12億円ですべての病気が治る世界
妻が職場で倒れたと連絡があったのは、僕がいつものように非正規の清掃員アルバイトをしているときのことだった。
急いで病院に駆けつけると妻はベッドの上で人工呼吸器をつけられて眠っていた。
「奥さんは運がいい」
妻の担当医は僕に向かってそう言った。
「奥さんは100万人に1人の難病です。この病気は10年前までは絶対に治すことのできない、いわば不治の病でした。しかし、10年前にすべての病気を治療できる究極の治療法が開発されたのでなんの心配もありません」
「よかった。では、妻は助かるんですね」
「ええ。しかしそれには治療費が12億円かかります」
「え?」
「この治療法にはアルファ社とベータ社が特許を持っているスペシャル薬とミラクル抗体、それにガンマ社が特許を持っているスーパーウルトラ万能細胞を大量に使用する必要があります。だから治療費が12億円かかります」
「保険でなんとかなりませんか?」
「国民健康保険制度は5年前に破綻しました。今では保険適用になるのは解熱剤と咳止め薬くらいのものです」
「奥さんの命を救うには一週間以内にスーパーウルトラ万能細胞の投与を始めなければ間に合いません。それまでに12億円用意してきてください」
「12億円が用意できないなら、あとは奥さんが亡くなるまでただ見守るしかありません」、そう言われた僕は肩を落として家に帰った。
僕たちは今まで共働きでなんとか暮らしてきた。子供を作る余裕もなかったし、貯金だってほとんど貯まっていない。このままでは12億円どころか妻の入院費用すら払えそうにない。
僕は意を決してノートパソコンを開いた。
ネットのフリーマーケットサイトにアクセスして3Dプリンタで作られた模造銃を注文した。品物は次の日には家に届いた。
次に、タンスの中にしまっていたぶかぶかのニット帽を取り出し、目の部分を切り抜いて目出し帽にした。
僕はそれらをポケットに押し込んで家を飛び出した。向かったのは大統領官邸だ。
大統領官邸は一見すると警備が厳重に見えるが、僕は以前に清掃の仕事で中に入ったときに偶然、秘密の抜け穴を見つけていた。それはたぶん歴代の大統領も知らない大昔に作られた緊急事態用の抜け穴だった。
僕はその抜け穴を使って大統領官邸の中に潜り込んだ。
大統領室の前には警備の人間は誰もいなかった。ちょうど警備の交代の時間でわずかな間だけ人がいなくなるのだ。それも以前見た通りだった。
僕は目出し帽を被ると銃を構えながら、大統領室の中に飛び込んだ。
「手を上げろ!」
ちょうど昼食のカレーを食べていた大統領は、僕の姿を見て驚いたのか、手にしていたスプーンを床に落としてしまった。
「誰だ、お前は! どうやってここに入ってきた?」
「申し訳ありませんが、あなたを人質にして12億円を要求します」
「今、通報ボタンを押した。すぐに警備の人間がやってくるぞ」
「構いませんよ。彼らに僕の要求を言います」
僕は大統領の後ろに回り、彼のこめかみに拳銃を突きつけた。
「どうやってここに入ってこれたんだ?」
「秘密の抜け穴があるんですよ。12億円を貰ったらそれも教えますよ」
「頼む。先にその抜け穴がどこにあるのか教えてくれ。これは国家の安全保障にかかわる大問題だ」
「駄目です。12億円を受け取ったら教えます」
そうこうしているうちに警備員がやってきた。
「おい、どうせここからは逃げられんぞ! 諦めて大統領を放せ!」
警備員たちはそう言うと一斉に僕に拳銃を向けた。
「おい、撃つな! この男は本気だ」
大統領が怯えた声で警備員たちに向かって叫ぶ。
「12億円さえ貰えれば解放しますよ」
「待ってくれ。12億円なんてすぐには用意できない」
「嘘をつくな。大統領官邸の金庫には必要なときのために現金が大量に入っていることは知ってるんだ。そこから12億円を持ってくるくらいすぐにできるでしょう」
「ううう・・・・・・、わかった」
「急いで!」
僕がそう叫んだ瞬間、僕の頭にドスンという振動が響き、そして僕は前のめりに倒れた。どうやら狙撃手が窓越しに僕の頭を撃ち抜いたらしい。
こうして、僕は死んでしまった。
「ばかもの! なぜ殺したんだ! こいつは大統領官邸の秘密の抜け穴を知っていたんだぞ。それを聞き出さないと安全保障の問題にかかわる!」
「しかし、こうしないと大統領のお命が・・・・・・」
「ええい! うるさい! なんとかしてこいつの脳から情報を取り出すことはできんのか?」
「今すぐ処置をして生命維持装置に繋げば蘇生させることはできます。脳も損傷は部分的のはずです。ただしかし・・・・・・、費用はかかります」
「いくらくらいかかるんだ?」
「12億円です」
「かまわん。その程度、国家の安全と比べればはした金だ」
シュレディンガーの猫・その他短編 そうる @reeler
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