、4月に大学の神経内科医局に入局して二ヶ月後の6月のことだった。
2月に国家試験を受けて発表が3月中旬。
医師臨床研修制度の最初の2年間は初期臨床研修と称する必須研修を受けなければならない。
僕は神経内科に入局はしたが、循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、小児科、麻酔科、精神科、脳神経外科で初期研修を受けるよう、指示された。
内科、小児科は他科からの希望者も多く、神経内科の新入医局員3人の内、1人は呼吸器内科、もう1人は脳神経外科で研修を受けることができたが、僕は最初が麻酔科で、6月からは精神科に回されることになった。
精神科医局はこの6月に准教授以下、人事の大異動があったようで、僕と他科から初期研修として派遣された2人の最初の仕事は、部屋の掃除だった。
精神科というのは、異常なまでに本が多い。
消化器内科のように画像で一目瞭然、というわけにはいかないから、言葉で手を変え品を変え、様々な表現方法で説明しようとする。さらに一人の著者の説明ですべて明快にわかる、というわけにはいかなかったりする。だから一つの疾患をとっても、いろんな先生の考えを伺い知るために、何冊も読みこんでみなくてはならない。
元、准教授の榊原先生の部屋は、まるで部屋の主が仕事の途中で失踪した跡とでも言いたくなるような有様で、山積みされた本と資料の束、そして書きかけの書類が机上に散乱していた。
医局長の前山先生が僕に声をかけた。
「本は片っ端から段ボール箱に詰めて、集会室の隅に積んどいてよ。ガムテープは貼らなくていいから。それから書類は医局秘書さんの所にお願いね。A4の印刷物はシュレッダーにかけてくれる?」
「はい」
書類はたいしてなかったので、紙袋に入れて早速、医局秘書さんの所に持参する。
「初日から大変ね」
美人の医局秘書さんがニッコリと微笑みながら声をかけてくれた。
僕よりわずかに年上だろうか?
美しいその胸元のラインを誇張するかのように、ピッタリと張り付いたブラウスの白さと胸元の谷間が目に眩しい。
「あ、どうも」
それだけ言うのが精一杯で、急いで作業途中の准教授室に戻る。
次に印刷物の整理だ。
医局長自らシュレッダーとゴミ袋を持ってきてくれたので、手当たり次第、本棚に積まれた印刷物を手当たり次第シュレッダーに裁断させる。
机の引き出しにも紙袋に入った印刷物が詰め込まれていた。中に「中原レポート」という、100枚を超える小説風の印刷物が大型クリップで添付された症例報告と思われるレポートがあった。
この机の中の印刷物は処分しても良いものだろうか、と気になって、医員室を覗いてみる。幸い医局長の前山先生はパソコンで何か仕事をしているようで、私に気づいてすぐ顔を上げた。
「なに? どうした?」
「えっと、机の中の印刷物も処分していいでしょうか。中原レポートとか・・・・・・」
そう言ったとたん、医局長の顔色が変わった。
「それはシュレッダーにかけていいよ。他のものは一応、持ってきて僕に見せてからにして」
見に来てはくれないんだ、と内心ガッカリしたが、仕事中でパソコンの前から離れられないのだろう。それにしても中原レポートの名前を出した時、前山先生の表情が急に険しい表情に変わったのが気になった。
准教授室に戻ると、レポートをパラパラとめくってみる。
この医局の先輩であり、出向病院の東九州総合病院院長だった高坂先生に関してのカンファレンス資料だった。それにしては、うつ病の症例提示には必要と思われる抑うつ症状尺度(QIDS―J)に診断基準の「ICD―10」や「DSM―IV」、血液検査データが書かれてあったと思われる部分が2枚ほど欠落していて、代わりに白紙1枚に日付と、教授、榊原准教授のコメントが手書きで綴られている。最後の榊原准教授のコメント部分には赤ボールペンで筆跡の異なる修正が入れられている。
作成者は中原先生。レポートの中に出てくる榊原先生はこの部屋の主だった先生で元准教授。医局の名札掛を見ると、高坂先生に代わって東九州総合病院へ病院長として出向しているようだ。だが、肝心な中原先生の所在が不明だった。
僕はそれ以上見てはいけない気がして袋に入れて除けると、他の印刷物に目を通す。似たようなレポートが入っていないか探したが、講演依頼のFAXや講演のスライドの説明書きのようなものだった。
それを段ボールに入れて医局長の前山先生のところに持参した。
「中身は?」
僕は大型封筒からそれぞれ中の印刷物を出して「講演のスライドの説明文なんかのようです」と答えた。
「そう・・・・・・。全部、シュレッダーでいいよ」
前山先生は再びパソコンに視線を移して、猛烈なスピードでキーボードを叩いた。
ふと、手が休まり、顔を僕に向けた。
「中原レポート、ちゃんとシュレッダーにかけた?」
一瞬、ドキッとした。
「え、ええ」
僕は嘘をついてしまった。どうやら処分しないとまずいものらしい。
「あ、あの、分厚い資料みたいなものも一緒にシュレッダーにかけてよかったんですよね」
前山先生は猜疑心のある眼差しを僕に向けた。
「君、中身、読んだ?」
「い、いえ。でもあれを書いた中原先生って、凄いですよね。あんなにいっぱい書けるなんて。原稿用紙だと500枚近くあるんじゃないですか? 今、どこにいらっしゃるんです?」
「辞めたよ、医局」
愛想の良さそうな前山先生の表情が一段と険しくなった。
「そう、なんですか」
僕は訊いてはいけないことを訊いてしまったらしい。
「あとは本が段ボール20箱分くらいだと思います。集会室の新しい段ボール、持って行きます」
前山先生は左手を挙げて「よろしく」とだけ言うと、パソコンを打ち続けた。
准教授室の本を段ボールに詰め込みながら僕は考えた。
この中原レポート、絶対、何かある。
まずはハッキリ行き先がわかっている榊原先生に当たってみよう。これを書いた中原先生のこと、わかるかもしれない。
表のA4用紙8枚分の中原レポートを抜き取って折りたたむと、ズボンのポケットに突っ込んだ。そして台車に載せた段ボール箱5箱をまず医局集会室に運んだ。
集会室から出るところで前山先生とすれ違った。先生は医局秘書にUSBのメモリを渡して、何か話し込んでいる。
もしかしたら、中原レポートをシュレッダーにちゃんとかけてあるかチェックするように言っているのかもしれない。
僕は急いで准教授室に戻ると、資料集のようなものの中から上から3枚、下から3枚抜き取って反対側のズボンのポケットに折りたたんで突っ込んだ。そして残りをシュレッダーにかけた。
僕のしていることは明らかに犯罪だ。産業スパイなどとちっとも変わらない。さらに個人の診療情報を無断で外部に持ち出すなど、医師法にも違反していると言っていい。
だが、中原レポートにはそれらと引き替えにしてもお釣りがくるくらい、もっと重大な何かが隠されていると、虫が知らせる。虫と言ったら誤解を招きそうだな。僕の良心と言い換えておこう。
准教授室のすべての本を段ボールに詰め終わり、合計24箱を集会室に3段に分けて積み上げて並べる。
集会室から秘書室を覗き込むと、前山先生がまだ話し込んでいた。
「これでよろしいでしょうか?」
声をかけると、足早に秘書室から出てきて、積まれた段ボールに目配せする。
「オッケー、オッケー。ご苦労さま。ご苦労ついでに、掃除機もかけといてくれるとありがたいんだが。それから午後1時から教授回診があるんでよろしく」
准教授室の掃除機はもちろんのこと、拭き掃除まで終えて医局に戻ったのは12時過ぎ。
医局の自分の机に戻ってみると、引き出しや後ろのロッカーを開けられた痕跡がみられた。僕は予備の白衣がロッカーの扉に挟まっているのを放っておくようなことはしないし、ましてや鞄の口を開けたままにすることはありえない。さらに机の右最下段、引き出しの中身が雑に並べ直されている。
ポケットに突っ込んだ分をシュレッダーにかけてしまえば、たぶんお咎め無しだろう。いや、まだ抜き取ったことが発覚したとは思えない。黙っていればわかりやしない。
だが、さすがにここまでされると、意地でも中原レポートの中身を確かめたくなった。
残念ながら資料集の部分は最初と最後の一部しかないが、榊原先生に直接会えたら、資料の部分くらいは保管してあって中身を見ることができるに違いない、という、確信めいたものがあった。
それにしても、僕は何をしようとしているのだろう。
最初は中原レポートにある、新病院まで建設して患者も増え、良い評判しか耳にしない院長の高坂先生が、経営難で本当にうつ病になってしまったのだろうかという疑問と、このレポートを書いた中原先生はどこへ行ってしまっただろうかという疑問からくる興味だった。
もし、その答えが簡単に得られていたら、ここまでのことはしなかったと思う。
でも、中原レポートと口に出しただけで前山医局長の僕を見る目がガラッと変わってしまった。
それだけならまだしも、机の中やロッカーまで調べられてしまう。まるで僕が研修先に精神科を選んだのまで、中原レポートと関係があるかのように。
ま、思い過ごしならいいんだけど、どうもそんな単純なことではないらしい。
初期研修の医師はお客様なので、5時に医局を出ても文句を言われない。でも、まぁ、初日なので6時まで教授回診で指摘されていた問題点を調べるような素振りで、精神科の本を読んで時間を潰す。
最初は格好つけてカプラン&サドックの精神医学テキストブック英語版を辞書代わりに見ていたが、さすがに英語は疲れるので、途中で大熊先生の現代臨床精神医学にチェンジした。これは学生の時に読んだ本なのだけれど、写真や図が多くて見やすい西丸先生の「やさしい精神医学」と並んで、1冊丸々読み通した、数少ない精神科の本だったりする。
なんて調子の良いことを言いながら、実はポケットの中に入っているレポートと資料が気になって仕方がない。
精神科には不思議な人たちが多い。
ひょっとしたら外の病院の当直アルバイトの先生もいるのかもしれないが、5時過ぎたら初期研修の2人よりも先に帰る医局員がそれなりの人数いる。同室の同僚あるいは先輩、後輩医師に声をかけることもあまりなく、黙って帰り支度して帰って行く人もいる。
僕と心療内科からの初期研修の2人は先輩医師たちに「お疲れさまでした」と声を掛けたが、うなずいただけや無言で帰って行く人数の方が多いのに驚いた。どうせ正規の医局員じゃない、お客様だ、という気持ちの表れなのだろうか。
6時になった。もう1人の初期研修医に目配せをすると、うなずいて同時に腰を上げた。
医局長に「お先に失礼いたします」と声を掛けると、「ああ、お疲れさん」とだけ言って、前山先生は目を合わせなかった。
僕はコンビニに寄ると、抜き取ってきた中原レポートと資料のコピーをとった。さらにそれを宅配便で実家まで送り届ける段取りをした。
そしてアパートに帰り着いたらさらにスキャンして、デジタルデータをホームページを載せているサーバーに送った。
さらにスマホから隠しホームページへアクセスすると、自動的にホームページのフロント画面にファイルを公開するように設定。同時にTwitterへはホームページのURLを参照するコメントを自動で飛ばせるようにした。フォロワーが302人いるので、それなりに拡散することができるだろう。
もちろん、スマホにもデータを保管し、持ち歩けるようにした。
さらにGoogleとマイクロソフトのクラウドにデータを上げて、インターネットができるところなら、どこからでも閲覧できるようにした。
自分に万一のことがあった場合でも拡散できるように、従弟にホームページのワンクリックの件をメールで依頼して、コピーではなくオリジナルを郵送した。
これで戦闘態勢は整った。
あとは榊原先生にお会いするチャンスを伺うことだが、これが難問だった。今でこそ僕は精神科で研修しているが、医局としては神経内科だし、会ったこともなければ特別に会うような用事もない。
ところが、またとない絶好のチャンスがやってきた。
精神科での初期研修、4週目のことだった。
「精神科医が開業医、病院勤務医、病院管理者と立場が違うとどのような点が異なってくるのか、直接会って話を聞いてレポートを出して欲しい」
医局長からの提案であった。
僕が西部地区担当し、もう一人が東部地区担当。僕の担当地区には、榊原先生の東九州総合病院が含まれていた。僕は小躍りして喜んだ。
最初から本丸の病院に出向くのは憚られたので、まずは3年前に開業したばかりの精神科診療所に伺うことにした。
「ふ~ん、今年から変わったことをやるようになったんだな」
小太りしたその精神科医は怪訝な顔をした。
「精神科の診療所で重要なのは、診療標榜科目の筆頭に精神科を書いてはいけないということだ。心療内科を真っ先に書かないと、患者は来てくれない。認知症外来、もの忘れ外来をやっている、と看板を掲げると、そこそこ患者はやってくる。だが地域によっては資格を取ってからでないと看板に掲げられなかったりして、やっかいだ」
この先生、苦労したんだろうな、と僕は思った。
「開業医は経営者でもある。公的病院は潰すわけにはいかないから地方自治体から補助金が出たり、優遇されたりすることもあるが、個人の診療所は医療機関だからといって優遇されることはまったくない。八百屋や魚屋と同じだ。最初の1年間で採算ペースに達しなかったら、元本返済の2年目はさらに収支が悪化するから、早めに撤退すべきだ」
僕はうなずきながら訊いた。
「ということは、3年目の先生は採算ラインを超えて、軌道に乗ったと考えてよろしいのでしょうか」
ふっ、ふっ、ふっ、とその開業医は不気味な笑いを浮かべた。
「まぁ、そう考えてもらってもいいよ。でもスーパーローテートで精神科に回ってきた他科の研修医にこんな中学生の職業体験学習のようなことやらせて、なに考えてんのかねぇ、ウチの医局は。しかも4月からじゃなくて、6月も終わりのこんな時期に」
僕は適当に相づちを打って、聞き流した。もし僕がその時、もっとその開業医の先生の言葉にきちんと耳を傾けていたら、精神科医局、あるいは前山医局長の企みに気づくことができたのに、と後悔することになる。
さて、お次は本丸の榊原先生の病院だ。
病院勤務医の話は後回しにして、単刀直入に院長の榊原先生にお会いすることにした。
受付で大学の精神科医局から、と話をすると、院長に電話をつないでくれた。
「ああ、例の初期研修の件ね。話は聞いてる聞いてる。ただ、院長というのは忙しくてね。経営会議が1時からあるし、3時からは市内の公的病院長・事務長懇談会がある。市長も来るしね。できればアポイントを取っておいて欲しかったな」
僕は自分が社会人として未熟であることを痛感した。
「でも、5時半には帰ってくることができると思うから、遅くなってよければ、それでいいかな?」
なんといい先生なんだろう、と僕は感謝した。それまでの間、勤務医の先生の話を聞くことにすればいいのだ。
「ありがとうございます。それでは5時30分に伺うことにいたします。それまでの間、勤務医の先生に話を伺わせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「ああ、構わないが、精神科は午後、面接を主にやっていて、中には自傷他害の恐れのある患者もいるから、くれぐれも患者を興奮させないよう担当医の指示に従うようにね。頼むよ。外来には電話しておくから、そのまま直接精神科外来に行ってくれればいいから」
「ありがとうございます。それでは後ほど、先生にはお会いいたしますので、よろしくお願いいたします」
受付が含み笑いするほど電話なのに頭を下げて感謝の意を表した。
精神科外来へ案内してもらったが、すでに精神科面接は始まっているので、途中入室はできないから後にするよう指示された。
30分近く待たされ、無愛想で無表情な白衣を着ていない人から「どうぞ」と言われ、部屋に入る。ドアを閉めるとほとんど同時に、兵藤の名前の上に小さく医師と書かれた名札がなければ、患者と間違ってしまいそうな先生が訊いてきた。
「で、君は何がしたいの。ローテートで精神科に回ってきて」
僕は言葉に詰まった。
「大学の精神科外来と、市中病院の精神科外来の違いを・・・・・・」
「そんなの変わらないよ。強いて言えば、大学病院はバックに大学の名前があって、最後の砦のようなものだが、市中病院は開業医が厄介払いした患者の吹きだまり、てとこだ」
男性看護師が入ってきて、「次の患者さんですが」と声をかける。
「ああ。じゃ、君、僕の後ろで彼と同じように立っててもらえる? 白衣は?」
「いえ、持ってきてません」
「ったく、何考えてんだ。大江、看護師用のを貸してやれ」
「はい」
大江と呼ばれた看護師は本当に迷惑そうな表情を浮かべて部屋から出て行った。
重苦しい空気が流れる。
兵藤先生は僕にはお構いなく、一言も発することなく沈黙を貫き通し、パソコンに表示された次の患者のカルテを過去にさかのぼって詳細に閲覧していた。
やがて後ろのドアが開いて白衣を2枚、大江看護師が持ってきた。
「Lでお願いします」
僕はそう言うと、少し大きめの白衣を手に取り、ブレザーを脱いでYシャツの上に羽織った。
大学病院では学生とともに教授外来についたことがあったが、その時の精神科面接はこんなに退屈ではなかった。途中、あくびが出そうになったが、大江看護師の鋭い視線に、何度も救われた。
ようやく患者が退室し、兵藤医師がくるりと椅子を回して僕を見た。
「何か腑に落ちないところはなかったか?」
僕は少し考えて答えた。
「発汗過多と痩せ、異様な目つきもそうですが、あれは甲状腺機能亢進症の眼球突出と考えれば辻褄が合うように思います」
ふっ、と兵藤先生の表情が緩んだ。
「さすが、内科の研修医だな。この症例は精神科の開業医が一番陥りやすいヒューリスティックなパターン認識がもたらす誤診だ」
ヒューリスティックとは経験則、とでも言ったらよいだろうか。
「過呼吸がすべて精神疾患からくるわけではない。甲状腺機能亢進症の一環と考えてもおかしくはないからな」
なんだか兵藤先生は、精神科の開業医を敵視しているようだった。精神科開業医のせいで何度も痛い目に遭ったのだろうか。
それまで無言だった大江看護師が突然口を開いた。
「お疲れでしょう。椅子をどうぞ」
「いえ、僕は・・・・・・」
「出された椅子は断らない」と、兵藤先生は半分だけ顔を僕に向けて言った。
僕はおとなしく、椅子に座ることにした。
それからは診察室の空気も和やかな雰囲気に包まれ、兵藤先生とも会話することができるようになった。
「開業医は1分も話を聞こうとしない。精神科医は最初の3分間、患者が話し続けるならさらにもう少しじっと我慢して話を聞いて、患者の精神状態を把握しなくちゃならない。家族からの情報も重要なので、腑に落ちないことがあったら、さらに時間をかけて別室で家族の話を聞くことも大切だ」
兵藤先生は「腑に落ちない」という言葉がよっぽど好きらしい。精神科面接の際、そういった感覚を重視しているのだろう。
「あ、君は内科だったな。内科でも認知症外来をやるときには幻覚や妄想について、ダイレクトに訊くと反発されて患者は隠そうとするから、遠回しに訊くのが重要だからな。家族の話も参考になる。これ、忘れないように」
それからたっぷり午後4時過ぎまでの3時間近く、精神科面接の醍醐味を味わいながら時間が過ぎるのを待った。
それでもまだ1時間以上の時間がある。
「残念だけど、ここは精神科の入院ベッドはない。あとは院長室の隣の応接室で待っとくといい。秘書さんにお茶くらいは出させるから」
そう言うと、院内PHSで連絡し、受付の事務員に院長室まで案内するように言って、「じゃ、これで失礼するよ」と、穏やかな視線を僕に向けて手を挙げた。手の挙げ方は医局長の前山先生にそっくりだった。
案内された応接室は8畳くらいの広さで、僕より若い女性秘書がお茶菓子を持ってきて、「コーヒー、紅茶、お茶、どれがよろしいですか?」と訊いた。
僕は即座に「コーヒーでお願いします」と答えたら、1分も経たないうちにウエッジウッドのカップにコーヒーを淹れて目の前に差し出した。
前屈みになった時、豊かとは言えないまでも、綺麗なバストラインと胸元の谷間が目に飛び込んできた。精神科医局秘書のような、これ見よがしの胸元がザックリ開いたブラウスではなく、清楚な感じがとてもいい。
そして僕の視線に気づいたのか、頬を染めてトレイで胸元を隠すように足早に去って行く後ろ姿に、しばし見とれてしまった。
教授や院長になると、自分の好みのタイプの秘書を選ぶことができるのだろうか。この秘書は今の榊原院長が選んだのだろうか。それとも前任の高坂先生が選んだのだろうか。ちょっと気になった。
院長が姿を現したのは5時26分。ほぼ時間通りだった。
「いやぁ、待たせて申し訳ない」
「いえ、私の方こそ、アポも取らずに伺い、こうしてお時間をとっていただけるなんて、有り難うございます」
「こういう試みは今年初めてでね。どんなレポートになるのか楽しみだな」
いけないいけない、レポートという言葉につられて、もう少しで初っぱなから中原レポートのことを口にするところだった。
僕はホッと胸をなで下ろした。
「病院長というのはある意味、雑用係でね。しかもいつも矢面に立たなくてはならない。さらに820人もの大所帯を抱えて、みんなの健康も願いながら、どうやったら気持ちよく仕事をしてもらえるか、考えなくちゃならない」
うんうん、とうなずきながら、早く高坂先生のことを教えてくれよ、なんて考えていたりする。
「そんなとき、精神科で勉強したことが役立ったりするんだ」
「どんなふうにですか?」
「例えばメンタル面。職員同士のトラブルや患者とのトラブル。相手の話をよく聞くということが大切なのだが、精神科をやっていると、その訓練ができていて、いらいらせずに話を聞くことができる。それだけでも患者やその家族とのトラブルをかなり減らすことができるんだ」
榊原先生の話は当たり障りのない、ごく平凡で退屈な話だった。
そんな時、あの女性秘書が入ってきた。
膝を屈めて僕の空のカップを下げ、新しく注がれたコーヒーカップを目の前に差し出す。続いて榊原院長にもコーヒーを出した。
先ほどのように前屈みではなく、膝を屈めて腰を落としたので、胸元の谷間が見えなくてちょっと残念だった。
僕の視線が秘書さんを追い続けていたので、院長がニヤリとした。
「可愛いだろ」
僕はちょっと口ごもった。
「え、ええ。精神科は大学もこちらも、秘書さんて、綺麗な人が多いですね」
「君はどちらがタイプ?」
「ぼ、僕ですか?」
何か試されている気がした。
「僕はどちらかというと、こちらの方が・・・・・・。秘書さんをお選びになったのは、先生ですか? それとも前の高坂院長ですか?」
高坂先生の名前を口にしたとたん、榊原院長の表情がわずかに強ばった。
「僕、だよ」
「それにしても、前の高坂院長は、今、どうされていらっしゃるのでしょうか?」
ちょっと沈黙があった。
「高坂先生は、病気療養中でね」
「そうですか。今、どちらに?」
再び、間があった。
「それは個人の病気に関することだから、医師としての守秘義務で言えないな」
「あ、すみません。そうですよね。僕も一応、今年の春になったばかりとはいえ、医者なんですが・・・・・・」
僕は頭を掻いた。だが、よくよく考えると、症例検討にまで出された先生だ。対外的に守秘義務が遂行できるのなら、同じ医者同士であれば話題の俎上に載せることくらいは可能なはずだ、と思ったのだが、そうは問屋がおろさないとみえる。
「そうそう、実は初期研修で精神科に回されて、最初の仕事が先生の准教授室の掃除だったんですよ。本、その内、こちらに送られてくると思いますけど、段ボールに24箱もあったんですよ」
榊原先生は頭を振った。
「それはないな。たぶん、全部処分されるだろう」
「そう言えば面白いものもありました。中原レポート・・・・・・」
間髪を入れず、榊原先生は硬い表情で訊いた。
「あれ、読んだのか?」
「一部だけです。全部読もうと思ったのですが、持ち出すにはちょっとまずそうな気がしたので」
突然、榊原先生が立ち上がり、怒りに満ちた表情で言い放った。
「君はとんでもないことをしでかしてくれたな。読んだことは忘れるんだ。そしてこれ以上、この件に足を突っ込んではならない。君に話すことはも何もない。今すぐ帰りたまえ」
僕は榊原先生の豹変ぶりにたじたじとなった。
先生は僕の鞄を手に取り、抱きかかえるようにして僕に手渡した。
どうやら榊原先生を怒らせてしまったらしい。せっかく話の合いそうな先生で、榊原院長をダシに秘書さんにまた会う機会を作ろうかと思っていたのに、それはもう不可能なようだ。
高坂先生と中原先生の行き先を教えてもらい、あの分厚い資料原稿のデジタルデータをもらうという、当初のもくろみも潰えた。
直帰していいことになっていたので、そのまま帰路につく。失意のまま鞄を机の上に放り投げ、しばらくじっとして夕日を見つめていた。
ICレコーダーのスイッチが入ったままになっていることを思いだし、鞄を開けて取り出すとスイッチを切る。その時、見覚えのないUSBメモリが入っていることに気づいた。
表に不可解な文字が書いてある。
不可閲覧人前 P私は誰?
不可閲覧人前は、他人の目があるところでこのファイルを開くな、ということだろう。
次の、P私は誰?は、パスワードのことだろう。
用心のため、スタンドアロンのノートパソコンで、セキュリティーソフトを起動する。ウイルス定義データベースをアップデートし、インターネットの接続を切る。リムーバブルメディアの検査を行うようにしてUSBメモリを接続してみた。幸いウイルスデータなどはなかったが、案の定、パスワードを要求してきた。
私って誰だろう。そもそもこのUSBメモリ、どうやってこの鞄の中に入ったのだろう?
次々と疑問が沸いてくる。
USBメモリをこの鞄に入れた人物は誰なんだ。少なくとも僕が間違って他人のUSBメモリを鞄に入れることはない。
その時、鞄を抱きかかえるようにして僕に渡した榊原院長の不思議な行動が思い浮かんだ。
あの時だ。鞄の脇の隙間から入れたに違いない。おそらく中身を見ることができたら、このUSBメモリの持ち主もわかるだろう。
だが、パスワードがわからない。
「私は誰?」
そのまま英語小文字でパスワードに入力してみる。続いて全部大文字。さらには頭文字だけ大文字。
反応無し。
USBメモリの持ち主だと思われる榊原院長の名前を入力してみる。フルネームでも入力してみる。
違う。
さらには中原先生、高坂先生の名前も様々な方法で入力してみる。
これもどうやら違うらしい。
資料に添付していた中に、『私』が『品陀和気命』と書かれている部分があることに思い当たった。
HOMUDAWAKEと入力してみる。
NOMIKOTOまで加えて入力してみる。
さらにはHOMUTAWAKEも試してみる。
続いて、『私』は現世では『本田仁』であるので『HondaHitosi』と入力してみる。
これも違う。ビンゴだと思ったのに。
『シ』は『shi』でも入力できる。そこで『HondaHitoshi』と入力してみるが、やはり駄目だ。
姓と名の間にハイフンをいれてみる。これも駄目だ。
意気消沈して、それでも試しに姓と名の間にアンダーバー『_』を半角で入れてみる。
パスワードが通った!
『Honda_Hitoshi』と入力するには、中身をある程度知っている者、あるいは関係者しかできないワザだ。しかも一筋縄ではいかないように、『shi』やアンダーバー『_』を使用させるとは・・・・・・。
僕は嬉しくなった。
添付書類の最初と最後を数枚抜き取っていて正解だった。
それにしても不思議だ。ほかの榊原院長や中原先生、高坂先生の名前を入力する時にはハイフンは入れるまではやったが、アンダーバーを入れようとは思わなかった。
でも、本田仁氏の場合は、まるで耳元で誰かが囁いたように、アンダーバーを入れてみる気になった。
自分の知らないところで気づかない内に力が働いてそうさせているように思えた。
まずは「最初にお読みください」とあるテキストファイルを開けてみる。
そこに書かれていた内容は以下に記す通りだ。
「これをお読みになった方は、おそらくすでに厄介な事件に巻き込まれているかと思います。中原レポートおよび添付資料については門外不出。他人の目に触れてはならないものです。しかしこれをお読みになったあなたは、すでに中原レポートに関して何らかの情報を得てこれを探し求め、危険を冒しても手に入れようとお考えになったに違いありません。
前病院長の高坂先生が書かれてあるように、本田氏の語る内容がすべて正しいとは私も考えていません。妄想や幻覚、自我障害に加えて意図的な虚言の可能性も否定できないからです。
しかしその本田氏の語る内容を細かに正確に記し、症例検討に諮る資料として持参した高坂先生までも精神障害として強制入院させる必要性はまったくないと考えます。
さらに高坂先生に関して担当主治医の中原先生の明快なまでのレポートを、『中原まで本田ウイルスに感染した』と、医学的にはありえない言葉でもって中原先生を離島の閉院予定だった精神科開業医の後継者として派遣、大学から追放しました。
その中原先生も、赴任2ヶ月後に失踪。半年経過しても未だに行方がわからない状況です。
何らかの事件に巻き込まれたのか、あるいは内部告発しようとして葬り去られてしまったのか。確かなことはわかりません。
ただ言えるのは、高坂先生の記した本田仁氏の言葉が真実なら、これが公表され、裏付けが取れて歴史的事実と認定されたら、天皇制を含めた日本という国家の根幹を揺るがしかねない事態に発展する可能性があるということです。
兄である天智天皇の死後、その子、大友皇子を倒し、古事記や日本書紀の編纂を指示。天武天皇自らの正統性を世に示すとともに、封印したはずの邪馬台国の卑弥呼や台与について白日の下にさらされることとなれば、日本の古代史観が大きく変わってしまうことにもなります。これは国家としても放置しておくわけにはいかないでしょう。
戦いは正しい者が常に勝つとは限りません。歴史は勝者が語り綴るものなのです。勝者を正当化するために都合の悪いものは斬り捨てられ、都合のいい部分だけが利用され、後世に残っていきます。
国家秩序を乱す者に対しては、提灯記事を書くマスコミや学者、そしてそれを迎合する世論などの周囲の同調圧力も含め、容赦ありません。
しかも現代の日本は監視社会。
事細かに監視されているという点では、戦前の憲兵や特高、ナチスのゲシュタポ以上に厳しい監視下に置かれていると考えてもいいくらいです。それを国民には実感させないように、密かに、しかし確実に進められています。
実はかく言う私も監視されています。病院院長室、応接室を含め、受付や駐車場まで防犯カメラの名目で、職員までも監視するカメラが設置されています。官舎である自宅も監視されいます。
監視カメラだけではありません。インターネットや電話通信に至るまで、厳重な監視下に置かれているのです。時にその情報はセキュリティー会社やインターネット・プロバイダーから公安などの関連機関へ密かに送られ、国により追跡調査されている場合もあります。
中原レポートをはじめ、このファイルをご覧になっているあなたは、すでに監視対象となってしまっている可能性も否定できません。
本田仁氏の名前を用いたパスワードでこのUSBを開いて閲覧されている現在、すでにあなたは引き返せないところまで踏み込んでしまっているのかもしれません。
このUSBを託されたあなたは、これをどう使おうと自由です。ただ、使い方次第によっては命に関わる事態に陥ることになるかもしれません。そのことをよく考慮した上でここに収められたレポート、資料をご利用くださるよう、祈念いたします」
背筋が凍った。
こんなことがあるのだろうか。そんな重要な資料なら准教授室を掃除したくらいで人目に触れることがないように、もっと前に自分で処分しておいてくれよ。僕をまき込まないでくれよ。いや、ひょっとしたらわざと人目に触れやすいようにしてあったのかもしれない。榊原先生がそう仕向けていたのかもしれない。
泣きそうになった。
まんじりともしない夜を過ごし、翌朝、少し早めの午前8時15分に精神科医局医員室のドアを開ける。
僕の机がない。
呆然と立ち尽くしている僕の肩を、前山医局長がポン、と叩いた。
「あれっ、聞いてないの? 消化器内科の研修枠が空いたから、まだあと1週間残ってるけど、本日付けでそちらに移ることになったって」
そう言えば昨夕、一度、神経内科医局に顔を出すように、とメールがあった。別に急ぐような雰囲気でもなかったので、今日、昼頃にでも行ってみるつもりだったのだ。
僕は自分の背後に得体の知れない影が迫ってきている恐怖を覚えた。
「君の荷物は、もう、消化器内科の方に送ってあるから心配しなくてもいいよ」
荷物を送るという理由で、机の中やロッカーの中の物、細かにチェックされたんだろうな。心配はない。大切なものは肌身離さず持ち歩くものだ。デジタルデータはそれができるのでほんと、助かる。
もう一人の初期研修医に声をかけようとしたら、まるで避けるようにそそくさと部屋を出て行ってしまった。
「お世話になりました」と声を上げても、誰も僕に声をかけない。まるで僕が既に存在していないようなふうで、僕の方を見ようともしない。もちろん、声をかけることもない。
一礼して部屋を出る。僕は軋んだドアが閉まる音を背後で聴きながら、「なめんなよ」と、小さく呟いた。
戦い方はいくらでもある。ただ、自宅の電話やインターネット、スマホはもう監視されている可能性がある。ならばネットカフェから情報発信してみるのもいいだろう。
確実にこれらの原稿を世に問うなら、やはり出版物にしてしまうに限る。
もっとも、発禁や出版差し押さえになる可能性がある。大手なら情報が漏れて出版前に見つかってしまうだろうが、中小出版社なら、そこまで目が届かないだろう。
よしっ、片っ端から出版社、当たってみよう。
万一、出版できなくなったとしても、話題提供になるし、Twitterで拡散させれば、逮捕されるかもしれないけれど、みんなの目にとまることにはなる。
僕は真っ先に神経内科教室に向かうことにした。
精神科の初期研修期間は、あと1週間残っている。案の定、消化器内科研修は来月はじめからでいいとのことだった。
その1週間の内に僕は出版社を回ることにした。
新聞広告欄や毎週日曜日に載る書評欄を参考に、出版社40社のリストを作り、大手6社を除外。34社分の住所と電話番号に加え、都内の地図には出版社の場所をプロットしていった。
訪問のアポ取りは公衆電話から行った。
そして5社から訪問OKの返事をもらった。
明日、さっそくその内の1社に伺ってみるつもりだ。
エピローグ
「野々村君。この前の持ち込みの原稿、あれ、どうなってる?」
「あ、社長、それが電話しても出ないんですよ。もちろん留守電にも入れています。メールもしています。連絡を請うとの内容の葉書も出しました」
「他の出版社に先、越されちゃったのかねぇ。ここんところ、出版までこぎつけた企画がないから、あれ、手を加えれば少しは使い物になるかと思ったんだけどねぇ」
「邪馬台国モノならそこそこ部数、出ますからね。だけど、新聞に広告出したり書店でPRしてもらわないと、手に取ってもらえるかどうか・・・・・・。それにウチのような小さなところじゃ、新聞に広告出せるのも、余りのスペース待ちで2段2分の1がせいぜいですから。その広告費すら回収できるかどうか、怪しいものです」
「せめて向こうから断りの電話くらい欲しかったねぇ」
「最近の若い人は、そういったところ、無頓着ですから」
「ま、連絡がつかないんじゃ、仕方ないね。あと一週間待って、それでも連絡がつかないようならシュレッダーにかけちゃって。それから受け取った日と処分した日時をいつものように記録に残しといてくれる?」
「了解です、社長」
(おわり)
邪馬台国奇譚 楠 薫 @kkusunoki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。邪馬台国奇譚の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます