2 弟子
「……で? 名前は何だっけ?」
「ううう……マリウスです」
半泣きで答える少女の頭には、コブが三つほどできていた。
小さく肩を縮こまらせ、ソファの隅っこに座っている。ギナージュはうさん臭そうな目でマリウスと名乗る少女をにらんでいる。
「どっから来たんだい?」
「あの……ハーネスから」
「ハーネス!? 山五つも向こうじゃないか! 歩いたら二月はかかるだろ。そんなとこから一人で来たってのかい?」
「お、大げさです。せいぜい三週間ちょっとですよ。私これでも鍛えてるんです」
誇らしげに力こぶを作る。
「はぁ……。腕は関係ないだろ、腕は」
照れ笑いを浮かべながら頭をかくマリウス。ギナージュは今日何度目か分からないため息をついた。
「で、あたしに頼みがある、と」
「そ、そうです! ぜひ私を……」
「ことわる」
「話も聞かずに!?」
「……あのね。この部屋を見な。逆の立場で、こんなことされたら、お前さんはどう思う?」
「それは……よっぽど複雑な事情があるにちがいない、と」
「思うかい! 頼みごと以前の問題だろ!」
「で、でもでも、ノックをするときにちょっと力が入っちゃっただけですし、ギナージュ様も居留守を使ったわけで、フィフティフィフティ、おあいこってことに」
「なるわけないだろバカ!」
肩で息をするギナージュ。マリウスはさらに小さくなった。
「とにかく! 頼みを聞く気はない。分かったね」
「どうしても……ですか?」
「どうしてもだ!」
二人の視線が交錯する。しばしの沈黙……根負けしたのはマリウスの方だった。
「ううう……分かりました」
言って悲しそうに立ちあがると、置いてあった荷物を背負いあげる。
そのまま未練がましく、チラチラとギナージュを見た。
「何だい? まだ何か言いたいことがあるのかい?」
「い……いえ、なんでもないです」
やがて本当に諦めたのか、マリウスはそっと頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました」
背を向け、とぼとぼ歩きだす。見てわかるほど、肩を落として。
壁をさらに抉りながら玄関をくぐると、その背が小さくなっていく。
ギナージュは一部始終を見ながら、苛立たしげに頭をかいた。
「……ったく! ちょっと待ちな!」
「……ふぇ?」
振りかえるマリウス。ギナージュは腕を組み、外へ出る。
「こんだけ人の家をめちゃくちゃにしておいて、何もせずに帰ろうってのかい?」
「え……あ……」
「せめて片づけるのを手伝いな。そしたら……茶くらいは淹れてやるよ」
ふん、と鼻を鳴らすギナージュ。マリウスはそんな彼女を見つめ返し、はっと気づいたように笑顔になる。
「は、はいっ!」
割れた花瓶の破片を拾いあつめ、袋に入れる。そこへマリウスが戻ってきた。
「言われた通り、家の裏に置いてきました。薪にするなんて、良い考えですね」
「ふん。最高級のユマ製の扉が薪にしかならないとはね。悲しくなるよ」
「あの……元気を出してください。ギナージュ様が悪いわけじゃないですから」
「お前が言うんじゃない、お前が! ……はぁ、はぁ」
何度も怒鳴ったせいか、ギナージュは息が切れてきた。喉も乾いている。
袋の口を縛ってから、腰を叩いた。
「いいかい? 今茶を淹れてくるから、お前は片づけを続けるんだよ? 箒はその辺にあるから、使いな」
「わかりました。任せてください!」
胸を叩くマリウスに一抹の不安を覚えながらも、ギナージュはキッチンへ向かう。
わらを少し千切ると、紙の切れはしと一緒に炭の上に置く。
そこに向かって、指をぱちんと鳴らすと、火花が散り、炭が赤くなった。
ポットに水をくみ、炭火にかける。
待つ間に、お茶の葉とカップを取りだした。そこで、ふと気づいたように、居間にいるマリウスへ呼びかける。
「甘いものは平気かい!」
「ふぇっ?」
「甘いものは平気かって聞いてるんだよ!」
「あ、はいっ! 大好きです! クッキーとか特に!」
「何が食べたいかなんて聞いてないよ! ……っとに、ずうずうしい子だね」
ギナージュは悪態をつきながらも、棚の奥からクッキーのビンを引っぱりだす。
「……ま、古いが食えるだろ」
甲高い笛のような音が響く。ちょうど湯も沸いたようだった。
「ふん、ちと勿体ないがね」
葉を湯に浸すと、さわやかな香りが鼻の奥をくすぐる。
最後の一杯だ。今度飲むのは次の秋になるだろう。
クッキーと一緒に、ぼろぼろの居間へ運ぶ。
「うわぁ、いいにおい!」
「がっつくんじゃないよ、行儀が悪いね」
マリウスは今にもよだれをたらしそうな勢いだ。
「ん……?」
ふと、ギナージュはマリウスの手の中にあるものに気づく。
銀色の長箒。小さいとはいえ、マリウスの背丈よりかなり長い、柄が真鍮で作られた箒だった。
なぜか、柄の中ほどにピンク色をしたハート型のクッションがへばりついているが、間違いない。見るものが見ればすぐに、「魔女の箒」だと分かる。
ギナージュの表情が、自然と険しくなる。
「お前、それはどうしたんだい?」
「ふぇ?」
「それだよ、お前さんが持ってるやつさ。あたしのじゃないだろ」
「あ、はい。これは私の箒です。自分のを使った方が、おそうじはかどるから」
ギナージュはその箒をまじまじと見つめる。
「……あの、ギナージュ様?」
「ん、あ、ああ、冷めちまうね。適当に座りな。お茶にしよう」
茶を楽しみながら、ギナージュは改めて部屋を見渡す。
「見事にやってくれたもんだ。修理のことを考えると頭が痛いよ」
「うう……ふみまへん」
謝りながらも、クッキーをほおばる手は止まらない。ギナージュは苦笑した。
「ま、いいさ。家具を変える良い機会だ」
とりあえず、玄関の戸とシャンデリアだけは早めに直さなければならないだろう。
「で、頼みってのは何だい? 茶飲み話として、聞くだけは聞いてやろうじゃないか」
「ずずず……ほんとですか!?」
「うるさい子だね。いいからあたしの気が変わる前にさっさと言いな!」
「は、はい……実は」
湯気でくもった眼鏡をはずし、言いよどむマリウス。ギナージュは訝しむ。
「……言いづらいのかい?」
「いえ、そういうわけではないんですけども」
「ならさっさとおし。あたしゃ、気が短いんだよ」
クッキーをもう一枚、お茶で流しこむ。さらに、少し考えたあとで、意を決したようにうなずいた。
ギナージュの目を見ながら、口を開く。
「私を……私を弟子にしてほしいんです!」
「……はぁ?」
「お願いします! 私をギナージュ様の弟子に!」
「ちょ、ちょっと待ちな。正気かい?」
「正気の本気です!」
眼鏡をかけている時は目立たなかったが、緑色の透き通った瞳。若干うるんでいる。
少女は真剣そのものだった。ギナージュは困惑する。
「何であたしに? 今時、いくらでも弟子を募ってる魔女はいるだろう」
「……一週間後、このリヒターホルンの町で、大きな競技会が開かれますよね?」
「《蒼天の決闘》だね。ここに来るまでに見たろうが、今はどこも準備でてんてこ舞いさ」
「出場したいんです」
マリウスの言葉に迷いはない。ギナージュの顔から表情が消え、代わりに黒い瞳へ火が灯る。
「……あたしゃ、そういう冗談が嫌いでね」
「私は本気です」
やはり迷いのない断固とした口調だった。
「そのためにはギナージュ様のお力添えが必要なんです」
「ふん、評議会か」
苦々しい顔で、ギナージュはお茶を含んだ。
――《蒼天の決闘》
魔女の中でも、特に力のある七つの名家。その当主七人が評議会を形成し、運営する競技会である。
当主各々が数名ずつの魔女を推薦し、最速を競う。
魔女発祥の地、リヒターホルンで……いや、この世界で最も格式が高く、権威ある競技会だ。
「確かにあたしは七人の一人だがね。つまり、あたしの推薦状が欲しいってことかい?」
「理由の一つはそうです」
「はっ! 笑えるね」
ギナージュは立ちあがると、壁に立てかけてあったマリウスの箒へ歩み寄る。
「こんなガラクタでどうしようってんだい? 博物館にでも行かなきゃ、こんな化石は残っちゃいないよ。最初期型の飛行箒なんて」
マリウスの箒には、コンパスどころか魔除けの装飾一つされてはいない。魔女が箒に乗り始めた頃そのままの、真鍮の柄とユマの枝を用いただけの原始的なものだった。
「今時の“ノイエ”はこの箒じゃまともに飛ぶことすらできないだろう。お前さんにはできるってのかい?」
「……できるというか、私にはそれ以外乗れません。今の色々ついている箒は難しくて、まともに扱えないんです」
照れ笑いを浮かべるマリウス。ギナージュは目が点になる。
「……何だって?」
「私はその箒しか乗れないんです。『だから』ギナージュ様じゃないとだめなんです。これが理由の二つ目です」
「ま、まあ確かに、評議会に残った“アルト”は、もうあたしだけだが……」
「はい。多分、門前払いを食ってしまうと思います。古い箒にしか乗れない魔女なんて」
ギナージュは口元を手で覆うと、値踏みするように小さな魔女を見た。
その視線に気づくと、マリウスは微笑みを返す。
「……ふん、にやついてんじゃないよ。この箒しか乗れないってんなら、なおさら問題さ。競争相手は全員がノイエだ。最新型の改造箒に乗った、いずれも名のある魔女たちだよ。勝負になると思うのかい?」
「少なくとも、私は勝つつもりで戦います。でなければ、出場する意味がないでしょう?」
先程までのおどおどした態度はどこかへ消えている。箒の話になった途端、マリウスの顔には自信と、ある種の落ち着きが備わって見えた。
「ふむ……」
再び、マリウスの箒へと目をやる。やはり何度見ても、初期の飛行箒だ。ギナージュが子供の頃に使っていたのと同じ箒である。ただ一つの点をのぞいては。
「さっきから思ってたんだが、その悪趣味なハートは一体何なんだい?」
「あ、悪趣味ですか!?」
「少なくとも、生まれてこの方、そんなケバケバしい座布団をくっつけた箒なんて見たことないね」
「けば……ひどいっ! それに、座布団じゃなく、クッションです!」
「どっちだってかまやしないよ。何でそんなもん、ぶら下げてんだい?」
「それは……その」
とたんに口ごもり、うつむくマリウス。頬がほんのり赤くそまっている。
人差し指どうしをこすり合わせ、ギナージュの顔をうかがいながら、ようやく答える。
「……なか、弱いんです」
「あん?」
「お腹弱いんです! お尻が冷えると、すぐお腹こわしちゃうんです!」
「……は?」
思わず固まるギナージュ。上気したマリウスを見て、段々笑いがこみあげる。
「……く、ふ、はは、あっはっはっは!」
「わ、笑わないください!」
「そ、それじゃ、この趣味の悪い座布団は、お前なりの改造ってわけかい? こいつぁいい!あっはっはっは!」
「ううう……」
涙目で下を向くマリウス。その頭を、ギナージュはくしゃくしゃと撫でた。
「いいだろう。こんだけ笑わせてもらった礼だ。チャンスをやるよ」
「……え?」
「弟子として推薦してやるって言ってるのさ。不満かい?」
「と、とんでもないです! ……でも、なぜ急に?」
「さてね。久しぶりにとんでもないバカな魔女を見たせいかもしれないな。ただ、こちらにも条件がある。そいつは守ってもらうよ」
「条件……ですか?」
ギナージュはうなずき、人差し指を立てた。
「まずは一つ目。明日、本戦前の最後の予選会がある。その時に、お前の腕を見せてもらうよ。何しろ、あたしが推薦するんだ。無様な負けっぷりを見せられるのはごめんだからね」
「は、はい」
「当然のことだが、あたしが力不足と判断すれば、推薦は取りやめる。分かったね」
「うう、が、頑張ります」
「次に二つ目。こんな無茶が通るのは今年だけだということ。本番の一週間前に『自分を推薦しろ』なんて言ってきたのは後にも先にもお前さんしかいないだろう。いずれにせよ、あたしがお前を推薦してやれるのは今回が最後だがね」
「最後?」
「ああ。今年の蒼天の決闘が終われば、あたしは評議会からはずされることになってるんだよ」
「え……! それは、一体どういう……」
「黙って聞きな。三つ目の条件だ」
ギナージュは三本目の指を立てた。その瞬間、マリウスの背中に寒気が走る。
……老魔女は笑っていた。
肉食獣が獲物を前にしたような、殺気のこもる獰猛な笑み。老いてなお、瞳には狂おしいほどの情熱が、炎となって宿っている。
「当日は、あたしも参加する。つまり、お前とは敵同士ってわけだ。あくまであたしは推薦するだけ。競技に入ったら、全ての責任は自分自身で負うこと。いいね?」
「えええっ!?」
「さっきも言った通り、あたしは今年の蒼天の決闘が終わり次第、評議会をクビになるんだよ。今時、アルトの評議員なんて必要ないってね。後釜もすでに決まってる」
ギナージュは自嘲気味に吐き捨てた。
「何がノイエだ、くだらない。あの石頭どもめ。大事なことが何なのか、地位と名誉のぬるま湯に浸かって、すっかり忘れちまったらしい」
「ギナージュ様……」
「あんな集まり、こっちから願い下げだ。だが、ただ抜けるのもつまらないからね。辞める前に、奴らの鼻っ柱をへし折ってやるつもりなのさ」
「あの……一つ聞いてもいいですか?」
「あ? なんだい?」
「ギナージュ様には、他にお弟子の方はいないのですか? こんなことを言ってはなんですが、あなたの名声は私のような若輩でも知っています。“迅雷”ギナージュ・リヒターホルンの名は、箒乗りなら知らぬものはいない伝説ですから。教えを請う者が他にいても、不思議はないと思うのですが」
マリウスの言葉に、ギナージュは複雑な表情を浮かべた。
「……あたしゃ、人にものを教えるのが苦手でね」
それだけ言って、老魔女は強引に話を切りあげる。
「さ、そうと決まれば買い出しに行くよ」
「……ふぇ?」
「買い出しだよ買い出し。どうせ、泊まる場所も金もないんだろ? ここには、二人分の食糧なんてありゃしないんだよ」
「え、じゃ、じゃあ!?」
「鈍いねぇ。しばらく置いてやるって言ってんだ。荷物持ちくらいやんな」
ギナージュは箒を手に玄関へと向かう。
「は、はいっ!」
マリウスは、残ったクッキーを全て口に放りこむと、席を立った。
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