翼なき鳥の凱旋歌

柔井肉球

0 決意

 雲ひとつない、目も眩むような空。固唾を飲んで見守る者たちがいる。

 彼らは一様に真剣な顔で、「あるもの」の到着を今か今かと待っていた。

 膝までのびた草が、風の形にしなる。吹きつける強い力に、負けまいとするかのように。

「来たぞ!」

 一人が叫び、西の空を指さす。

 彼が示した場所には、小さな黒い点が一つ、打たれている。

 点は大きさを増していき、次第に何かに乗った人間であると分かる。近づいてきているのだ、白く雲を引きながら。

 同時に、その場にいた者の耳へと、空気を切り裂く甲高い音が転がりこんでくる。

 思わず顔をしかめたくなるほど、不快な音だった。

 だが、耳をふさぐ者はいない。彼らにとって、その音色こそ勝利の凱歌だったのだから。

 やがて、「空飛ぶ人」は彼らの真上に差しかかると、不可解な軌道を描きはじめる。

 五秒。白線が意味のある形をなすまでに要した時間だ。

 刹那、歓声があがる。

 両拳を空に突きあげる者、必死に手を振る者、抱き合って祝福を交わす者、それぞれ歓喜に酔いしれる。

 そんな彼らとは少し離れた場所に一人、鋭い目つきで空をにらむ者がいた。

「……なっちゃいないね」

 後続を引きはなし、まっさらな空に勝利の署名をする余裕。まさに圧勝劇だ。

「歳はとりたくないもんだ。ボヤキが増えちまう」

 目を閉じ、ため息を一つ。

――果たして今のあたしにどんだけやれるか

 目尻にも口元にも、鉤鼻にすら深いシワが刻まれている。

 老年といって差し支えないだろう。所々に鳶色が混じった白髪は長く、後ろで三つ編みにされている。

 群青色の古めかしい外套に身を包み、頭には三角帽。腰についた角度が、背負った年月の重さを表していた。

「この光景をあんたが見たら、どう思ったろうねぇ。アリーシャ」

 再び息を吐く。

 見るべきものは見た、と老女は思った。決意を胸に、振りかえり歩きだす。

「ま、どんな結果になろうと、未練を残すつもりはないがね」

 老女がその場を去るのと時を同じくして、遠く離れた山の頂で、同じように雲の軌跡を見つめる影があった。

「あれが……ロッテーシャ。最速のノイエ……か」

 影の声は、心なしか楽しそうにはずんでいる。

「楽しみだなぁ。一体、どのくらい速いんだろう?」

 北より冷たい風が吹く。冬の到来を告げる乾いた風、朽ちた葉の匂いが混じった強い風だ。

 雲は流され、次第に薄れていく。

 影は、雲が溶けて消えるまで、飽きることなく空を見あげていた。


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