嵐の中の子どもたち
第5話 亜夢叶梨絵×遠藤奈美
亜夢叶梨絵らの通う学校からほど近い場所に四階建てのビルがある。一階には花屋が、二階にはスナックが、三階には探偵事務所が、四階には占い屋がそれぞれ入っている。亜夢叶梨絵は三階にある探偵事務所で、その所長と話していた。
その事務所は、遠藤探偵事務所といった。表向きは不倫などを専門とする探偵事務所であるが、それだけならば亜夢叶梨絵がこの事務所の所長である遠藤奈美と関わり合いになることはなかっただろう。
遠藤探偵事務所は化物の眼球を現金化する許可を中央から貰っている。裏の稼業である。梨絵は普段、ここで化物の眼球を現金化し、生計を立てていた。遠藤奈美は梨絵から買い上げた眼球を表の宝石店などに売る。そうやって化物は地下都市の産業の一角を担うようになっていった。
それで、と梨絵の話が一段落ついたところで、遠藤奈美が言った。「君たちはいつもどおりの火種で喧嘩をおっ始めたわけか」
梨絵は出された紅茶を一口飲んで、頷いた。ほんのりとした苦味が、温かさと共に口の中に広がった。
「遠藤さん。仕方ないじゃないですか。私はこんなにも徹を大事に思っているのに、徹ときたら、全然そんなことわかっちゃいないんです」
「大事に思っているのなら、本人の意志も尊重してあげなきゃダメだろう? 善意の押し付けは面倒臭がられるだけだ。例えば、私が君に料理を振る舞っても、君は食べてはくれないだろう?」遠藤さんはそう言うと、皿に盛り付けられた肉をひとくち食べた。「こんなにも美味しいのに」
「そりゃあ、遠藤さんが食べているのは化物の肉じゃないですか。食べてるのは地下都市を見回しても、遠藤さんぐらいですよ」
「でも、私は君を思って料理を作るんだよ。私は君を思って貴重な肉を振る舞うのに、君ときたらそんなことわかっちゃいない」遠藤さんは、梨絵の声色を真似ていった。「ほらね、まるで一緒だ。風夢君にとって、過剰な君の思いやりは、私の振る舞う料理と同じぐらいに迷惑なのかもしれないよ?」
「違います......」梨絵は遠藤さんの言葉を否定したが、その声は弱々しいものだった。「私と徹の関係は、遠藤さんと私の関係よりもずっと強いんです」
じゃあ、遠藤さんは再び肉を口に入れながら言った。「風夢君にこの肉を勧められたら、君は食べるのかい?」
「化物の肉と、私の行動を一緒にしないでください」梨絵は俯きながら言った。
「でも、風夢君も迷惑だって言ってるんでしょ? それならやっぱり、一緒だよ」
梨絵は何も言い返すことが出来なかった。それは遠藤さんの話に反論できなかったからではなく、その話が真実であるような気がしてきたからだった。反論して、否定する事はできるかもしれないが、もしそうしたとしても、風夢徹が亜夢叶梨絵のことをどう思うか? という所は全く変化しない。
だけどね、と遠藤さんが梨絵の空になったティーカップに紅茶を注ぎながら言った。「迷惑に思われない善意ってのは沢山あるし、それは風夢君も喜ぶんじゃないか? ちょうどこんな風にね」梨絵の前に紅茶が注がれたティーカップが戻ってきた。
「じゃあ、例えば私はどうすればいいんですか? どこまでが迷惑に思われないんですか?」
「それは風夢君の主観によるから私からはどうとは言えないな。本人から止めてくれって言われた事をしないように気をつければ良いんじゃないか?」それよりも、と遠藤さんが続けた。「とりあえず風夢君に謝ったほうが良いと思うけどね。勝手に怒って出てきちゃったんでしょ?」
「でも、徹、もう家に帰っちゃったと思います。今日、謝るのは難しいと思います」
「何のためのスマートフォン? 電話でも良いから謝っといたほうが良い。明日気まずい思いをするのは嫌だろう? 今なら私から幾つかアドバイスもあげられるしな」
「それこそ、余計なお節介ですよ。遠藤さんは友だちが少ないのに、どうして私と徹の仲直りに役立つアドバイスをあげられるんですか」梨絵が笑いながら言った。
「君こそ、そんな憎まれ口ばっかり言って、どうして私のアドバイス無しで仲直り出来ると思っているんだか。まぁ、さっさと掛けてみなさいよ。そして私のアドバイスをもらっておけば良かったと後悔することだね」遠藤さんも笑いながら言った。
はいはい、と梨絵は適当に遠藤さんの言葉を流しながら、スマートフォンを操作して、徹に電話を掛けた。コール音が二度、三度となった後、「現在電話にでることが出来ません」と無機質な女性の声が聞こえた。
なかなか話し出さない梨絵を不安に思ったか、遠藤さんが「どうした?」と聞いてきた。
「徹が出ないんです。私がかけると、いつもすぐに出てくれるんですけどね」梨絵が気落ちした声で言った。本当に嫌われたのではと不安に思った。
「もし今回ので風夢君が君を嫌う程度の人間だとしたら、そもそも論でとっくに嫌われていたと思うぞ。それに今日は君が勝手に怒って飛び出してきたんだろう?」
そうですけど、と梨絵が弱々しく言った。「徹は友達が多い方ではないので、普段ならササッと電話に出てくれるんですよ。徹も時間を持て余しているので.....。それにさっきまで部活にいたのですから、急用ってこともないですよね」
「まあ私には心あたりがあるよ」遠藤さんは前髪を流しながら言った。「今日、須田朱音さんが来るって言うから君は起こって出て行ったんだろう? それなら、徹がその須田って人を相手していると考えるのが当然じゃないかね」
ああ、と梨絵が声を漏らした。徹の事に気を取られすぎていて、どうして喧嘩別れすることになったのかということを考えそこねていた。
「じゃあ徹は昨日、自分のことを斬りつけた女と仲良くお茶でもしていると言うんですか? いや、うちの部室にお茶なんてありませんけど」
「まぁ、風夢君は良くも悪くも、そういう被害に合うことに慣れてしまっているからね。実害がなかったし、まあいっか、程度にしか考えていないかもしれないね」
「一応、杏樹ちゃんに聞いてみたほうが良いですかね」
「そういうことは自分で決めたほうが良いと思うよ。私がとやかくいう場面ではないからね」
「では、念の為に聞いてみます」
梨絵はそう言って、杏樹に電話を掛けた。ちょうどコール音が二回鳴り終わったタイミングで相手が出た。
「はい、もしもし雌螺子ですけど。また風夢先輩のことですか? あんまり干渉しすぎるのは良くないですよ」気のない口調で杏樹が言った。
「遠藤さんにも言われて、そこんとこは改めようと決めたよ。ただ、電話が徹につながらないから、一応どこにいるかだけ確認して欲しくて。いや、別に女の子とイチャイチャしていても乗り込んだりはしないからね」
「そういえば、結局、須田朱音さんについてはどうしたんですか? 昨日、名前と住所を教えた時にはカンカンでしたけど」杏樹がやや咎めるような口調で言った。
「何もしていないわ。さっきも言ったけど、徹への干渉はもうしないことにしたの」梨絵は少し罪悪感を感じながら言った。ついさっきまでは引きちぎって亀の餌にでもしてやろうと思っていたが、それを言えば徹の場所を教えてくれなくなるだろう。
「そうですか。まあ、それはいい事ですよ。風夢先輩が愚痴を言いに来ることもなくなりますし」
「え?」
「あ、今のは気にしないでください」杏樹が慌てたように言った。「それよりも、風夢先輩の居場所ですよね。少し待ってください」
携帯から杏樹の声が途絶えて、昨日と同じ『新世界』が流れ始めた。どうして女子高生の携帯からクラシック音楽が鳴るのだろう。
梨絵がそんなことを考えていると「もしもし」と上ずった杏樹の声がした。
「これ、先輩、これ......誘拐じゃないですか?」杏樹が落ち着かない様子で言った。
「誘拐? 誰がよ」梨絵は思わず大きな声で言った。どうしたの? と横から遠藤さんが言った。梨絵はそれを無視した。
「学校の用務室に大きな荷物を運ぶ為の......なんだっけ、とにかくそう言う物がありますよね。須田朱音、そう、昨日の人が風夢先輩を大きな箱にれて、それで運んでいるんです。南部の方に向かってます」
「何いってんの?」梨絵は自分を落ち着かせるように言った。「南部の方って、南部まで自転車でも二十分はかかるのよ? どうしてわざわざ歩きで誘拐してんのよ。おかしいでしょ」
「そんな事はその須田って人に聞いてくださいよ。私には分からないですって!」
梨絵は混乱した頭を落ち着かせようと必死だった。なぜその女は徹を攫ったのか? なぜその女はわざわざ歩きで攫ったのか。女はどこに向かっているのか......。
「どうしたの?」遠藤さんが苛立ったように言った。
「よく分かんないんですよ。徹が誘拐されたのなんだのって。杏樹ちゃん、冗談はあまり言わない子なのに......」梨絵が困った風にそう言うと、電話の奥から「本当なんですってば!」という声が聞こえた。
「私が今から追えば、どれぐらいで追いつくの?」杏樹の鬼気迫った言い方に押されて、梨絵が聞いた。
「今、亜夢叶先輩は遠藤さんの事務所みたいですから、相手が直進し続けるとして、走って追えば南部の森を超えてしまう程ですね。相手の目的地がわからないのでなんとも言えませんけど、遠藤さんの車に乗せてもらうべきだと思います」杏樹が早口で言った。
「遠藤さん。車で、徹を追うのを手伝ってくれませんか?」梨絵が頭を下げながら言った。
「構わないよ。雌螺子さんは拾っていく? 電話でナビをしてもらうのでもいいけど」
「ちょっと待ってください」梨絵はそう言うと電話に向かって「杏樹ちゃんは今どこにいるの? 拾えるのなら拾って行きたいんだけど」
「今、私は学校にいるので、校門のところで待っていますね」杏樹はそう言うと、電話を切ってしまった。
「遠藤さん、杏樹ちゃんは校門のところで待っているそうなのでそこで拾っていきます」
遠藤さんは車の鍵を指に引っ掛けて「了解」と言った。
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