戦争


 「その時」は、ユアンの予想よりずっと早くやって来た。

 入道雲が海の向こうに沸き上がった日、二人は駐屯兵のいなくなった町を散歩していた。市場には活気が戻り、子供たちもはしゃぎまわっている。

「そう言えば、蝋燭が少なくなっていましたね。いくつか買って帰りましょうか」

 繋いだ手と表情からイーアの言いたいことを察しながら歩を進める。もうすっかり言葉なしで意思の疎通が出来るようになっていた。

 市場に入ろうとした時、突然ユアンが脚を止めた。厳しい表情で青空を見上げ、視線を動かして何かを探す。やがて目的の物を見つけたのか、蒼ざめた顔でイーアの腕を強く引いた。

「帰りましょう。この町が危ない」

 彼女が驚くのも構わず、力任せに引っ張って走り出す。しかし、軍人の脚に少女がついていけるはずもなく、イーアはすぐに転んでしまった。

「失礼」

 ユアンは少女を抱え上げ、また走る。何事か分からないイーアは、青年にしがみつくしかない。町を出て海岸の近くに着くころ、ユアンはやっとイーアを降ろした。

「八二式攻撃機が此方へ向かっています。あなたは海辺へ避難して下さい」

 緊迫した表情で早口に告げ、すぐイーアに背を向ける。イーアは慌てて彼の袖を掴んだ。その碧い眼に大きな不安を見たユアンは、少しだけ優しい表情になる。

「大丈夫ですよ。あれを何とかしたら、すぐ迎えに行きます。待っていて下さい」

 金の髪を優しく撫で、また走り出す。イーアの手からするりと中身のない袖が抜ける。入道雲は空の半分を覆っていた。

 ユアンは息を切らしながら灯台へ走る。確か、光源機の近くに小型の対空ミサイルがあったはずだ。

 八二式攻撃機は、対地上戦に特化した敵国の軍用機だ。燃費が良く、長く飛べるという噂だが、まさか国の端まで来るとは。敵軍はもうこの国に侵攻しているのかもしれない。

 灯台の最上階へ駆けあがり、ミサイルを掴んで窓辺に駆け寄る。スコープを覗くと町の上空を旋回する攻撃機が三機見えた。

 ここからの砲撃は届かないだろうが、何発か威嚇射撃をする。標的を灯台へ向けさせ、町への攻撃を防ぐのが第一目的だ。

 狙い通り、三機は旋回を止め灯台へ向かってきた。射程に入った事を確認し、まず一機を打ち落とす。爆発音と共に煙が上がった。

 攻撃機の構造上、真下の地面にしか攻撃出来ない。岬の上空へ来る前ならば、ミサイル一つでも勝機はある。

 迫って来る二機の片方も撃墜に成功したが、最後の一機は間に合わなかった。

 地の底から響くような低いエンジン音が聴覚を奪い、頭の中まで響く。攻撃機は灯台の上へ来ていた。

 もしここで逃したら、町に攻撃を仕掛けるかもしれない。子供たちの笑顔を思い出すと血が湧いた。絶対に仕留めなければならない。

 窓から身を乗り出し、上空の標的を捉える。攻撃機から爆弾が投下されるのを見つつ、ミサイルを発射した。

 その反動でユアンの体が窓の外へ落ちる。直後に灯台が爆撃を受けた。 爆音が空気を揺るがし、炎が弾ける。ユアンは爆風で海に叩きつけられた。大小いくつもの瓦礫と一緒に、深い青へ沈んでいく。

 美しい、と思った。視界いっぱいの水面は白い太陽の光を浴び、ガラスのように煌めいている。揺れる波は一瞬ごとに模様を変え、無数の透明な色を作っていた。

 内地出身の自分が海で死ぬなんて、不思議なものだ。イーアに会えたお陰で、岬での生活は楽しかった。太陽に輝く彼女の金髪や澄んだ碧眼がはっきり目に浮かぶ。青年は美しい人魚の幻想を見ながら、意識を失った。



 顔に当たる太陽が眩しくて、思わず目を開けた。

「ユアン!」

 すぐ近くで名を呼ばれる。青空が見慣れた顔に遮られた。

「良かった、目が覚めて」

 イーアは安堵の表情をする。それを見て、ユアンは自分が助かったのだと悟った。

「あなたが助けてくれたんですね」

 彼女がこの岸まで運んでくれたのだろう。海の中で息が出来たから、命を失わずに済んだ。

「ありがとう」

 手を握ると、イーアは嬉しそうに強く握り返す。

「自分は、内地に戻ろうと思います」

 ユアンは手を繋いだまま言った。平和の中に逃げ込んでいても、現実は変わらない。戦争は今も続いているのだ。

 自分がやるべき事は何か、やっと分かった気がした。

「海からは離れます。危険な目にも合うでしょう。もしかしたら、二度と海を泳げないかもしれません」

 真っ直ぐイーアの碧い眼を見つめる。この少女と最期まで一緒にいたいと思った。

「それでも、傍にいてくれますか」

 イーアは少し驚いた後、思い切りユアンに抱き付いた。

「もちろんよ」

 ユアンは優しく金髪を撫で、そっと額に口付ける。

どこまでも広がる青い海は、静かに光を湛えていた。



 十数年後、長年に渡って続いた戦争が終わった。終戦の裏で活躍した英雄たちの中心は、片腕の軍人と金髪碧眼の女性だったと言うが、詳しい事は分かっていない。ただ、二人はとても仲睦まじい夫婦であったということだ。

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夏岬異恋物語 橘 泉弥 @bluespring

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