アカデミア2.0(またはある准教授の生産的な一日)

 いつものように大学内の自分のオフィスに滑りこむと、タナカはまず着ていたジャケットをハンガーにかけ、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。


「シルフィー!」


 自分以外に誰もいない部屋でそう叫ぶ。その声に応えるかのようにPCのモニタが点灯し、銀髪碧眼の妖精を模したアバターがモニタ上に現れる。


「タナカ先生、おはようございます」


 妖精は銀色の髪をなびかせながら画面の右端にふわりと着地すると、にっこりと微笑んで挨拶をした。


「シルフィー、今日のスケジュールは?」


「10時から学内会議、13時から学部の授業、それと同時刻に学会での招待講演が入っています」


 シルフィーと呼ばれたアバターは、手元に現れた光る文字列を読みながらそう答える。人工知能で操作されるアバターにとってそのような動作自体、本来不必要なものだがこれも人が親しみやすさを感じるための演出である。


「全て擬似人格に出席させよう。学内会議はモード13の権限2で。授業はモード3、学会はモード7を使おう」


「承知いたしました。それと文科省に提出する研究費申請の締切が本日までとなっております」


「くそっ、忘れてたな。まぁいいや。それは後で考える。メールは?」


「クラウドラボより依頼していた実験の結果報告が届いています。結果を読み上げますか?」


「うん。要点だけ頼む」


 タナカは淹れたてのコーヒーを啜りながらデスクのチェアに腰を下ろした。


「実験番号1~13までポジティブ。15, 17ネガティブ。14, 16に関しては追加解析が必要とのことです」


「いい成績じゃないか。1~13までの結果を論文執筆サービスの方に回して。追加解析については今年度は予算が厳しいからとりあえずいいや」


 タナカはシルフィーにそう指示すると満足げに頷く。


 かつては研究者達が自らの手で行っていた実験も今では効率化の観点から全て外部に委託するのが一般的になっている。大手の研究関連企業は僻地に超大型汎用実験施設を建設しており、そこではオートメーション化された設備を使って世界中の研究者の依頼にあわせた実験が日夜行われている。得られたデータは専用の人工知能によって解析され、研究者は個々の実験内容に精通していなくとも正しい結果を知ることができる。さらに追加料金を支払うことでそれらのデータを用いた論文の執筆まで依頼することも可能だ。このようなサービスの発達により多くの大学や研究機関から実験室というものは消え去ることになった。タナカ自身もこの大学に着任したときから自分のオフィス以外に研究室と呼べるスペースを持っていない。


 タナカが達成感に浸っていると、シルフィーは少しためらいがちにこう切り出した。


「あ、あと、先週出版された論文の巡回結果が出ています。先生の研究テーマと関連性の高い論文は、437件ありました」


「うへぇ、そんなに目を通せるわけがないよ」


 タナカの顔が一気に険しくなる。


「そ、そう思ってですね、わたし、特に重要と思われる論文をまとめたショートレポートを作りました! ページ数も30ページ程度ですし、各論文のグラフィカルアブストラクトも付けて・・・・・」


「ありがとう。じゃあ時間があるときに読むから置いておいて」


「・・・・・・承知しました」


 シルフィーは肩を落としながら手に持っていたファイルをモニタのデスクトップ上に置く。その横には同様のファイルがすでに5つ並んでいた。


「それより研究費の申請だよなぁ。今年はどういう手でいくか」


 人工知能が高度に発達し、研究や論文執筆も外部に委託できる時代において、申請書書きは研究者達に残された最後の知的営為だった。


「シルフィー、なにかいい案ないの?」


「先生、残念ですが『審判の日ドゥームズディ』以降、人工知能が研究申請の内容に関与することは禁止されています」


「・・・・・・わかってるよ」


 『審判の日ドゥームズディ』――それは人類が人工知能に完全に敗北した日である。


 人工知能研究の黎明期、一部の研究者の間で研究費申請のための研究計画をも人工知能に行わせようという試みが存在した。過去に採択された申請書データに基いて採択されやすい内容や文体を人工知能に学習させ、そこから高い採択率が期待される申請書を自動生成する。自動生成された申請書であることを伏して応募された研究計画は予想を超えた高い採択率を達成し、当時の研究者達を驚かせた。しかし、本当の問題はその数年後に起こった。ある年に採択された研究計画がすべて人工知能によって自動生成されたものであることが判明したのだ。多くの研究者が件の申請書自動生成プログラムを秘密裏に入手し使用していたのである。事態を重く見た文部科学省は人間が主導する研究と人工知能が主導する研究を明確に分け、人間が申請する研究計画に対しては有用性や実現可能性よりも独創性を強く求める指針を打ち出した。さらに研究計画の立案において人工知能の助力を得ることを一切禁止したのである。現在では、有用性や実現可能性が重視される国の大型プロジェクトはすべて人工知能によって遂行され、人間は人工知能が立案できないような独創的萌芽プロジェクトを遂行するように完全に住み分けがなされている。『審判の日ドゥームズディ』以降の研究改革によって多くの研究者が廃業に追い込まれる中、タナカはこれまでに5回連続で研究計画が採択されたいわばエリート研究者だった。


「んー、やっぱり今年もを使うか」


 しばらくの間、PCモニタの前でうんうん唸っていたタナカはデスクから立ち上がると体を伸ばしながらそう呟いた。


「あれ、ですか」


 シルフィーが応える。


「あれなら、文科省の規約には違反しないんでしょ?」


「わかりました。では準備します」


 そういうと、シルフィーはどこからともなく自分の身長と同程度の長さの鉛筆を3本取り出し、その側面を彫刻刀で削りだす。


「『ワード』はどうしますか?」


「ネットからノイズレベル30%で抽出して。乱数生成はメルセンヌツイスタで」


 まもなく、側面に様々な単語が書き込まれた3本の鉛筆が完成した。


「転がすタイミングは先生の方でお願いします。規則ですので」


 シルフィーは身の丈ほどの鉛筆を3本抱えながらふらふらしている。


「りょうかい」


 タナカはキーボードのエンターキーを押す。と同時にシルフィーの腕から3本の鉛筆がモニタ上を転がり出した。


「えーっと、『遺伝子編集』『表皮』『マッシュルーム』か。なんだこれ」


 タナカは止まった鉛筆の側面に書かれた文字を読んで眉をひそめる。


「先生が開発したセレンディピティ創出装置じゃないですか。もうそのテーマでなんとか申請書書いて下さいよ!」


 シルフィーはへろへろとモニタの右端に座り込む。鉛筆はいつのまにかモニタ上から消失していた。


 タナカはしばらく沈思黙考していたが、突如として目を輝かせながら立ち上がった。


「よし! じゃあ、『遺伝子編集技術を用いて鼻の表皮からマッシュルームを生やす研究』とかどうよ?これから到来するであろう食糧難の時代に対して人類は鼻からマッシュルームを生やすことで自給自足体制を達成するんだよ! マッシュルームは栄養価も高いし、これなら独創性もぱっちりだよ!」


「……少々お待ち下さい」


「なんだよ! けっこういい案だろ?」


「残念ながら、データベース検索したところ、東都大の川上教授が同様の課題で2年前に採択されています」


「はぁ? まじで? なんだよそれ、くそっ、あー、だいたい鼻からマッシュルーム生やして何が面白いんだよ。そいつ頭おかしいんじゃねぇか」


 タナカはがっくりと椅子に倒れこむ。シルフィーはタナカの言葉に笑顔で相槌を打つがその口元は若干ひきつっていた。


 そのとき、突然オフィスに備え付けのスピーカーからけたたましいサイレンが鳴り出した。


「先生、火災警報です! 場所は2階の205室、小早川教授のオフィスです」


「くそっ」


 タナカは舌打ちをすると慌ててオフィスを飛び出し火元の部屋に向かった。廊下を走るタナカの横には10cmほどの大きさのシルフィーが宙を舞いながら並走している。施設内に備え付けられた3次元プロジェクタによる投影像だった。


 小早川教授のオフィスの扉を開けると部屋の3分の2を占めようかという巨大な黒い箱から煙がもうもうと立ち上っていた。箱の側面にあるスリットからは赤黒い炎がチロチロと舌を出すのが見える。タナカは廊下に備え付けられていた消火器を手に取ると黒い箱に向かって躊躇なく消火剤を噴射する。ほどなくして黒い箱から煙は見えなくなった。


「……小早川先生、お亡くなりになっちゃいましたね」


 シルフィーは切なそうな眼差しで消火剤にまみれた黒い箱を見つめる。


「クラウドにバックアップくらいあるだろ。それより小早川先生はこの計算機を修理する予算持ってるの?」


「小早川教授の予算状況を調べてみましたが、5年前から研究費申請は採択されていないようです。あと、寄付金の残高も残り80万ほどしかありません」


「じゃあ修理は無理だな。小早川さんもやっと退官か。おつかれさま。シルフィー、本人に連絡を取ってこの壊れた擬似人格演算システムを早急に運び出すように伝えてよ」


「小早川先生ご本人は10年前から音信不通になっています」


「あぁ、講座の運営を擬似人格の人工知能にまかせていて本人は先に逝っちまうパターンか。小早川さんも当初は寄付金が1億以上あったらしいが、最近では金が尽きてシステムのアップデートもままならずにジリ貧だったらしいからな」


「もし……」


 タナカがこの墓石のような黒い計算機をしみじみと眺めていると、その横でシルフィーが小さな声で呟いた。


「もし、先生の研究費申請が採択されなかったら、私の演算システムも維持できなくなっちゃうんですよね……?」


 シルフィーは不安げな表情でタナカの顔をのぞきこむ。


「心配するなって。これまでもなんだかんだで採択されてるんだから」


 タナカはつとめて明るい声でそう返す。だが、タナカはシルフィーと目をあわすことはできなかった。


「そんなことより、たしか明日、文科省の役人が査察に来るんだろ。それまでにこの惨状をなんとか片付けないとまずいな。小早川さんの弟子とか近くにいないの?」


 廊下にまで飛び散った消火剤を眺めながらタナカはシルフィーに尋ねる。


「小早川先生のお弟子さんでご存命の研究者の方は2名おられます。ただ、お一人は北京大学でもう一方はアフリカ大陸です」


「じゃあだめだな。あー、もう誰でもいいから大学の事務に連絡してこれ片付けさせてよ」


「せんせい、わかってておっしゃってるんだと思いますが」


 シルフィーは意地の悪い笑みを浮かべながら返答する。





「つまり俺にこの部屋の片付けをしろっていうこと?」


「申請書の提出は大学事務AIにかけあって週明けまでのばしてもらいますから。ほら、私も応援しますからがんばってください!」


 いつの間にか、チアガールのコスチュームに変身したシルフィーは両手のポンポンを揺らしながら満面の笑みでタナカを見つめている。


「くそっ」


 そう呟くと、タナカはうんざりとした表情で再び誰もいない廊下を眺めるのだった。

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