百合だと思ったらノーマルだった。

秋保千代子

彼氏ができました。

 数少ない必修科目、英語の講義が同じクラスだった。

 たまたま前後に座っていて、前の席にいた千尋ちひろが私にプリントを回してくれた。

 座る前から、 フリルとレースのついたニットにデニムのロングスカートというおしゃれが素敵だなって思って。腕も肩もすっきりして見えて、スタイルもいいんだなーと思って。

 止めに、プリントを渡してくれる瞬間の「にこっ」が素敵で、うわー美人さんだ、どうしたらこんなになれるんだろうって思った。

 一世一代の勇気を出して、お昼休みは一緒にご飯を食べようと誘ってみたら、気持ちよくOKしてくれた。

「学食! 学食行こう!」

 千尋は笑って言った。

桃子とうこはどうする? ラーメン派? 中華丼派?」

「えっと…… 気分は麻婆丼」

「おっけー!」

 新しい生活に慣れない一年生のおかげで混乱を極める食堂の券売機の前で、千尋は手早く二人分の食券を買ってきた。

 カウンターに並んで待つ間も、空き席に滑り込んで食べる間も、セルフで食器を片付ける時まで、千尋はてきぱき元気いっぱい。

「すごいね……」

 感嘆しか言葉にならない。

「何が?」

「どうすればそんなになれるの、羨ましいよ」

「褒めても何も出ないよー」

「だって、おしゃれだし。優しいし。どうすればそうなれる?」

「優しいはともかく、おしゃれはね。努力すればなれるよ。も相当、試行錯誤したし」

――

 違和感のある単語に瞬くと、千尋はさわやかな笑顔で言い切った。

「俺、男だから!」

「スカートはいてるじゃん」

「大丈夫。その下にちゃんとついてるから」

 全然大丈夫じゃありません。

 ありませんが、そうか千尋は女装してるんだ、と素直に納得した。


 多分、新しい生活の中で、驚くことに疲れていたんだと思う。


 語学は週に4コマあって、その全てが一緒。それ以外の大部屋の講義でも、私たちは一緒になることが多かった。

 そんなだから、自然、隣に座って喋っている。

 千尋とはいろんなことを喋った。

 自宅から片道一時間半かかるという共通点があるとか。

 ピアノを小中高習っていたというのも共通点だとか。

 私はドビュッシーで、千尋はショパンで、レパートリーは違うとか。

「そういえばさ、千尋。体育は大丈夫なの?」

「大丈夫って何が?」

「更衣室。その格好で男子の所に入っていくと驚かれない?」

「初回は騒がれたよ!」

「デスヨネー」

「ショックだったぜ……」

「いや、ショックをうけたのは周りの人だと思います」

「俺、脱いだら普通なんです」

「嘘ばっか」

 あはは、とわたしは笑った。

 つやつやの長い髪も、形よく磨かれた爪も、誰よりも女らしい。お肌だってすべすべで、一体どこにヒゲが生えているのかと問いたい。

 唯一、喉ぼとけだけが、千尋の男らしいところだと思っていた。

 六月までは。


 六月。すっかり慣れて、計画的欠席が目立つようになってきた頃。

 語学のクラスで懇親会が開かれた。

 一応、未成年だらけですからね。お酒はなかったはずなんですが。

「それ、サワーだったんだって」

「さわー? 山の中の沢」

「桃子、自分で何言ってるか分かってる?」

「千尋ー。歩けなーい」

「はいはい。おぶってあげるから」

 わたしを背中に軽々と乗せて、千尋はひょうひょうと歩く。

「おまえの家までの路線、聞いてて良かったよ」

「え? 送ってくれるの?」

「ここで野放しにしたら男がすたる」

「すたるほど男気ないくせにー」

「……おとなしくおぶさってろ」

 くったりと頭を乗せた肩は、思っていたよりずっと広かった。

「ねえ、千尋」

「なに?」

「スカートはいてて歩きにくいのに、ありがと」

「おまえがジーンズでよかったと俺は思っている」

「なんでー?」

「中が見えるとか気にせずにおぶえるだろ?」

「そっかー。そういえばねー。わたし、今、千尋が力持ちで驚いている」

「俺はずっと驚きっぱなしなんだが」

「そうなの?」

「俺の女装姿見て引かなかった女子って、桃子が初めてだよ」

「そうなの」

「一応、傷つくんだぜ。好きで女装してるとはいえ、ドン引きされるとさ」

「ドン引きなんかしないもん。千尋の女装は美人さんだからゆるせるもん」

「おまえ、そういうの、他の奴に言うなよ」

 最後は苦笑いと一緒に言われて。自宅最寄り駅で別れる時に。

「あーあ。明日からはちゃんとした格好しようかなー」

 そう言って、キスされた。


 これが俗にいう送りオオカミってやつですね。


 と思ったのに、翌週も千尋はフリフリフリルのワンピースで現れた。

 ピンヒールのミュールとかはいちゃってさ、どうして転ばないの? ついでにすね毛は家出中でしょうか。

「やっぱり千尋は美人」

「桃子もおしゃれしようぜ。俺が選んであげるから」

「……そのワンピはちょっと」

「ワンピとは言わん! もっとこう…… とりあえずスカートはこうぜ! トレーナーにストレートジーンズは卒業だ!」

 ぎゅっと手を握られて思わず頷いた。笑いあって、そのまま駅ビルに突撃した。

 その様を、同じ語学の別の子に見られていた。

 いわく。

「百合だと思ったらノーマルだった」

 のだそうだ。


 それ以来、大学で会うだけでなくて、いろんなところに一緒に行くようになった。

 私がコアラを見たいと言ったから、動物園に行った。千尋は昆虫博物館で白目を剥きそうになっていた。

 千尋が好きだというから、絵画展を見に行った。私は欠伸をかみ殺すのに忙しかった。

 一番多いのは、講義の行き帰りに待ち合わせて駅の周りのお店をのぞいて歩くことだろうか。

 少ないお小遣いの中から着回しできるくらいに似合う服を買おう、と千尋が一緒になって考えてくれるのが嬉しかった。


 そうやって、前期の講義が終わり。

 長い長い夏休み。


「桃子、雰囲気変わったね」

 久しぶりに、小中高の幼馴染たちで集まってみた。

「そういう夢唯めいだって、雰囲気変わったじゃん」

「桃子だけじゃなくて、もえもね」

「三人とも、服装が制服じゃないからそう思うのよ」

 確かに。紺色にエンジのリボンタイというお揃いスタイルだったのが、三人が三人とも違う格好をしている。

 萌は、鮮やかなグリーンのタンクトップに紺色のミニスカート。すらりとした足の先にはシンプルなストラップ付のミュール。

 対する夢唯は、エスニック柄のワンピースで、カゴバッグを持ち、ビジューのついたサンダルを履いている。

 そして私は。

「一番、予想外かな」

 萌に笑われ。

「すごい似合っているよ!」

 夢唯に手を叩かれた。

 何を隠そう、今日のファッションは、休み前に千尋と選んだ最強コーデだ。

 スカートは恥ずかしいとショートパンツを試したら、似合ったんだよね。脚は隠すより見せたほうがすっきり見えると、意外な発見でした。

 上は、ドルマンスリーブのブラウス。二の腕は隠さないとやばかったんだ。

 最後に、おそろいで蝶々モチーフのチョーカーを買ったから、それをつけてきた。

「桃子一人で考えたんじゃないでしょ」

 ふっと萌が鼻で笑う。私はそっと視線を反らした。

「あ、そうなんだ。誰と誰と? 彼氏さん?」

 夢唯が顔に大きく「wktk」と書いて聞いてくる。

 私はさらに視線をそらした。

「彼氏…… なのかなぁ?」

 だってほら。見た目は百合ですから。


 長い長い夏休み。

 メールだけじゃつまんない。既読スルーじゃないだけマシかもしれないけど、あんなにお喋りな千尋なのに、送ってくるのはスタンプばかりなのだ。

 だから待ち合わせしてみた。おデートですよ!

 何を着ていこうか悩んで、またしても最強コーデにしてみた。

 唯一、アクセは足してみたんだよ。三人娘でそれぞれが似合うのを選びあいっこしてみたから。二人が選んでくれたのは、お花モチーフのブレスレット。

 約束は十時、スマホの画面を睨みながら改札前で待つ。

「まだ遅刻じゃないよな?」

 千尋の声が聞こえたから顔を上げて、そのまま目を丸くした。

「ドチラ様デショウ?」

「……分かってて言ってるな、桃子」

 見慣れたふわふわロングヘアにフレアスカートじゃないんだもん。ジーンズにシャツ、なんて格好見たことないもん。

 髪だけは切れなかったみたいで、ポニーテールにしてる。

 シャツもジーンズもグレーで、お揃いのチョーカーだけでなくシルバーのアクセもたくさん付けているから、一昔前のバンドマンさんみたいだ。

 驚きが通り過ぎて、笑いがこみ上げてくる。

「くっそ…… 笑われるとは思ったけどさ」

「だって、似合ってるけどさ、違和感ありすぎで」

「止めたほうがいい?」

 聞いてきた声が低くて、わたしは肩を揺らした。

「そんなことない」

 ドキドキしてる。

 美人さんじゃなくて、イケメンな千尋に。

 かあっと頬が熱くなって、口をパクパクさせていると、千尋はいつもの笑顔を浮かべた。

「じゃあ、どっか遊びに行きますか」

「うん!」

 どん、と飛びつく。ぽんぽんと肩を叩かれ、手を繋いでくれた。

 その腕にすがりつく。

 男らしくて、筋張った腕。


 太陽の光が朱色に変わって、帰ろうかという時に。

「どうして、今日は男装なの?」

 夕陽に照らされた公園のベンチでぴったりくっついて座って、 やっときけた。

「おしゃれは嫌いじゃないけどさ。やっぱり、俺は男なわけでして」

「ついてるんでしょ?」

「……ついてるよ!」

「男だから、男の格好をしたいの?」

「まあ、そういうこと」

「じゃあ、なんで女装してたの?」

 顔をのぞき込むと、千尋は首の後ろをガリガリやっている。

「……聞いても、引かない?」

「うん」

「ぜったい、ドン引きするなよ」

「しない」

 今度はジト目で見てきてる。よっぽど言いたくないんだな。

 でも、聞かないと駄目な気がした。

 本当に、わたしが、千尋の彼女を名乗りたいなら。

「母子家庭でさ」

 最初、ぽつんと言って、千尋は笑った。

「親父が浮気して、おふくろと俺と妹を置いていったんだ。おふくろは愚痴一つ言わずに…… むしろ、それで火が着いちゃったってくらいバリバリ仕事してさ。食うに困ることはなかったんだけど。唯一困ったのが、俺の顔」

「顔?」

「親父そっくりなんだよ。おふくろ曰く、泣くとなお似てる」

 そう言った今の千尋の顔が、きっと泣き出す直前の顔なんだろう。初めて見た表情に、じっと見入ってしまった。

「だもんで、恨みはないけど俺の顔を見てるのが辛いって言っててさ。俺としては、一人で頑張ってくれてるおふくろを妙なところで困らせたくないし。じゃあ、親父を見ている気分にならないためには、どうしたらいいかなーと思って」

「女装したの!?」

 びっくりだ。なにその発想。

「妹も親父似なんだけどさ。妹の顔は辛くないって言うんだよ。だから……」

「だから、女装」

「大ウケしたぜ」

「お母さん、笑うしかなかったと思う」

「その次には喜んでくれたぜ。親父に似ていないって」

 ああ、そうか、と思った。

 お母さんを悲しませたくなかったんだね…… ってびっくりだよ。ただひたすらにびっくりだよ。

 黙ってしまった私に、千尋がまた泣き笑いの顔を向けてきた。

「ドン引き――」

「――してないもん。びっくりしてるだけだもん」

 むっと唇を尖らせて、千尋の腕にすがりついた。

 そして、もう聞かないことにした。今日が男装の理由は。

 その変わり。

「家から男装してきたの?」

「あー。玄関出るときは女装。駅のトイレで着替えて、コインロッカーに服は入れてきた」

「またトイレで着替えて帰るの?」

「どうしようっかなー」

 ぐるぐると首を回して、千尋は言う。

「正直、家から男装してきたいんですよねー」

「ですよねー」

「おふくろがビビらなきゃ、だな」

「一応聞くけど、パジャマはフリル?」

「ご明察」

「じゃあ、そこで妥協してもらえば?」

 すると千尋は、はははっと笑った。


 後期が始まりました。

 千尋はバンドマンファッションでキャンパスに現れました。

――クラスのみんなの視線が痛いよう。

「見るな」

 ミーハーな女子共をきっと睨んだら、ため息を返された。

「百合だと思ったらノーマルでした」

 また、そんな言ってる。

 千尋はどこか嬉しそうだ。

 私は面白くない。イケメン千尋は私だけのものなのに。

「桃子。今日のお昼はどうする?」

「激辛麻婆丼でお願いします」

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