第7話 中山千紘×東京地下都市
風夢徹の叫びを無視して、中山千紘が言う。
「本当は私は森の地下室から出て来たくなかった。それは私の目的の達成のために避けなくてはいけないことだった」中山千紘は崩れ落ちた亜夢叶梨絵を見下ろした。梨絵の能力が解除されたことによって、地面にあった凹凸は綺麗になくなり、梨絵の血だまりがゆっくりと広がっていた。
風夢徹は叫びだす体力だけはあるのに、一向に立ち上がる様子が見られなかった。私の予想は正しかったのだ、と中山は確信した。今、彼は膨大な計算を生み出し続けている。
秋風が止まり、森の木々が揺れる音も聞こえなくなった。全ての営みがなくなったかのような錯覚すら覚える。事はゆっくりと始まりだしている。
そして徹も叫ぶのを止めた。代わりにその体からは蒸気がモクモクと立ち始めた。世界は確実に少しずつ重くなっている。
「中山先生......事故で死んだはずなのに」雌螺子杏樹が振るえる声で言う。
「やぁ、雌螺子さん。お久しぶり。そして勝手に殺さないでくれ」中山が苦笑いをしながら答えた。
「先生はどうして、亜夢叶先輩を? どうして風夢先輩はあんな風になっているのですか?」杏樹の声はまるで落ち着いていた。推理小説に出てくる探偵が、聞きこみをするときのような、そういう落ち着き方だった。中山は感情が抑制されているという印象を受けた。本当だったら怒り狂っても、パニックになっても、恐怖して逃げ去ってもおかしくない。しかし、杏樹はニュースの感想をいうかのように言うのである。中山は仮説の正しさを更に確信した。
中山は、雌螺子杏樹と遠藤奈美が武器を一切持っていないことを確認した。この二人の能力は戦闘向きではない。その上、武器もないと分かれば、別に聞かせてやっても構わない。むしろ、自分の成果を聞いてもらいたい、中山はそう思った。研究者は誰かに聴かせるために研究を重ねる。
「知りたいか。そうか。それなら話してあげても良い。君たちに話したところで運命は変らないからね。
私が研究を重ねて気づいたことは、この世界は出来レースでしかなかったということだった。予め決められた予定をこなす、予定調和な世界だったと言っても良い。
どうして私がそのことを知ることが出来たのか。それはラプラスの解答用紙によるものだった」
「ラプラスのナントカって何よ」杏樹が面倒くさそうに言った。そういえば、この子は成績の良い方ではなかったなと中山は思い出した。
「それを私は今から説明するつもりだよ。ラプラスの悪魔は知っているかね?」
ええ、と答えたのは遠藤奈美だった。「ある一瞬の全ての物質、それの力学的状態と力を把握し、分析できれば、未来も過去と同じように知ることが出来る。というものだね」遠藤の声もまるで落ち着いていた。
「そうだ、そしてそのラプラスの悪魔による分析の結果が『ラプラスの解答用紙』だ」
「おかしいわ。ラプラスの悪魔は存在しないことが証明されている。私達人間はある一瞬について『確率』でしか把握できない」遠藤が食って掛かった。
「あぁ、分析の対象が原子ならね。しかし、対象がプログラムならば、『ラプラスの解答用紙』は存在する」
「でも、この世界はプログラムではないわ。
「君たちは不思議だとは思わないかい? 目の前でこれだけの惨状が起こっているのに、君たちは涙一つ浮かべない。怒り狂うこともしない」
「それがプログラムだという根拠? 私達の感情が押さえつけられているからプログラムだとでも言いたいの?」
「違う。この世界の住民全体の感情が抑制されているんだ。高ぶった感情を反映するにはコンピュータにとって大きな負担だったからね。ただ、これは世界がプログラムである事によって引き起こされた現象の一つにすぎない。だから、これだけ話しても君らは納得しないだろう。本当は君たちを地下室に招くのが一番早かったし、そうする予定だった」
「あなたはラプラスの解答用紙を持っていたのでしょう? それなのにどうしてあなたの狙い、予定が外れるの? もし、あなたが未来をその「ラプラスの解答用紙」で知っていたのなら、私たちはここではなく、あなたの予定通り、地下室にいたはずでしょう?」
「運命は知られる事を考慮していない」中山は短く言った。
「何言ってるの?」
「運命は知られることを考慮していないんだ。私がラプラスの解答用紙にたどり着いた時点で、それの正確性は保証されないものになった。そりゃあそうだ。運命を知っている人間は運命を変えようとする。運命は決して知られてはならないってことだ」
「そりゃあそうね」
「しかし、それでもラプラスの解答用紙はある程度正確に未来を写している。実際、ラプラスの解答用紙の言うとおりに多くの事象が発生している。それは私ができるかぎり地下室から出ずに、決められた運命に干渉しないという選択をとったからだ」
「しかし、あなたは今回、私達を呼びこむために干渉を行っている」
「そうだ。私の行った干渉の結果についても曖昧な範囲でラプラスの解答用紙は答えをくれる。しかし、そこには必ず誤差が生じるということだ。
話を戻そう。私はラプラスの解答用紙にたどり着いた時、真っ先に考えたのは開放することだった。定められた運命から逃れ、自由意志を獲得したかった」
「今の私達には自由意志がないと言いたいの?」
「私たちは自由意志を持っている様に錯覚している。本当は人工的に作られた記憶や、遺伝子、プログラムやそれによる抑制によって私達が自由意志を持つことができなくなっているんだ。
そして風夢徹がキーだということに私は気が付いた。世界がコンピュータの中だと仮定するならば、そのコンピュータが機能不全を起こすほどの計算量を押し付ければ良いということに。そして風夢徹にはそれが出来た」
「どうして?」
「私達のプローディギウムは、プログラム内で存在する仮想的な時空に干渉しているだけなんだ。ただ、それぞれの間に差異を生み出すために、私たちは勝手にプローディギウムに枷を付けている。概念という形で。
しかし、風夢徹のプローディギウムは全く別物だ。彼のプローディギウムは無限であることだった。不死身、と言うのはプログラムに与えられた無限という機能の結果の一つでしかない。
そして、プローディギウムに枷を付けているといったのは、何も私達に限られた話ではない。風夢徹も同じだった。しかも、かなり厳重に枷が付けられている。もし覚醒すれば世界が終わるのだから当然だろうな」
「で、あなたは枷をとこうとした。その結果が今の徹ということ?」
「そうだ。プローディギウムに枷を付けているのは人間の理性にほかならない。だから私は須田朱音に『擬似化物生成注射』を風夢徹に対して打ってもらった。今の彼からは理性が抜け、より本能的に動く様になったということだ。その結果はすでに出始めている......空を見てごらん」
そう言いながら中山も空を仰いだ。空中には四角い真っ白な穴がボツボツとあちこちに開いている。中山はゲーム世界で、TNT火薬を大量に爆発させた時に起こった現象を連想した。
中山は風夢徹の方に振り向いた。視界はカクカクと横に移動する。風夢徹はカクカクと動く世界、白い穴がポッカリと現れ始めている世界を片目に、異常なほどにスムーズに動いている。
「もう、解説をしているだけの時間もないようだ。君たちが私の言葉を信じなくても、事実は変らない。もう、私達は本来いるべき世界へと帰ることが出来るんだ」
その瞬間、世界は暗黒に落ちた。
仮想世界の彼方 栗戸詩紘 @kuritoutahiro
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