エンジェル・ベーカリー

新樫 樹

 エンジェル・ベーカリー

「ちょっとどいて! ごめんっ! どいてぇぇぇっ!」

 日曜日ののどかな昼下がり。

 買ったばかりの本をわきにかかえて家に帰ると中、とつぜん聞こえてきたけたたましいわめき声にビクッと 振り返ると、後ろの急な上り坂の上から何かがこちらに向かって転がり落ちてくるところが目に入った。

「危な~いっ!」

 必死の声はどんどん近づいてくるから超特急で逃げようとするものの、運動神経ゼロのわたしの心の中と体の動きは全然一致しないのだからしかたない。

 ガラガラガッシャーン!

 首をすくめて目を閉じるのがせいいっぱいだったけど、なぜか激しくぶつかる音とは正反対になんの痛みもなかった。

「くっそ…チョー痛ぇ」

 小さくうめく声が聞こえてあわてて見ると、残がいと言っていいくらいに壊れた「何か」に埋もれるように男の子がひとりいた。

「ご…ごめん。だいじょうぶ?」

 持っていた本をぎゅとだきしめながらそう言うのがやっと。

 どうしよう、わたしのせい? わたしがよけなかったから、この子がこんなことに? ケガとかしてないのかな…痛いって言ってるからひょっとしてどこか…。どうしよう、どうしよう。

 頭の中でぐるぐるすごい勢いで回っているけど、言葉に出すことができない。

「ははっ。金魚みてぇだな。口パクパクして。…大丈夫だよ。これくらい」

 よっとかけ声をかけながら立ち上がると、男の子はわたしを見て笑った。マンガだったら、ニカッとかわきに書いてありそうな元気な笑顔だった。そして、がしがし後ろ頭をかきながら、自分の足元にばらばらに落ちている鉄の部品を見回していたけど、ふいにがばっとわたしを見てくる。

「そうだ、わりぃ。もうちょっとでぶつかるとこだった。ケガとかしてねぇ?」

 こくっとうなずくと、心配そうだった顔がホッとした顔に変わった。

「そっか、ならよかった」

「あの、これ、なに?」

 うーんどうするかな、とか、やべぇなぁ、とか、ぶつぶつ言っている男の子といっしょに、しばらく辺りを見ていたけれど、思い切って聞いてみた。

「ああ、これ? エンジェル・ベーカリー2号店」

「エンジェル…ベーカリー…2号店?」

「そ、オレんちパン屋なんだよ。で、売り歩くのに使う自転車改造してみたんだけど。ははは…こうなっちまった」

 きっとものすごく怒られる自分を想像したんだろう。言いながらものすごくしぶい顔になる。

「車じゃ金かかるだろ、だからいいアイディアだと思ったんだけどなぁ。重くしすぎてブレーキ効かなかった」

 この坂の上にはたしか、とってもおしゃれだと女子がさわいでいた、できたばかりのパン屋さんがある。もしかして、そこのお店の子なのかな。森の中の木のお家みたいな店のようすを思い浮かべながら、わたしはでも、とつい口にした。

「でも、たしか道路交通法か何かで、こんなふうに改造した自転車って走れないんじゃなかったっけ」

「げ、マジ?!」

 だっはーっと自分で自分のおでこをバチンとたたくと、男の子はダセェとつぶやいた。

「あ、オレ、桜木陽介(さくらぎ ようすけ)」

「も…森井なつみ…です」

「なぁ、森井って、何年? 家このへん?」

「5年生。家はその通りの向こう」

「ほんとか? オレも5年だ。つっても、ガッコ行くのは明日から。引っ越してきてさ。同じクラスだといいな」

「え?」

「だってさ、なんか森井って、すげぇ優しそうじゃん」

 今日が初対面なんだけど。なんていうことはすっかり忘れ去っているようすで、男の子…桜木くんは楽しそうに笑った。まるでお日様みたいに。

「よっし、再チャレンジだな。べつの方法考えねぇと」

 やがて猛スピードで足元の部品たちを拾って自転車に無理やり乗せると、じゃな、とあっという間に坂を登って行ってしまった。

「…元気なひとだなぁ」

 ぼつりと思わず言ってしまって辺りを見回す。よかった、だれもいない。

 そのとき、きらりと光のつぶが目をさした。

 なんだろう?

 そこには、銀色の小さなネジが落ちている。

 さっきの部品のひとつだ。

 それはなぜだか見とれるほどにキレイだった。

 はっと坂を見上げたけれど、もうとっくに桜木くんの姿はない。

「どうしよう」

 拾い上げてはみたのの、これを返す方法が思いつかない。

 お店に行く?

 ううん、そんなのムリ!

 友達でもないのに、陽介くんいますかなんて行けないよ。

「でも…困ってたら…やだな」

 陽の光にきらきら光るネジが、てのひらの中でころりと転がった。

 同じクラスだといいね。

 さっき答えられなかった言葉を心の中でつぶやいて、もし本当にそうだったら、このネジを返していろんな話をしたいと思った。

 できるかな。わたしでも。

 いつも言葉が出なくてひとりぼっちになってしまう、わたしでも…。

 ずっとぎゅっとだきしめていたせいですっかり袋がくしゃくしゃになってしまった本を、もう一度わきにしっかりかかえ直して、ネジをきゅっとにぎった。

 家に向けていた体をぐるっと坂に向けて、わたしは歩き出す。

 お財布にはまだ300円残っているから、パンをひとつ買おう。

 そしてレジのところで、聞いてみよう。

 陽介くんいますかって。

 小さな小さなネジが、いつもだったらぜったいできないようなことをさせてくれている。

 エンジェル・ベーカリーはすぐそこだ。

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エンジェル・ベーカリー 新樫 樹 @arakashi-itsuki

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