第6話 亜夢叶梨絵×須田朱音

 遠藤奈美が運転する車の中で、亜夢叶梨絵は須田朱音という転校生について考えていた。


 朱音は転校してきてすぐに徹を殺そうとした。しかも、それからわずか一日で今度は徹を誘拐した。転校してきた理由はおそらく徹に接触するためで間違っていないだろう。では何のためだろうか。


 梨絵はさらに考えを巡らせた。転校というのは生徒の意思だけでなせることじゃない。つまり、須田朱音の保護者も共犯ということになる。むしろ、保護者のほうが主犯かもしれない。


 どちらが主犯だとしても、どうして徹が誘拐されたかは相変わらず想像できない。身代金だろうか? しかし徹は不死身であるから、身代金誘拐の説は薄い。身代金誘拐は、被害者の命の代わりに金銭を求める犯行だが、徹は死なない。


 では徹で遊ぶためだろうか? 殺しても死なないから、いくらでも暴力を振るえる。事実、徹はそういう愉快的な犯行の被害に合う事が多々あった。


 あるいは私に恨みがあったのだろうか。徹をさらえば、私はすぐにでも駆けつけると予想し......つまり、これは罠ということか。須田朱音から恨まれる理由はないから、そうなると主犯は保護者の方か。


 梨絵はそれら三つの仮説を立てたが、どうも事実はそうじゃないだろうと感じていた。それは特に根拠があるわけでもない、直感に過ぎなかったが、その直感は三つの仮説よりも信用に足るものな気がした。やはり、本人から聞き出すしかない、梨絵は手を強く握った。


 でも、と梨絵は考えなおした。徹が攫われた理由なんてどうでも良いのかもしれない。助けることさえできれば、それで私は満足できる。梨絵は手のひらを強く握った。


「亜夢叶先輩、もうそろそろ、須田朱音に追いつきますよ」雌螺子杏樹がそう言った。


 うん、と梨絵は気のない返事をした。結局、須田朱音の目的ついて何も思いつかなかった。梨絵の気分は重かった。


 車は舗装された道から外れたおかげで、ガタガタと揺れていた。フロントガラスを見れば、南部の森が大きな闇を持って三人を飲み込もうとしているように見えた。


 怖い、梨絵はそう思った。梨絵にとって南部の森は、故郷とも言える場所であったが、言いようのない不気味さは梨絵に恐怖を与えた。


 しばらく、ガタガタと舗装されていない道を走ると、細身の少女がカートを押しているのが見えてきた。あれが須田朱音だ、と言うのは杏樹が言うまでなく分かった。


 須田朱音まで残り五十メートルとなった辺りで、遠藤さんが車を止めた。三人はお互いの目を見ると、頷いて車から降りた。


 

「須田朱音さんね?」車から降りてすぐに梨絵が言った。


「ええ、そうですよ。亜夢叶先輩、早かったですね。中山さんの想像よりも早かったです。」


「まぁ、それなりに急いだからね。徹を返してもらえないかしら」中山とは誰だろうかと考えながら、梨絵が言った。


「風夢先輩を返すことは出来ません。私の仕事は風夢先輩を中山さんのところに連れてゆく事ですので」朱音はスマートフォンを操作しながら言った。


「その中山って誰なの?」遠藤さんが言った。


「中山さんは私の恩人です。まあ、あなた方とは縁のない方ですよ。中山さんが求めているのは風夢徹で、それ以外ではないですから」


 つまり、と梨絵が眉間にしわを寄せながら言った。「徹を返すつもりはないってことね? それなら、こっちとしても実力行使に出るしかないけど」


「ええ、そうですよ。亜夢叶先輩、私はあなたに風夢先輩を返すつもりはありません」


 朱音はそう言いながら、どこからか大太刀を取りだして、構えた。


「それじゃあ、仕方ないわ。徹への、最後の干渉にふさわしいシチュね」梨絵はそう言いながら振り子を取り出した。


 『夢』。それが梨絵のプローディギウムの概念だった。梨絵が振り子を一往復させると、梨絵の望んだ範囲の空間が夢の世界へと『移動』する。その世界では梨絵こそが神だった。


 灼熱の炎も、凍えるような冷気も、爆発も、収縮も自由自在。その圧倒的な全能感を背景に幾多の人々を跪けてきた。徹の元カノを吊るした時も、体が一箇所、二箇所、三箇所と千切られる痛みを体感させていた。


 それでもプローディギウム法に触れないのは、夢の世界で起こった事実を現実に引き継ぐかどうか、という事を決めることが出来たからだった。件の元カノの際も、千切られた手足は梨絵が能力を解除するとともに、何事もなかった様子になった。


 梨絵は須田朱音から目を離さないまま、振り子を一往復させた。半透明な、半球状の膜が広がって行き、現実から隔離された。


「さあ、始めようか」梨絵が言った。


 須田朱音は梨絵の言葉に返事をしなかった。その代わりに、大太刀を構えながら一気に迫ってきた。大太刀を持っているのだから白兵戦を選ぶのは当然か、などと梨絵は考えた。


「でも、そんな簡単に近づかせるわけないじゃん」梨絵がため息まじりに言った。


 梨絵が右手の平を突進してくる朱音に向けると、その手の平から炎が現れた。半径二メートルほどの火炎の筒は、須田朱音の華奢な体を焼き喰らおうと一直線に進んでいった。


 一秒とたたずに、梨絵の生み出した炎は、須田朱音にたどりついた。しかし、炎はなぜか、須田朱音の目の前の地面に作られた細い切り込みを超える事が出来ずに霧散した。


「どういうプローディギウムなのよ」梨絵が目を剥いた。「私の世界で......私の生み出したものを止める? ありえない」


「いや、亜夢叶先輩が自分のプローディギウムにどれだけの自信を持っているかは知りませんけど、そんなに驚くことですかね?」


 梨絵は右奥歯に力を入れながら、須田朱音の言葉を無視した。


 梨絵が次の行動に移るよりも早く、須田朱音のスマートフォンから気の抜けた通知音が響いた。須田朱音は梨絵のことを無視して、その通知の中身を確認した。そしてため息を吐くと「どうやら後五分で私の勝ちみたいです」と言った。


「どうして?」梨絵が聞いた。「ここは私の世界。外からの存在は侵入すら出来ないわ。誰もあなたを助けになんて来ない」梨絵はそう言いながら、私って悪役みたいだな、などと考えた。


「『夢』の世界ですか。中山さんが、亜夢叶先輩のプローディギウムの正体をメールで教えてくれました。中山さんは、亜夢叶先輩の能力を理解しています。必ず、先輩の世界だろうが、地獄であろうが、助けに来てくれますよ」須田朱音が言った。


 梨絵が一瞬言葉に詰まると、須田朱音が続けた。


「どうして私の能力を知っている? そんな顔ですね。普通はそうです。誰も他人の能力なんて知らないはずですから。でも、中山さんにとってそれは当てはまらないのですよ」


 だから何よ、と梨絵は言った。「もし、五分後、あなたに助けが来るとしても、あなたは五分後には死んでいるわ。助けなんて無意味。ここは私の世界だから」梨絵がそういった。


 それから、梨絵はありとあらゆる攻撃を須田朱音に向けてはなった。矢の雨、雷の嵐、巨大な岩、梨絵の生み出した夢の世界は今や地面は凹凸おうとつばかりで、空気は煙臭く、煤ばかりになっていた。


 それでも、須田朱音はその身に傷一つつけることなく、平然としていた。


「亜夢叶先輩、攻撃は派手ですけど全く当たっていませんね」朱音が口角を厭らしく持ち上げながら言った。「後、二分ですよ、亜夢叶先輩。私には先輩に傷をつけることは難しいでーー」


 梨絵が大岩を飛ばしたため、須田朱音の言葉は遮られた。しかし、梨絵には須田朱音が言おうとしたことが分かっていた。須田朱音は梨絵に傷一つつけることは出来ない......しかし、梨絵もまた、須田朱音に傷をつけることが出来ない。戦いはグダグダと続けられて、後二分すれば正体の分からない『中山』という人が来るらしい。


 まずい――梨絵は焦っていた。徹を取り返さなくてはいけないのに、そのリミットは刻一刻と近づいていた。


 焦りは梨絵の思考を空回りさせ続けた。どうすればいい? どうすればいい? 梨絵の思考はどこに行き着くこともなく、加速し続けた。その間も、梨絵はほとんど無意識的に岩や、雷、炎などを須田朱音に飛ばし続けた。


 心拍が早くなっていくのを梨絵は感じた。脳みそはシェイクされたかのように思考を巡らせ、体温は段々と低くなってゆく。


「後一分ですね」須田朱音が癪な笑みを浮かべながら言った。


 それを宣告された時、梨絵の脳は世界と一つになったかのような錯覚とともに、可能性に気が付いた。


「あぁ、プローディギウムとはこういう意味だったのか! プローディギウムの限界は私が決める......概念も、そうか!」梨絵が叫んだ。


 世界は一瞬にしてモノクロ写真へと変化した。色彩は失われ、秋風も止み、躍動は躍動のまま静止した。梨絵だけが何もかもが静止したその世界を駆けた。須田朱音とすれ違ったが、須田朱音の目は正面を見つめるばかりで、無機質だった。時間の止まった空間だった。


「徹......徹!」


 梨絵は徹が閉じ込められていた箱をこじ開けて、徹を腕の中に抱いた。しかし、どれだけ呼びかけても徹は返事を寄越さなかった。


 梨絵がため息を吐くと、世界は再び動き出した。色彩を取り戻し、秋風は砂煙を運び、躍動は静止へと向かっていった。


「亜夢叶......先輩」徹が梨絵の腕の中で弱々しく言った。徹の体はかなりの熱を持っていた。とても人間の体温ではない。


 梨絵が問い詰めるように言う。「どうして、そんなに熱いの? どうして――」


 徹が梨絵の声を遮った。「逃げて......ください」


 「逃げれるわけないじゃない。私はこの問題に始末を付けなきゃいけない」


 「ダメです......にげないと。みんな死んでしまう」


 「どういうこと?」梨絵が言った。


 「そんなこと......話す時間、ありません」


 徹の体が痙攣し始める。眼球は雨雲のように曇っている。


 梨絵には徹が何を伝えようとしたか分からなかったが、徹のいうことに従うことにした。「分かったわ、逃げましょう」


 梨絵には絶対に逃げられる自信があった。それは能力が、とかではなく理解の問題だった。梨絵は気づいたのだった。プローディギウムには概念に従った能力しかない、ということが誤りだということに。実際には、プローディギウムを使う側が『勝手に』限界を決めて、それを概念と呼んでいたに過ぎなかったのだ。本来、プローディギウムは概念などには縛られずに、『時空』を操ることが出来る。


 梨絵は再び世界を止めた。徹を抱えて、やってきた方向をみれば、須田朱音が茫然自失という表情でこちらを見ていた。須田朱音だけではなかった。遠藤さんも、杏樹も同じように我が目を疑っていたようだった。当然だった。三人からすれば、梨絵が瞬間的な移動をやって見せたことになっているのだから。


 梨絵はそのまま走った。さっさと徹を遠藤さんの車に乗せて、そこから時間を戻そう。そうすれば、時間が動き出した時には私たちは逃げる用意が終わっていることにな――


 梨絵は腹部に違和感を感じた。それで自身の腹部を確認すると、その違和感の正体がわかった。梨絵の腹から、別の人間の拳が顔を出していたのだ。梨絵は強烈な熱と、虚脱感に襲われて膝から崩れ落ちた。


 「時間は、再びあるべき姿に戻る。もっとも、この世界に時空は存在しないけれど」


 梨絵の背後で、男がそう言った。


 時間は止まっているはずなのに。梨絵が最後に思ったのは、それだけだった。


 時間は男の言うとおり、再び動き出した。徹は梨絵の手から落とされて、地面にたたきつけられた。


 徹は起き上がることをしなかった。それを行うだけの体力がなかったのだろう。徹は首だけを動かして、何があったのだろう? というように梨絵の方を見る。

 

 徹の目に映ったのは、自信満々に話す亜夢叶梨絵ではなく、もはや生きているのかも分からない「何か」だった。徹の知っている亜夢叶梨絵は決して倒れる人間ではない。従って、目の前の「何か」は亜夢叶梨絵ではない。徹は熱のせいで幻でも見ているのだろうと思った。


 梨絵を刺した男が徹を見下ろした。そこでようやく、徹の熱によって朦朧とした意識も、現実に気がついた。徹は感情の高まりを感じる。怒り、憎しみ、そして何よりも「元に戻したい」という欲求がマグマのごとく、内側から湧き出るような感覚だ。


 「うぉぉおぉぉお!!!!」徹は叫んだ。理性を放棄し、あるがままの感情に従って叫んだ。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る