1 来訪者

 天駆ける魔女には、二つの種が存在する。

 いや、今となっては「存在した」といったほうが、正しいのかもしれない。

 魔女が初めて空を飛ぶことに成功したのは、今をさかのぼること一〇〇年以上も前になる。

 まずは“アルト”について記そう。

 物質に観念的に干渉する力を、現在では魔力と定義している。

 魔力は物質に干渉する際、様々な反応を引きおこすが、その結果生まれる現象を「魔法」と呼ぶのだ。

 例えば、干したワラと紙に干渉を行えば火が起こる。これは魔法の初歩の初歩である。

 加えて言うなら、物質に干渉する力が強ければ強いほど、反応……つまり魔法も強力になる。

 ちなみに、これらの原理が解明されたのはここ二〇〇年ほどのことであった。

 何の物質がどんな反応を見せるのか、分かる範囲は限られていたのだ。

 魔女たちは、各々手探りで反応を試していく他なかったのである。

 そんな中、空を飛ぶことのみを目指して実験を繰り返す魔女がいた。

 彼女たちこそが現在、“アルト”と呼ばれる者たちである。

 アルトが一体どれほどの実験を繰り返したのか、正確なところは分かっていない。

 しかし、今から一〇〇年ほど前、唐突にその成果の実る日がやってきた。

 とある道具を用いた魔女が、数秒ほど空中に静止することに成功したのである。

 その道具とは「箒」であった。リヒターホルン工房で作られた、柄は真鍮、穂にはユマと呼ばれる、樹齢五〇〇〇年以上の大樹の枝を用いた特別製の箒。

 アルトたちはついに、大空へ飛びだすための相棒を得たのだ。

 やがて、五年ほどの歳月を経て、箒に乗って空を飛ぶ魔女の姿が当たり前になる頃、事態はさらに大きく広がりを見せた。

 身につけた飛行技術を競う催しが、開かれるようになったのである。

 彼女たちは、それぞれ魔女としての家名を背負って力の限り戦い、観客は新しい娯楽に酔いしれた。

 とりわけ、その名も高き“迅雷”ギナージュ・リヒターホルンと、当時最強の名を欲しいままにした、大魔女アリーシャ・メーテルリンクの戦いは、《蒼天の決闘》として今でも語り草となっている。

 時はまさに黄金時代であった。

 二人が引退してから、まだ三〇年ほどである。記憶に残っている者も多いはずだ。

 さて、ここでもう一種の魔女“ノイエ”についても記さねばならない。

 二人が引退してからというもの、箒レースは長い低迷期を迎えた。

 黄金時代が輝けば輝くほど、今を生きる魔女たちへ向けられる眼差しは、冷たいものとなっていったからだ。

 転機が訪れたのは、十五年前だった。

 アルトに変わる新たな魔女“ノイエ”の登場である。

 彼女たちを、明確にアルトと区別する身体的な特徴は、実は存在しない。あるのは意識の違いのみだ。

アルトが飛行技術を秘中の秘として各々独占し、家ごとに口伝で伝える形をとったのに対し、ノイエは商人と結託して技術を買いあつめ、それを教育という形で広く流布した。

 また、それまでは伝統として統一されてきたリヒターホルン製飛行箒に、錬金術による改造を施し始めたのだ。

 結果、当時主流であった簡素な箒は姿を消し、今では飛行姿勢を水平に保つコンパスを手始めに、魔力の増幅率をあげる装飾加工の施されたものや、人工的な動力炉を追加で内蔵したものまで作られている。

 自分たちの技術を守り伝える生き方をしてきたアルトたちは、次第に時代の波へと呑まれ、少しずつ居場所を失っていったのである。

 

 そこまで読んで、老女は本を閉じた。

 レンズの小さな丸眼鏡を外し、目頭をもむ。

 彼女が机に向かってから、すでに半日が過ぎていた。

「ふぅ……」

 揺り椅子に体をあずけ、ため息を一つ。

 机の上には、ほとんど真っ白なままの紙と、気に入らずに丸めて投げ捨てた紙くずが散乱している。

 紙の一番上には、小さく『ギナージュ』と署名がしてある。

 馬鹿馬鹿しいことだ、と彼女……ギナージュは思う。やはり今さら、自伝なんて書く意味はない。

 老いた魔女は書きかけの原稿の上に、本を放った。

「ったく、やってられないね」

 元々、乗り気ではなかった。義務でやっているだけなのだから、書く手が進むはずもない。

 彼女は目をつむった。

 耳に、暖炉の中で弾ける薪の、パチパチという音だけが入ってくる。

 その不規則な破裂音を聞いていると、意識が少しずつぼやけていくのが分かった。

 少し眠ろう、と老女は思う。起きたら、気つけに紅茶を淹れよう。ラミルの葉がまだ少しのこっていたはずだ、と。

 膝の上の毛布を胸元にかけなおし、かぶっていた三角帽子を顔に乗せると、体勢は整った。

 とてもいい具合だ、と満足し、そのまま微睡んでいく。

…………コンコン

 不意に、遠くで何かを叩く音がした。

――……せ………か……せんか

 続いて、内容は聞き取れないが、何者かの声。誰かが戸を叩いているのだろう。

…………トントン

――……ません……れか……ませんか

 音も声も次第に大きくなっていく。どうやら、客はギナージュの家を訪ねてきたらしい。

 彼女は半分寝ぼけながら、音とは逆の方に寝返りを打った。

…………ドンドン

――す……ません……だれか……ませんか

「っさいねぇ……あたしゃ疲れてんだよ」

 毛布を頭までかぶり耳をふさぐ。動くのが億劫だったギナージュは、客が諦めて帰るのを待つことにした。

 その後、五分ほどの間、呼びかけは続く。

 ドンドン!

――誰かいませんかー!?

 もう、はっきりと聞き取れる。いくら耳をふさいでも、その上からギナージュの眠い頭を叩くのだ。

「ああっ、もう! しつこいねっ!」

 いいかげん我慢できなくなり、体を起こす。

 一体誰だ、と玄関の方へ向かおうとして……その瞬間、ぱたりと音も声も止まった。

 しばしの沈黙。

「……帰ったのか」

 やれやれ……とギナージュは再び毛布をかぶる。

 目を閉じる。すぐに、規則正しい寝息を立てはじめた。

 

 バキィッ、ガッシャーン!

 

 突然の轟音。

「なっ! 何事だいっ!?」

 眠気は完全に吹き飛んだ。毛布を跳ねのけ、立ちあがる。

 壁にかけてあった箒を手に、ギナージュは居間に通じる扉へ。

 耳をくっつけ、向こう側の様子をうかがう。


……ドサッ、パラパラ


 いつもなら聞こえないような音がしていた。

 果てしなく嫌な予感が彼女を襲う。

 深呼吸を一つ。ままよ、と箒を握りしめ、ゆっくりと戸を開けていく。

 途端に、隙間から埃が入ってくる。

「グェホッ! ゲホゲホッ!」

 せきをしながら目を拭うと、悲惨な光景が飛びこんでくる。

 自慢のシャンデリアは粉々になり、破片がオーク製のテーブルに突き刺さっている。ロウソクが消えていたのが不幸中の幸いだった。

 花ビンは砕け、絨毯の上にしみをつくり、活けてあった花が無惨に散らばっている。

 そして、何より彼女にとって衝撃的だったのは、そこにあるはずのない玄関の戸が、居間のど真ん中で、くの字に曲がって転がっていることだった。

 あんぐりと口を開け、呆然とするギナージュ。

「あああ……どどど、どうしよう。またやっちゃった……」

 聞きなれない声がした。涙混じりの震え声。

 居間の奥が四角く光っている。転がっている戸は、元々そこにはめ込んであったはずだ。

 ギナージュはゆっくりと顔をそちらへ向ける。

「でもでも……返事なかったし、誰も怪我してないよね? セーフだよね?」

 四角い光の中央に、黒い丸が浮かぶ。ちょうど、扉の幅にぴったりはまる大きさの影だ。

「あれ? おかしいな……よいっしょ! えいっ!」

 掛け声とともに、メキャッ、と玄関横の壁がへし折れ、影が中に入ってきた。

「ふうっ! ……ちょっとせまいかも」

「お前の仕業かいっ!?」

「はぇっ!?」

 思わず叫んでいた。自分の家をボロボロにした丸い影に向かって、箒を構える。

「何者だいっ! ここが“迅雷”ギナージュの家と知っての狼藉だというなら、覚悟はできてるんだろうね」

「あ……あ……」

「さあ、答えな! 何故こんなことしたんだい!」

「みつけた……! やっとみつけた!」

 ギナージュの質問に答えることなく、影はドスドスと彼女の前に進み出る。

 艶のある紺の外套に、短く切り揃えられた金色の髪、ビン底眼鏡をかけ、自分の体より明らかにおおきなザックを背負った少女。

 丸くぱんぱんに膨れあがった荷物をおろすと、床のきしむ音がした。

「私、マリウスと申します」

 三つ指をついて、頭をさげる。

「この度は、ギナージュ・リヒターホルン様に、お願いがあって参りました!」

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